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2015年11月 4日 (水)

曽田本業附口伝その4大小立詰2袖摺返

曽田本業附口伝

その4.大小立詰め

二本目 袖摺返


打は横より組み付仕肱を張りて一當すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也
(五藤先生は一當して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり 曽田メモ)左右共同前
(横合より組付ひじを張り一當して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右共に同前 五藤メモ)

*古伝大小立詰の二本目袖摺返の業名は、大江先生が独創した無双直伝英信流奥居合立業の七本目袖摺返に業名を使用されていました。
元はここにあったものです。
大江先生は土佐の居合をコンパクトに纏めて居合そのものを習いやすくして総合武術としては捨てるものは捨てると実行されたといわれます。

打が横より両手で組付いてくる、仕は両肘を張って打の腹部に肘当てを食わし、体を低くして密着し柄を打の足に掛けて打を後ろに投げ倒す。
「打の柄を打の足に掛けて・・」大小詰めですから打は小太刀です、「打の小太刀を打の足に掛け・・」は疑問です。
「仕の太刀の柄を打の足に掛け・・」ならば出来そうです。
「組付かれ肘を張りて一当てする」肘鉄が思いつきましたのでやってみました。
「打の刀を足にすけ・・」ですがこの場合打の刀を足に掛ける方法が思い浮かびません。仕の柄でいいのでしょう。五藤先生のメモ書きでは誰の刀か不明です。

この業は古伝新傳流秘書では大小立詰の一本目に置かれています。

神傳流秘書 大小立詰(重信流立合也) 一本目 袖摺返

 我が立て居る処へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其儘踏みしさり柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り又我右より来り組付をひじを張り躰を下り中に入る

*立って居る処へ、相手我が右脇から近寄って来て、我が柄を右手で鐺を左手で取り抜かさない様に鐺を背なかに押し付けて来る、我は其の儘後ろにさがり、柄を相手の左足のかゝみに懸けて体を低めて中に入り退き倒す。
又相手が我が右より近づいてきて組付くのでひじを張って相手の組み付を緩め腰を低くして中に入り退き倒す。

相手の攻撃は、古伝は柄と鐺を取って抜かさない様にする、業附口伝は横から組み付いて来る、何時の時か変わってしまったのでしょう。

神傳流秘書の大小立詰一本目は袖摺返ですが五藤先生の業附口伝は二本目が袖摺返です。
一本目は「〆捕」で業の内容が異なります。〆捕は神傳流秘書では四本目に位置します。
順序は好きなようにしてもいい、気乗り次第だと云って居ましたが敢えて順番を変えた理由が解りません。

業名の袖摺返は大江先生が奥居合立業の七本目袖摺返として古伝抜刀心持之事の十一本目行違を改変した業に名付けています。
大江先生が奥居合を改変されたと言われていますが其の痕跡は追跡できません。
大江先生以前に変えられた様な気がしています。もし大江先生が独断で古伝を改変されたならば、何を考えてされた事でしょう。
長谷川英信の時代は甲冑を着た剣術から、素肌剣術に変わった時代でしたからその業技法への転換は頷けます。
明治以降は伝統文化の伝承と白兵戦に怖気つかない兵士予備軍の育成にあったとも思われます。変える理由があるのでしょうか。
寧ろ、大江先生に伝書は伝わらず、業名ばかりが伝わり内容が解らなかったと思う方が自然です。
このような事を云いますと、大江宗家を冒涜する様な事を言うなと仰る方もおられます。無双直伝英信流を当時学ぶ者さえ無かった時代に、中学生に指導し継承された功績は大きいものですが、分けも無く神格化すべきものでも無いでしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰二本目袖摺返
「打太刀は仕太刀の横に立つ。打太刀横より仕太刀に組みつく、仕太刀肱を張りて一と當てすると同時に直に打太刀の刀を足にすけて後に投るなり(五藤先生は「一と當して中に入り刀を足にすけ後ろへ投げる」と記せり)左右共同前。

*曽田先生の業附口伝其の儘です。

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