« 曽田本免許皆伝目録その36福井春政先生の根元之巻1 | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その38福井春政先生の流名 »

2015年12月16日 (水)

曽田本免許皆伝目録その37福井春政先生の根元之巻読下し

曽田本免許皆伝目録
その37第19代福井春政先生の根元之巻2読下し

原文は第19代福井春政先生から第20代河野百錬先生に昭和25年1950年1月3日に伝授されたもので、河野百錬先生の昭和30年1955年発行になる無双直伝英信流居合兵法叢書に掲載されたものを昭和38年1963年の再版本からの引用です。
林崎甚助重信公の居合の伝承を紐解きながら、根元之巻はともかく無双直伝英信流の今日の有り様が見渡せるもので、変化する様子がうかがえます。
原文
居合術根元之巻 

抑此居合と申者日本奥州林之従 大明神夢相奉伝之夫兵術者上古中古雖数多之違他侘流大人小人無力剛力不嫌合兵用云云 末代為相応之太刀尓云手 近勝負一命有無極此居合 恐者粟散辺土堺不審之儀不可有之唯依多夢処也此始尋奥州林崎甚助重信云者因兵術望有之林崎明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云云 則如多夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五歩事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也 腰刀三尺三寸三毒則三部尓但脇指九寸五分九曜五鈷之内証也 敵味方成事是亦前生之業感也 生死一体戦場浄土也 如此観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成仏成縁之事豈有疑哉 此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人伝之云云
古語曰
其進疾者  其退速云云
此意以貴賤尊卑無隔前後輩不謂達其所作者許目録印可等無相違
又古語曰
夫百錬之構在則茅茨荘鄙与兵利心懸者夜自思神明佛陀祈者則忽得利方是依心済身耳燦然

*居合術根元之巻読下し

抑(そも)此の居合と申すは、日本奥州林之従、大明神の夢相(想の誤字)に之を伝へ奉る、夫れ兵術は上古中古数多の違いといえども、他(?)佗(他)流大人小人無力剛力を嫌わずに兵の用に合う云々、末代にても相応になる太刀に云う。
手近の勝負一命の有無此の居合に極まる、恐らくは粟散辺土の堺、不審の義之れ有るべからず、唯、多夢(霊夢の異体字「㚑」を違えて「多」の異体字「夛」の文字から「多」と当てたと思われます、誤字)に依る処也。
此の始めを尋ぬ、奥州林崎甚助重信(神助を甚助に改めています)と云う者、兵術の望み之れ有るに因って、林崎明神(大江先生は「林之神明」)に一百有日参籠せしめ、其の満暁の夢中に老翁、重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中憶持する怨敵に勝ちを得ん云々。
則ち多夢(霊夢の間違いでしょう)に有る如く大利を得ん、腰刀三尺三寸を以て九寸五歩(分の誤字、誤植?)に勝事、柄口六寸の勝の妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸、三毎(毒の誤字というより大江先生のまま)、則ち三部に、但し脇差九寸五分九曜五鈷の内証也。
敵味方に成る事は是れ亦前生の業感也。
生死は一体、戦場浄土也。
此の如く観るは、則ち現世に大聖摩利支尊天の加護を蒙るなり。来世に成仏成るは縁なる事、豈疑い有らん哉。
此の居合、千金を積むと雖も不真実の人には堅く是を授けざるべし。天罰を恐るべし、唯一人に授くと之を伝う云々。

古語に曰く
其の進むことの疾き者 其の退くことの速き云々
此の意を以て、貴賤、尊卑前後の輩といわず隔て無く、其の所に達せし者には目録印可等相違無く許せ。

又古語に曰く
夫れ百錬の構え、則ち茅茨荘鄙と兵利に心懸ける者、夜自ずから之を思い神明仏陀に祈るは、則ち忽ち利方を得、是の心に依り身を済すに燦然(さんぜん)。

*19代福井先生は大江先生から伝授されたであろう根元之巻を写したとは思いますが、誤字もあって写しただけの様な感じです、然し林崎神助重信が林崎甚助重信になっています。
神助を甚助に直すだけの証拠はどこにあったのでしょう。
現在では、当たり前の事ですが、「ふと」、気になります。

*現代風に意訳して見ます。(小藤亀江の根元之巻の意訳と同じです)

 そも居合というのは、日本の奥州林の大明神の夢想によって、之を伝えて来たものである。その兵術は、上古、中古、数多の他流に依る違いは有るとはいえ、大きな人にも小さな人にも、力の弱い人も、剛力な人にも、合わないと云う事の無い兵術として用いられる云々。
 
いつか、此の太刀を以て爾(汝)の身近に起こる勝負での一命の有無は此の居合に極まるを云うのである。
 
此の居合、恐らくは粟散辺土の堺【辺境の地)に至る共、之に不信を抱いてはならない。ただ、霊の夢に依る処である。

 此の始まりを尋ねるならば、奥州に林崎甚助重信という者に因って、兵術を林崎神明に得る事有ればと、百一日参篭してその満願の日の暁時に、夢の中に老翁が現れ、重信に告げて、「汝、此の太刀を以て、常に心に思い抱く怨敵に勝つ事が出来る云々」、
 
 すなわち、霊夢に有るように、腰刀三尺三寸を以って大きな利を得て、九寸五分の脇差しに勝つ事、すなわち柄口六寸を以て勝つ事で、其の妙不思議な極意である。一国一人への相伝である。
 腰刀三尺三寸は貪・瞋・痴の三毒である欲望・怒り・無知に対し三部の金剛界・胎蔵界・蘇悉地によって煩悩を打ち破り智徳を以って一切を包み込む菩提の心に依って、五鈷を持って己の運命を切り開き成就する事を悟るものである。
 敵味方になる事は、是、前生の因縁の報いであり、生死一体の戦場も浄土の様に思うものである。
 これに観られるように、現世は悟りを得られた仏に見守られ、未来の災いを摩利支尊天によって加護を蒙り、来世では成仏し得る事を疑わないであろう。
 此の居合は千金を積まれても真実で無い人に、決して授けてはならない、天罰を恐れるべきものである。唯一人に之を伝える云々。

古語に曰く
其の素早く進んだとしても、それは速く退いていく云々。
此の意は、貴賤・尊卑・前後の人を差別する事無く、それを為す者を以てしても、目録印可を相違なく許し達する謂れは無い。
又、古語に曰く
それ、百錬を積んで構えをこらそうとも、すなわち茅や茨の素晴らしい荘鄙であろうとも、兵の利を心懸け、夜自ずから之を思い、明神佛陀を祈り、忽ちその利方を得るのであって、是に依って心は済み、身には燦然と輝くものである。
*根元之巻が述べている処は「腰刀三尺三寸を以って大きな利を得て、九寸五分の脇差しに勝つ事、すなわち柄口六寸を以て勝つ事」であり、真実の人以外は伝授するなと言うものです。
 極意の柄口六寸については無双直伝英信流(土佐の居合)では業技法の伝承が薄れてしまった、消えてしまったと云う方が正しいと思います。
 そして、煩悩を取り払い心を済まし無心になれば身は燦然と輝くであろうと言うのでしょう。

|

« 曽田本免許皆伝目録その36福井春政先生の根元之巻1 | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その38福井春政先生の流名 »

曽田本免許皆伝目録15-11」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本免許皆伝目録その36福井春政先生の根元之巻1 | トップページ | 曽田本免許皆伝目録その38福井春政先生の流名 »