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2015年11月15日 (日)

曽田本免許皆伝目録その6小藤亀江の根元之巻道統

曽田本免許皆伝目録

その6.小藤亀江の根元之巻道統

天真正
*いつわり飾らないの意味となるのでしょう。この天真正を冠した剣術の流派は飯笹長威斎家直による天真正香取神道流を思わせます。重信は之を習ったこともありうるとすればその天真正を冠する事も有りえます。
 
林の明神
*出羽の国最上郡大倉郷の、林崎にあった素盞鳴尊を祀った熊野神社で後居合神社として合祀された神社。
林崎とはその一帯が藻湖といわれる湖水であった事に由来するようです。
林崎神社が記録に現れたのは正安2年1300年神鏡一面が奉納された頃であり、林前寺の門前町として林崎村が生まれた永承年中1046年~1057年ころから正安2年1300年の間に熊野神社(林崎明神)が遷座されたのであろう、と、昭和8年の「居合神社記」の著者三澤茂氏が推定して居ると「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編には書かれて居ます。
奥州の辺鄙な処の神社のことですから真相は不明でしょう。
林崎甚助重信はこの林崎明神に祈願して抜刀術を開眼したのでしょう。
江戸時代には重信公を境内に祀ったのでしょう。
明治5年の調書には「村社熊野神社・格外社居合神社」
明治11年の調書では「村社熊野・居合両神社」とあります。「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編より。

林崎神助重信
*林崎の姓については、永禄2年1559年浅野民治丸抜刀の妙を悟り、元服して新夢想林崎流と称して村名を姓とし、父浅野数馬の仇を討って故郷の林崎に帰還した。と浅野姓を改姓したとされますが、この辺りには林崎姓は幾つもあって元々林崎であろうとするのも頷けます。
名の神助は「甚」と「神」との誤認による誤記かも知れません。
土佐の居合古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」でも「林崎神助重信」と有ります。
南山大学の榎本鐘司先生の研究に依る、北信濃に残された無雙直伝流の天明6年1786年に大矢彌五兵衛尉から滝澤武太夫に与えられた「居合根元之序」には林崎甚助重信であって「神助」の名は有りません。
正しく根元之巻が土佐に伝わったか疑問を持っても不思議ではありません。
第17代大江正路宗家から出された根元之巻も「神助」でした。
昭和38年に出された山本宅治守誠先生から大田次吉先生に授与された根元之巻には「林崎神助重信」です。
どの様に誤認と確証があったとしても土佐の居合は「神助」でいいのでしょう。
戦後の根元之巻の幾つかでは「甚助」となっていますがこの変更もその変更理由が公では無く疑問です。
田宮平兵衛尉業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛尉光重
蟻川正左衛門宗績
萬野團右衛門信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬蔵敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
楠目繁次成栄
谷村樵夫自庸
小藤亀江 明治三四年六月十五日
(曽田虎彦 明治三八年六月吉日 従実兄亀江伝来 曽田メモ)
この伝系は根元之巻の伝承であって決して宗家継承とは言えないのでしょう。
谷村亀之丞自雄は現在では谷村派第15代宗家と認識されて居ます。楠目繁次成栄以下は居合の極意業を伝承したと云う事になるのでしょう。
正統宗家は16代五藤孫兵衛正亮・17代は大江正路とされています。
戦後傍系宗家が立たれて我こそは宗家とされて居ますが、無双直伝英信流の業技法の乱れが顕著でない内は良いのですが、いかがなものでしょう。

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