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2015年12月29日 (火)

曽田本免許皆伝目録その50細川義昌先生の伝書根元之巻


曽田本免許皆伝目録
50.細川義昌先生の伝書
 細川義昌先生は大正11年に香川に旅行し植田平太郎先生に居合根元之巻及び目録を伝授されています。
 植田平太郎先生は明治10年1877年香川県高松の生まれ、天真正伝神道流剣術を習い、細川義昌先生には大正8年1919年(42歳)師事し大正11年1922年(45歳)に免許皆伝を授与されています。30歳の時27人勝ち抜きで名を轟かせ、三度の天覧試合、など戦歴は多数です。
 政岡先生の「無双直伝英信流居合兵法 地之巻」に細川義昌先生の傳書として掲載されています。
 年月日は大正11年1922年3月吉日で授与された人の名が無い写本と言う事で、恐らく中山博道先生だろうと思われるとされています。
 植田平太郎先生には授与されておられると思いますが、中山博道先生は授与されずに翌年大正12年1923年に細川義昌先生は74歳で亡くなられております。どちらも根元之巻の公開されたのを拝見した事は有りません。
 政岡先生の「地之巻」に有るまま取り上げさせていただきます。
 谷村派の第17代大江正路先生の伝書との違いを勉強して見ます。
*地之巻では細川義昌先生の根元之巻は大江正路先生と同じと云うことなので省略されています。従って「地之巻」に掲載されている根元之巻は政岡先生が授与されたものになります。
 
 恐らく、細川先生の伝書は、木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流伝書集及び業手附解説」のP31以下の下村茂市から嶋村善馬に慶応2年1866年に授与された根元之巻と同じ内容のものかも知れません。
 
 嶋村善馬は明治3年1870年に嶋村姓から細川と改め細川義昌となります。
 
 細川義昌先生は嘉永2年1849年生まれ、安永3年1856年に下村茂市に入門(7歳)、慶応2年1866年免許皆伝は17歳でした。
政岡壱實先生の「無双直伝英信流居合兵法 地之巻 伝書の発表」昭和49年1974年発行より。
細川義昌先生の傳書
一巻根元之巻は大江先生と同様 
*細川義昌先生の伝書は大江先生と同様の根元之巻であると政岡先生は地之巻に書かれています。
大江先生から政岡先生が授与された根元之巻(地之巻より)
抑此居合術ト申者日本奥州林従大明神夢相二テ奉伝之夫兵術者上古中古雖有数多之違侘流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々 末代為相応之太刀云々 手近勝一命有無之極此居合恐粟散辺土堺於不審之儀不可有之唯依㚑夢処也 此始尋奥州林崎神助重信ト云者兵術因有望之林之明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々 則如㚑夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也 腰刀三尺三寸則三部尓但脇差九寸五分九曜五之内証也 敵味方事是亦前生之業感也 生死一體戦場浄土也 如此観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成佛成縁之事豈有疑哉 此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人傳之云々
古語曰
其進疾者 其退速云々 此意以貴賤尊卑無隔不謂前後輩其所者許目録印可等無相違
又古語曰
夫百錬之構在則茅茨荘鄙輿兵利懸者夜自思之神明佛陀祈者則忽得利方是依心済身事燦然
*これでは、細川先生の授与された伝書と内容は同じ様なものですが部分的に聊か異なります。寧ろ大江先生が鈴江吉重先生への根元之巻の方が同じ様です。
 太字の部分が異なる処です。内容的にはさして問題は無いと思います。
居合根元之巻
大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる伝書の写

抑此居合ト申者日本奥州林之従大明神夢相二〆奉伝之夫兵術者上古中古雖有数多之違佗流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々 末代為相應之太刀尓云 手近勝一命有無之極此居合恐者粟散邊土堺不審之儀不可有之唯依㚑(霊)夢処也 此始尋奥州林崎神助重信ト云者因有兵術望之林之明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々 則如㚑夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也 腰刀三尺三寸三毎(毒の誤字)則三部尓但脇差九寸五分九曜五鈷之内証也 敵味方成事是亦前生之業感也 生死一體戦場浄土也 如此観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成仏成縁之事豈有疑哉 此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人伝之云々

古語曰
其進疾 其退速云々 此意以貴賤尊卑無隔不謂前後輩達其所者許目録印可等無相違

又古語曰
夫百錬之構在則茅茨荘鄙輿兵利心懸者夜自思之神明佛陀祈者則忽得利方是依心済身事燦然。


*根元之巻には道統が記載されていますが、「地之巻」はこれも大江先生と同じとして割愛されています。細川先生は下村派と云われますから大江先生とは大黒元右衛門清勝から以降の道統は異なります。

曽田先生の系譜から道統を作成します。

天真正

林明神

林崎神助重信
田宮平兵衛業正
長野無楽入道槿露齋
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門尉光重
万野團右衛門信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
松吉貞助久盛
山川久蔵幸雅
下村茂市

*曽田先生の作成された系譜と木村栄寿本との道統の姓名及び順番の違いは有りません。
 但し、万野團右衛門信定が信貞と一字異なります。

*根元之巻の奥書についても「地之巻」には記載されていません。政岡先生が授与された伝書には以下の様になりますが、此処は木村栄寿本と異なります。原文はそちらをご参照ください。読み下し文を載せておきます。

「貴殿は多年深くお望みに付き、相伝せしめ候、猶向後、御修行に依り、其の切り(目録手附か)極意印可等を授くべきもの也、厚きお心懸け肝要の事に候、よって奥書くだんの如し」


*政岡先生の地之巻による奥書

「貴殿夛年斯道二熱心錬磨之結果其温奥二達セラルルヲ認爰我英信流居合術相傳候宜将来本流ノ品位ヲ堕ス事ナク之ガ擴張計漫ニ他流二媚ズ以傳授ノ責全フセラル事ヲ期セラル可シ」(地之巻より)

「貴殿は多年斯道に熱心錬磨の結果、その蘊奥に達せらるるを認め、ここに我が英信流を相い伝へ候、宜しく、将来、本流の品位をおとすことなく、之が拡張をはかりみだりに他流に媚びず、以て、伝授の責を全うせらるるべし」(地之巻読下し)

大正11年3月吉日

細川義昌

殿(*あて名は無い)

*細川先生に依る伝書は、恐らく下村茂市先生から授与された伝書を写して発行されたと思います。
 これを読んで見ますと、土佐の居合の根元之巻として谷村派、下村派に依る違いなど何処にも見る事は出来ません。寧ろ、伝承されたものは全く同じものとしか言いようのないものです。
 業手附が同じであっても、想定が違い、修行の違い、哲学などの違いは人それぞれです。
 現在の夢想神傳流もこの土佐の居合のお釈迦様の手の内を出るものでは無いのでしょう。中山博道先生が細川義昌先生から伝書を受けていたらと、惜しまれます。
 一般的には免許皆伝は受けられたと聞こえる様に思います。

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コメント

ミツヒラ様、
いつもご迅速な返信有難うございます。
おっしゃる通りですね。真面目であれば十分なはずですね。

重信傳

投稿: 重信傳 | 2016年1月 2日 (土) 10時43分

ミツヒラ様、

明けましておめでとうございます。
お返事くださって有難うございます。
参考にした文章も教えて頂けて幸いでございます。
ミツヒラ様がもうご存知でいらっしゃるかもしれませんが、
月刊剣道日本の聞き書き剣道史12番(1983年だと思いますが…)では青森県の橋本正武先生とのインタビューがあります。橋本先生によって、
細川先生と暮らした孫である中沢静は間違いなく高松の植田平太郎先生の方に伝書はいってないとおっしゃったそうです。
私が調べた限りでは本当のようですが、もしかしてミツヒラ様は別の情報を得られたかと思って前の質問させて頂きました。

本年も思いつくままにを読むのを楽しみにしております。これからもよろしくお願い致します。

重信傳

重信傳さま
コメントありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もご指導いただきたく宜しくお願い申し上げます。
貴重なご意見をいただきありがとうございます。結論を出すのは早計かもしれませんが、細川義昌先生は誰にも根元之巻も目録も授与されていなかったかも知れませんね。
そうであれば、その系統を免許皆伝から位置つけておられる方々の立場がおかしくなりますね。でも真面目なものであれば、あっても無くとも、誰々師伝で良いと思っています、それを基に新たな流派が起こってもいいのでしょう。いたずらに権威つける必要などないと思います。
免許皆伝などに拘れば昔の漫画の世界のようです。
              ミツヒラ

投稿: 重信傳 | 2016年1月 1日 (金) 16時54分

ミツヒラ様、
いつも面白いブログを書いてくださり、有難うございます。必ず通勤中読ませていただきます。
今回の記事について伺いたいことがありまして、細川家によると植田平太郎先生の方に実際伝書はいってないと聞いたのですが、もし授かったならどこでその情報を得られたのですか。差し支えなければ教えていただけますか。
お返事をお待ちしております。

重信伝さま
コメントありがとうございます。
広島剣友会発行所による著作兼発行人の白石元一先生の昭和12年発行「大森流・長谷川流・伯耆流居合術手引」の居合術流派につきて1、居合術流祖「・・尚高松の植田範士は土佐藩士島村善馬改め細川義昌より皆伝を得て当流の15代目に当たると・・」の文言から細川先生の皆伝があったのかと思いウイキペディアを参考にさせてもらいました。それ以上の資料は有りません。白石先生は広島で剣道をされていた実在の方ですが、京都武専出身で戦後全居連にも所属しています。居合の師匠はどなたであったか不明です。参考にしたとしてもそれ以上の確証は有りません。
           ミツヒラ

投稿: 重信傳 | 2015年12月29日 (火) 22時15分

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