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2016年10月20日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌8詭道

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心待引歌
8)詭道
居合も太刀打も敵と吾と立合といなや□(「是」 曽田メモ)道なくては勝事なし 然共上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まつ春く耳行間移行□道有り此処詞にのへ難し 数月数年の事修錬の功にて合点行へし能くよく日夜修行あるへき事なり 義公御歌 古歌二
 
 きおひくる敵二さりなく出あふな
           あひしらひしてしほをぬかせよ
 居合と申は第一に太刀抜かぬ以前二勝事大事也 歌二
 
 抜は切れ抜すバ切るな此刀
           たゝ切る事二大事こそあれ
 あまた尓て勝れざりしと聞しかど
           心明剱の太刀を楽しめ
 行違の右の抜事古人大事と言へり 工夫有へし 歌二
 夏日向冬日の影と歩むへし
           独り行二ハさわる人なし
 行違ふ敵の足二目を付希与
           手は自ら留るもの也
 組合の時太刀抜様の敵組付とはや我身二付て抜事と知れ 歌に
 身に付けて抜習有人ハたゞ
           組付かぬ間二切とこそ聞け
 居合とは刀一つに定まらす
           敵の仕懸を留る様有り
 敵太刀打かたき我二切て懸る二はやく抜合せむと春れハ必ず負事有
 能く工夫有へし  歌に
 居合をバ知ったふりしてつかるゝな
           居合の道を深く問ふへし
 身の曲尺の位を深く習ふへし
           留めねど留る事ぞふしぎや
読み解く
居合も太刀打も敵と我とが立合うや否や「是道このみち」でなければ勝つことはないであろう。
曽田先生は原本を判読出来ず「是道」としています。
木村栄寿先生は「危道」と此処を読まれています。恐らく細川家本は危道と読めたのでしょう。
「詭」ですと孫子の兵法に有る「計篇第一の兵者詭道也」による「兵は詭道なり故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す、其の無備を攻め、其の不意に出ず、此れ兵家の勢、先には伝うべからず」と、とることが出来そうです。此処は「詭道」と解して読むべきでしょう。河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書では◯(是道か)道と曽田本にならっています。
 「危」は危ない、危ういと意味します。「奇」は珍しい、怪しい、です。
 「詭」はせめる、いつわる、たがうです。

 然れども、上を打つように見せて下を打つ様な事では無い。真直ぐに「行間移行」は間に入るや筋を替るのかもしれません。
 数か月、数年の修練によって合点出来るものである。よくよく日夜修行する事である。
 義公御歌 古歌に 
 義公とは誰の事か解りません。水戸光圀、黄門様かも知れません。義経なども想像できますが不勉強で判りません。

 気負い込んでかさに掛って来るような敵に、さりげなく相手にするのでは無く、あしらいながらここぞという時に抜かせてそこを打て、というのでしょう。  

居合と云うものは第一に太刀を抜かずに勝つ事が大事である 歌に

 抜かざるを得なければ、抜いて無心に切る事、抜かなくて良いならば切るな、然し切る事にのみ大事がある。

 次の歌では、多くの者からあれには勝つことが出来ないと聞こえている、然し心明釼の太刀があるではないか、それを楽しむ事である。心明釼は神妙剣でしょう。
 神妙剣は林安太夫政詡による居合兵法極意巻秘訣 印可部の最後にある教えで「我が身をうまうまと振るもうて奥義の柄口六寸をもって構えは如何にも有れ、敵と我と互に打ち下すかしらにて只我は一途に敵の柄に打込む也」の技法であり、「彼が気を先に知りてすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也」とあるように、気を見て兎角して相手に負けずに治める事なのです。


 行違う時の抜刀については古人は大事な事があるよ、工夫するべきものですと言って歌心を示されています。

 夏の太陽は真上から照らし影は短い、夏は陽に向って歩き、冬は影は長く伸びます影を踏む様に歩くのが良い、一人で歩く時には、障りないものである。

 行き違う時敵の足の動きに目をやると相手の次の動きが判るものです。手も留まります。其の機に我が手は自然と合わせるように応じる事、と読んでみましたがどうでしょう。

 組合とは、組打ちでしょう、組み合う時の太刀の抜き様は、敵は我が身に組付くや抜刀する心と知るべきである、歌に
 自分の身に引き付けておいて太刀を抜く癖のある者との組合は、組まずに切る事である。

 居合と云うのは、刀を抜いて切る事ばかりでは無く、敵の仕掛け様とする其の起こりを察して押さえてしまう方法もあるものだ。

 敵の太刀を打ち難い様な時、敵が我に切って懸るのを、負けじと速く抜き合せようとすれば必ず負けるものである。良く工夫すべきものである。歌に
 居合を知っている積りで「つかるゝな」が読みこなせません。「突かれる、付かれる、疲れる、漬かる、浸かる」、どれも該当しそうでそうでもないようです。
 居合を知ったふりしてそれに拘り過ぎるな、居合の道を深く修練せよ。
 師匠の真似事の形ばかりの居合では歌さえも読みこなせないのは情けないことです。

 先日ある先生の仰るには、「道場で合同体操の様にせっせと手拍子に合わせ抜くばかりで居合の真諦など掴める訳もない、相手の有り様もわからず、居合の座学も指導出来ない、そんな者を作り出してどうなる」。と嘆かれていました。反省しきりですが、そこまでです。

 攻防の間を知らずに抜き付けても意味は無いでしょう。まして動く敵の柄口六寸の極意などは、仮想敵も描けない空間刀法の稽古では、大方は独りよがりになってしまいます。
 下の句の「留めねど留る事ぞふしぎや」は身の曲尺が認識出来ていれば行くも止まるも自由自在だと言うのでしょう。

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