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2016年3月

2016年3月24日 (木)

土佐の居合呼称についてその2

土佐の居合呼称についてその2
土佐の居合の流名が本来どんな呼称であったかは、文政二年1819年に山川久蔵幸雅が古伝神傳流秘書を書き写したものに依れば「無双神伝英信流居合兵法」なのでしょう。
それ以前は、不明と云うのが正しいと思います。最も古い奥羽地方の元禄時代のものでは林崎新夢想流です。土佐との関係は不明です。
・今回は業名に於ける現代と古伝神傳流秘書との対比をします。
現代は第22代池田聖昂先生の無双直伝英信流居合道解説の業名とします。
ついでに、夢想神伝流の山蔦先生の業名を合わせておきます。業名とその動作から推察した対比であって、現代ものが古伝と同じものとは言えないだろうと思います。
 したがって、現在は現在であって古伝と云い切れません、同様に夢想神傳流についても同様です。
1.大森流(古伝)ー正座の部(現在)ー大森流(夢想神伝流)
  1本目 初発刀ー前ー初発刀(前)
  2本目 左刀ー右(?)-左刀(?)
  3本目 右刀ー左ー右刀(右)
  4本目 當刀ー後ー当刀(後)
  5本目 陽進陰退ーなしー陰陽進退(八重垣)
  6本目 流刀ー受流ー流刀(受流し)
  7本目 順刀ー介錯ー順刀(介錯)
  8本目 逆刀ー附込ー逆刀(付込・追斬)
  9本目 勢中刀ー月影ー勢中刀(月影)
 10本目 虎乱刀ー追風ー虎乱刀(追風)
 11本目 抜打ー抜打ー抜打
 12本目 なしー八重垣-陰陽進退替業
2.英信流居合之事(古伝)-立膝の部(現在)-中伝長谷川英信流(立膝)(夢想神伝流)
  1本目 横雲ー横雲ー横雲
  2本目 虎一足ー虎一足ー虎一足
  3本目 稲妻ー稲妻ー稲妻
  4本目 浮雲ー浮雲―浮雲
  5本目 山下風ー颪(おろし)ー颪(やまおろし)
  6本目 岩浪ー岩浪―岩浪
  7本目 鱗返ー鱗返ー鱗返
  8本目 浪返ー浪返ー浪返
  9本目 瀧落ー瀧落ー滝落
 10本目 抜打ー真向ー抜打(真向)
3.抜刀心持之事(古伝―奥居合居業・立業(現在)-奥伝奥居合(夢想神伝流)
  1本目 向払ー霞ー霞(向払)
  2本目 柄留ー脛囲ー脛囲(柄留)
  3本目 向詰ー両詰ー両詰(両詰)
  4本目 両詰ー戸脇ー戸脇(向詰)
  5本目 三角ーなしー戸詰(三角)
  6本目 四角ー四方切(替え業)-四方切(四角)(替え業)
  7本目 棚下ー棚下ー棚下(棚下)
  8本目 なし―虎走ー虎走り(虎走り)
  9本目 人中ー壁添ー壁添(人中)
 10本目 行連ー連達ー連達(連達)
 11本目 連達ー行違(替え業)ー行違(替え業)
 12本目 行違ー袖摺返(替え業)-袖摺返し(賢の事)
 13本目 夜ノ太刀ー信夫ー信夫(夜之太刀)
 14本目 追懸切ーなしーなし
 15本目 五方切ー惣捲ー惣捲(五方切)
 16本目 放打ー惣留ー惣留(放し打)
 17本目 虎走ー虎走ー虎走(虎走り)
 18本目 抜打ー暇乞3本ー暇乞3本
 19本目 抜打(立業)-なしーなし
 20本目 弛抜ー受流ー受流(弛抜)
 21本目 賢之事ーなしー袖摺返し?
 22本目 くゝり捨-なしーなし
*お尋ねについて、大森流は無双直伝英信流では正座の部と現在は云われています。ですが之は大江正路先生の命名と言われます。
 業名についても大江先生が変えたと言われますが証明できません。何故変えなければならないのかの理由がわかりません。
 古伝の業名の方が判り易いのですがなぜでしょう。明治と云う時代が古いものを維新する事に依って時の列強国に互角に渡り合おうとした日本の立場がそうさせたのかも知れません。
 そうであれば、何故英信流(立膝の部)は業名が変わっていないのでしょう。中学生向きに大森流だけを教える積りで変えたのでは、立膝の部は不自然です。
 奥居合は、幾つか変形が有りますが、「格を放れて」とは掟を変えてでも居合の奥義に至れとされたのか、失伝していてどれが本物の古伝か判らなくなっていたともいえそうです。
 夢想神伝流を稽古していますと、大江先生の順番に従い動作のみ変えて行った様に思われます。
 現在でも奥居合を全業演じられる人は八段ぐらいまででも覚束ない人も居る様です。それは、奥居合は充分師伝を受けられなかったとも云えるのでしょう。
 無双直伝英信流に無双直伝英信流居合兵法とか無双直伝英信流居合術とか先生によって流名が変わっていますがその正しい流名に就いての出典は見当たらず、よく判りません。
 大江先生が大正14年(1925年)頃に直弟子の幾人かに出されたものには「無双直伝英信流居合術」と有ります。
 昭和25年1950年に第19代福井春政先生が第20代河野百錬先生に出された根元之巻では「無双直伝英信流(無双直伝英信流居合)」です。これには、土佐の居合のうち、坂橋流之棒と夏原流和之事を除く古伝全てと、大江先生の改変されたものが混在します。
 宗家を紹統する允可状では流名は「無双直伝英信流居合兵法」です。
 河野百錬先生を先師として継承する無双直伝英信流正統正流は「無双直伝英信流居合兵法」が正しいのかも知れません。
 古伝の神傳流秘書では「無双神傳英信流居合兵法」でした。之に習えば「無双直伝英信流居合兵法」が最もふさわしそうです。
 土佐の門外不出と云うよりも、土佐の門内でも伝書が正しく伝わっていないとしか言いようが有りません。
 現在の無双直伝英信流は第17代大江正路先生の居合を元に直弟子の方に依って夫々変形され大江居合も見えなくなっているというのが本当でしょう。
 武術は師匠の癖や考え方に依って変化するのは少しもおかしい事ではないでしょう。正しいと思った事をやれるようになれればいいのでしょう。
 居合は自分で考えてするものと当代は仰っています。その前に「よく聞き、よく見て、よく読んで、よく考える」事と仰います。
 
 
 
 

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土佐の居合呼称についてその1

土佐の居合呼称についてその1 
土佐の年表に流の呼称及び業名についてのお尋ねが有りました。
 無双直伝英信流と云う流の呼称を定めたのは第17代大江正路先生と一般に云われています。
 土佐武道史話を書かれた平尾道雄先生の記述に「長谷川流には居合のほか棒術と捕縄の術があった。文化のころ松井勝四郎とか百々弥左衛門がその棒術を納めているし、中根文五郎が大森流の居合を演じた記録がある。土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。後年この二流は統一されて、大正の末期には「無双直伝英信流」略して英信流と呼ぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった。」と有ります。
土佐武道史話による証拠を捜せば、大森流、長谷川流を統一して大正末期には無双直伝英信流とされたという、その証拠が大森流は正座の部、長谷川流は立膝の部、抜刀心持之事は奥居合居業の部、奥居合立業の部、組太刀を創作して無双直伝英信流之型とされて、流名を無双直伝英信流居合術と決めたのでしょう。
 大正14年に大江先生が山内豊健先生に発行された根元之巻に続く業名の「英信流居合術名称」には、正座の部、立膝の部、奥居合之部、型並・発声、番外としてくくられ、添え書きには「無双直伝英信流居合術」とされて居ます。
 土佐の居合は、江戸時代前期後半に第九代林六太夫守政が江戸から持ち込んで来たものと推察され其の頃、既に林崎甚助重信の居合は失念して、改造された長谷川英信流になっていたと思われます。
 その事は、古伝神傳流秘書の始めの方にある「居合兵法伝来」から読み取れます。
「目録には無双神伝英信流居合兵法とあり是は本重信流と云うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」
 土佐に持ちこまれた居合は「無双神伝英信流居合兵法」が当時の流名でしょう。
 その林六大夫守政の剣術の師匠が大森六郎左衛門で、大森六郎左衛門の剣術は「真陰流」だったそうです。真陰流の形五本から大森流を編み出し林六大夫に伝え、林六大夫が大森流を取り込んで英信流を稽古する前に稽古をさせたという事の様です。真陰流は上泉伊勢守信綱のものと云っていますから新陰流、江戸初期に将軍家に仕え大名ともなった柳生新陰流でいいのではないかと思います。之が現在の正座の部となったのでしょう。
 現在の立膝の部の英信流は「重信翁より段々相伝の居合然ものを最初にすべき筈なれ共先ず大森流は初心の者覚え易き故に是を先にすると言えり」とありますので、英信流は林崎甚助重信から段々と伝えられて来ているので本来先に稽古するはずの業だけれど、大森流は初心者に覚えやすいので先に稽古するのだと云っています。これで、英信流は林崎甚助重信から伝わっている業だと此の頃も思われていた様です。英信流の立膝での座し方や、独特な業や単純な業に古を感じるものもありそうです。
 しかし、第7代長谷川英信が業の改変を行ったらしく、間合いの取り方や動作に江戸期の平服での闘争の雰囲気が先行し甲冑での攻防を失っていると思います。
 現在の奥居合は、これも古伝神伝流秘書では「抜刀心持之事」とあって添え書きに「格を放れて早く抜く也 重信流」と有ります。ですから林崎甚助重信から伝わった抜刀術が潜んでいる筈です。長谷川英信の改変も有るかも知れません。抜刀心持之事ですから心持であって業では無いと解釈する事も出来ますが、業手附とも取れます。
 この心持は英信流居合目録秘訣(第10代林安太夫政詡が先代の口伝を書残したもの思われる)に外之物ノ大事・上意之大事・極意ノ大事として詳しく書かれています。
 土佐の居合の業では、大森流居合之事・英信流居合之事・抜刀心持之事の三部門が古伝に示された居合です。土佐の居合は総合武術でした。剣術の形も、棒術も、和術も、小規模の個人戦術も含まれています。
 尚参考に、江戸時代の前期後半には土佐の居合の第7代長谷川英信や第8代荒井勢哲が北信濃に在住しそこで教えたものは「無双直伝流」として現在も続いて居るようです。
 土佐の居合を総じて無双直伝英信流居合兵法とか言い習わしたのは第17代大江正路先生と言われていますが、既に目録には「無双神伝英信流居合兵法」と書かれていたのです。大江正路先生は土佐の居合の復活に多大な貢献のあった先師として神格化したがるのは人の常でしょう。
 幾つもの流を纏めて云い切ったのかも知れないし、大江先生の御弟子さんが大江先生の名を借りて大声で言ったのかも知れません。それ以前からあったけれど充分整理されていなかったという事かも知れません。既にそれを証明する手立ては無さそうです。
 土佐の居合の免許皆伝に就いて昨年11月から2カ月にわたって資料を集めてブログにアップしました。読み込んでみれば疑問点の幾つかが解きほぐれますが証明するまでに至りません。
 大江正路先生以前に「無双直伝英信流居合」の名称を使われている伝書に弘化二年1843年に土佐の国主第14代山内豊惇公に第15代谷村亀之丞自雄が印可した目録には「無双直伝英信流居合術目録」と有って大森流を除く業名が記載されています。弘化2年には大江正路先生は生まれて居ません。
 こういった資料がまだまだ土佐に埋もれている筈です。門外不出と言っているうちに全て無くなってしまったか、土佐の方の不勉強に過ぎないとも思っています。
 大江先生の改変し括られた無双直伝英信流は門外を出て今日の発展となっているのでしょう。本来の門外不出の土佐の居合は、古伝神傳流秘書に在るものかも知れません。
*長くなりましたので次回に現在の無双直伝英信流の業名と古伝との対比をして置きます。
 対比すると言っても、現在のものは大江正路先生が伝承するもので、土佐の居合の一部及び改変されてしまったものということになるでしょう。
 現在の無双直伝英信流とは第17代大江正路ー第18代穂岐山波雄ー第19代福井春政ー第20代河野百錬―第21代福井聖山ー第22代池田聖昂―第23代福井将人各宗家に伝わる業名と古伝神伝流秘書との対比です。合わせて夢想神伝流についても載せておきます。
 
 
 
 
 
 

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2016年3月23日 (水)

第二回古伝研究の集いを終えて

第二回古伝研究の集いを終えて
 
 2月29日に古伝研究会の公開稽古会を行い、続けて3月22日に第二回目の公開稽古会を行いました。
 三月のお彼岸の三連休の直後とあって、常連メンバーも少ないのですが、課題とした第14代谷村亀之丞自雄先生の英信流目録に残されている「小太刀之位」を研究いたしました。
 この小太刀之位は古伝神傳流秘書には無いもので、小太刀に依る土佐の居合は、大小詰・大小立詰・大剣取にありますが、多くは夏原流和之事の小具足、小具足割に短刀と素手の攻防があります。
 夏原流は何処から持ち込まれたのかはわかりませんが、この手附は判り易いものです。
 何か武術を稽古されて体の運用が理解出来れば形は出来るようになる筈です。
 大剣取は全剣連で制定居合の初期の制定委員だった政岡壱實先生の「無双直伝英信流居合兵法地之巻」(昭和49年1974年)に写真入りで解説されて居ます。
 今日の課題「英信流目録の小太刀之位」はこのブログ(2015年3月7日~3月13日)と、河野百錬先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」昭和29年1955年発行に在るだけです。
 何処かで稽古している話は聞きません。河野先生のものは曽田虎彦先生から昭和23年1948年に贈られた曽田本に依ります。曽田先生も古伝の継承は河野先生にお任せしたのかも知れません昭和25年にはお亡くなりになっています。
 土佐の居合を稽古されている方で、仮想敵も無く棒振りの名人は随所に見られます。
 居合にも敵が居るのを理解し、我が居合が交わされた場合の有り様を理解する仕組(組太刀)は詰合と大剣取、そしてこの小太刀之位はとても良い教材でしょう。
 小太刀之位はたった六本しかありません。
 申し合わせの動作を華麗に演武会で演武し喝采を得るものとは違って、その手附を読み手附け通りに打太刀が仕掛け仕太刀が応ずるばかりのものです。
 奥居合まで到達している人には、手附を読んだだけで動作は直ぐに繰り出せるでしょう。然しその奥義を窮めるには、並大抵の稽古では至らないものと改めて痛感しています。
 今回は一時間半ほどで六本を稽古してみました。この小太刀之位の六本目にこの位の全てが語られている様に思います。
六本目上段ノ弛:是は敵は上段也、我は小太刀をひっさげ相懸かりにてすかすかと行く場合にて敵片討ちに打つ所を我行くでもなし行かぬでもなし気のつりあいにてすっかりと弛し上より討込なり
*
このような状況下で業を見事にこなせる居合であればと思うばかりです。
いずれ又、第三回古伝研究の集いを計画いたします。このブログをお読みの方は、この六本目をご研究されてお出でいただければと思います。
 
 
 

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