« 曽田本免許皆伝目録その46大江正路先生相伝政岡先生読み下し | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その47山本宅治先生から大田次吉先生 »

2015年12月25日 (金)

曽田本免許皆伝46-2大江先生相伝政岡壱實先生経歴

曽田本免許皆伝目録


46-2大江正路先生相伝


政岡壱實先生経歴
 政岡先生の授与された根元之巻には、発行された年月日が有りません。それで「あれは本物では無い、土佐で大江先生について習った期間が短すぎる。」とか、「全居連に所属しながら全剣連に移籍するなどとんでもない。」
 何を根拠に言っているのか可笑しな人も居る様です。
 土佐では爪弾きしているなど、当時の土佐の居合人の感情に載せられ知りもしないのに、自分の師匠からの又聞きか、何かで思い込んでいる人もいます。
 土佐からは第19代によって大阪の河野百錬先生に宗家紹統印可が為された事も合わせての僻みかも知れません。
 土佐の方が言うのはともかく、内地の方でその程度のレベルで批判しているなどこの世界はどんな根性で成り立っているのでしょう。
 大江正路先生生誕から数えて164年経って、幾つにも分派した土佐の居合がそろそろ分派を越えて御互いに一つに纏まって、それぞれに伝承した居合を披露し交流をしても良さそうなものです。小さく纏まって消えていくのでは、草葉の陰で先師の方々が泣いているでしょう。
 
 地之巻きには、曽田先生が苦心して集められた土佐の古伝神傳流秘書の内容が随所に散りばめられて解説され動作も付けられています。
 天之巻、地之巻共に無双直伝英信流の御研究は奥深いものです。何より武専出身の武術で飯を食う専門家でもありました。
 金沢在住の頃中山博道先生との交流もあった様でその影響をうけたところもある、と云いますが、個性とはそういうものでしょう。
 此処では、それらを思い、大江正路先生の経歴と政岡壱實先生の経歴を重ねてみます。
その上で地之巻を熟読される事をお勧めします。
大江正路先生及び政岡壱實先生経歴
(この経歴は政岡先生の地之巻から抜粋し、当時の世情を合せ作成しました。大江先生の経歴は地之巻が最も詳しい様に思います)
嘉永5年1852年  大江正路 高知県土佐郡旭村に生まれる
嘉永6年1853年  ぺリ-来航
明治1年1868年  戊辰戦争 明治維新 大江正路16歳
明治2年1869年  藩籍奉還
明治3年1870年  大江正路 藩立文武館剣道専業拝命
明治5年1872年  大江正路 士の常職を解かれ廃業20歳
明治6年1873年  徴兵令
明治9年1876年  廃刀令
明治10年1977年 西南戦争
明治15年1882年 大江正路 高知県武術会剣術教授30歳
明治17年1884年 大江正路 同上辞退
            長崎県高島三菱炭坑抗外取締監督
                           ・剣術教士32歳
明治24年1891年 大江正路 同上辞退
明治25年1892年 大江正路 高知共立学校撃剣教士40歳
明治26年1893年 大江正路 同上辞退
明治27年1894年 大江正路 東京芝区有待館撃剣教授42歳
明治28年1895年 日清戦争
            大日本武徳会設立
            大江正路 有待館辞退
            高知県武術会長に推挙せらる43歳
            高知県師範学校撃剣科教授嘱託
明治29年1896年 大江正路 同上辞職
            政岡壱實 高知県吾川郡吾北村に生まれる
明治30年1897年 大江正路 高知県尋常中学校撃剣教授、
                           病気依願退職45歳
             石川県警剣術教師
                          ・石川県立第二中学剣術教授
明治32年1899年 大江正路 大日本武徳会
                         石川地方委員47歳
明治33年1900年 大江正路 病気の為同上辞職
                         石川県を去る48歳
            高知県第二中学校撃剣教授
明治35年1902年 大江正路 大日本武徳会高知支部
                          剣道教授50歳
明治37年1904年 日露戦争
明治45年1912年 大江正路 高知県第一中学校
                          助教諭心得60歳
大正3年1914年  第一次世界大戦
大正4年1915年  政岡壱實 高知一中卒業19歳
大正7年1918年  第一次世界大戦終了
            大江正路 剣道手ほどき発行
大正10年1921年 政岡壱實 京都武専卒業
                         ・研究科入学25歳
大正11年1922年 政岡壱實 金沢三中に奉職
                        ・山砲兵第11聯隊入隊26歳
大正12年1923年 政岡壱實 同上除隊
                        ・金沢三中復職27歳
大正13年1924年 大江正路 大日本武徳会
                          居合道範士72歳
大正15年1926年 政岡壱實 無双直伝英信流兵法
                         免許皆伝30歳
昭和2年1927年  大江正路 死亡75歳
昭和6年1931年  満州事変
昭和11年1936年 第二次世界大戦
昭和13年1938年 政岡壱實 応召バイヤス湾敵前上陸
                         進撃中発病42歳
昭和14年1939年 政岡壱實 除隊43歳
昭和20年1945年 第二次世界大戦終了、敗戦
昭和23年1948年 政岡壱實 金沢第二高等学校併設中学校
                         勤務52歳
昭和24年1949年 政岡壱實 金沢市公立学校教員
                        ・野田中学校教諭53歳
昭和25年1950年 政岡壱實 石川県教育委員会退職
            高知県吾川郡吾北村へ帰る54歳
            福井春政、河野百錬へ無双直伝英信流
                          紹統印可
昭和26年1951年 政岡壱實 高知県小川村村会議員55歳
昭和27年1952年 全日本剣道連盟創設
昭和29年1954年 全日本居合道連盟創設
昭和30年1955年 政岡壱實 土佐高等学校国語科講師59歳
昭和31年1956年 政岡壱實 全剣連居合道代表理事60歳
昭和32年1957年 政岡壱實 剣連居合道範士61歳
            無双直伝英信流居合道天之巻発行
昭和37年1962年 政岡壱實 剣連居合道九段66歳
昭和40年1965年 政岡壱實 高知県体育協会功労賞69歳
昭和41年1966年 政岡壱實 剣連制定居合委員70歳
昭和42年1967年 政岡壱實 土佐高等学校講師を辞任71歳
                   剣連居合道研究委員委嘱
昭和43年1968年 政岡壱實 剣連制定居合7本制定72歳
                   金沢へ転出
昭和44年1969年 政岡壱實 剣連居合道研究委員長委嘱73歳
昭和48年1973年 政岡壱實 死亡77歳
昭和49年1974年   無双直伝英信流居合兵法地之巻発行
 政岡先生の免許皆伝に年月日の無い事については、政岡先生の中学の先輩森 繁樹先生が、「政岡も続けているし、進学後も帰省時には居合を見ているので彼にも根元之巻を支給しようと思う」と大江先生は言っていたと述べられているそうです。
 と、言う事は、大江先生は政岡先生の免許皆伝を書いてはあるが、帰省時に手渡そうとして日付の無いまま持っておられたのでしょう。
 この時代、いらぬ詮索をするより、筆跡鑑定でもすれば済む事ですし、何よりも政岡先生はそれだけの実績が見られる事はこの経歴が伝えてくれます。
 
 剣連に移籍した為に、土佐では全居連に所属して要職についていた人も多く、政岡先生は剣連の要職を狙い鞍替えしたと邪推し、土佐から政岡先生の排斥を口にする者もいて、高知は二つに割れて口も利かなかったそうです。
 政岡先生は、剣連が旧武徳会の自然発生的連盟なので、武徳会出身の自分が剣連居合道部に移るのは自然のことと決心を語られたそうです。
 河野先生の時にも土佐の人達に依って傍系宗家を立てるなど、視野の狭い、僻み根性のどうもそんな風紀があるのでしょうか。土佐は明治維新に多くの俊才を出して近代日本の礎を築いた土地と思っています、ですからそんな風に思いたくないのですが、他に理由があったかもしれません。
 土佐に弟子を残し、息子さんの住む金沢に転出されています。昭和43年72歳の時です。忸怩たる思いもあったろうし、土佐の仲間割れを憚っての事でもあったろうなど思っております。
 
 赤い表紙の「地之巻」には、制定居合が古来からの伝統武術を駆逐してしまう現象を悔やむ思いが語られています。古伝を熟知した手ほどきを示されて、曽田本にある神傳流秘書の解析に大いに助けていただいています。
 前にも書きましたが、形に拘り過ぎて、舞台で踊る踊り子の様に、同じ形で同じ拍子を要求したのでは、多くの流派も、それから分派した先師の努力も不要のものになってしまいます。
 居合は流の手附にそって、師匠の教えを噛みしめ乍ら、一人一人が正しいと信じたものを業ずるものでしょう。
 其の違いを、見極める技量は演じる者にも、審査する者にも要求されるべきものでしょう。
 そして、流の掟は隠さず伝えなければ、制定居合のようなものに居合が駆逐されてしまうでしょう。
 
 
 

|

« 曽田本免許皆伝目録その46大江正路先生相伝政岡先生読み下し | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その47山本宅治先生から大田次吉先生 »

曽田本免許皆伝目録15-11」カテゴリの記事

コメント

8年前に90歳で他界した師が時々、政岡先生のことを話されてました。全剣連で制定居合が作られることに最後まで反対されたが...とうとう諦めて賛成された後、制定居合は「道路交通法」のつもりで稽古するよう話されたそうです。これは核心を突いていると思ってます。制定居合は古流に成り得ません。制定居合ができたからこそ、居合は普及しました。同時に制定居合が古流をダメにしたのも事実。しかし、まあ...ミツヒラ様のブログで触れられているように、土佐がこの有様なら、遅かれ早かれ、制定居合の普及が無ければ、直伝・神伝ともに朽ち果てていたやもしれません。薄汚れた内紛を見てきた政岡先生は、近い将来、訪れるであろう時代の波を予測していたように思えてなりません。

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
少々、厳しいブログでしたね。できるだけ偏らない様にしても、おかしいものはおかしいのでしょう。
其の延長上に傍系宗家問題などありますが、もう明治から148年、敗戦後も71年です。居合の歴史を見つめ直す暇人が居てもいいでしょう。
曽田本を読み込んで古伝を稽古して見て、土佐の居合はとても素晴らしいものだと思います。
     ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2016年1月 8日 (金) 00時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本免許皆伝目録その46大江正路先生相伝政岡先生読み下し | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その47山本宅治先生から大田次吉先生 »