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2016年11月 3日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く3大森流居合之事前書

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
3、大森流居合之事
前書
前書
此居合と申は大森六郎左衛門之流也 英信と格段意味無相違故二話而守政翁是を入候 六郎左衛門盤守政先生剣術之師也真陰流也 上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶
(記 此の五本の仕形の絶へたるハ残念也守政先生の伝書見當らず 曽田メモ)


前書き
大森流と云うのは大森六郎左衛門の流儀である、英信流と格段の違いが無いので相談してこの居合に(英信流に或は無双神傳英信流)入れたと言っています。

林六太夫守政が誰と話したのでしょう、長谷川英信、荒井勢哲でしょうか、不明です。

この大森流居合と言うのは、大森六郎左衛門と言って(第九代)林六太夫守政先生の剣術の師匠が伝えたもので、大森六郎左衛門は「真陰流」である。
上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形(勢法、組太刀)が有ると言う。
或は宮本武蔵の卍石甲二刀の極意も林六太夫守政先生は授けられていたが、守政先生で絶えてしまった。

(曽田先生 記 この上泉伊勢守信綱の五本の仕形絶えてしまったのは残念な事で林六太夫守政先生の伝書は見当たらない)

ここで、大森六郎左衛門ですが、その出自も武道家としての経歴も不明です。
大森六郎左衛門は「真陰流」であったと言っています。
文字に誤りがなければ「真陰流」は武術流祖録によれば、天野傳七郎忠久によるもので、
「水戸家の人なり、真野文左衛門と云う者に愛洲陰流の刀術の妙旨を得、また兵学軍礼に達し,流名を改て真陰流と号し、其の門多し。」

愛洲陰流は、同じく武術流祖録によれば、愛洲移香によるもので「何れの人なるかを知らず、九州鵜戸岩谷に参籠して霊夢を蒙り兵法を自得す、潜に愛洲陰流と号し、その子七郎其の伝を継ぐ、小伝に上泉其伝を得たりと云う」

上泉伊勢守信綱は愛洲陰流を得て後、神陰流と改めています。「上州の人也、長野信濃守に仕え箕輪城に在り、武功最も盛んなり。甲陽軍鑑、愛洲陰流の刀槍を学び、精妙を得、工夫を加え、この飾を潤し神陰流と号すとあり。
伝記に曰く松本備前守政元に従い鹿島神陰流の奥旨を学び後改めて新陰流と云う、永禄六年長野家信玄に滅ぼされ、信玄上泉麾下招く、辞して仕えず、以て諸州に遊び其の門若干。其の宗を得る者多し、神後伊豆守、疋田文五郎、柳生但馬守、丸女蔵人太夫、那珂弥左衛門、塚原卜伝、奥山孫次郎等なり。」

大森六郎左衛門の剣術がいずれの門にあったかは不明ですが、真陰流は新陰流とも取れそうです。林安太夫の居合兵法極意秘訣を読んでいますと、新陰流の影がちらつくことがあります。
上泉伊勢守の古流五本の仕形はどの様なものであったか判りませんが、柳生新陰流からは大森流居合の参考となる仕形は拾い出せません。
ここは、新陰流の勢法五本を言うのだろうと思います。三学円の太刀・九固の太刀・天狗抄・燕飛・奥の太刀であったかも知れません。或は上泉伊勢守の古伝三学円の太刀の「一刀両断・斬釘截鉄・半開半向・右旋左旋・長短一味」の五本かも知れません。

次の武蔵守は宮本武蔵の二天一流でしょう。二刀流を学んだ可能性もあるでしょう。卍石甲については不勉強で解りません。

大森流居合は大森六郎左衛門の独創であったかもしれません。
しかし奥州地方に残る林崎新夢想流の居合の形を見ていますと、戦場での立膝の座仕方を江戸期の正座に置き換えたものの様で時代に即し改良形とも取れます。

大森流居合を一本ずつ味わいながら稽古して見ます。

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