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2015年12月23日 (水)

曽田本免許皆伝目録その44福井春政先生の紹統印可

曽田本免許皆伝目録

44.福井春政先生の紹統印可

無双直伝英信流紹統印可之巻
(昭和25年5月14日、摂州住吉大社御神前に於いて、紹統式典を厳粛に挙行された)

紹統印可
貴殿道縁二依リ昭和二年八月日大日本武徳会大阪府支部二於テ当流二入門シ第十八代宗家穂岐山波雄先生ノ門二学ビ精励斯道ノ研鑽普及二務メ昭和六年大日本居合道八重垣会を組織シ門生ヲ育成其数二千六百余名二及ビ入門以来嘗テ剣ヲ執ラザル日無ㇰ錬磨精進以テ当流ノ奥秘ヲ得昭和二十一年五月二十日大日本武徳会総裁梨本宮守正王殿下ヨリ剣家最高ノ栄誉タル居合道範士ノ称號を授与サレ道ノ為メ尽ス所大ナリ依而流祖並歴代宗家ノ神霊二諮リテ茲二無雙直伝英信流居合兵法正統第二十代宗家ヲ紹統印可スル者也
依而奥書如件
林崎明神
林崎甚助重信
田宮平兵衛業正
長野無楽入道槿露齋
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門宗続
萬野団衛門尉信貞
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安大夫政詡
大黒元衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬藏敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
五藤正亮
大江正路
穂岐山波雄
福井春政
昭和弐拾五庚寅年 正月吉辰
第十九代正統宗家 福井春政
河野稔百錬殿
・・
*この紹統印可は、居合根元之巻同様に、第20代河野百錬先生による、曽田虎彦先生の土佐の居合の古伝神傳流秘書及び曽田先生が収集された土佐の居合関係資料を公開された「無双直伝英信流居合兵法叢書」の巻末に付記されているものです。
 
 曽田先生は書写されたものを河野百錬先生に、昭和23年に送られたと記されています。河野先生との手紙に依る、流の疑問などもあって、やり取りされた事は曽田本に残されています。
 ・
 その、曽田虎彦先生による土佐の古伝を原文のまま「無双直伝英信流居合兵法叢書」として、河野先生は昭和30年1950年に発行されたのでした。
 曽田先生は昭和25年にお亡くなりになっておられ、ご自分で世に出したかった土佐の古伝を河野百錬先生の手をお借りして世に出されたと云えます。
 その巻末に、河野先生は自らの授与された根元之巻、及び紹統印可を公表されています。それは土佐の居合の歴史の中に自らもある事を語っておきたかったからと思うのは間違いでしょうか。
 そうでなければ、他にもこれら免許皆伝目録と紹統印可を載せるべき書物はあったはずです。
 たとえば、この無双直伝英信流居合兵法叢書の発行以降に昭和33年無双直伝英信流嘆異録、或は昭和37年発行の居合道真諦でも良いかも知れません。
 ブログに其の儘、書き込む事は憚られましたが、踏み込ませていただきました。
 河野宗家が紹統印可を授与された21年後の昭和46年1974年に、第19代福井春政宗家が没せられるや、土佐の古老によって福井宗家の遺言と称し傍系宗家が立たれています。
土佐の方に紹統印可をする事が出来なかった第19代福井春政先生の苦汁の思いが傍系宗家を立てられた古老方に理解しえたのでしょうか。
 第20代河野百錬先生が昭和13年1938年に発行の無双直伝英信流居合道で当時錬士の頃であろうと思いますが、そのなかで居合修養の心得があります。
 「居合を学ぶには元より其の流儀の形を重んじ、苟も之を変改するが如き事無く錬磨すべきは勿論なるも、その習熟するに於いては、何等形の末節に拘泥する事無く、各流を一貫する居合本来の精神を悟りて、日夜錬磨の功を積み、心の円成に努め、不浄神武不殺の活人剣の位ひに至るを以て至極となす」。と、述べられています。
 大江先生の改変、河野先生の改変、目に余る程に変えておられます。
 至極を求めて、或は時代に応じての改変であったかも知れません。近年の様に昇段審査や演武競技に良い成績を上げる事を求めて、武術を忘れて形に拘るのとは意義がちがうでしょう。
 戦中戦後を、己の業を磨きつつ、無双直伝英信流を纏められた事に対し、紹統印可を知りながら傍系を立てた土佐の古老とは、何だったのでしょう。
 大江先生の伝書の文言に有る「宜しく将来本流の品位を堕す事なく之が拡張を計り漫りに他流に媚びず以て伝授の責を全ふせん事を期せらる可し」をどの様に受け止めていたのでしょう。
 土佐の居合を全国に広めたのは、無双直伝英信流第20代宗家河野百錬先生と夢想神傳流の中山博道先生だったことを、改めて思い出します。
 ある文章に「居合振興の為、県外に普及の講習などが大江先生時代に(新潟県)実施されていた、その後も阪神地方に講習などがあり、神戸市、大阪市などで盛んになった。
 そこで講習を受けた熱心家で実業家達の中から、援助者が出現し高知県外不出の鉄則も神威を喪失して、十九代何某が大阪市の河野百錬氏に二十代を譲渡した。
 それ以来、宗家などと称する表現が流行した」。
 中山博道先生に接した時の大江正路先生、細川義昌先生の思いをこの文章を書いた人も土佐の人です。この方はどこまで土佐の居合の将来を理解して居たのでしょう。
 居合は、師の話をよく聞き、その動作をよく観て、よくその書き付けられたものを読み、自ら考え修行するものと当代は仰います。
 質問しても答えられない様な師匠は、師匠では無いので、さっさと師を替えた方が良いのですが、その見極めは、自分が如何に勉強して居るか、何を居合に求めているのかによるのでしょう。
 物真似に憂き身をやつし、業の末節に拘り、真似をするだけに留まって、何時の間にか本流から遠くなっている事も知るべきものでしょう。
 
 
 
 
 

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