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2015年11月17日 (火)

曽田本免許皆伝目録その8小藤亀江の根元之巻目録の2

曽田本免許皆伝目録

その8.小藤亀江の根元之巻目録の2

土佐の居合の下村派吉宗貞義先生の弟子であった曽田虎彦先生の実兄は小藤亀江で後土居亀江に戻っています。
曽田先生も土居家の四男で亀江は三男でした。
小藤亀江は土佐の居合の谷村派の第15代谷村亀之丞自雄の系列で楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸の道統ですから、正統正流の第15代谷村亀之丞自雄-第16代五藤孫兵衛正亮-大江正路子敬の道統から見れば傍系となるのでしょう。
曽田先生は実兄を谷村派第18代である様に番号を振っています。
小藤亀江の流れは18番目で途絶えます。
第20代正統宗家河野百錬先生の頃も、大江先生から根元之巻を授与された方が河野先生系統が土佐以外の方である事を嫌ったのか、権力を手にしたかったのか、自分と違う業の意義と動作に危惧を抱いたのか、傍系宗家を土佐の幾人かが募って傍系宗家を押し立ています。
林崎甚助重信公の居合は神夢想林崎流として立ち上げられ、時を経て林崎流、林崎夢想流、林崎新夢想流、などに流名を変えながら、田宮流、伯耆流、無外流などを起し、同時に江戸や北信濃では無双直伝流、土佐では長谷川流に変化し大森流を加え、無双直伝英信流となっているものでしょう。
現在でも無双直伝英信流の後に何とかと付け足したり、土佐を強調した流名を付けておられる処もある様に聞きます。
そして、連盟とか協会と称して仲間を募って組織化して居ます。
土佐お留流とかに拘り、全国に広まったものを、土佐から出たのだから土佐の指導者に依って宗家筋を戻す事を夢見たであろう先師は既に没して居ます。
その思いを聞かされて育った土佐生れならともかく、そうでない弟子も、時の移ろいの中でどの様に師匠の思いを保持できるのでしょうか。
ある、付けたりを名乗る宗家の方は、「特に別の形のものでは無く、吾々は谷村派を修業している」とはっきり仰います。
谷村派も下村派も私にはその区別がつきません。
半身の抜き付けが下村派で今の夢想神傳流などと云うのも後世のこじつけで確証など無いものです。
谷村派の正対なども之も様々で同様です。
譬え同じ業であっても、想定が違えば動作は異なります。
あえて付けたりを名乗る程のものでは無いでしょう。
まして、連盟を押し立てる程の意味合いが有るでしょうか。
夫々の先師の教えをかたくなに守れば、師伝違いは先師の数だけ出来てしまいます。
2代目では何人、3代目ではと更に増えてしまいます。
書の手本で王羲子を良く学んだ書は何処か似ているものです。
「この業を、この想定で演じよ」と言われればこの流の者は似たものになる程度で良いもので、2、3の統一動作を持てば事足りそうです。
寧ろ、門を閉ざして他を受け入れなければ、個性豊かであっても、激しいばかりであったり、他からの教えも得られず、無駄の多い剣の理には程遠いものになる様です。
先師の癖ばかり引き継がずに、多くの剣士の教えに耳を傾け、眼を凝らし、取り入れるべきものは取り入れる厳しさも欲しいものです。
この時代、求めれば幾らでも剣の理は得られるものです。
・・・・
横道にそれました。

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