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2016年10月

2016年10月31日 (月)

丁酉(ひのととり)

 平成29年2017年は丁酉、ひのととり、ていゆうです。
 明治維新1868年から149年、先の無条件降伏昭和20年1945年から72年経ちます。去年の「干支を読む」にも、同じ書き出しでした。
明治維新の列強に追いつけ追い越せとも、日清、日露の勝ちに乗って戦争に突き進んでいった時代とも、先の敗戦後の思想的にも自信を無くし、復興とはエコノミックアニマルである事とも違う時代が訪れている気がします。
 しかし、決してうかうかした中から新しい時代は来ないと思われます。
 この「干支を読む」も2009年暮れに2010年の寅年から書き始めたので7年分書いて来た事になります。
 さて、丁酉(ひのととり)の年を遊んでみます。
1、丁酉(ひのととり)、十干十二支の組み合わせの34番目
 「丁」の文字の意味するもの。
 十干の四番目(甲乙丙丁・・)、火の弟、火陰弟(ひのと)
 甲骨・金文は特定の点、又はその一点に打ち込む釘の頭を描いた象形文字。
 植物が伸びようとして地面に当たり、まだ地表に出きれない時期。
 「酉」の文字の意味するもの。
 口の細い酒つぼを描いた象形文字。収穫した穀物で酒を作る。
 とり、十二支の十番目、時刻では午後六時、及び其の前後の二時間、方角では西、動物では鶏に当てる。
2、 「丁」の熟語、丁のつく漢字
  丁寧・包丁・丁稚・口八丁手八丁・丁々発止・地獄の一丁目
  町・打・庁・訂・灯・汀・釘・
 
3、「酉」の熟語、酉のつく漢字
    お酉様・酉の市
   酒・酎・ 酌・配・酔・酢・酬・酪・酸・酷・醸・醤・醪
 
4、酉・鶏・鳥の諺
 ・鶏口となるも牛後となるなかれ
  ・鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん
  ・烏合の衆
  ・鵜の真似をする烏
  ・鵜の眼鷹の眼
  ・鴛鴦の契り
  ・鴨がネギを背負って来る
  ・烏の行水
  ・閑古鳥が鳴く
  ・キジも鳴かずば撃たれまい
  ・窮鳥懐に入る
  ・雌伏
  ・鶴の一声
  ・鳶が鷹を生む
  ・鳶に油揚げをさらわれる
  ・飛ぶ鳥も落ちる
  ・鳥無き里の蝙蝠
  ・鳥は木を選べども木は鳥を選べず
  ・能ある鷹は爪を隠す
 
5、鶏を詠んだ万葉集
  遠妻と手枕交へて寝たる夜は鶏がねな鳴き明けば明けぬとも
  ・暁と鶏は鳴くなりよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも

  ・息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東の坂を今日か越ゆらむ
  ・鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ我が立ちかてね
 
6、鶏を祀ってある神社など
    ・青森県 中野神社
  ・山形県 白髭神社
  ・栃木県 多気山不動尊
  ・埼玉県 鷺宮神社
  ・東京都 目黒不動尊
  ・愛知県 下川神明宮
  ・三重県 伊勢神宮・平群神社
  ・高知県 大神宮
  ・島根県 古曾志神社
  まだまだありそうです、カラスも鳩も鶴やキジも祀られている様です。
 
7、丁酉生まれの有名人2017年に還暦を迎えます
  綾戸知絵・かたせ梨乃・そのまんま東・柴俊夫・柴門ふみ
    ・秋野暢子・森末慎二・増田恵子・大竹しのぶ・天童よしみ
    ・名取裕子

8、丁酉はどんな年だったのでしょう。
  丁酉の年は60年ごとに巡ってきますから、60年前から遡ります。
・昭和32年1957年
  千円札発行・百円硬貨発行
  日米安保委員会設置
  日中国交回復国民会議結成
  文部省、教員勤務評定制度の趣旨徹底通達、日教組反対闘争
  国連安保理事会非常任理事国に当選
  日ソ通商条約調印
・明治30年1897年
  尾崎紅葉「金色夜叉」読売に連載
  正岡子規「ほととぎす」創刊
  大阪で初めて活動写真興行
  島崎藤村「若菜集」刊行
  ハワイで日本人移民上陸拒否ハワイ側賠償金を払い解決
  貴族院で谷千城の軍備緊縮奏案否決
  内閣に足尾鉱毒事件調査委員会設置
・天保8年1837年
  将軍12代徳川家慶
  農民一揆再発
  大塩平八郎決起
  アメリカ船モリソン号漂流民を護送して浦賀に入港、浦賀奉行これを砲撃。
・安永6年1777年
  将軍10代徳川家治
  三原山大噴火
  信濃農民一揆
  幕府徒党強訴禁令を高札
・享保2年1717年
  将軍8代徳川吉宗
  奈良興福寺焼失
  武家諸法度条文天和令に復す
  関八州鉄砲取締り、鷹狩復活
・明暦3年1657年
  将軍4代徳川家綱
  明暦の江戸大火、江戸城本丸・二の丸焼失
  江戸の道幅拡張、町屋の藁葺・萱葺を禁止
・慶長2年1597年
  後陽成天皇
  秀吉朝鮮再出兵上陸
・天文6年1537年
  後奈良天皇
  将軍足利義晴
  今川義元、武田信虎の娘を妻とし、北条氏と絶交
  毛利元就、尼子経久の安芸生田城を陥す
・文明9年1477年
  後土御門天皇
  将軍足利義尚
  応仁の乱一応終る
・応永23年1417年
  称光天皇
  将軍足利義持
・延文2年1357年
  後光厳天皇
  将軍足利尊氏
・永仁5年1297年
  伏見天皇
  執権北条貞時
  鎌倉八幡宮焼失
・嘉禎3年1237年
  四条天皇
  執権北条泰時
・治承元年1177
  高倉天皇
  京都大火
  平清盛、平氏打倒を知る鹿ケ谷の陰謀
  俊寛など鬼界島に配流
・永久5年1117年
  鳥羽天皇
  京都に大風、多くの殿舎が倒壊
・天喜5年1057年
  後冷泉天皇
  安倍頼時、貞任追討
・長徳3年997年
  一条天皇
・承平7年937年
  朱雀天皇
  将門の乱
・元慶元年877年
  陽成天皇
・弘仁8年817年
  嵯峨天皇
  空海、高野山に金剛峯寺
  新羅人帰化す
・天平元年757年
  孝謙天皇
  養老律令施行
・文武元年697年
  持統天皇譲位し軽皇子即位
・ ー以下略すー
 わかっていても、出来ないこの頃を振り返ってみます。
 温暖化による気候の変動も、地球のプレートの動きも、近隣の国々の様子もどんどん変化しているようです。経済的格差も広がっています。
 地球環境の変動から、農作物の被害も増すばかりです。安定的な生産の仕組みを考えて進めてゆくようにすべきものでしょう。輸入に頼った食生活ではおかしい。郊外を走れば雑草だらけの田畑が放置されていすぎです。
 稲穂が黄金の波となって揺れる懐かしい原風景は遠い昔の思い出で終わらせるのですか。
 どうも、やるべき事が解っていないのか、地方に任せておいてよい事と、将来を見越した国策のあり方の設計図が良く判りません。どの様な国であるべきなのか小学生でも解かる方針が少しも見えないのは私だけでしょうか。思想の欠如、順序や方法に筋が通っていない様です。
 TPPを優先したのか、パリ協定を後回しにして気候変動枠組条約締結国会議に正式参加できなくなっています。これも国として何が先かを知らない、島国根性の貧弱な思想に依るのでしょうか。
 安保という殺人剣で近隣からの恐怖を力押しで防衛する思想が先行して、活人剣の思想が理解出来ていないのは、殺人剣思想の国との仲良しこよしでは無理です。
 これでは戦前に逆戻りです。軍備増強はもとより、経済復興と称して兵器の完成品の輸出も、そのうち核保有国になろうなど云い出しはしないか。
 核と云えば、電力コストを名目に原子炉を再稼働させて、再生可能エネルギーの開発を遅らせてどうなるのでしょう。
 我が国には海も山も水も降り注ぐ太陽も、すべてエネルギーを生み出す元がある筈なのに国土を汚しても原発優先です。廃炉にしても過剰なコストがずっとずっと子孫に残されてしまうからですか。千メートルの地下に保管しても無くならない放射能、黙り続ける原発学者。
 オリンピックや豊洲移転のお粗末も、いつまで利権や業者とつるんだ悪魔の手先に牛耳られて同じ過ちを繰り返す為政者。
 少しも実感の涌かない経済政策、相変わらず企業が外国に製造場所を求めて移転し、あちこちに空き地が出来て草が生い茂っています。生い茂らなければ大規模商業施設が立って町の商店は廃業です。お陰様で、空気も、川も海も綺麗です。
 我が国の経済団体がそっぽをむいたまま、異国に買収されてしまった大手企業もでてきて、技術だけ持って行かれ、国内生産による関連需要による利益の恩恵も従業員も後は不要で捨てられそうです。
 ヒノキの山林伐採権も異国の業者に売っているとか、山持ちも売りっぱなし、後始末と森林再生はどうなるのでしょう。
 日本がかって他国でやって来た豊かな森を地球から消してきた、同じ過ちを、他国に仕かけられている様なものです。
 目先は何があっても、他人事のようにして、平和です。
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の1神傳流秘書原文2居合兵法伝来

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
2、居合兵法伝来
 林崎神助重信ー田宮平兵衛業正ー長野無楽入道槿露斎ー百々軍兵衛光重ー蟻川正左衛門宗績ー萬野団右衛門信貞(定)ー長谷川主税之助英信ー荒井兵作信定(勢哲清信)-林六大夫守政ー大黒元右衛門清勝ー松吉左衛門久盛ー山川久蔵幸雅ー(下村茂市定-行宗藤原貞義)-次 曽田虎彦
目録には無雙神傳英信流居合兵法とあり 是は本重信流と言べき筈なれとも長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也
読み
居合兵法伝来
 林崎神助重信(はやしざきじんすけしげのぶ)ー田宮平兵衛業正(たみやへいべえなりまさ)ー長野無楽入道槿露斎(ながのむらくにゅうどうきんろさい)ー百々軍兵衛光重(どどぐんべえみつしげ)ー蟻川正左衛門宗績(ありかわせいざえもんむねつぐ)ー萬野団右衛門信貞(定)(ばんのだんえもんのぶさだ)ー長谷川主税之助英信(はせがわちかのすけひでのぶ)ー荒井兵作信定(勢哲清信)(あらいへいさくのぶさだ(せいてつきよのぶ))-林六大夫守政(はやしろくだゆうもりまさ)ー大黒元右衛門清勝(だいこくもとえもんきよかつ)ー松吉八左衛門久盛(まつよしはちざえもんひさもり)ー山川久蔵幸雅(やまかわきゅうぞうゆきまさ)ー(下村茂市定(しもむらもいちさだ)-行宗藤原貞義(ゆきむねふじわらのさだよし))-次 曽田虎彦(そだとらひこ)
目録には無雙神傳英信流居合兵法とあり 是はもと重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流とあげられたる由也

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2016年10月30日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌13居合心持引歌終

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
13)居合心持引歌終
敵色々と有りて我をたますと由油断する事勿れ例へハ鞠を蹴る二同し我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也
 敵をたゞ鞠と思いて皆人の
         つめひらきせバいかににがさん
 本来の事より出て事二入り
         あわれ知らばや事の深さハ
 吹けば鳴る鳴かねバ鳴らぬ笛竹の
         声の良とハ何を言ふらん
 打解けてねるが中なる心こそ
         誠の我を顕はし二けり
 引よせて結へバ柴の庵尓て
         解れバ本の野原なりけり
 兎二角二言ふへき様ハなかりけり
         九重の塔の上のあし志ろ
 唱ふれハ仏も我も無かりけれ
         南無阿弥陀仏の声計りして
 極楽ははるか二遠くゆきしかど
         唱へて到る所なりけり
 居合心持引歌終 

読み解く
 抜刀心持引歌の最終です。「居合心持引歌終」と結んでいます。

 敵は色々の策を講じ,我を陥れようとするものです。油断してはなりません。例えば鞠を蹴るのにも似て、同じ鞠でも敵の蹴る鞠と我が蹴る鞠の状況をよく見て応じるものです。

 敵をたゞの鞠と思って詰め寄ったり開いたりすればどうして逃げおおせられるだろうか

 本来此の様であるはずの事でも、実際にやって見れば思った様にはならないものです、それを如何に応ずるかという事がこの道の事の深さでしょう。

 竹笛なども吹けば鳴るし吹かなければ音もしない、単なる音と聞くのでは無く、音の良し悪しを聞き分けるように、何をしようと知らせるのか見極めることです。

 打ち解けて、寝るほどの仲になって、初めて誠の心を知るものです。そのように敵に打ち解けていく事によって敵の心が読めるものです。

 柴で組み上げた庵ですら、解けて崩れてしまえば本の野原でしょう。無心になって策を見抜くものです。

 兎に角、何と言おうと、九重の塔の上に掛けた足場の様なものです。意味のない虚飾に騙されてはいけません。

 仏にすがって南無阿彌陀佛を唱えてみても、仏も我も無いもので念仏ばかり聞こえるだけです。

 極楽は遥か遠くにあると聞いていますが、無心になって極楽・極楽と唱えて到る処なのでしょう。

 居合の心持引歌を終わります。

 歌の解釈は、それぞれの修行に至る中でどの様に聞こえてくるのかが違うのではないかと思います。かと云って、相手の有る事です、独りよがりの思いでは、勝を得る事は出来そうにありません。
 居合は、観衆に拍手を求める大道芸でも無く、ルールに従った強さと速さのテクニックによるスポーツでも無く、命を懸けた武術なのです。 
 心持引歌はそう語っている様に思えてなりません。

 講習会があると、古参の者が、得々として講師の真似を演じています。昨日までの動作の違いに少しも悪びれずにいます。
 そうかと見れば、他の者は「先代とは違う、習う必要は無い」と云って少しも講習会の内容を噛みしめていません。

 当代は、「よく聞き・よく見て・よく読み・自分で考える事」と何度も仰います。柳生新陰流の始終不捨書の冒頭には、習い・稽古・工夫と円相に描かれています。
 よく聞き・よく見て・習い・そして繰り返し稽古して真似るだけ・・そこにとどまっているばかりでは只の棒振りです。

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2016年10月29日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌13居合心持心持引歌終

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
13)居合心持引歌終
敵色々と有りて我をたますと由油断する事勿れ例へハ鞠を蹴る二同し我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也
 敵をたゞ鞠と思いて皆人の
         つめひらきせバいかににがさん
 本来の事より出て事二入り
         あわれ知らばや事の深さハ
 吹けば鳴る鳴かねバ鳴らぬ笛竹の
         声の良とハ何を言ふらん
 打解けてねるが中なる心古そ
         誠の我を顕はし二けり
 引よせて結へバ柴の庵尓て
         解れバ本の野原なりけり
 兎二角二言ふへき様ハなかりけり
         九重の塔の上のあし志ろ
 唱ふれハ仏も我も無かりけれ
         南無阿弥陀仏の声計りして
 極楽ははるか二遠くゆきしかど
         唱へて到る所なりけり
 居合心持引歌終 
*読み
 敵色々と有りて我を騙すと由 油断する事勿れ 例えば鞠を蹴るに同じ 我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也
 敵をたゞ鞠と思いて皆人の
         詰め開きせば如何に逃がさん 
 本来の事より出て事に入り
         哀れ知らばや事の深さは
 吹けば鳴る鳴かねばならぬ笛竹の
         声の良しとは何を言うらん
 打ち解けて寝るが仲なる心こそ
         誠の我を顕わしにけり
 引き寄せて結べば柴の庵にて
         解ければ本の野原なりけり
 兎に角に言うべき様はなかりけり
         九重の塔の上の足代
 唱うれば仏も我も無かりけれ
         南無阿弥陀仏の声ばかりして
 極楽は遥かに遠く聞きしかど
         唱えて到る所なりけり
 居合心持引歌終
 

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2016年10月28日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌12業歌後身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
12)業歌後身二首
浪返
 あかし潟瀬戸越波の上にこそ
          岩尾も岸もたまるものかは
瀧落
 瀧津瀬の崩るゝ事の深けれバ
          前に立添ふ岩もなき哉
*
読み解く
浪返
 明石の海峡に打ち寄せる波に岩尾も岸もたまったものではない。という歌でしょう。
 浪返は、後ろに座す敵の害意を察し、振り向きざま抜き打ちに斬り真向に切下ろすという業です。
 歌のイメージを被せれば、怒涛の様に打ち寄せるが如く、後ろに振り向き、左足を後ろに引いて横一文字に抜きつけ即座に上段に振り冠って真向に打ち下ろし勝つ、敵には何もさせない様な鋭く威圧する気を持った振り向きの動作が必要でしょう。

 敵にすれば押し寄せる波のように迫ってくる我に、一瞬戸惑う瞬間です。
 我は左足を引いて抜きつけます。敵には引く波の中から切っ先が不意に顔面に伸びて来る様に思えるでしょう。

 英信流居合之事8本目浪返
「鱗返二同し後へ抜付打込ミ開き納る 後へ廻ると脇へ廻ると計相違也」

瀧落
 瀧の様に流れ落ちる瀬では岩も削り取られ、流れ落ちる瀬を阻む岩も無い様だ。

 瀧落は、座している処、後ろから鐺を取られたので、敵の手を振り捥いで、刀を抜くや振り向いて敵の胸部を刺突し真向に切り下ろす、という大技です。

 敵に後ろから鐺を取られ静かに立ち上がる処は、緩い渓谷の流れで、そこから早瀬の落ち口を一気に流れ落ちるように敵の手を振り捥ぎ、刀を抜き出し後ろに反転し刺突する処は瀧の落下の如く怒涛の様に突き込んで行く・・留目は滝壺。

英信流居合之事9本目瀧落
「刀の鞘と共二左の足を一拍子二出して抜て後を突きすぐ二右の足を踏込ミ打込ミ開納る此事ハ後よりこじりをおっ取りたる処也故二抜時こじりを以て當心持有り」

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2016年10月27日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌12業歌後身

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
12)業歌後身二首
浪返
 あかし潟瀬戸越波の上にこそ
          岩尾も岸もたまるものかは
瀧落
 瀧津瀬の崩るゝ事の深けれバ
          前に立添ふ岩もなき哉
読み
浪返
 明石潟瀬戸越す波の上にこそ
          岩尾も岸も堪るものかは
瀧落
 瀧津瀬の崩るゝ事の深ければ
          前に立ち添う岩もなき哉

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2016年10月26日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌11業歌左身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
11)業歌左身二首
岩波
 行舟のかぢ取り直春間もなきは
          岩尾の浪の強く當れバ
(谷村先生の本には「波返」「鱗返」ト有従て此の歌は前後ならんかと自雄□トノ註アリ 曽田メモ)
鱗返
 瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
          水せき上て落る事なし
*読み解く
 岩波
 岩波の業名が先に有ったのでしょう。お題頂戴による歌でしょうから、岩に当たる荒浪の状況と、業の岩波の動作をイメージして見ます。
 漕ぎ出した舟の舵を取り直す暇も無く、磯の端の岩に強く当った浪に舟は翻弄されている。
 歌の情景はこんな処でしょう。業歌としては、岩に打ち付ける強い波に舵を取る暇も無く翻弄されるように敵は我の反転に躱す間も無く刺突される動作を思い描いたのでしょう。

 岩波の場合、対敵の害意が動作に現れないうちに先んじて攻撃して居る様な教えをしている処も有る様です。
 刀を抜く処を敵に見せない様に抜出し、敵に向くや否や刺突する。或は、敵が柄を取りに来るので刀を抜出し、柄を取らせない様にして敵に振り向いて刺突する。
 英信流居合之事六本目岩浪
「左へ振り向き左の足を引き刀を抜左手切先へ添え右の膝の外より突膝の内に引き後山下風の業に同じ」

(正岡先生 無双直伝英信流居合兵法地之巻)
 右に向かって座す処へ、左側から敵がおそいかかるを察し、刀に両手をかけて腰をあげて後に抜き、左に向きなおり水落目がけて突き上げ、直ちに引きぬいてふりあげ真甲から切り下す動作

(京都山内派無双直伝英信流居合術)
 同一方向に列している左側の彼に対し知られざるよう刀を抜き突如その方に向き直り胸又は腹を突き更に引廻して上段より切下ろして仕止む

*古伝は、まず腰を上げ左脇に坐す敵に振り向き、左足を後方に引くや刀を抜き、柄頭を以て敵を牽制し、敵が怯む間に切っ先を敵に返すや刺突する、のでしょう。柄頭を敵に制せられるのであれば、右に抜き出すなど変化は自在です。
 いつの頃からか、左脇の敵に振り向かずに刀を前に抜いた人がいたのでしょう。それから限定的付帯条件を付けてしまったようです。

*
鱗返 
 瀧津瀬を遡上し鱗を光らせる鯉は、瀧の様な急流の瀬の水を関上げても落ちることはない。と言うのでしょう。

 第15代谷村亀之上自雄の本では英信流の七本目が浪返で八本目が鱗返なのでこの歌も前後が入れ替わっているのではないか、と注意書きがある、と曽田先生はメモをされています。

この伝書は山川久蔵幸雅によって書き写されたものですから誤写もあるかもしれませんが、この神伝流秘書以外に古いものはないのでこのままにして置きます。
 曽田先生の言われる谷村亀之丞自雄のものは英信流目録だろうと思いますが実態は判りません。

 歌と業がマッチしているような気がしませんが、鱗返の業名から読まれた歌で、鱗の文字があればよい、程度でしょう。

英信流居合之事7本目鱗返
「左脇へ廻り抜付打込み開き納る (秘書には岩波と同じ事を記しあり 口伝口授のとき写し違へたるならん 曽田メモ)」

 

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2016年10月25日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌11業歌左身

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
11)業歌左身二首
岩浪
 行舟のかぢ取り直春間もなきは
          岩尾の浪の強く當れバ
(谷村先生の本には「波返」「鱗返」ト有従て此の歌は前後ならんかと自□□トノ註アリ 曽田メモ)
鱗返
 瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
          水せき上て落る事なし
*読み
岩浪
 行く舟の舵取り直す間もなきは
          岩尾の浪の強くあたれば
(第15代谷村亀之丞自雄先生の本(英信流目録(二巻)には「波返」「鱗返」と有る 従ってこの歌は前後なからんかと自雄□との註あり 曽田メモ)
鱗返
 瀧津浪瀬上る鯉のうろくずは
         水堰(関)き上げて落ちる事なし
 

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2016年10月24日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌10業歌右身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
10)業歌右身二首
浮雲
 麓より吹上られし浮雲ハ
         四方の高根を立つゝむなり
山下風
 高根より吹き下す風の強けれバ
         麓の木々ハ雪もたまらず
*読み解く
 この右身二本の業歌は浮雲と山下風で高峯に「吹き上げる浮雲」・麓に「吹き下す風」を歌って対になっています。
浮雲
 三河方面を訪れた時、この歌の様な景色によく出合いました。谷間から湧き出る様に雲が山頂を目指して吹き上げられて行きます。山頂付近は浮雲が集まって頂きが見えなくなってしまいます。

 この歌と英信流四本目浮雲をイメージするのですが、立膝から右側の敵が我が柄を取ろうとする手を避けて、ふわ~と立上り、敵が「しまった」と退がろうとするのに合わせて、足を踏みもじて抜き付けて行く。
 其の時、勢いよく動作を付ければ敵は慌てて間を離れてしまいそうです。
 ふわ~と仕留めるのが心理的にはよさそうです。などとごつごつ演じている人を見て思っています。
 無理やり歌に合わせて見ても意味の無い事かも知れません。お題頂戴して歌を詠んだと言うことも有りえます。
 俳句の師匠から、情景に感動して詠むと「それがどうした」とつれない評価です。

英信流居合之事四本目「浮雲」
「右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねり抜付左の手を添へて敵を突倒春心尓て右の足上拍子に刀を春ねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込ミ後同前又刀を引て切先を後へはね春して取りて打込事も有」


山下風 
 英信流(立膝の部)五本目は山下風、山下風は(やまおろし)と読むのでしょう。現在の無双直伝英信流では業名は颪(おろし)の文字を付けています。広辞苑では「山颪」の文字をもって(やまおろし)としています。たぶん「山下風」では無く「山颪」の文字を山・下・風と縦書きにすると下と風が離して書かれていて写し違えているのだろうと思います。大江先生は「颪」を当てていますが(又山おろしとも云ふ)と有ります。下村派の曽田先生は「颪(山下)」山下風と添え書きしています。

 浮雲と違って山颪は山の上の方から吹き降ろされる風で、其の風が強く、麓の木々には雪も降り積もらない、と詠んでいます。
 「たまらず」は溜らずでも堪らずでもいいでしょう。
 英信流(立膝の部)の颪にこの歌をイメージすると、敵が我が刀の柄を取らんと手を出すのを、敵の手をするりと外して、ドンと顔面を打ち据え、逃がさじと胸に抜き付ける場面にイメージするか、夢想神傳流の山下風ならば、敵が刀を抜こうと手を掛ける其の手と足を打ち据える、何れにしても敵の初動を素早く制してしまいます。

英信流居合之事五本目「山下風」
「右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所尓て打倒し抜付後同前但足は右足也 浮雲と足は相違也」

 

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2016年10月23日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌10業歌右身

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
10)業歌右身二首
浮雲
 麓より吹上られし浮雲ハ
         四方の高根を立つゝむなり
山下風
 高根より吹き下す風の強けれバ
         麓の木々ハ雪もたまらず
読み
浮雲
 麓より吹き上げられし浮雲は
         四方の高根を立ち包むなり
山下風
 高根より吹き下す風の強ければ
         麓の木々は雪もたまらず
*「たまらず」は溜らず、か、堪らず、か判りません。
 
 

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2016年10月22日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌9業歌向身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
9)業歌向身三首
横雲
 深山には嵐吹くらし三吉野の
           花か霞か横雲の空
虎一足
 猛き虎の千里の歩み遠からず
           行より早く帰る足引
稲妻
 諸共に光と知れと稲妻の
           跡なる雷の響き知られず

   抜刀心持引歌には、神傳流秘書の英信流之事の業名の歌が並びます。
英信流之事は「是は重信翁より段々相伝の居合を最初にすべき筈なれ共先大森流は初心の者覚え易き故に是を先にすると言えり」と序文が有ります。
 英信流は始祖林崎甚助重信から段々に受け継いで来た重信流だと言います。
 
 この英信流の和歌は、いつ頃誰が選歌したのか、神傳流秘書の書かれた以前からあったかは不明です。

  奥州地方に残る歌にはこれに類する歌は見られません。第九代林六大夫守政が江戸勤番の頃、第八代荒井勢哲清信から聞かされたものだろうと思います。
 業の名称だけに拘って業の技法上のポイントをついている心得とは思えないものも有る様な気もします。

 一首目の横雲の歌には三吉野という地名が有りますが他の歌には地名らしいものは有りませんから、業に合わせて雰囲気を詠まれたものでしょう。三吉野の花は桜です。

遠い三吉野の奥山には春の嵐が吹いているのだろう、さくら吹雪が横雲になって霞の空に吹きつけている

 横雲の横一線の抜き付けを当てたのでしょう。やたら気張って、力いっぱい振り回したり、恐ろしい般若の形相で演じる人などはこのような業歌を口ずさんで、業をイメージして見るのもいいかも知れません。

英信流居合之事一本目横雲
「右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通り二して納る」


二首目は虎一足
 虎は千里往って千里還る 。虎は1日に千里の遠くへ行ってまた戻ってくる。勢い盛んなことのたとえ。
 虎は大きいものは胴長250cm、体重280kg位で縄張りは10~20平方km、一日に徘徊する距離10~20kmだそうです。

 この歌は、立膝に座し前面の敵の抜き付けを、左足を引いて切先を下にして抜き打ちに受け払い真向に斬り下す、すさまじい業です。その抜き付ける際の左足は後方に引く其の足捌きの素早い動作を歌に詠み込んだものでしょう。

英信流居合之事二本目虎一足
「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ」

三首目は稲妻
 雷はピカッと光った後にゴロゴロと響き渡るので、音の聞こえてくる時間を推し測って近くに落ちたとか遠くに落ちたとか判断し、避難するタイミングを子供の頃から自然に覚えたものです。
 随分古い話ですが、木曽駒ケ岳の山頂で、雷に見舞われました、それこそ光より音の方が速いと思った事がありました。恐ろしい、怖いと言うよりもう覚悟してしまったのを思い出します。

 この歌は稲妻の様子を歌ったもので、稲光の後に音がすると歌っています。
 英信流の三本目稲妻にこじつけると、敵が上段から打込んで来るのを立ち上がり様刀を抜いて小手に抜打ちに切り付ける、ここが稲光の閃光の様に鋭く素早い処でしょう、即座に振り冠って真向に打ち下す処は後から追ってくる雷鳴でしょう。
 敵は雷鳴を聞く猶予も無く両断されているのです。この業を演ずる時あの恐ろしい山の雷を思い出している事も有ります。

英信流居合之事稲妻
「左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込み後同前」

 向身というのは我の正面前に敵が居る事を意味します。古伝は全て我に対する敵の位置を示しています。向身は正面に敵・右身は我の右脇に敵・左身は我の左に敵・後身は我の後ろに敵を受けます。
 江戸時代末期までこの敵の位置関係を基に組み立てられていたものを、明治になってからでしょうか、道場の正面を我が向いた場合を前、道場の右を向いて敵が左脇に居るとしたのが右、左向きで敵が右に居るのが左、道場正面に我は後向きで敵は我の後ろに居るのを後と改変されてしまいました。
 敵の存在よりも、演武の位置取りが優先されてしまったのです。現代居合が敵を見失ってしまい、踊りと化した動作を優先してしまう原因の一つになったと思われます。

 道場の正面を向いて、どの業でも演じられる稽古を進める師匠にお目にかかって見たいものです。

 

 

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2016年10月21日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌9業歌向身

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
9)業歌向身三首
横雲
 深山には嵐吹くらし三吉野の
           花か霞か横雲の空
虎一足
 猛き虎の千里の歩み遠からず
           行より早く帰る足引
稲妻
 諸共に光と知れと稲妻の
           跡なる雷の響き知られず
読み(原文のままで十分読めると思います)
 
横雲
深山(みやま)には嵐ふくらし三吉野(みよしの)の
           花か霞か横雲の空
虎一足
 猛き虎(たけきとら)の千里の歩み遠からず
           行より早く帰る足引き(あしびき)
稲妻
 諸共(もろとも)に光と知れと稲妻の
           跡なる雷の響き知られず
 
 
 

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2016年10月20日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌8詭道

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心待引歌
8)詭道
居合も太刀打も敵と吾と立合といなや□(「是」 曽田メモ)道なくては勝事なし 然共上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まつ春く耳行間移行□道有り此処詞にのへ難し 数月数年の事修錬の功にて合点行へし能くよく日夜修行あるへき事なり 義公御歌 古歌二
 
 きおひくる敵二さりなく出あふな
           あひしらひしてしほをぬかせよ
 居合と申は第一に太刀抜かぬ以前二勝事大事也 歌二
 
 抜は切れ抜すバ切るな此刀
           たゝ切る事二大事こそあれ
 あまた尓て勝れざりしと聞しかど
           心明剱の太刀を楽しめ
 行違の右の抜事古人大事と言へり 工夫有へし 歌二
 夏日向冬日の影と歩むへし
           独り行二ハさわる人なし
 行違ふ敵の足二目を付希与
           手は自ら留るもの也
 組合の時太刀抜様の敵組付とはや我身二付て抜事と知れ 歌に
 身に付けて抜習有人ハたゞ
           組付かぬ間二切とこそ聞け
 居合とは刀一つに定まらす
           敵の仕懸を留る様有り
 敵太刀打かたき我二切て懸る二はやく抜合せむと春れハ必ず負事有
 能く工夫有へし  歌に
 居合をバ知ったふりしてつかるゝな
           居合の道を深く問ふへし
 身の曲尺の位を深く習ふへし
           留めねど留る事ぞふしぎや
読み解く
居合も太刀打も敵と我とが立合うや否や「是道このみち」でなければ勝つことはないであろう。
曽田先生は原本を判読出来ず「是道」としています。
木村栄寿先生は「危道」と此処を読まれています。恐らく細川家本は危道と読めたのでしょう。
「詭」ですと孫子の兵法に有る「計篇第一の兵者詭道也」による「兵は詭道なり故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す、其の無備を攻め、其の不意に出ず、此れ兵家の勢、先には伝うべからず」と、とることが出来そうです。此処は「詭道」と解して読むべきでしょう。河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書では◯(是道か)道と曽田本にならっています。
 「危」は危ない、危ういと意味します。「奇」は珍しい、怪しい、です。
 「詭」はせめる、いつわる、たがうです。

 然れども、上を打つように見せて下を打つ様な事では無い。真直ぐに「行間移行」は間に入るや筋を替るのかもしれません。
 数か月、数年の修練によって合点出来るものである。よくよく日夜修行する事である。
 義公御歌 古歌に 
 義公とは誰の事か解りません。水戸光圀、黄門様かも知れません。義経なども想像できますが不勉強で判りません。

 気負い込んでかさに掛って来るような敵に、さりげなく相手にするのでは無く、あしらいながらここぞという時に抜かせてそこを打て、というのでしょう。  

居合と云うものは第一に太刀を抜かずに勝つ事が大事である 歌に

 抜かざるを得なければ、抜いて無心に切る事、抜かなくて良いならば切るな、然し切る事にのみ大事がある。

 次の歌では、多くの者からあれには勝つことが出来ないと聞こえている、然し心明釼の太刀があるではないか、それを楽しむ事である。心明釼は神妙剣でしょう。
 神妙剣は林安太夫政詡による居合兵法極意巻秘訣 印可部の最後にある教えで「我が身をうまうまと振るもうて奥義の柄口六寸をもって構えは如何にも有れ、敵と我と互に打ち下すかしらにて只我は一途に敵の柄に打込む也」の技法であり、「彼が気を先に知りてすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也」とあるように、気を見て兎角して相手に負けずに治める事なのです。


 行違う時の抜刀については古人は大事な事があるよ、工夫するべきものですと言って歌心を示されています。

 夏の太陽は真上から照らし影は短い、夏は陽に向って歩き、冬は影は長く伸びます影を踏む様に歩くのが良い、一人で歩く時には、障りないものである。

 行き違う時敵の足の動きに目をやると相手の次の動きが判るものです。手も留まります。其の機に我が手は自然と合わせるように応じる事、と読んでみましたがどうでしょう。

 組合とは、組打ちでしょう、組み合う時の太刀の抜き様は、敵は我が身に組付くや抜刀する心と知るべきである、歌に
 自分の身に引き付けておいて太刀を抜く癖のある者との組合は、組まずに切る事である。

 居合と云うのは、刀を抜いて切る事ばかりでは無く、敵の仕掛け様とする其の起こりを察して押さえてしまう方法もあるものだ。

 敵の太刀を打ち難い様な時、敵が我に切って懸るのを、負けじと速く抜き合せようとすれば必ず負けるものである。良く工夫すべきものである。歌に
 居合を知っている積りで「つかるゝな」が読みこなせません。「突かれる、付かれる、疲れる、漬かる、浸かる」、どれも該当しそうでそうでもないようです。
 居合を知ったふりしてそれに拘り過ぎるな、居合の道を深く修練せよ。
 師匠の真似事の形ばかりの居合では歌さえも読みこなせないのは情けないことです。

 先日ある先生の仰るには、「道場で合同体操の様にせっせと手拍子に合わせ抜くばかりで居合の真諦など掴める訳もない、相手の有り様もわからず、居合の座学も指導出来ない、そんな者を作り出してどうなる」。と嘆かれていました。反省しきりですが、そこまでです。

 攻防の間を知らずに抜き付けても意味は無いでしょう。まして動く敵の柄口六寸の極意などは、仮想敵も描けない空間刀法の稽古では、大方は独りよがりになってしまいます。
 下の句の「留めねど留る事ぞふしぎや」は身の曲尺が認識出来ていれば行くも止まるも自由自在だと言うのでしょう。

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2016年10月19日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌8詭道

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
8)詭道
 居合も太刀打も敵と吾と立合といなや□(是 曽田めも)道なくては勝事なし 然共上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まつ春く耳行間移行□道有り此処詞にのへ難し 数月数年の事修錬の功にて合点行へし能くよく日夜修行あるへき事なり 義公御歌 古歌二
 きおひくる敵二さりなく出あふな
           あひしらひしてしほをぬかせよ
 居合と申は第一に太刀抜かぬ以前二勝事大事也 歌二
 抜は切れ抜すバ切るな此刀
           たゝ切る事二大事こそあれ
 あまた尓て勝れざりしと聞しかど
           心明剱の太刀を楽しめ
 行違の右の抜事古人大事と言へり 工夫有へし 歌二
 夏日向冬日の影と歩むへし
           独り行二ハさわる人なし
 行違ふ敵の足二目を付希与
           手は自ら留るもの也
 組合の時太刀抜様の敵組付とはや我身二付て抜事と知れ 歌に
 身に付けて抜習有人ハたゞ
           組付かぬ間二切とこそ聞け
 居合とは刀一つに定まらす
           敵の仕懸を留る様有り
 敵太刀打かたき我二切て懸る二はやく抜合せむと春れハ必ず負事有
 能く工夫有へし  歌に
 居合をバ知ったふりしてつかるゝな
           居合の道を深く問ふへし
 身の曲尺の位を深く習ふへし
           留めねど留る事ぞふしぎや
読み
 居合も太刀打も敵と吾と立合といなや□道(是道と曽田メモ(詭道と思われます?))なくては勝事なし 然れども上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まっすぐに行く間、移り行く詭道有り 此の処詞にのべ難し 数月数年の事修錬の功にて合点行くべし 能々日夜修行有るべき事なり 義公御歌 古歌に
 きおいくる敵にさりなく出合うな
            あいしらいして潮を抜かせよ
 居合と申すは第一に太刀抜かぬ以前に勝事大事也 歌に
 抜かば切れ抜かずば切るな此の刀
            ただ切る事に大事こそあれ
 あまたにて敵に勝たれざりしと聞きしかど 
            心明剱の太刀を楽しめ
 行違の太刀の抜事古人大事に言えり 工夫有べし 歌に
 夏日に向い冬日の影と歩むべし
             独り行にはさわる人なし
 行違う敵の足に目を付けよ
             手は自ずから留まるもの也
 組合の時太刀抜様敵組付とはや我が身に付て抜く事と知れ 歌に
 身に付けて抜習い有人はただ
             組付かぬ間に切とこそ聞け
 居合とは刀一つに定まらず
             敵の仕懸けを留る様有り
 敵太刀打がたき我に切って懸るにはやく抜合せんとすれば必ず負る事有り
 能く工夫有るべし  歌に
 
 居合をば知ったふりしてつかるゝな
              居合の道を深く問うべし
 身の曲尺の位を深く習うべし
              留めねど留まる事ぞふしぎや

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2016年10月18日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌7沈成躰

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
7)沈成躰
敵太刀打かたき切て掛るに沈成躰に勝有事の位にて教へし 工夫有へし
 古語に 寸の虫かゞむも身をのびん可為 歌に
 長からむさゝげの花は短くて
            短き栗の花の長さよ
(沈成躰→沈成体ナリ 敵ニ対し我体ヲ沈メ低クスルコト也・気を落チツケルコト也)
 工夫 有へし 古人も心は之内二有りとのたもふ也 ものとしたる(物賭したる)に勝負の位知る事なし 深く工夫有へし
 この沈成躰心よりよく敵の心見ゆるもの也
 兵法二曰 端末未見人莫能ク知ルコト と有り 歌に
 悟り得て心の花の開けなば
           たつねん先二色ぞ染むべき
 霜うづむ葎の下のきりぎりす
           有りかなきかのこえぞ聞ゆる

*
読み解く
 敵の打込む太刀に応じ難い時に沈成躰によって勝つ事が出来る位がある、工夫すべきである。古い教えに寸の虫でも身を屈めるのも身を伸びようとする為であるとある。
 是は、菜根譚の前集116にある「以屈為伸」を言っているのだろうと思います。
「巧を拙に蔵し、晦をもってしてしかも明にして、清を濁に遇し、屈を以て伸となす。真に世を渉るの一壺にして、身を蔵するの三屈なり」身を沈めるのは我が身を安全に保つ蔵し方とでも言うのでしょう。

歌に
 ささげの実は長いどじょういんげんの様であるが花は短く、コロッとした栗の実の花は長いことよ
 この歌は尺取り虫の身を屈める姿と合わせて見れば、長は短の元、短は長の元とでも読めばよいのでしょう。
 曽田先生の沈成躰に対する解釈は、敵に対し嵩に掛っていくのではなく、身を沈め、気を落ち着ける事だと仰っています。

その様な心で以って工夫するべきものである。相手が大きく出れば小さく、小さく出れば大きく、或は小さく小さくして大きく返していくなど陰合〆陽に相対して応じる位を知ることである。
 出たとこ勝負の様な賭け事では勝負の位を知ることは出来ない。

 この沈成躰の様に心を沈めて見れば相手の心も読み取ることは出来るものである。
 兵法に曰く、端末を見る事が出来ない人は、状況を能く知る事は無い。
歌に
悟りを得て心が開けて無心と成れば、尋ねるまでも無く相手の動かんとする機を感じられるものだ。心に開いた花の色は求めず共、おのずと見えて来るものだとしゃれています。

 霜に埋もれた葎の下のコオロギのか細い声も聞こえてくるように、心を澄ませばわかるものだ。

 沈成躰は身の掛を低くする事のみでは無く、心を静め無心にする事の教えでしょう。土佐の居合の根底に流れる武術哲学が開き始めてきます。

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2016年10月17日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌7沈成躰

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
7)沈成躰(ちんせいたい)
 敵太刀打かたき切て掛るに沈成躰に勝有事の位にて教へし 工夫有へし
 古語に 寸の虫かゞむも身をのびん可為 歌に
 長からむさゝげの花は短くて
            短き栗の花の長さよ
(沈成躰→沈成体ナリ 敵ニ対し我体ヲ沈メ低クスルコト也・気を落チツケルコト也)
 工夫 有へし 古人も心は之内二有りとのたもふ也 ものとしたる                        (物賭したる)に勝負の位知る事なし 深く工夫有へし
 この沈成躰心よりよく敵の心見ゆるもの也
 兵法二曰 端末未見人莫能ク知ルコト と有り 歌に
 悟り得て心の花の開けなば
           たつねん先二色ぞ染むべき
 霜うづむ葎の下のきりぎりす
           有りかなきかのこえぞ聞ゆる
読み
 敵の太刀が打ち難く切って掛る時に、沈成躰に勝を得る事の位でもって教えるべし工夫有るべし
 古語に 寸の虫屈むも身を伸びんがため 歌に
 長からんさゝげの花は短くて
             短き栗の花の長さよ
 右の心にて工夫有るべし 皆陰合〆陽に出る位有るべし 古人も心は之の内にありと宣う也 ものとしたる事に勝負の位知る事なし 深く工夫有るべし
 この沈成躰心よりよく敵の心見ゆるもの也
 兵法に曰く 端末見ざる人能く知る事莫れと有り 歌に
 悟り得て心の花の開けなば
            尋ねん先に色ぞ染むべき
 霜うづむ葎の下のキリギリス
            有か無きかの声ぞ聞こゆる
 

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2016年10月16日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌6抜かずして勝

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
6)抜かずして勝
居合抜覚へるとはやく抜せす故に詰合の位能く執行有へし 只太刀を抜く計り思ふへから春抜春して勝の利あり 是事の位に教ゆへし
 人の我をとらへて抜さしと春る時必ず抜まし 我をとらゆる人を此方より取りたおすへし或ハ先二とられぬ位有るべし 敵の仕懸により春くにとゞまり勝事も有り 或は其気をさけて勝事も有りみな敵の仕懸に依るなり
 工夫有へし  歌に
 止ると思はゞ其所に止れ与 
           行と思はゞとくとくと行け
 あだとのみ人をつらしと何か思ふ
           心与我を憂きものと知れ
 右の心尓て工夫あるへし 然れ共剛力或ハ色々と理屈を云ふ人有らば皆我が敵と知れ 然れ共夫々に心を取られ迷ふ事勿れ  歌に
 無用なる手詰の論を春へから春
           無理な人二ハ勝って利はなし
読み解く
*
 居合抜を覚えると素早く抜くことばかりを、良しと思いこんでいる人が多いものです。早く抜かさずに詰合の位をよく稽古してその心持を覚えさせなさい。
 この詰合とは詰合之位よりむしろ大小詰・大小立詰をさしている様です。
 居合とは唯太刀を抜き付ける事だとばかり思うのではなく、刀を抜かずに勝つ事(業)の利を、稽古する中で教える様にするべきである。
 相手が我を捕えて抜かさない様にする時、必ず抜かない様に心掛ける事、我を捕える相手を此方から捕えて倒すのが良い。或は相手が捕りに来るのを捕られない様にする位もあるものだ。
 敵の仕懸けてくる事に、乗せられずにとどまり勝つことも有る。或は相手の誘いの気を避けて勝事も有る。それらは皆敵の仕懸けに依る物である。
工夫すべきである。 歌に

止まると思うならばそこに止まって、行かんと思うならば速やかに行け。
相手の仕掛に左右されるのは我が心に相手に乗せられる隙があるのだ。

その様な心にならない様に工夫するものではあるが、力ずくでいろいろ理屈を云う相手であれば、皆我が敵と思い知って、それぞれに心を取られて迷う事の無い様にするのである。

歌に

必要もないのに、激しく攻め立てて論ずべきでは無い、理に疎い人には譬え勝っても利するものは無いものだ。


土佐の居合は居合抜ばかりではなく、相対しての組太刀も太刀打之事・詰合・大小詰・大剣取・和など総合武術が習い易いように順番通りに整理されています。既に江戸末期から明治にかけて失伝してしまい、伝書も良く判らなかったのでしょう。同時に、総合武術は分解されてしまい、夫々専門の分野を作り上げて来ています。

 第17代大江正路先生はそれらを纏めて無双直伝英信流居合形を独創されたと言われますが、いかに習いやすくともそこまでに過ぎません。

 戦前に曽田虎彦先生はそれらを書き付けた伝書類を書写していました。
 知り得た人によって密かに稽古されていた様です。居合だけでは飽き足らない人によって復元されればよかったのですが、身近に他の武術があればそれを導入してしまい可笑しな理屈を以て事為れりとしてしまった所もある様です。従って今回の「抜かずして勝」の項目は読み解かれても「ちんぷんかんぷん」の居合剣士が殆どでしょう。

 刀を帯して仮想敵に向って抜き付けるばかりです。竹刀剣道などやって来られた人はせっかく刀を持つにも拘わらず、相対せば「当てっこ」の跳び込み面ばかりです。
 
 この神傳流秘書には、歌心から始まります。日本の誇る和歌さえ稽古の際、語れる師匠に出会ったことが有りません。
 仕組と云われた組太刀もいつの間にか演武会の皮切りの演舞となり、笛を合図の合同演習に化しています。居合をより対敵相手の武術とし、抜き付けでしくじっても応じられる形稽古も軽んじられています。まして刀を抜かない詰合いなど何処へやら行ってしまっています。「和」の位など居合では無いと・・・
 棒振りに甘んじて「坊!何時まで棒振りしとる」と90歳を過ぎた老母に諭されて頭を抱えて恥じ入るばかりです。
 武術は、「無刀」に至り、人の究極のコミュニケーションの手段を越え人と「和」す神妙剣に至るものとして生涯修行する価値があるものだろうと思います。
 
 

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2016年10月15日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌6抜かずして勝

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
6)抜かずして勝
 居合抜覚へるとはやく抜せす故に詰合の位能く執行有へし 只太刀を抜く計り思ふへから春抜春して勝の利あり 是事(業)の位に教ゆへし
 人の我をとらへて抜さしと春る時必ず抜まし 我をとらゆる人を此方より取りたおすへし或ハ先二とられぬ位有るべし(トラセテカツコトモアリ) 敵の仕懸により春くにとゞまり勝事も有り 或は其気をさけて勝事も有りみな敵の仕懸に依るなり
 工夫有へし  歌に
 止ると思はゞ其所に止れ与 
           行と思はゞとくとくと行け
 あだとのみ人をつらしと何か思ふ
           心与我を憂きものと知れ
 右の心尓て工夫あるへし 然れ共剛力或ハ色々と理屈を云ふ人有らば皆我が敵と知れ 然れ共夫々に心を取られ迷ふ事勿れ  歌に
 無用なる手詰の論を春へから春
           無理な人二ハ勝って利はなし
読み
 居合抜き覚えると、早く抜かせず、故に詰合の位能く執行あるべし、只太刀を抜くばかり思うべからず、抜かずして勝の利あり 是れ事(業)の位に教ゆべし
 人の我を捕えて抜かさじとする時、必ず抜くまじ、我を捕らゆる人を此方より取り倒すべし、或は先に捕られぬ位有るべし(取らせて勝つ事もあり)、敵の仕懸けにより直に留まり勝つ事も有り、或は其の気を避けて勝つ事も有り皆敵の仕懸けに依るなり
 工夫有るべし 歌に
 止まると思はば其所に止まれよ
             行くと思はばとくとくと行け
 仇とのみ人を辛しと何か思う
             心よ我を憂き者と知れ
 右の心にて工夫あるべし 然れども剛力或は色々と理屈を云う人あらば皆我が敵と知れ、然れども夫々に心を取られ迷う事勿れ 歌に
 無用なる手詰の論をすべからず
             無理な人には勝って利は無し
 
 
 

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2016年10月14日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌5居合之極意

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
5)居合之極意
敵と出会ふ時かならす討勝と思ふへからず況や恐るゝ古となし間二不加豪末を雷電石火の如くちらりと我が心に勝時無二無三に打込事居合之極意也 
 然れ共只切込ていなし是二柄口六寸の習なり此習を以敵の場へふん込み討也
 偏二大海を渡る二陸(かけ)にて行けは命を失ふ故に舟に乗りて行也
 居合柄口六寸之の大事偏二彼の舟の心持としるへし 然れ共舟にてかなら春渡海春と思ふへからず 歌に
 
 乗り得ても心ゆる春な海士小舟
 
            浪間の風の吹かぬ日ぞなき
 
 右波間の風強く合点しては舟ものら春 古歌に
 
 有となしと堺を渡る海士小舟
 
            釘も楔も抜希果てにけり
 
此の心にてよく工夫有るへし 口伝
 
読み解く

 敵と出合っても、必ず勝つなどと思うべきでは無い。況や恐ろしいなどと思うことなく、少しの隙も作らず雷や火打石の飛ぶ火の様に、ちらりと我が心に勝を得る物があれば無二無三に打込むのが居合の極意である。
 然し只打ち込み往なせばいいという事では無く、是に柄口六寸の習いを以て敵の場へ踏込み討つのである。
 ひとえに大海を渡るに、陸から行けば命を失うので、舟に乗って行くようなものである。
 居合の柄口六寸の大事は、ひとえに彼の舟の心持ちを知らねばならない。そうではあるが、舟で必ず海を渡れると思うものでは無い。歌に 

 せっかく舟に乗ったとしても心を許してはならない、海士の乗る舟は、波間の風に翻弄されない日などは無い。

 この様に、浪間をふく風に合点して、舟に乗らずに行く 古歌に

 生死の境を渡る海士小舟は、浪間の風に吹かれて釘も、楔も抜け落ちる事も在る。

此のような心で工夫するものである。口伝


柄口六寸の極意で勝てると心に持てた時無二無三に打ち込めと云いながら、それでも簡単では無いぞ、障害が待ち受けている事も有るぞと諫めています。

 自分で考えて工夫せよと言いつつ、これには何か口伝があったかも知れません。土佐の居合の奥をこれから辿って行きます。其の中にこれぞという教えが有るかも知れません。今は只無二無三に柄口六寸に打込む稽古を続けてみます。

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2016年10月13日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌5居合之極意

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
5)居合之極意
 敵と出会ふ時かならす討勝と思ふへからず況や恐るゝ古となし間二不加豪末を雷電石火の如くちらりと我が心に勝時無二無三に打込事居合之極意也 
 然れ共只切込ていなし是二柄口六寸の習なり此習を以敵の場へふん込み討也偏二大海を渡る二陸(かけ)にて行けは命を失ふ故に舟に乗りて行也
 居合柄口六寸之の大事偏二彼の舟の心持としるへし 然れ共舟にてかなら春渡海春と思ふへからず 歌に
 乗り得ても心ゆる春な海士小舟
            浪間の風の吹かぬ日ぞなき
 右波間の風強く合点しては舟ものら春 古歌に
 有となしと堺を渡る海士小舟
            釘も楔も抜希果てにけり
此の心にてよく工夫有るへし 口伝
*読み
 敵と出会う時かならず打ち勝つと思うべからず、況や恐るゝ事なし、間に豪末も加えずに雷電石火の如く、ちらりと我が心に勝時、無二無三に打ち込む事居合の極意也。
 然れども、ただ切り込みて往なし、是に柄口六寸の習いなり、此の習いを以て敵の場へ踏込み討つ也。
 偏に大海を渡るに陸(りく)にて行けば命を失う、故に舟に乗りて行く也。
 柄口六寸の大事、偏に彼の舟の心持ちと知るべし、然れども、舟にて必ず渡海すと思うべからず 歌に
 乗り得ても心ゆるすな海士小舟
               浪間の風の吹かぬ日ぞなき
 右波間の風強く合点しては舟ものらず 古歌に
 有と無しと境を渡る海士小舟
               釘も楔も抜け果てにけり
 此の心にてよく工夫有るべし 口伝
 
 

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2016年10月12日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌4敵に従う

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
4)敵に従う
敵にしたがって可勝心持 春風を切ると云ふ 古歌
風吹は柳の糸のかたよりに
         なびくに付て廻る春かな
強身にて行當るおは下手と知れ
         まりに柳を上手とそいふ
*読み解く
敵の攻撃に従って勝べき心持を、春風を切ると云うのである。 古歌に
 
 敵に従って勝べき心持とは、少々異論もありますが、「春風を切る」と云う事では無学祖元の電光影裏斬春風(電光影裏春風を斬る)になぞらえたのでしょう、参考に。
 「鎌倉の無学祖元禅師が大康の乱に捕へられて斬らるゝ時、無学辞世に右の頌を作られたれば太刀を捨て拝したと也。
 無学の心は太刀をひらりと振り上げたるは電(いなびかり)の如くに電光のピカリとする間、何の心も何の念もないぞ、打つ太刀にも心はなし、我身にも我はなし、斬らるゝ我にも心はなし、斬る人も空、打たるゝ我も空なれば、打つ人も人にあらず、打太刀にもあらず、打たるゝ我も我にあらず、唯いなびかりのピカリとする内に、春の空吹く風を斬ったらば、太刀に覚えもあるまい、斯様に心を忘れきりて萬(*よろず)の事をするが上手の位なり。」(武術叢書)

 この無学祖元の電光影裏斬春風の句は次のとおりです。
乾坤無地卓狐節 乾坤狐節を卓するの地無く
喜得人空法亦空 喜得す人空法亦空
珍重大元三尺剣 珍重す大元三尺の剣
電光影裏斬春風 電光影裏春風を斬る

 風が吹くと、柳の細く柔かい枝が風下に吹き寄せられていく、その糸の様に靡く様子に春の巡り来るのを感じている。
 この歌は武道の歌で有名ですが、歌としても風になびく柳に春の巡り来った喜びを歌っていて思わず、肩の力が抜けて行く様です。相手の動きに従って応じているうちに、打つべき時が巡り来ると云うのでしょう。
 ・
 体中に力強さを漲らせて遮に無に当たって行くようでは下手と知るべきものです。柳の細い枝に鞠が当たっても、何心なく受け流して知らず気にある様な無心なものを上手と云うのである。
 この歌は、奥州の新庄藩に残された林崎新夢想流之の伝書(元禄14年1701年)「秘歌之大事」にも記載されています。
 田宮流居合歌之伝には「居合とはつよみよわみは定まらず 兎にも角にも敵によるべし」とも歌っています。
 
 剣術には、一方的に相手を斬る殺人刀、と、相手を働かせて、その働きにしたがって勝つ剣の活人剣がある。宮本武蔵と柳生兵庫の違いではないかと場の生命論の清水博先生は仰っています。
 
 力一杯、刃鳴りを響かせて、肩や腕の筋肉を強張らせ、如何にもとする居合を見て居ます。「元気で良い」とばかりに褒め、褒められています。外されれば忽ち敗れてしまいそうです。師匠も弟子もいつ「まりに柳」を悟のでしょう。
 かと言って、ゆるゆるしているばかりで、「ゆっくり・大きく・正確に」では初心者の演(武?)ではともかく、ものの役には立ちそうにありません。これもいつ悟るのでしょう。
風を歌った歌を幾つか
吹けば行く吹かねば行かぬ浮雲の
       風にまかする身こそやすけれ
(中川申一著 無外流居合道解説より)
吹く風も雪も霰も咲く花も
       勤むる業の工夫とはなる
柔らかく握れる人の太刀先は
       風に吹かるる青柳の糸
強きより弱気を己が力にて
       風にはおれぬ青柳の糸
乗得ては波にゆらるるあま小舟
       ただ浦々の風にまかせて
(阿部 鎮著 剣道の極意より)
 

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2016年10月11日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌4敵に従う

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
4)敵に従う
敵にしたがって可勝心持 春風を切ると云ふ 古歌
風吹は柳の糸のかたよりに
         なびくに付て廻る春かな
強身にて行當るおは下手と知れ
         まりに柳を上手とそいふ
*読み
敵に従って勝べき心持 春風を切るという 古歌
風吹かば柳の糸の片寄りに
          靡くに付きて廻る春かな
強みにて行き当たるおば下手と知れ
          鞠に柳を上手とぞ云う

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2016年10月10日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌3白鷺心

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
3)白鷺心
 居合太刀打共 白鷺心(ト云フコトアリ) 口伝 古歌に
思ふれと色に出に希り我が恋は
          ものや思ふと人のとふまで
数ならて心をば任せねど
          身に従ふは心なりけり
 居合太刀打共 水月の大事  口伝 古歌に
水や雲空や水とも見えわかす
          通ひて住める秋の夜の月
おしなへて物を思はぬ人にさへ
          心をつくる秋のはつ風
 右の心にて悟べし我は知らね共敵の勝をしらする也其處水月
白鷺□習有べし 又工夫すべし
*読み解く

 居合や太刀合では、白鷺の心も大切で口伝がある、古歌に
 心の中に秘めていても、我が恋心は、もの思いに耽って居るなあ、と人には知られてしまう。
 心に身を任せていても、どちらかと云えば身に心が従ってしまう。白鷺の様に無心に水辺に立つことが白鷺心である。

 居合や太刀打では、水に写る月の様な心も大事である。
湖水に有るのか、空に在るのか、区別のつき難い澄んだ秋の月の様に。
 
 物を思うとも思えない様な人でさえ、秋の風にふと感じる様に、秋が来たとは眼には定かではないが風の音に秋を感じる、敵の心の動きを見分ける心を持つことだ。

 この様な心を悟る事、我は知らなくとも、敵がその心を知っていれば、敵に勝をもたらす事になる。
 其の心を以て水月、白鷺心の習いをするべきものである、又、工夫すべし。

 敵と相対し、間境における心持ちの教えでしょう、敵の心を映しとってここぞという瞬間に抜き打つ居合心など現代居合で教示された記憶はありません。
 「何時まで棒振りしているのだ、古伝を勉強せい」と諭されている気がします。 

 水月を歌ったものは幾つもある様です。

自ら澄めるものからうつるとは
               月も降らず水も昇らず
(柳生延春著 柳生新陰流道眼 )

うつるとも月も思はずうつすとも
              水も思はぬ猿沢の池
目には見えて手には取られぬ水の中の
              月とやいはん流儀なるべし
(田宮流百足傳 中川申一著 無外流居合兵道解説)

水月をとるとはなしに敵と我
              心の水に澄むにうつらふ
(妻木正麟著 詳解田宮流 田宮流歌伝口訣)
うき草はかきわけ見ればそこの月
              ここにありとはいかで知られん
(妻木正麟著 詳細田宮流 田宮流居合 歌之伝)

早き瀬に浮かびて流る水鳥の
              嘴振る露にうつる月かげ
敵をただ打と思うな身を守れ
              おのづからもる賤家の月
(笹森順造著 一刀流極意)

浦風や浪の荒磯の月かげは
              数多に見えてはげしかりけり
(阿部 鎮著 歌伝剣道の極意)

 

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2016年10月 9日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌3白鷺心

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
3)白鷺心
 居合太刀打共 白鷺心(ト云フコトアリ) 口伝 古歌に
思ふれと色に出に希り我が恋は
          ものや思ふと人のとふまで
数ならて心をば任せねど
          身に従ふは心なりけり
 居合太刀打共 水月の大事  口伝 古歌に
水や雲空や水とも見えわかす
          通ひて住める秋の夜の月
おしなへて物を思はぬ人にさへ
          心をつくる秋のはつ風
 右の心にて悟べし我は知らね共敵の勝をしらする也其處水月
白鷺共習有べし 又工夫すべし
*読み
 居合太刀打共に 白鷺心 口伝 古歌に
思うれど色に出にけり我が恋は
          ものや思うと人の問うまで
数ならで心をば任せねど
          身に従うは心なりけり
 居合太刀打共に 水月の大事  口伝 古歌に
水や雲空や水とも見え判(別)かず
          通いて住(澄)める秋の夜の月
おしなべて物を思わぬ人にさへ
          心をつくる秋のはつ風
 右の心にて悟るべし我は知らねども敵の勝を知らするなり、その處水月
白鷺共に習い有るべし 又工夫すべし

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2016年10月 8日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌2心水鳥

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
2)心水鳥
心水鳥
右の心は水鳥に気を付工夫有べし  古歌に
帆を掛て急ぐ小舟に乗らずとも
         行水鳥の心知るべし
水鳥の水に春めとも羽はぬれ須
         海の魚とて汐はゆくなし
*読み解く
 水鳥の心は、水鳥に気を配り、よく見て工夫するべきである。 古歌に
 帆を掛けて風をはらみ、船足早く行く小舟に乗って突き進むのではなく、水に浮かぶ水鳥の様に何事も無き様に水面を漂いながら水面下では足を使いながら目的に向って行く水鳥の心を知るべきである。

 水鳥が水に住んでいても羽が水に濡れる事はない、海の魚であっても同様に塩に浸されない様に、自然体で己を失わない事が肝要である。
 歌の意味から察するに和歌を嗜んでいたか、武術の極意の歌から引用されたか、荒井勢哲清信から伝授されたものか、でしょう。
 平常心を以て何時如何なる変にも応じられる心を歌っているのでしょう。
 習い始めた頃に古参の訳も分からない先輩から居合は、「古来より三呼吸の教えがある」と云って「二呼吸をして、三度目の息を吸い終わる頃に刀を抜き始める・・」とやっているでしょう。
 中には「機(気)充れば・・」とか言いますが、さてこれでいいのでしょうか、一方的な不意打ちならいざ知らず、居合は「何時如何なる変にも応じられる」ものであるならばこの教えは道に至る初期の教えであり、同時に常の稽古にも適用され、いざという時にも無意識になされるものであるべきです。そんな自覚も無く、敵が斬りつけて来るのにいつまでも二呼吸半ですか・・。
 
 話しは少し、ずれてしまいますが審査会や競技会で、敵を憎むが如き凄まじい顔つきで臨む心得違いを見る事が有ります。
 美しいご婦人ですと将に「般若」です。お聞きしますと、「敵は憎むもの」だそうです。また中には稽古不足を棚に上げ「気力でカバーしたら顔に出ましたか?」だそうです。
 これも、仮想敵を意識した居合を目指す、途中経過で陥る心得違いでしょう。
 
 他流にこのような水鳥の歌があればと思うのですがいくつか・・。
水鳥の行くも帰るも跡絶えて
         されども道は忘れざりけり
 
ただ見れば何の苦もなき水鳥の
         足に暇なきわが思ひかな
 
手は待に足は懸にてたゆみなく
         往く水鳥の心なるべし
(歌伝 剣道の極意 阿部 鎮)より
 

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2016年10月 7日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌2心水鳥

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
2)心水鳥
心水鳥
右の心は水鳥に気を付工夫有べし  古歌に
帆を掛て急ぐ小舟に乗らずとも
         行水鳥の心知るべし
水鳥の水に春めとも羽はぬれ須
         海の魚とて汐はゆくなし
*読み
心水鳥
右の心は水鳥に気をつけて工夫するものである 古歌に
帆をかけて急ぐ小舟に乗らずとも
           ゆく水鳥の心知るべし
水鳥の水に住めるとも羽はぬれず
          海の魚とて汐はゆくなし

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2016年10月 6日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌1柄口六寸

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
1)柄口六寸
抜刀心持引歌
荒井清信公言ふ夫居合をば手近き勝負柄口六寸の大事あり其の形を事となし
前後左右之を知り先居合抜申形は(丸の中に三角)如斯
1 身を正しくして抜申形肝要也
つり□をタトエバ 面 薄桜
1 居合之位 身の掛り 鉢木 口伝
*読み解く
 抜刀心持引歌 
 荒井清信公が言うには、居合とは、近間の敵との勝負をするもので、根元之巻にある極意である柄口六寸、敵拳への抜き打ちに大事がある。その形は、前後左右の状況を知って三角の曲り尺の如く抜くことである。
 いたずらに気色を露わにせず、顔は怒気を含まず、恐れて青ざめず、薄桜であるものだ。
 居合の位、身の有り様は、鉢の木の口伝の如く敵と相対すべきものである。
「鉢の木 佐野に住む貧しい老武士佐野源左衛門常世の家に、ある雪の夜、旅の僧が一夜の宿を求めて来る。常世は粟飯を出し、大事にしていた鉢植えの木を切って焚き、精一杯のもてなしをする。
 常世は僧を相手に、今でこそ落ちぶれたとはいえ一旦事あらば痩せ馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け命懸けで戦う所存であると語る。その後鎌倉から召集があり、常世も駆け付ける、あの僧は実は前執権北条時頼だったことを知る」
お能の出し物ですが、「おもてなしの心を」以て敵を迎えろと云うのです。
 書き出しは、抜刀の際の心持ちを歌で示すというのでしょう。そして居合の根元を柄口六寸である敵の拳へ抜き打ちに抜刀して勝つ事を示唆しています。現代居合の指導者から聞かされた事も、見本を示された事も無い、土佐の居合の書き出しです。
 この一文を目にした時、柳生新陰流の柳生兵庫助利厳が尾張大納言義直候に第四世を相伝する際に進上した[始終不捨書」の神妙剣五之習大事の四項目に「六寸之大事」を思い出しました。
 「是は吾が太刀先三寸を以て敵の拳の三寸を打つ事也」と外伝口伝書にあると柳生延春先生の柳生新陰流道眼に書かれています。
 拳に勝事は、介者剣法においても、素肌剣法においても、当然居合においても戦力を奪ってしまう有効な刀法であったと思われます。
  居合の始祖林崎甚助重信から伝わる根元之巻に「腰刀以三尺三寸勝九寸五分表六寸而勝之妙不思儀之極意」と柄口六寸の勝ちを極意としています。
 土佐の居合の最も古い伝書は、現在の処この神傳流秘書だろうと思われます。荒井清信公から書き出されています。土佐の居合の第8代荒井勢哲清信のことでしょう。
 この神傳流秘書を書いた或は伝えた人は、荒井清信に師事した事を伝えているのでしょう。
 土佐の居合の系統は、1代目林崎神助(甚助)重信-2代目田宮平兵衛尉業政-3代目長野無楽入道槿露齋、ここまでは奥州と同じでしょう。

 以降は、4代目百々軍兵衛尉光重-5代目蟻川正左衛門宗続-6代目萬野團右衛門信定-7代目長谷川主税助英信-8代目荒井勢哲清信-9代目林六太夫守政-10代目林安太夫政詡、とされています。
 4代目から8代目までは殆どその出自は不明だろうと思います。

 戦国時代が家康によって終焉し、主君を持つ武士と、浪人した武士達、もともと農民であったであろう足軽などの下級武士など、正規の武士と農民との境界線にいた人々、宮本武蔵の様な主君を持たない武芸者などが、江戸初期から中期へかけて、よきに付け悪しきにつけ横行したのだろうと思われます。
 そんな武芸者の一人荒井勢哲清信に、土佐藩の御料理人頭知行八十石の林六太夫が江戸勤番の折りに居合兵法を習ったのだろうと思います。

 林崎甚助重信が抜刀の妙を悟り元服して林崎流を名乗ったのが永禄2年1559年頃(林崎明神と林崎甚助重信より)であったとするならば、土佐の林六太夫守政は享保17年1732年に70歳で亡くなっていると云います(平尾道雄著土佐武道史話より)。生まれは寛文2年1662年でしょう。すでに林崎甚助重信始祖から100年以上の歳月が経って居ます。

 戦の無い時代の武芸ですから、この頃はすでに芸事としての精神性が非常に高くなっています。それが、この神傳流秘書の書き出しにも表れている気がします。
 林六太夫の養子で10代目林安太夫政詡は安永5年1776年に亡くなっています。
 老父物語で始まる、林安太夫政詡の居合兵法極意秘訣が明和元年1764年頃に書かれています。

 神傳流秘書を父である六太夫が書いたものならば、六太夫が30代から50代でしょう。
推定すればこの神傳流秘書は元禄3年1690年頃から明和元年1764年までに書かれているのでしょう。
私は、9代目林六太夫守政では無く、養子の10代目林安太夫政詡の執筆ではないかと確証もなく思います。その原本を山川久蔵幸雅が文政2年1819年に書き写したものなのでしょう。
 原本は既に無く、山川久蔵幸雅の写本が、幾つか写しを重ねて現在まで伝承していると思われます。

 

 

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2016年10月 5日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌1柄口六寸

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
1、抜刀心持引歌
1)柄口六寸
抜刀心持引歌
荒井清信公言ふ
夫居合をば手近き勝負柄口六寸の大事あり其の形を事となし
前後左右之を知り先居合抜申形は(丸の中に三角)如斯
1 身を正しくして抜申形肝要也
つり□をタトエバ 面 薄桜
1 居合之位 身の掛り 鉢木 口伝
 読み
抜刀心持引歌
荒井清信公言う
夫れ居合おば手近き勝負柄口六寸之大事あり、其の形を事と為し
前後左右之を知り先ず居合抜き申す形は(丸の中に三角)
1、身を正しくして抜き申す形肝要
つり□を例えば 面 薄桜
1、居合之位 身の掛り 鉢の木 口伝

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2016年10月 4日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く表紙

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
表紙
表紙
 
下村派
   第十六代宗家  曽田虎彦
                  筆山
夢想神傳流抜刀術
無双直傳英信流居合術
英信流居合秘書
 
   土佐居合兵法叢書
此の書者他尓見る事を得ざる
山川幸雅(先生)ノ口伝秘書を写しえたり
志之二固り不残抄録□る□□□□へ□也
土佐居合兵法秘書写     曽田印
        山川幸雅先生
        谷村亀之丞先生
       抜刀心持引歌
       居合
       居合組
       棒合
       棒太刀合
      山川幸雅先生相伝
      神傳流秘書写
文政二己卯之歳十一月吉祥日 山川幸雅述
本書は他に見えざる秘本にて原本はたぶん戦火にて
焼失せるか大事々々

 
表紙は厚紙に下村派第十六代宗家の曽田虎彦筆山とペン書されています。下村派第十四代下村茂市定の弟子であった曽田先生の師匠行宗貞義が下村派第十五代を紹統印可されていたかは不明です。
 江戸期から明治にかけて土佐の居合に宗家という考え方があって公に認められていたとは思えません。
「下村派
   第十六代宗家  曽田虎彦
                  筆山」
 恐らく、土佐藩及び土佐藩主への指導をする師範の許しが藩から谷村派若しくは下村派に下されたかと思います。
曽田先生については、行宗貞義門下として活躍されたであろうが免許皆伝(根元之巻及び目録)を師匠から授与されていれば、この曽田本にその内容が記載されたであろうと思いますが何処にも記述されていません。
 記載されているのは曽田本その1では、谷村樵夫自庸より曽田先生の実兄小藤亀江に明治34年1901年に授与された根元之巻き及び目録。
 曽田本その2に大江正路先生から大正10年1921年鈴江吉重へ送られた居合術根元之巻及び目録です。
 行宗貞義先生から明治37年1904年中村虎猪へ授与された大森流居合術、長谷川流居合術の中伝の写しです。
 自分の免許皆伝が記載できていない事に疑問を感じます。
 その反面弟子であった山本俊夫幽泉の残した昭和18年から20年のメモの「無双直伝長谷川英信流居合術極秘」には「昭和19年8月10日外出日に曽田先生宅を訪問、英信流に就て種々拝聴協議を下したる後秘蔵伝書、極意書其の他、数百年以前の貴重なる巻物を拝見の光栄に浴す、又、英信流居合目録一巻を授ける、と申しくれた、早くほしいはやくほしい」と書かれています。
 「英信流目録」とは何を意味するのか解りませんが、曽田先生は下村派の道統を引き継ぐ者としての自覚の上での発言でしょう。
 次に続く流名とその術については、この曽田本その1をどの様な題名で位置づけるべきか模索したのだろうと思います。
「夢想神傳流抜刀術、無双直傳英信流居合術、英信流居合秘書、土佐居合兵法叢書
此の書者他尓見る事を得ざる
山川幸雅先生ノ口伝秘書を写しえたり
志二固り不残抄録□る□□□□へ□也」
 この曽田本その1には、「居合兵法伝来」という項目があってそこには「目録には無双神伝英信流居合兵法とあり 是は本重信流と言うべき筈なれど長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」と有ります。
 そうであれば、土佐の居合の流名呼称は「無双神伝英信流居合兵法、又は、無双神伝重信流」でしょう。
 何を迷われたのか疑問です。大江正路先生に依る「無双直伝英信流居合兵法」、中山博道先生に依る「夢想神伝流」の流名呼称が聞こえていた時代ですからそれらに対する配慮かも知れません。
 山川久蔵幸雅による「土佐の伝書の写しを残らず写した」と書かれていますが、経年変化で読み切れません。
土佐居合兵法叢書
この一行から河野百錬先生は「無双直伝英信流居合兵法叢書」の題名を曽田本に冠したと思われます。
此の書者他尓見る事を得ざる
山川幸雅(先生)ノ口伝秘書を写しえたり
志之二固り不残抄録□る□□□□へ□也
土佐居合兵法秘書写     曽田印
        山川幸雅先生
        谷村亀之丞先生
       抜刀心持引歌
       居合
       居合組
       棒合
       棒太刀合
      山川幸雅先生相伝
      神傳流秘書写
文政二己卯之歳十一月吉祥日 山川幸雅述
 次の処もまだ迷って居る様です。そして、最後に「神傳流秘書」の写しで文政2年1819年11月吉祥日に 山川幸雅が記述したものであるとしています。
 原本は、持ち主に返却されたのでしょうかいずれにしても高知空襲で「原本はたぶん戦火にて焼失せるか 大事々々」とメモを残されています。
*
 曽田本その1は、土佐の居合の古伝「神傳流秘書」及び伝書類から書き写されたものです。
 この伝書の出処が何処にも記載がなされていないのは残念なことです。
 史料としての価値はどうでもよい事です、其処に書かれている土佐の居合心は現代居合を師匠の真似事で済ましている事に其れこそ「違う!」と叱責を飛ばしてきます。
 細川家より借りられた木村栄寿本と内容に違いは無いので元は同じものから何度も書き写され、巻物に仕立てられるさい、書写した者により好みの表題を付けられたと思います。
 これらのものを、山川久蔵幸雅によるニセものと云う人もいるようです。全巻読み終えてみればご自分こそ偽物を稽古されている事に気が付くはずです。
 
 此処では、末尾にある山川幸雅先生相伝  神傳流秘書写  文政二己卯之歳十一月吉祥日」 を元に第九代林六太夫守政が土佐に持ちこんだものは「神傳流秘書」に有とします。

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2016年10月 3日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文表紙

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
表紙
表紙
 
下村派
   第十六代宗家  曽田虎彦
                  筆山
夢想神傳流抜刀術
無双直傳英信流居合術
英信流居合秘書
 
   土佐居合兵法叢書
此の書者他尓見る事を得ざる
山川幸雅(先生)ノ口伝秘書を写しえたり
志之二固り不残抄録□る□□□□へ□也
土佐居合兵法秘書写     曽田印
        山川幸雅先生
        谷村亀之丞先生
       抜刀心持引歌
       居合
       居合組
       棒合
       棒太刀合
      山川幸雅先生相伝
      神傳流秘書写
文政二己卯之歳十一月吉祥日 山川幸雅述
本書は他に見えざる秘本にて原本はたぶん戦火にて
焼失せるか大事々々
 

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2016年10月 2日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く始めに

曽田本その1
1、神傳流秘書を読み解く
始めに
「曽田本」について
 我々が今仮に「曽田本」と呼び、ミツヒラ先生の解読・解説による無雙直傳英信流・下村派第十六代・曽田虎彦先生が著し残された資料を、広く世に示せることとなりました。
 この「曽田本」は仮に第一部(その1)と呼ぶ、曽田虎彦先生が戦前・戦後に渡り収集された伝書・資料を御自身で筆写し解説を付した一冊。
 更に第二部(その2)と呼ぶ、曽田先生の師である下村派第十五代・行宗貞義先生からの教えと各業の手引きと解説。行宗先生の写真、新聞の切り抜き記事など居合と武道関係の資料スクラップ。更に表紙袋に中山博道、河野百錬氏等若干の書簡等が納められた一冊。の計二冊から成ります。
 元この「曽田本」は、曽田先生の御長男土居龍彦氏が保管・所持されていました。
 昭和46年1971年当時、無双直伝英信流・大田次吉門下の中田敏之さんが同じ職場で土居氏と知り合いでした。
 中田さんが大田先生の元に入門し居合を始めたことを知った土居氏から「自分の父、曽田虎彦から預かっている居合の資料を持っている、私は居合をやらないし、書いてある内容もわからないので、中田さんが持っていてくれないか」と託されて所蔵することとなりました。
 後日、このことを大田先生に問うと、「曽田虎彦先生は下村派の名人といわれる有名な先生だ」と教えられ中田さんはその資料の価値を知り、大切に保管することを助言をされました。
 「曽田本」の一部分はコピーをされて、山本宅治先生門下で大田先生の兄弟弟子である香川の岩田憲一、高知の竹嶋寿雄の両先生等にも参考として贈られたりもしています。
  その後40年余り中田さんにより保管されていた「曽田本」は、一時その行方が判らなくなり、処分されそうになるなど数奇とも云える経過を経て、現在は中田さんから更に託された同門の小林士郎が所蔵し保管するに至っています。
 さてその曽田本の内容ですが、小林は託される以前から全編をコピーさせてもらい読み取る努力をしていました。しかし曽田先生は明治の人です。残念ながら戦後生まれの小林等にはその内容を読み取る以前に、曽田先生が手書きされた文字そのものを十分に解読することが出来ないでいました。つまりこの「曽田本」は宝の持ち腐れ状態にありました。
 曽田本を保管する小林と無雙直傳英信流のミツヒラ先生はかねてより、門流は違いますが無雙直傳英信流の同流としての交流稽古会などを行う関係にありました。
 この度、そのミツヒラという正に人を得、その居合に対する深い御研究と知識による全編の解読のみならず、解釈と解説を加えより深い読み込んだといえる「曽田本・解(仮)」がここに成りました。
 この明らかにされた「曽田本・解(仮)」が広く居合人士のみならず武道修行者に読まれ、その居合や武道の修行に資する事は、泉下の曽田虎彦先生の御意志にも適うものと信じます。
                                            小林士郎
追)曽田先生御遺族の許諾も受けて。
 この序文は無双直伝英信流の大田次吉先生を偲ばれて「玉誠録 我等が師・大田次吉先生伝」の著者小林士郎先生に依りこの曽田本を世に出すに当たり書き込まれたものです。
 
 平成23年2011年12月18日の暮れも押し詰まった頃でした。小林士郎先生から送られてきた曽田本のコピーは、一目見て読み解くには難解でも、江戸期の文章なので読めさえすれば何とかなると取組みました。
 丁度良い事に翌年平成24年2012年の正月明けの1月23日に胃に癌があると云う事で、都立駒込病院に入院する事になっていましたので、これ幸いと手術後のベットの上で五体字類と、かな連綿辞典を片手に一週間ほどで読み終えて、1月31日に退院して、2月半ばから原文読み下しをブログにアップしました。
 原文だけでは戦後教育を受けた者には取付き難い事から、解説版を平成25年2013年から平成27年2015年にかけてアップしました。
 解説をするに当たり、現代居合だけでは理解し難い事も有ろうかと、門を叩かせていただいていた、古流の総合武術を理解されておられる尾張柳生の関東支部長赤羽根瀧夫・大介父子両先生の教えがとても役立っています。
 曽田本を手にしてから五年経ちます。何度も読み直しているうちに新たに判った読みや古流を学ぶ事によって得られた動作がもう一度最初から書かなければ終れないと背中を押してきます。
 今回は、原文のままの漢字カタカナまじりのもの、カタカナを平かなに置き換えたもの、現代語に直したものを「原文の読み」としてカテゴリー「曽田本神傳流秘書原文」に纏めて行きます、其れを前日にアップし翌日はその解説を「曾田本神傳流秘書を読み解く」として解説して行きます。
 原文は河野百錬先生の「無雙直伝英信流居合兵法叢書」に順番は略同じ様になる筈です。
 細川家から借りられた伝書による木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流 伝書集及び業手付解説」とは構成及び資料が異なります。
 此の二冊とも原本読み下しが中心ですが「曽田本神傳流秘書を読み解く」では持てる資料を駆使し、是まで学んだ事を基に解説して行きたいと思います。
 終了予定は定かではありませんが、平成29年2017年秋だろうと思っています。
 小林先生は現在御身体を壊され、この「曽田本神傳流秘書を読み解く」にあたり、「より深く読み解いてほしい」と、私に原本を委ねられました。
 原本は一時預かりとして、どなたかは判りませんが次の世代に繋いでいく積りです。
 是まで多くの先生方から、コメントでのご指導や、お手持ちの資料を惜しげもなくコピーしてお送りいただいたり、門前に立てば快く業技法をご披露頂いてきました。
 その一つ一つを大切に、無雙直伝英信流と夢想神傳流のルーツを今一度辿って見たいと思っています。
 目の前に置かれた曽田虎彦先生に依って収集され、メモを書き込まれ、戦火を逃れた曽田本が80年余りの歳月を経て「もっと読んで土佐の総合武術であった居合を伝えてくれ、居合は刀を抜くばかりの闘争技術では無い」とセピア色の角が朽ちた表紙の中から呟く声がします。
 平成28年2016年7月29日記 平成28年2016年10月2日アップ
 
 

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2016年10月 1日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書原文始めに

曽田本その1
1、神傳流秘書原文
始めに
 曽田本というのは、土佐の居合の伝書を曽田虎彦先生がコツコツと収集し便箋に書き込まれた手書のメモ帳二冊のことなのです。其れを称して曽田本その1、曽田本その2と呼んでいます。
 曽田本その1は、土佐藩のお料理番であった林六大夫守政が土佐にもたらした長谷川主税助英信由来の無雙神傳英信流居合兵法の総合武術を書きとどめた神傳流秘書、歯抜けになっていますが英信流目録などの手附及び心得など奥義の伝書集です。
 曽田本その2は、曽田先生の師匠の行宗貞義先生由来の「大森流、長谷川流居合術解」を始めとする曽田先生の覚書のメモとなります。
曽田虎彦先生は、直筆の家系図から
土居楠吉正尚-長男 久寿次郎
         三男 亀江(小藤亀江のち土居亀江)
         -四男 虎彦(曽田虎彦)
・曽田虎彦先生は明治23年1890年生まれ
・明治36年1903年高知二中に入学、下村派の行宗貞義に師事す(13歳)
*高知二中には大江正路が剣道教授として居られた頃でしょう。
・明治41年1908年高知二中を卒業し高知武徳殿で行宗貞義の下で助教師となる(18歳)
・大正3年1914年行宗貞義没す(64歳)
*曽田虎彦(24歳)
・昭和10年1935年陸軍戸山学校展覧道場にて竹村静夫と太刀打之位を打つ(45歳)
・昭和13年1938年竹村静夫没す(39歳)
*午前2時頃行宗貞義先生の霊夢を見る(48歳)
・昭和18年1943年曽田虎彦大日本武徳会高知県支部居合術教師を委嘱(53歳)
・昭和23年1948年曽田虎彦、河野百錬に谷村亀之丞自雄の英信流目録を送る(58歳)
・昭和25年1950年曽田虎彦没す(60歳)
 この曽田本は、河野百錬先生に昭和23年に貸し出され昭和29年1954年に印刷され、
昭和30年に発行、昭和38年1963年に再版されている「無双直伝英信流居合兵法叢書」として非売品ながら世に出て居ます。
 また、曽田本のコピーは、全剣連の岩田憲一先生に曽田本を譲られた方から渡って、平成元年1989年「土佐の英信流 旦慕芥考」に名士の記録、曽田虎彦先生の遺書の中に記されていたものであるとして、新聞切り抜やメモがのせられています。
 政岡壱實先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻にも神傳流秘書からの引用が業手附に書き込まれていますが、河野百錬先生の無双直伝英信流居合兵法叢書と同じ文言ですから、叢書を参考にされたか、他に伝書を譲られていたか判りません。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流 伝書集及び業手付解説」は細川家から借りられて纏められたものです。
 曽田本には、伝書の出処が記載されていません。木村栄寿先生の字句とさしたる違いは無いのですが、この処が残念な処です。
 曽田先生は、第二次世界大戦に向ってひた走っていた時期に曽田本を纏められたと思われます。昭和20年1945年7月の米軍による高知空襲を受け多くの資料が焼失したと記載されています。
 曽田本は、戦後70年以上無双直伝英信流を修業する方々の手を経て来ており経年変化も激しくなっています。全ページをスキャンしてDVDに落としてありますが、原本は貴重な資料として残されるべきものと思います。大切に次の世代へ譲り渡せる迄お預かりしておきます。
 曽田本を読み込んでから足掛け5年の歳月が過ぎ、当初より少しは進歩したと自負して、再び全編を読み下し、解説をして行きたいと思います。
 平成28年2016年7月29日記 同年10月1日公開
 

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