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2015年7月28日 (火)

居合兵法の和歌10.下手こそは

居合兵法の和歌

10.下手こそは

 下手こそは上手の上の限りなれ返春返すもそ志り者し春な

*下手こそは上手の上の限りなれかえすがえすもそしりはしすな

下手こそは、上手の者がさらに上を目指すには欠かせないものである、かえすがえすも下手をそしるものではない。

下手な居合ほど何故そうなってしまうのか、大変わかりやすい師匠でしょう。上手を見て感動しても、そう簡単に上手の技を知りえないものです。
上手な人ほど、下手な人の技をよく見ているものです。

「ある日のこと、大田先生が道場に見えられ、「人の稽古をよく見なさい」と言われた。上手な人を見るのは良いが、人の稽古を見るよりは、その分、稽古に励んだ方が効率がよいと思い、「はい」と変事だけで、棒振りに勤しんでいると、兄弟子の、「稽古止めい」の号令。「これから大田先生のお話がある」
曲がった腰をピンと直された先生は眼光炯々として、しっかりした口調で申された。「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・・人を見て己の足らざるを補え・・・下手を見ても・・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった。」

この歌も新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にあります。
「下手こそは上手能上乃可多りものかえ春がえすもそしり者し春奈」
(下手こそは上手の上の語りもの返すかえすも誹りはしすな)
ここでは、「上手の上の限りなれ」が「上手の上の語りもの」になっています。下手こそは上手の人が参考にする、酒のつまみのような語り物である、とも聞こえます。

下手こそ、過ちを解りやすく演じてくれるすばらしい師匠です。
段位や経験年数ばかりで癖だらけになった自称上手もよい下手な手本です。

妻木先生の田宮流居合歌の伝では「下手見ては(下手こそは)上手の上のかざりなり返すがえすもそしりはしすな」と下手は、上手の上のかざりもの、になっています。
下手が居てくれるので上手に見えても意味はないし・・。

「上手とは外をそしらず自慢せず 身の及ばぬを恥づる人なり」

ここまでが、一般的なところでしょうか。是なら嫌われもせず、適当に仲良く和していられるでしょう。
しかしそれでは何の役にも立ちません。喧々諤々競い合い磨きあう位が丁度いいはずです。鬱積した抑圧の下での封建社会の事なかれ主義を持ち出していてもおかしいばかりです。
極意に至る秘歌之大事とも思えません。

阿部先生「剣道之極意」に幾つかその心を伝えると思う歌がありました。

「此の道は上手ばかりが師ではなし 下手ありて又上手ともなる」

強い者とばかりけいこしたからとて上手に成るものではない。下手な者と稽古して師より教えられた技など、自由の利く下手な者に施し、試みて、鍛え、初めて本当に自分のわざとして身につけることが出来る。先輩・上位の人に対しては感謝する事を知っているが、下位の人に対し、後輩に対しての感謝などという事は殆ど忘れられているのは遺憾なことである。

「それぞれに人の為す技ちがうなり よく見て習え人のなす技」

「よき技を教えられても皆癖の つたなきところを習う人かな」

* 競技会で優勝した古参の人が、自分の教えに従えと言っていました。
姿勢は良いのですが張子の虎が首を振っている様にしか見えません。足は撞木足で爪先が床に押し付けられた摺り足でした。
必要以上に長い刀で棒樋を深く掘り直し、ビュービュー鳴らしています。
据物切りの協会に属しているようで刃筋は良いのですが体捌きが単調です。
しかし人の目を引付ける、座の姿勢がありました。座れば泰然自若とした座姿は素晴らしいものです。
其の姿勢の元となる考えは、人を威圧する心持との事でした。やれやれ習わなくて良かった・・・。

其の上、藁切り仲間への勧誘でもあったりして・・。

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