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2016年3月24日 (木)

土佐の居合呼称についてその1

土佐の居合呼称についてその1 
土佐の年表に流の呼称及び業名についてのお尋ねが有りました。
 無双直伝英信流と云う流の呼称を定めたのは第17代大江正路先生と一般に云われています。
 土佐武道史話を書かれた平尾道雄先生の記述に「長谷川流には居合のほか棒術と捕縄の術があった。文化のころ松井勝四郎とか百々弥左衛門がその棒術を納めているし、中根文五郎が大森流の居合を演じた記録がある。土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。後年この二流は統一されて、大正の末期には「無双直伝英信流」略して英信流と呼ぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった。」と有ります。
土佐武道史話による証拠を捜せば、大森流、長谷川流を統一して大正末期には無双直伝英信流とされたという、その証拠が大森流は正座の部、長谷川流は立膝の部、抜刀心持之事は奥居合居業の部、奥居合立業の部、組太刀を創作して無双直伝英信流之型とされて、流名を無双直伝英信流居合術と決めたのでしょう。
 大正14年に大江先生が山内豊健先生に発行された根元之巻に続く業名の「英信流居合術名称」には、正座の部、立膝の部、奥居合之部、型並・発声、番外としてくくられ、添え書きには「無双直伝英信流居合術」とされて居ます。
 土佐の居合は、江戸時代前期後半に第九代林六太夫守政が江戸から持ち込んで来たものと推察され其の頃、既に林崎甚助重信の居合は失念して、改造された長谷川英信流になっていたと思われます。
 その事は、古伝神傳流秘書の始めの方にある「居合兵法伝来」から読み取れます。
「目録には無双神伝英信流居合兵法とあり是は本重信流と云うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」
 土佐に持ちこまれた居合は「無双神伝英信流居合兵法」が当時の流名でしょう。
 その林六大夫守政の剣術の師匠が大森六郎左衛門で、大森六郎左衛門の剣術は「真陰流」だったそうです。真陰流の形五本から大森流を編み出し林六大夫に伝え、林六大夫が大森流を取り込んで英信流を稽古する前に稽古をさせたという事の様です。真陰流は上泉伊勢守信綱のものと云っていますから新陰流、江戸初期に将軍家に仕え大名ともなった柳生新陰流でいいのではないかと思います。之が現在の正座の部となったのでしょう。
 現在の立膝の部の英信流は「重信翁より段々相伝の居合然ものを最初にすべき筈なれ共先ず大森流は初心の者覚え易き故に是を先にすると言えり」とありますので、英信流は林崎甚助重信から段々と伝えられて来ているので本来先に稽古するはずの業だけれど、大森流は初心者に覚えやすいので先に稽古するのだと云っています。これで、英信流は林崎甚助重信から伝わっている業だと此の頃も思われていた様です。英信流の立膝での座し方や、独特な業や単純な業に古を感じるものもありそうです。
 しかし、第7代長谷川英信が業の改変を行ったらしく、間合いの取り方や動作に江戸期の平服での闘争の雰囲気が先行し甲冑での攻防を失っていると思います。
 現在の奥居合は、これも古伝神伝流秘書では「抜刀心持之事」とあって添え書きに「格を放れて早く抜く也 重信流」と有ります。ですから林崎甚助重信から伝わった抜刀術が潜んでいる筈です。長谷川英信の改変も有るかも知れません。抜刀心持之事ですから心持であって業では無いと解釈する事も出来ますが、業手附とも取れます。
 この心持は英信流居合目録秘訣(第10代林安太夫政詡が先代の口伝を書残したもの思われる)に外之物ノ大事・上意之大事・極意ノ大事として詳しく書かれています。
 土佐の居合の業では、大森流居合之事・英信流居合之事・抜刀心持之事の三部門が古伝に示された居合です。土佐の居合は総合武術でした。剣術の形も、棒術も、和術も、小規模の個人戦術も含まれています。
 尚参考に、江戸時代の前期後半には土佐の居合の第7代長谷川英信や第8代荒井勢哲が北信濃に在住しそこで教えたものは「無双直伝流」として現在も続いて居るようです。
 土佐の居合を総じて無双直伝英信流居合兵法とか言い習わしたのは第17代大江正路先生と言われていますが、既に目録には「無双神伝英信流居合兵法」と書かれていたのです。大江正路先生は土佐の居合の復活に多大な貢献のあった先師として神格化したがるのは人の常でしょう。
 幾つもの流を纏めて云い切ったのかも知れないし、大江先生の御弟子さんが大江先生の名を借りて大声で言ったのかも知れません。それ以前からあったけれど充分整理されていなかったという事かも知れません。既にそれを証明する手立ては無さそうです。
 土佐の居合の免許皆伝に就いて昨年11月から2カ月にわたって資料を集めてブログにアップしました。読み込んでみれば疑問点の幾つかが解きほぐれますが証明するまでに至りません。
 大江正路先生以前に「無双直伝英信流居合」の名称を使われている伝書に弘化二年1843年に土佐の国主第14代山内豊惇公に第15代谷村亀之丞自雄が印可した目録には「無双直伝英信流居合術目録」と有って大森流を除く業名が記載されています。弘化2年には大江正路先生は生まれて居ません。
 こういった資料がまだまだ土佐に埋もれている筈です。門外不出と言っているうちに全て無くなってしまったか、土佐の方の不勉強に過ぎないとも思っています。
 大江先生の改変し括られた無双直伝英信流は門外を出て今日の発展となっているのでしょう。本来の門外不出の土佐の居合は、古伝神傳流秘書に在るものかも知れません。
*長くなりましたので次回に現在の無双直伝英信流の業名と古伝との対比をして置きます。
 対比すると言っても、現在のものは大江正路先生が伝承するもので、土佐の居合の一部及び改変されてしまったものということになるでしょう。
 現在の無双直伝英信流とは第17代大江正路ー第18代穂岐山波雄ー第19代福井春政ー第20代河野百錬―第21代福井聖山ー第22代池田聖昂―第23代福井将人各宗家に伝わる業名と古伝神伝流秘書との対比です。合わせて夢想神伝流についても載せておきます。
 
 
 
 
 
 

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