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2015年7月19日 (日)

居合兵法の和歌1.居合とは糸瓜の皮の段袋

居合兵法の和歌

1.居合とは糸瓜の皮の段袋

居合とハへ知まの可ハ能たん婦くろすっ可りとしてミはどっちやら

*此の漢字と仮名と片仮名の混在した書き出しから始まります。
曽田先生は忠実に原本を書き写されたのでしょう。漢字は草書体と行書体が混在します。

読みは「居合とはへちまのかわのたんぶくろすっかりとしてみはどっちやら」

意味を捉えるには「居合とは糸瓜の皮の段袋(駄袋・駄荷袋)スッカリとして身(実)はどっちやら」

是では、糸瓜の皮で作った駄荷袋は、スッカリとして中身が何処にいったのだろう。と読めそうです。

*一首目から頭を抱えています。直訳してみます。

居合と云うのは、糸瓜の皮で作った荷物を入れる駄袋(だんぶくろ)の様なもので、何も気にかけることも無くすっからかんとして筋ばかりで糸瓜のみ(身・実)は何処へ行ったやら。

へちまの皮とは、へちまの皮や果肉や種を取ってしまった繊維の事で、風呂で垢すりに使ったものです。
「何とも思わない」「気にもかけない」などの意味があります。
繊維だけになっているので、すっからかんとしてしまって、実・身は何処に行ったのか。

居合というのは、身も心もすっきりとして、何も思わずに、唯、変に応じるものである。
とでも云うのでしょう。

何事でも構えて、自分の意志を押し通そうとしますと、何が正しい事かもやるべき事も解からなくなって己の立場に固執してボロばかり出してしまうものです。それも、人の弱さなのでしょう。
さっぱりと己の思慮を捨ててみればいろいろなものが見えてきます。
そこから、いかに応じるか、修行を積み重ねた技が自然にほとばしり出るのでしょう。

弱さをカバーしようとして、媚び諂う者だけを集めて見ても先が知れています。
本物は「へちまのかわのだんぶくろ」でありたいものです。かといって駄袋からは、是と云って何も出て来ないのでは如何にもなりません。

この歌は、東北地方に残された、新庄藩の元禄14年1701年の林崎新夢想流の「秘歌之大事」には収録されて居ません。

田宮流居合「歌の傳」にもありません。

 

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