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2015年12月17日 (木)

曽田本免許皆伝目録その38福井春政先生の流名

曽田本免許皆伝目録

その38.福井春政先生の流名

*第19代福井春政先生から河野百錬先生に伝授された根元之巻は前回、読み下しと、意訳をして見ました。
目録に入る前に「流名」とした不思議な書き付けが有ります。
「居合術根元之巻
抑此居合と申者日本奥州林之従 大明神夢相奉伝之夫兵術者上古中古雖数多之違他侘流大人小人無力剛力不嫌合兵用云云 末代為相応之太刀尓云手近勝負一命有無極此居合恐者粟散辺土堺不審之儀不可有之唯依多夢処也此始尋奥州林崎甚助重信云者因兵術望有之林崎明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云云 則如多夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五歩事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也 腰刀三尺三寸三毒則三部尓但脇指九寸五分九曜五鈷之内証也 敵味方成事是亦前生之業感也 生死一体戦場浄土也 如此観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成仏成縁之事豈有疑哉 此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人伝之云云
古語曰
其進疾者  其退速云云
此意以貴賤尊卑無隔前後輩不謂達其所作者許目録印可等無相違
又古語曰
夫百錬之構在則茅茨荘鄙与兵利心懸者夜自思神明佛陀祈者則忽得利方是依心済身耳燦然」

流名
林崎無想流
            重信流
林崎夢想流
*此の「流名」の意味する処は何なのでしょう。林崎無想流も林崎夢想流も共に重信流であるという表示の仕方です。
 第19代福井春政先生の頃、既に東北地方の伝書の存在が聞こえていたでしょう。
 曽田先生との交流もあったでしょうし、その豊富な知識も得られたでしょう。
 土佐の居合の通称は、大森流居合、長谷川流居合、英信流居合でおおよそ通じていたはずです。
 其の事は土佐武道史話(昭和36年1961年発行)を書かれた平尾道雄先生も「長谷川流居合は、こんにち無双直伝英信流、また略して英信流ともよばれている抜刀術で、・・・・流祖を遠く求めるならば出羽国楯岡の林崎甚助で、林崎夢想流とも、甚助の実名にちなみ神伝重信流とも称えられた・・」と書いています。
この第19代の免許皆伝目録の奥書きに以下の様な書き付けがあったのを覚えておられるでしょう。(2015年12月11日)
天真正
林崎明神
初代 林崎甚助重信
(以下十八代穂岐山先生迄連記)
林崎夢想流
林崎神伝重信流
林崎神伝流
林崎無雙神伝重信流
右同一之名称也
昭和二十五年一月三日
無雙直伝英信流
第十九代正統宗家
居合術範士・柔道教士七段・従七位 
福井春政   花押
大日本武徳会 居合術範士
河野百錬 殿
*其処でも(同一名称也)となぜか無双直伝英信流を林崎甚助重信公に結び付け土佐の無双直伝英信流の正統性を誇張しているのか、土佐独自のものでは無い事を伝えようとしているのかを計りかねています。
 福井先生から、河野先生への伝授は、土佐藩の御留流としてあったものを始めて異国の者に伝授するわけで、土佐の連中からの反対もあったでしょう。
 実は下村派の細川義昌先生は香川の剣道で有名な植田平太郎先生へ大正11年に既に皆伝許可をされています。
 その伝系が現在でも伝承されていると聞いています。白石元一先生の居合はその頃のものでしょう。
 土佐の剣士にとって、福井先生が河野先生に伝授せざるを得なかった背景には土佐にはこの居合を広めるだけの力量を持った方が当時おられなかった事が一番でしょう。
 如何に業技法に優れた剣士であっても、術に優れているだけでは、それ以上にはなりえないでしょう。
 人としての度量、健康、職業や経済力、政治力などがなければならないでしょう。
 大阪で八重垣会2600名の同士を得、無双直伝英信流の手順を整理され、広めていく力を持った文武両道の剣士は河野百錬先生が突出されていたのだろうと思います。
 その辺の心配りが、敗戦後この土佐だけでは消えてしまうという当時の実情が、無双直伝英信流はもはや土佐のものでは無いと云うものを書かせたのではと思います。
 この火は昭和46年1971年6月に福井春政先生から田岡 傳先生への遺言として傍系第20代宗家が立たれています。
 土佐の藩外不出の思いが、第19代福井先生に.再び燃え上がったのでしょう。
 当時の「全日本居合道新聞」に河野百錬先生は「・・本流の傍系としての代を唱ゆる事は変則と思ふ=即ち飽く迄も代を唱ゆる者はその流の正統ただ一人のみが本則であると信ずるものである。~此の見地に立って私は将来時期を得て当流古老と諮り、土佐の国に人を得て正統宗家を紹統する考えであったが~先代の意志により茲に当流の20代を唱する傍系が今回誕生した事は各々の見解の相違に依るも私の平素の所信とは相違するものである」
 傍系の宗家を自分のメガネに合わないと云っているのか、河野先生の思いが無視された事を「平素の所信と相違」と言わせたのかでしょう。
 その後も河野先生が亡くなる(昭和49年1974年)と其の傍系宗家は土佐の幾人かの推薦者にまつられて21代宗家継承とか・・。
 その後、無双直伝英信流から分派し、これに「土佐」の冠をつけています。
飽くまでも土佐なのでしょう。
 福井宗家が流の将来を考えてしたことにも拘わらず、流を分断し、土佐に宗家を戻しても何か意味の有る事でしょうか。
 その傍系20代は、その時21代として正統20代河野先生の後に立てていれば自然に受け継がれていった筈です。そして土佐に宗家が戻ったでしょう。
 大森流・英信流は封建時代の土佐藩の藩士に伝承されたものであって、当時は容易に藩士は藩外に出られず、まして藩の武術を藩外に持ち出す事は出来なかっただけの事だったはずです。
 全国に広がった無双直伝英信流はそんなものではないはずです。
 古伝神伝流秘書に有る居合兵法伝来では、「目録には無雙神傳英信流居合とあり是は本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚げられたる由也」とあります。
 無双直伝英信流とは「直伝」が「神傳」でした。
 近年南山大学の榎本鐘司先生の論文から北信濃に長谷川英信や荒井勢哲が「無双直伝流」を広めていた実績があるとされています。
 土佐の居合は、荒井勢哲に第9代林六大夫守政が習い土佐に持ち帰ったものなのでしょう。ですから、林崎本流からはかなり離れたものになっている筈です。
 「無双直伝英信流」は「無双神傳英信流」と「無双直伝流」との混成でしょう。無双と無想、夢想と無双、神傳と直伝はどこかで混乱したのでしょう。
 第19代福井宗家の伝書を眼にした時、ふと、思ったのでした。

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