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2015年10月 3日 (土)

英信流目録 3.大森流居合之位11抜打

英信流目録

3.大森流居合之位

11.抜打(原本に記載なきも之にて十一本となる□筆之置く 曽田メモ)

以上11本也

*実はこの英信流目録には、この十一本目は書き込まれていないのです。業の頭に本数を入れてありますが、原本は無印なのです。便宜上Noを打ったのですが、順番は現在の大森流、無双直伝英信流正座の部の順番の通りです。
虎乱刀の跡に「以上十一本也」と記入されています。十五代の谷村亀之丞自雄の書写の際に欠落したのか、原本が欠落していたかはわかりません。

ここでは、古伝神傳流秘書大森流居合之事抜打を記入しておきます。

抜打
坐して居る所を向より切て懸るを其のまま踏ん伸んで請流し打込み開いて納る尤も請流しに非ず此の所筆に及ばず

英信流目録は原本が第十二代林 政誠によって安永5年(1776年)に書かれたものですから、山川久蔵幸雅が書き写した神傳流秘書(文政2年1819年)より古いものです。
居合は大森流しか存在しないので、抜打どころか大変な欠落です。残念ですが大森流「抜打」は神傳流秘書による以外に見当たりません。

古伝の抜打の業手附は簡潔でまさに居合と言った雰囲気の名文でしょう。
抜打を演ずる時「切て懸るを其のまま踏ん伸んで請け流し打ち込み開く」が頭をよぎって行きます。

第17代大江正路先生の抜打(大正7年1918年発行の大江・堀田共著剣道手ほどきより)
「正面に座す、対座にて前の敵を斬る心組にて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る。血拭ひは中腰の同体にて刀を納む」

*古伝の抜打の心持ちは薄れ、一方的に抜き打つ業に思えてしまいます。動作を克明に解説したのは河野先生でしょう。

第20代河野百錬先生の抜打(昭和8年1933年発行無双直伝英信流居合術全より)
「正面に向ひて正座し、左手を鯉口にとり拇指にて鯉口を切り、右手を柄にかけつゝ両膝と其爪先にて膝を伸ばし、右斜前に刀を引き抜き左肩に刀先を突込む様に双手上段に振冠りて切り込み、刀を右に開くと同時に左手は左腰に取り後鯉口を握り刀を納めつゝ臀部を踵の上におろして納め終る」

夢想神傳流檀崎先生の抜打
「彼我接近して対座するとき、敵を速急正面より斬付けて勝。刀に両手をかけ、同時に両足を爪立てて刀を右斜前に水平に抜き、剣先が鯉口を放れると同時に、後方の敵を突き刺すように振り冠り、両膝を揃え「トン」と床を打つ。この時上体は,真直に膝の真上にある。次に斬下すと同時に両膝を横に開き「トン」と床を打ち血振り・・」

*お陰様で、容易に抜打を演じられるようになりました、然し古伝の「此の所筆に及ばず」は置き去りになって居る様に思います。
そして、「飛び打ち」にしたり、「音打ち」にしたり、果ては「闇打」であったり「抜刀打ち」にしたり、愉快です。
「坐して居る所を向より切て懸るを其のまま踏ん伸ん請流し打込み」は何処にいったのでしょう。
当代の解説では「正面に対座せる対敵の害意を認めるや・・・もし敵斬り込み来たりてもその刀を受け流す気にて行う」と「もし」がありますが其の心は戻りつつあるように思います。

奥書を入れて置きます。

林 政誠

 干時安永五年  冬十月吉日改之

 嘉永五年癸子六月吉祥日

 谷村亀之丞自雄 自花押

この曽田先生の書写したものを昭和23年1948年六月に大阪の河野稔氏へ伝授したりとあります。第二十代河野百錬宗家を指していると思われます。

この英信流目録には坂橋流の棒が恐らくすべて残されていたのかもしれません。棒太刀合之位・棒合5つ・心持之事・極意之大事の4編になっていました。

さらに、何処にも見られない小太刀之位が残っていました。之は曽田本以外に見ることがありませんでした。

土佐のどこかにこの第十二代林 政誠の原本が存在することを夢見ています。

四国に在住の無双直伝英信流・夢想神傳流を学ばれる方によって捜し出していただければと勝手に思っています。

英信流目録を終わります。

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