« 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の27意義の2 | トップページ | 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の29血振りの左足 »

2016年4月25日 (月)

幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の28ふつのみたま

幻を追って

その7.中山博道先生の居合

7、比較の28ふつのみたま

*太田龍峰先生の居合読本の大森流居合初発刀の動作に面白い事が書かれています。無双直伝英信流の方に取っては初耳の言葉かも知れません「ふつのみたま」と云う古語だそうです。
 布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣です。韴(ふつ)霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う、「ふつ」は物を断ち切る音を表すとか、よく切れる鉄製の太刀で、弱り切っていた朝廷軍の援軍となって勇気づけたものだったかもしれません。
 ここで日本神話を持ち出すのも、この居合読本が世に出た昭和9年1934年は戦争へとひた走る時代でありそれに乗ったものでしょう。
 武術家は時に容易に時代の為政者に利用され乗せられるものなのでしょう。
 昭和9年ころは日本軍が満州への進行を進めている頃の事です。
居合読本の初発刀の抜刀は
「徐かに両足尖を爪立てつゝ左手母指にて鯉口を切り僅かに外方に傾け右手を以て鍔より五分離して握る、次に右足踵が左膝頭付近に来る如く踏み著くると同時に刀を抜く、抜き放ちたる刀の高さは右肩の高さにして刀刃は水平に抜付真横に向ひ刀尖は稍下方に向はしむ。
 此際左肩を充分後方にひく如くすれば刀勢に一層活気を生ずるものとす、又、実施者は敵を「フッツリ」切る気分を持つべきである、之を「ふつのみたま」と古語にあり、・・」
*この抜き付けでの「右足踵が左膝頭付近に来る如く踏み著くると同時に刀を抜く」の右足捌きは良く判りません。
 右足は何時どこまで踏み込むのでしょう。
 写真に残された形は、極端な右半身寧ろ入身でしょう。
 右足先は正面を向き、床に着いた左膝より一足より大きく出て居ます。
 右拳は正中線に45度より浅く、右肩の高さにあり、切っ先は拳一つ程下がって、略右膝の線上に在ります。
 抜き付けの際「此際左肩を充分後方にひく如くすれば刀勢に一層活気を生ずるものとす」と云うことを示した形だろうと思います。
 面白いのは、居合読本の意義では「互に四尺位離れて対座せる時、急に敵の目の附近を横薙ぎに切り付け、相抜の場合は敵の抜き付けし拳に切り込む」。
 幻のコピーや香山会の幽芳録の鏡心録の意義は「互に三四尺の間隔をおき対座したとき急に斬り込み倒しもやらず真向正面より真直に上段より斬り下ぐる動作なり。」
 この抜打ちならば、手足の長さにも依りますが膝頭で四尺の間隔ならば、相手も爪先立って抜き付けんとするならば充分切れたでしょう、相手が座したままで居れば我が刀は相手に達しない筈です。三尺であれば充分切れています。
 届かなければ、追込みつつ即座に振り冠って打ち込まなければやられてしまいます。
 抜き付けの一刀は単なる牽制の形だったのでしょうか。それでは居合とは言えそうにありません。「鞘の内」など言葉遊びに過ぎなくなってしまいます。
 一方的な抜打ちをし乍ら「急に斬り込み倒しもやらず真向正面より真直に上段より斬り下ぐる動作なり」では、相手も居合をするならば、得たりとばかりに抜き打ちに斬り込むでしょう。我が居合に成りそうにもないのですが、どこか間違って居るのでしょうか。
・ 
 「抜付けでは相手に届いても疵を追わせたが倒すだけの深手では無いので、深く入って真向に切り下すのだ」と云うのが答えでしょうか。
 そんな居合をしている人もいました。
 中山博道先生の教書にある、あれだけの半身の抜付けで不十分なのは、刀をぶつけただけで切っていないのかも知れません。
 相互の間隔も、膝と膝ではなく、目と目、或は体軸との間隔、さて・・何も指標が有りません。
 切れる居合でありたいものです。
 居合は自分で考えてするもの・・当代の教えです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

« 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の27意義の2 | トップページ | 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の29血振りの左足 »

幻を追ってその7」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の27意義の2 | トップページ | 幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の29血振りの左足 »