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2016年6月 3日 (金)

幻を追ってその7中山博道先生の居合7比較の67横雲の納刀

幻を追って

その7.中山博道先生の居合

7、比較の67横雲の納刀
*中山博道先生の納刀は太刀を佩いた時の納刀をイメージされているのでしょう。全剣連の制定居合の納刀法がその様です。
 此処では、納刀しながらの足捌きを稽古して見ます。蹲踞の姿勢に戻る為の稽古ですが尤も無駄のない美しい足捌きはどうするのでしょう。
 中山博道先生の居合の動画を見ながら稽古して見ます。
*横血振りした位置から、切先を左に水平のまま振り込み、同時に右柄手を鯉口を持つ左手に当てるようにして、刀を水平のまま鍔元近くの棟を左手の拇指と食指の股に当てる。
 続いて、柄頭を右前にスット引き出し刀刃を45度位上向け、左手鯉口を後方に引き切先が鯉口に入るや、刀身半分ほどを納刀して後静かに納刀する。
 この時の、足捌きを中山博道先生は横雲でどの様にされるのでしょう。
横血振りの足は、右足の爪先を前に向けて膝を立て、左足膝を床に付いて、足先を前に向けて爪先立った踏み開いた姿です。
 土佐の居合ですから当然右足脛は床に垂直、左足大腿も床に垂直で其の上に上体を垂直に立てている筈です。
太田龍峰先生の居合読本では
「血振りをなし、刀を納めつゝ右足を左足に引き付けて蹲踞し・・」
檀崎先生は
「刀を凡そ三分の一納めた頃より右足踵を左足踵の所に引き寄せて残心を示す」
山蔦先生は
「納刀は、刀三分の一納めたところから残心を示しながら、右足の踵をまっすぐに左足の踵に引き寄せる。つまり、左片膝をついた半蹲踞の形となって、納め終るわけで、納め終ったときの両踵は、15センチほど開き、臀は軽くその両踵の上にのせる。」
*全剣連の場合も同様の様です。正対して横血振り、納刀は右足を真直ぐ引いて左足踵に引き寄せるわけですから、上体も正対した形になる筈です。
 大抵、右半身になる様になっています。一人演武の時は、大して気にもなりませんが、詰合之位などでは互に斜めになってにらめっこしています。
 右に体軸がぶれる人も居て、やはり詰合之位では双方が食い違いになっています。
 無双直伝英信流でも似たようなもので、右足を左足に引き付けさらに接近させる様に左足を右足に寄せる第21代の教えを受けた古参は軸を大きく右にずらせています。
 右足を退く際、大きく床に半円を画いて左足に引き付け半身の構えで納刀を終ると双方身幅ぐらいがずれてしまいます。残心で大見得を切るべきか考えてしまいます。
 右足を出来るだけ左足に接近させる手段であれば判らぬでもないが、そんな事をせず共出来る事です。
 大きく半円を描こうと、小さい円であろうと、何故そうするのか判りません。
 敢えて言えば、右足で半円を描く様にすれば右膝が右に振られますので、半身にならずに容易に正対出来ます。
 真直ぐ引いて来て、仕舞いに右膝を右に振れば同じ事です。その際左膝も右膝の線上に合わせるように左に振れば完璧です。
無駄を取り去ってしまえば流派の特色は薄れて行きます、実用一点張りでは味も無くなると云うものです。
 しかし納刀による残心は「心」あっての「形」と思います。ともすると、倒した敵に向けられず見物人に媚びを売る大道芸に陥ると考えられます。
 大江先生の大正7年1918年の「剣道手ほどき」では
「刀を納めると同時に前足を引き後足の踵に臀部を乗せるのであります」
 是だけです。
 河野百錬先生の昭和13年1938年の「無双直伝英信流」では
「約三分の一、刀を納めし辺より右足を少し右に半円を描く様にして左足に引き付ける際は、絶対に腰を落して腹をひく事無く、前足と後膝との中間に体の重心を置く位ひの気持ちにて、前足に十分気を注ぎてなす事。」そして「(右膝は床より離したまま)爪立てたる左足踵の上に臀部を下すと同時に納め終る」
*ここで重心が不安定になるので左足を右足に引き付け臀部をその踵に下ろせば、体軸は右に移動してしまいます。
 此処は、左足先は動かさずに、左膝を左に摺り込めば体軸は元の儘にある事になります。
 左足踵に右足踵を引き付ける必要もあるとは思えません。
 納刀の際退いてきた右足に左足を引き付け、体軸を移動させてその上に臀部を乗せるなど何か意味があるのでしょうか。
 英信流(立膝の部)の納刀の際、右足を引いて来て右に大きく半円を描く様に右足を床に擦り乍ら左足に引き付けていく、或は控えめに半円を描いて引き付ける。流派の掟の所作とは言え愉快です。目的が忘れられ、何故と思う事もせずでは、現代居合は武術から遠ざかってしまいます。
 
 
 
 
 

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コメント

「無駄を取り去ってしまえば流派の特色は薄れて行きます」...金言です。でも、講習会で言ったら、ぐぅの音もでないか、石が飛んでくるかのどちらか(笑)。横雲で、神伝は右足を真っ直ぐ退き、直伝は半円を描いて退くと教わりました。神伝と直伝、目くじら立てて違いを際立てる必要無いと思ってます。初発刀の血振いでの、立つと同時に左足を右足に揃えるのが正伝であるのは、神伝流秘書と英信流目録からも、明らか。立ってから、足を踏み替えるのは、後世の創案でしょう。春の武道祭で、奥伝の四方切はキッチリ十字、受流は左後ろに抜き外して真っ向切り(馳抜き?)。昨年までは見られませんでした。高段者50才代の先生方に見られました。このブログを読んだか?あるいは神伝流秘書に辿り着いたか?見学していて、技の変遷が面白かったです。

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
演武会で自流の業をどの様に想定してやるかは、自由でしょうが人前でやるものでは無いでしょうね。まして審査会や競技会では一定の範囲に納める能力もあって然るべきでしょうね。模範的演武が出来て一人前ですから・・。
かと言って一方的に訳も無く押し付けられた形はきっと死に物になるでしょうね。
      ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2016年6月 4日 (土) 00時14分

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