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2015年11月22日 (日)

曽田本免許皆伝目録その13小藤亀江の根元之巻目録の7

曽田本免許皆伝目録

その13.小藤亀江の根元の巻目録の7

 曽田先生の実兄小藤亀江先生が谷村亀之丞自庸から明治34年1901年に授けられた根元之巻の目録は、無双直伝英信流居合目録・四方切・太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰までさらっと流してきました。
 目録には手附がありませんから流す以外に手は無いのです。
 ここまでで、不思議に思ったのは、ここには大森流居合がありません。
 大森流は元々林崎甚助重信の居合にも長谷川英信の居合にもなかったもので、「此の居合と申すは大森六郎左衛門の流也英信と格段意味相違無き故に話して守政翁是を入れ候六郎左衛門は守政先生剣術の師也真陰流の上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形有と言う・・」
と云うわけで古伝神伝流秘書では「無双神殿英信流居合兵法に大森流の居合を入れたと云っています。
 現在の夢想神伝流の初伝大森流居合と言う様に、繰り入れられて100年以上経って居ても明治になっても大森流は別扱いであったのかも知れません。
初伝の目録と言うのも発行されていたのでそちらに譲ったとも言えるでしょう。
現在の奥居合は第17代大江正路先生が構成されて改変されたものと聞いて居ます。
 これも、大江先生以前に失伝して細々とこんなものだろう位に稽古されていたような気がしてなりません。
 大江先生が改変されていたならば何か確たるものがあっても良さそうですが見当たりません。
 私が大江先生についてこのように書きますと、大江先生を誹謗中傷するかの如く思われる方もおります。然しいたずらに神格化すべきものでは無く解る範囲で明らかにすべきものでしょう。
さて、小藤亀江の伝授された目録の続きです。
外之物之大事
行連・連達・遂懸切・惣捲・雷電・霞
上意之大事
虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内・輪之内・十文字
極意之大事
暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所・外之剱。釣瓶返・智羅離風車
*是等の目録は曽田先生の資料では「英信流居合目録秘訣」に残されているもので、之を誰が書き残したのか、曽田先生は誰から見せてもらい書写されたのかも不明です。
 「英信流居合目録秘訣  先生口受の侭を記」とあります。恐らく第10代林安太夫政詡に依って明和元年1764年に第9代林六大夫守政から口授されたものを書き込んだものだろうと思います。
 
 細川先生の所から出た「英信流居合目録秘訣」も誰が何時書いたのか不明ですから、場合に依っては曽田先生の書き写されたものは細川先生の所から出たものかも知れません。
 英信流居合目録秘訣は2019年4月21日~5月21日までに書き込んであります。是は克明に業の解説がされています。
 是だけのものを何故変えてしまったのか、替えるべき理由は何かを疑問に思います。
 若し第17代大江正路先生の独断に依るならばものすごい罪悪感にさいなまれた筈です。
 私は、時の中学生向きに学校教育向けに変えたと云う説にはあまり感じるものはありません。それを、向きになってあ-だ・こーだ言っているのでは情けないでしょう。
 寧ろ大江先生が学び始めた頃には元の業は不透明になって来ていた様に思えます。
現代でもどんどん業技法が変化しているのは戦後制定された全剣連居合でも全居連刀法ですらおこっている程なのです。

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