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2015年12月14日 (月)

曽田本免許皆伝目録その35福井春政先生の印可状序

曽田本免許皆伝目録

その35.第19代福井春政先生の印可状序

 無双直伝英信流の印可状は第20代河野百錬先生に第19代福井春政先生が伝授されたものが、河野先生の昭和30年1955年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書に掲載されています。
 この無双直伝英信流居合兵法叢書は、下村派の曽田虎彦先生の伝書の写しを手に入れ、それらを曽田先生亡き後に発行されたものです。曽田先生は昭和25年1950年に亡くなられています。
 曽田先生は、ご自分で出版されたかったろうと思いますが、戦後の混乱期に日本武術は封印されていた時期であり、時を得られなかったと思います。
 随って、第19代福井春政先生から第20代河野先生への伝書は曽田本とは無関係ながら、大いに関係するものと河野先生はご自分の印可状を、其処に掲載されたのでしょう。
 福井先生から河野先生へは、根元之巻及び紹統印可の二巻が伝授されています。
 昭和30年1955年から38年1963年にかけて、河野先生が正統正流の宗家である事を明らかにされ、公開された思いは、如何なるものか考えて見たいと思います。
 この無双直伝英信流居合兵法叢書は、当時非売品でもあり、どのくらい出回ったのかわかりません。
 古書として流通では見当たらず、一部の方の蔵書として本箱の奥に、又は、その方の子孫の方によって不要の物として処分されてしまったのでしょう。図書館に保存されているとは思います。
 河野先生は曽田先生が書き写された古傳なので、原文のまゝ公開され、読み下しや解説には手を付けられていません。又、それ以上の古傳収集にも手を付けられませんでした。後世の者に委ねるとされています。
 曽田本の欠陥は、何時、何処の誰から伝書を書き写す事を許されたのか、或は譲り受けられたのかが全くわからない事です。
 曽田虎彦先生の創作と言われても反論は出来ません。然し剣に志して修行された剣士の純粋な思いはそれを跳ねのけて余りあるものでしょう。
 今回、福井先生発行の河野先生への伝書のアップは、躊躇していました。
しかし、曽田先生と河野先生の交流を知れば、曽田本との関係の深さを思います。土佐の居合は、根元之巻を以て最高の認定とする考え方もあるやに聞いています。英信流に宗家など無いという考え方もあった様です。
 高知県外門外不出の居合を、大江先生始め高知の方々が居合振興につとめ、県外に普及された為、県外の人に依って大きく普及して行ったわけで、県外不出は成り立たなくなったのでしょう。
 19代福井春政先生が河野先生に20代を譲渡したのも頷けます。
 土佐藩の時代は、根元之巻を伝授された人の中から藩主への師範や藩校での師範筋の人が代表されたのでしょう。
 谷村派・下村派の派閥も業技法では無く、藩内での地位の変遷に依る事も考えられます。
 明治時代にはそれも崩れ、政治的に整理できる大家が居なかったと思います。
 そして根元之巻を伝授されたのみで幾つもの宗家を名乗る今様の状況を思いますと、その公開と解説をさせていただきたく此処にアップさせていただきます。御関係の方にはこれでご容赦いただきたく思います。

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