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2015年11月10日 (火)

曽田本免許皆伝目録その1居合根元之巻

曽田本免許皆伝目録

その1.居合根元之巻
曽田本には土佐の居合の免許皆伝目録いわゆる根元之巻が記載されて居ます。
明治34年(1901年)6月15日に谷村樵夫自庸から小藤亀江に伝授された根元之巻です。
谷村樵夫自庸は谷村派第15代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸と連なる系統になります。
谷村派第15代谷村亀之丞自雄の系統は一般に第16代五藤孫兵衛正亮-第17代大江正路蘆洲と道統を繋いでいるとされます。
第17代大江正路先生も何人かに根元之巻を授与されていますのでその系統は土佐の居合を引き継ぎ伝統を次代に引き継いでいく使命を預けられたとし、中には土佐の居合の宗家であると自認している方もおられるようです。
宗家紹統印可と業技法の奥義を窮めその伝授を允可する根元之巻との区別が不透明な事によると思われます。
第20代河野百錬宗家の昭和30年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書では河野百錬先生に第19代福井春政先生より昭和25年1月3日付けで居合根元之巻が伝授され、同年5月に「無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家紹統印可」が授与されて居ます。
後に河野宗家は、正統では無い傍系宗家を名乗る者が現れ苦慮され、現在も多々見受けられます。
土佐の居合の流名について、無双直伝英信流と名乗る事について、何時からどの様な経過で名乗ったのか良くわかりません。

 河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」では、大江正路先生相伝長谷川流居合術伝書と題し、居合術根元之巻が弘化2年1845年乙巳12月18日に谷村亀之丞自雄から伝授者山内豊惇(とよあつ・第14代土佐藩主)への伝書が掲載され、其処には既に業目録に「無双直伝英信流居合目録」奥付けに「敬白去天保11(1840年)康子年3月26日臣自雄所学之無双直伝英信流居合術 可奉授」と流名が付記されて居ます。

天保11年1840年には谷村派第15代谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流を学び終えていて山内豊惇に可奉授と云う事になります。谷村亀之丞自雄の師は谷村派第14代林弥太夫政敬であろうと思います。

今回の曽田本免許皆伝目録に依る居合根元之巻は明治34年(1901年)6月15日に曽田先生の実兄小藤亀江のち土居亀江に伝授された伝書で、其処には業目録では「無双直伝英信流居合目録」とあり、奥付けには「無双直伝英信流居合」と明記されて居ます。

無双直伝英信流の流名を大江先生が名乗った様に聞こえて居ますが、大江先生は嘉永5年1852年生まれですから有りえない事になります。
平尾道雄著土佐武道史話(昭和36年1960年発行)に下記の様な文章があります。
「文化の頃・・土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。
後年この流は統一されて、大正の末期には無双直伝英信流、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった、英信流は目録を授けて免許とし、根元の巻を授けて皆伝とする。
目録は位を7にわけて76業あり、ほかに9ヶ条の口伝をそえて純然たる居合道をたてたものである・・」
この文章に大江先生が命名された様に、大江びいきの方に依って惑わされたようにも思います。
ついでながら、大江正路宗家が授与されたであろう根元之巻や宗家紹統印可などは、存在したかかどうかわかりません。
大江先生の発行されたものは見られます。


尚、この曽田本の居合根元之巻は谷村派の系統でありながら、曽田先生は小藤亀江の後に自らを、明治38年6月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦と書かれて居ます。
この小藤亀江の根元之巻は、「本目録は昭和20年7月4日午前2時高知市爆撃の際家財道具一切と共に焼失す」と曽田先生は書かれて居ます。
心なしかその文字に無差別爆撃の戦火に失ったものへの激しい怒りを感じてしまいます。

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