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2015年11月27日 (金)

曽田本免許皆伝目録その18林崎新夢想流の2

曽田本免許皆伝目録
その18林崎新夢想流の2
奥州に残された、林崎甚助重信の伝書林崎新夢想流の根元之巻は津軽藩に残されたものが今の処最も古いものかも知れません。
土佐に残された谷村樵夫自庸から曽田先生の実兄に伝授された根元之巻の内容は第17代大江正路先生の発行された根元之巻とも少し違います。
そこでこの三部の根元之巻を読み比べてどの様に解釈されてきたのか考えてみたくなりました。
津軽藩に残されたものは山形県に居られた林崎甚助重信公資料研究委員会の方々のご苦労に成る平成3年発行の「林崎明神と林崎甚助重信」にある、津軽藩に伝わった林崎新夢想流の元禄4年1691年~正徳元年1714年ごろの伝書で笹森建氏所蔵の物と云われる写しを使わせていただきます。
他のものは曽田先生の書写された伝書となります。既に津軽藩の伝書の書き出し三行は前回対比してあります(2015年11月26日)ので次から入ります。
1、津軽藩の林崎新夢想流
「手近之勝負一命之有無極此居合 恐於粟散邊土之堺不審之儀不可有之唯霊夢依所也尋此始或時奥州林崎甚助謂者依兵法之望林明神百日参籠満暁夢中告云汝以此太刀常胸中憶持得勝怨敵云々]

(手近の勝負一命の有無、此の居合に極まる、恐らく粟散邊土の堺に於いても、不審の儀之有るべからず、唯霊夢に依る処也。此の始めを尋ねるに、或る時奥州林崎甚助と謂う者、兵法の望に依り林明神に百日の参籠し満暁の夢中に告げて云う、汝此の太刀を以て常に胸中に憶持すれば怨敵に勝ちを得ん云々)

*林崎新夢想流の根元之巻には「百日参籠満暁夢中告云」の処は土佐の説明調子の「一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告曰く」とは異なります。
2、谷村樵夫自庸より小藤亀江の伝書
「手近勝負一命有無極此居合恐者粟散辺土於堺不審之儀不可有之唯依多夢処也此始尋奥州林崎神助重信云者因兵術望有之林之明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告云曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々」
(手近の勝負一命の有無、此の居合に極まる、恐らくは粟散辺土の堺に於いて、不審の儀之有るべからず、唯多夢(㚑夢・霊夢の誤字であろう)に依る処也、此の始めを尋ぬれば奥州林崎神助重信(甚助の誤字であろう)と云う者により兵術之有るを望み、林の明神に一百有日参篭せしめ其の満暁の夢中に老翁重信に伝えて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中憶持たるは怨敵に勝ちを得る云々)
*多夢は誰かの伝書を見て霊夢を異体字の「㚑夢」を読めなかったかして「多夢」としたのでしょう。或は曽田先生の誤認かも知れません。
「神助」については林崎甚助重信を知らず「甚助=じんすけ=じんすけ=神(じん)助」と誤り伝えるとすれば、土佐に伝える以前の道統の誤りだろうと思うのですが、伝書は先師の伝書を写したと思うのが普通で口頭で聞かされ記憶をたどって伝書を作成したとしたら土佐の居合は不思議な伝承としか言い様は有りません。
津軽藩の林崎新夢想流の伝書に略沿っているのですが、目録に依る業名は殆ど一致しません。
どこかで変化したか(長谷川英信の頃か)、免許皆伝書ばかりを盗用したなどもありうるものなのでしょう。
時の流れが疑問を投げかけて惑わされます。
その様な事が譬え有ったとしても、土佐の居合は業も心得も武術の求める所も充分整理された素晴らしいものと思われます。
3、大江正路先生から鈴江吉重先生への伝書
「手近勝一命有無之極此居合恐者粟散邊土堺不審之儀不可有之唯依㚑夢処也此始尋奥州林崎神助重信と云者因有兵術望之林之神明一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信云曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々
(手近の勝ち一命の有無これ此の居合に極まる。恐らくは粟散邊土の堺、不審の儀之有るべからず。唯㚑夢(霊夢)に依る処也、此の始めを尋ねれば、奥州林崎神助(甚助の誤りでしょう)重信と云う者、兵術有るを望に因り、之林の神明一百有日参籠せしめ夢中に老翁重信に云う、曰く汝此の太刀を以て、常に胸中憶持するは怨敵に勝ちを得ん云々。)
*大江先生も此処まではあまり違いは有りません。「唯㚑夢」は直されています。「奥州林崎神助重信」の誤りは其の儘ですから、大江先生この頃(大正10年1921年)林崎甚助重信と云う名を正確に知る事が出来たかわかりません。
*北信濃の天明六年1786年に大矢五兵衛尉から瀧澤武太夫に与えた無双直伝流の伝書のこの部分は「手近勝負一命之有無極此居合恐者於粟散邊土之境不審之儀不可有之唯依霊夢処也 此始尋或時奥州林崎甚助云者兵法之依望林之明神百日参籠満暁告夢中曰汝以此太刀常胸中億持得怨敵勝事云々」と南山大学の榎本鐘司先生の論文に有ります。
こちらの方が、津軽藩の林崎新夢想流の伝書に近い様です。
 林崎甚助重信であって土佐に伝わる林崎神助重信ではありません。
 此処では土佐で言う第7代長谷川英信および第8代荒井勢哲が指導者であったとレポ-トされていますから、この二人は土佐の居合の原点でしょう。
そうであれば、伝書の細部の違いが気になります。

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