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2015年8月 8日 (土)

居合兵法の和歌21.世の中尓贔屓偏んバの有時

居合兵法の和歌

21.世の中に贔屓遍んバの有時

世の中尓贔屓遍んバの有時ハ上手もへ下手も人の云う奈し

*世の中にひいき偏頗のある時は上手も下手も人の云うなし

世の中に贔屓偏頗(依怙贔屓)がある時には、上手も下手も人の引立ては無い。

*「贔屓へんば」はえこひいきすることです。「へんば」は偏頗(すこぶるかたよる)・片寄る・不公平です。

世の中にえこひいきがある時には、上手も下手も有り様もない。

こんな直訳でよいのでしょうか。これでは奥義の歌32首に加わる歌とは思えません。どこにでもある悲しい現実でしょう。

上手下手など人の評価を以て居合を出来たと慢心するな、そんな評価で生死を分かつ場に応じられる訳はない。居合は仮想的相手の空間刀法です。いかに華麗であっても、力強くとも、掟を守っていても役に立つのは、場に臨んでの強い信念に裏打ちされた心と体でしょう。

この歌は、新庄藩の秘歌之大事にも田宮流居合歌の伝にもありません。

河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書では次のようです
「世の中の贔負へんぱの有時は上手も下手も人の口なし」
これではえこひいきがあるのなら、上手も下手も口を閉ざして誰も評価しない。と読めます、これも寂しいことです。

次いでですが、現代では居合などの型、形は人に見せるということが大前提となっています。
「評価基準は演ずる人の技法の理解度や実際に技を用いる能力の高低には求められず、第三者が判定できる一般的な外的指標が基準になる。
つまり、型の動的な形の品定めを行うわけだから武的美学のコンクールと見なすべきである。型競技は体操と同じように近代的体育競技のジャンルとして新鮮な目でとらえていけば、それなりの意義はある。」(時津賢児先生の武道の方法叙説より抜粋)
武的見地から捉えるか否かは個人の問題でしょう

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