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2016年5月28日 (土)

幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の61横雲の鍔の1

幻を追って

その7.中山博道先生の居合

7、比較の61横雲の鍔の位置の1

*一週間ばかり長谷川英信流の居合膝、無双直伝英信流谷村派の第17代大江正路先生ならば立膝の部の横雲の立膝について稽古を重ねてきました。
 この居合膝からの攻防に、それまで正座しかしなかった人が、一生懸命稽古しますと忽ち膝を痛めてしまいます。
それ以前のスポーツにより膝をいじめて来た人など忽ちです。何とか膝痛に侵されなかった人も60代後半にはみじめなものです。
 ある地区のように立膝は六段以上しか公の場所で演武はしてはならないなどの規制を、真面目に守っている中高年から始められた剣士は六段までに、膝を使い果たしてしまい、立膝は見た事があるだけになってしまう様です。
 余程の貯金を膝に持っていなければ70歳過ぎで立膝はまともに演じられなくなり、模範演武で見せられないのでは指導者の資格すらない人を見かけます。
 そんな師匠の元に居る御弟子さんは立膝の部、奥居合居業の部はみじめなものです。
「楽々八文字に坐す」とか「楽々居合膝に座し居る時」の古伝の文章が、「何処が楽々ですか」と云われそうです。
*多くの流派での帯刀の鍔の位置が「へそ前」なのに河野百錬先生の系統では、へそ前にセットするのは柄頭です。
 この違いを横雲から稽古し直してみます。
昭和37年1962年の河野百錬先生の居合道真諦無双直伝英信流嘆異録の初心者心得
「帯刀した時は大刀の柄頭は体の中央前に。業の終って納刀した時は鍔が体の中央にある事。」
 河野百錬先生が「鍔はへそ前」をやめたのは、昭和17年の1942年の「大日本居合道図譜」からでしょう。河野先生この頃大日本武徳会居合術達士でしょう。
「柄頭がほゞ体の中央にある様に帯刀す。之は両刀を帯したる時の大刀の位置なるがー小刀は鍔が体の中央ー居合の錬習は概ね刀を帯し且つ又古来大刀を帯せざる家内の小刀のみの場合も想定さるべきを以て、大体に於いて柄頭又は鍔の内側が体の中央にある程度にて可とす。
 註:刀は肋骨の最下部と腰骨の上端部の間の腹脇のやわらかな部に帯刀する事・」
 昭和13年1938年当時の河野先生の鍔は「無双直伝英信流居合道」によればへそ前です。河野先生大日本武徳会居合術錬士の頃です。
「帯刀は、着物と帯(袴の紐を含む)の間に、袴の下部の紐二本を鞘の下(内側)にある様に差す。(之は演武中、鞘が袴の下に滑り落ちぬ用意なり)正式には帯は角帯を締むるものとす。刀を腰に差し坐したる場合並に業を終了し納刀したる場合等、すべて鍔は体の中心線上にある様注意する事。」
昭和8年1933年の無双直伝英信流居合術全では河野先生は刀を腰に差した場合
「すべて鍔は両膝の中央の線上にある様注意すべき事」

この頃の土佐の居合の帯刀の鍔位置はへそ前であったのでしょう。
 現在この柄頭を臍前、体の正中線とするのは、全居連の刀法の場合と無双直伝英信流正統正流の所作でしょうか。
 先師の教えとして、帯刀時鍔をへそ前とする流派は多そうです。
*刀を抜き出すに当たり、柄頭を何処にセットするかは、帯刀の柄頭の位置に依るのでしょうか。抜きつける部位にセットするのでしょうか。
 刀を差した方向に抜くとすれば、柄頭で敵を圧する中心線上であり、敵に柄頭を制せられる様ならば、鍔を臍前にして、柄頭を己が中心線より右に外すのが良さそうです。然しこれでは正対しての抜付けをすれば敵の顔面に斬り付けられないかもしれません。そこで、極端な半身の抜付けをすれば、刀を前方に押しこむ必要が有りそうです。
 どれもありうる事で優劣を争うものでもなく、信じた方法で如何なる条件にも応じられるべきものでしょう。
 古伝の抜付けは、「片身ならず向身ならず所謂三角の曲尺にて半開半向となる」浅い半開半向を示唆しています。

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