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2015年11月16日 (月)

曽田本免許皆伝目録その7小藤亀江の根元之巻目録の1

曽田本免許皆伝目録

その7.小藤亀江の根元之巻 

無雙直傳英信流目録の1
1、向身 横雲・虎一足・稲妻
1、右身 浮雲・山下し
1、左身 岩浪・鱗返
1、後見 浪返・瀧落

四方切 向・右・左・後
この目録は英信流ですから現在の立膝の部と同じです。
順序もこのようになって稽古されたのでしょう。現在の真向は見当たりません。
この英信流目録の次に四方切が置かれています。
向(前)・右(真右)・左(真左)・後(真後)ですから十字の交点に我は坐すのでしょう。
この四方切の後には、太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰と形が続き、大剣取は見られません。
外之物之大事・上意之大事と現在の奥居合の原型が続きます。
そして極意之大事とあるわけで、それが長谷川英信の居合なのでしょう。
棒も和も見られません。
上意之大事に三角・四角が配されて居ます。それでは四方切とは何なのでしょう。是は不明です。
*この居合根元之巻では、無双直伝英信流目録が伝授されたわけで、大森流居合・坂橋流之棒・夏原流和は目録外です。
土佐の居合無双直伝英信流谷村派第15代谷村亀之丞自雄から楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-小藤亀江への伝授の何処かで置き忘れて来たものと思われます。或はそれ以前の11代大黒元右衛門清勝-12代林益之丞政誠-13代依田萬蔵敬勝-14代林弥太夫政敬の内の誰かでしょう。
私は谷村派・下村派の分離して直に谷村派に神傳流秘書が伝わらず失伝した様に思います。
11・12・13代あたりかと思います。それは下村派の山川久蔵絡みかな、など妄想です。

*大江先生の発行した根元之巻の業目録は山内豊健先生へ授与されたものでは、「英信流居合術名称」と題して「正座之部・立膝之部・奥居合之部・型並に発声」と目録の構成は改められて居ます。
ここに記した小藤亀江への目録の構成は、細川義昌先生が発行したものと同じ形式です。
谷村派には継承された根元之巻が無かったかもしれません。
*更に、榎本先生の北信濃の「無双流和棒縄居合目録」天明3年1783年の天明3年大矢蕃昌編述・滝沢登愛所持とされる資料に或る居合のところの目録は以下の様です。
1、向身 横雲・稲妻・水引□□
1、右身 浮雲・山嵐
1、左身 岩波・鱗返
1、瀧落
九ノ腰
1、両釣
1、三角
1、四方切
1、上意ノ段
1、□乞
1、棚ノ下積
*奥羽地方に残された江戸時代の元禄7年1694年の三春藩の林崎流などに記載されている業名 
表(荒波・胸取)
左(敷詰・・右(五倫砕・則抜・□之刀・引□・忍・順釼・・惣留)
後左右 (見聞身諾)、立合(惣平崩・入合・剱諾・明・稲妻・無閒・行連・行□)・・
秋田藩の天明8年1788年の林崎流居合の居合目録次第
第一 初重、第二 押抜、第三 除身、第四 開抜、第五 幕越、第六 胸刀、第七 頭長
向之次第
第一 取□、第二 切先反、第三 左除、第四 懸蜻蛉、第五 胸刀、第六 頂上、第七 逆頂上
以下省略
聞き慣れない業名が付記されて居ます。(林崎明神と林崎甚助重信 参照)
早計に判断できませんが、奥羽地方の林崎新夢想流や林﨑流は林崎甚助重信の居合が残されて居る様に思えてきます。

北信濃や土佐は江戸初期から中期に至る頃には、長谷川英信の頃までに、業の数々は新たに編成し直されたものが伝わった様に思えます。
既に林崎甚助重信の刀法は、失伝してしまっていたと云える気がします。
しかし、しっかりと根元之巻の文章は引き継がれて居ますので林崎甚助であろうと神助であろうとこのような、藩に仕官も適わずにいた市井の剣客の流儀は記録も無いものです。
しかし、よく今日までさしたる違いも無く伝承していると思います。
それだけ洗練された習いやすい体系が作り上げられていたと云えるものです。
改めて古伝神傳流秘書を見直してしまいます。

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