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2016年11月21日 (月)

第四回違師伝交流稽古会

  深まる秋を車窓から眺めながらの一人旅を想像していたのですが生憎の空模様です。仕方なく、ポケットに忍ばせて置いた今回の違師伝交流稽古会の課題「古伝 小太刀之位」を読み返していました。
 
 やっぱり、何度読んでも、小太刀之位の業手附から読み取れるのは、「先ヅ我身ヲ敵ノ土壇トキワメ何心ナク出ベシ敵打出ス所二チラリト気移リテ勝事ナリ常ノ稽古二モ思アンジタクム事ヲ嫌フ能々此念ヲ去リ修行スルコト肝要中ノ肝要也」の、土佐の居合第10代林安太夫政詡が書いたであろう英信流居合目録秘訣の居合心持肝要之大事の文章が浮かんできます。
 そして、「常二事形ノ修錬熟セサレハ時二臨ミテ其習イ出ル事ナシ」の教えばかりです。
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 違師伝交流稽古会は、今年で四回目となりました。
 古流武術は弟子の他道場との交流はもとより、道場主の交流など乏しいもので、精々連盟などの制定居合の講習会や演武会、連絡会議や、懇親会程度のもので、伝承された師匠の業技法を見せ合い、語り合うなどとんとお目にかかる機会はありません。
 小太刀之位の課題は、昨年の第三回違師伝交流稽古会の去り際に、それと無く「来年は失伝してしまった小太刀位を夫々で読んで、それぞれの師伝を基に工夫し公開していただけませんか」と資料をお渡しして置いたものです。
 恐らく、現状では第20代河野百錬先生が曽田本により出版された昭和29年1955年発行の「無双直伝英信流居合兵法叢書」の第三編にある林 政詡先生述、従谷村亀之丞自雄先生伝来に記載されているものが活字本では唯一でしょう。既に絶版となり、古書にも出ることは無い様です。
 何処かで眠っているか不要なものとして処分されているだろうと思います。
 無双直伝英信流のその頃の師匠の後継ぎの先生には、本のみは何とか引き継がれていても、技を演じるまでの環境が出来て居ないか、現状の居合ばかりが優先する業界では置き捨てられているのでしょう。
 曽田先生の書き写された曽田本からブログに公開した小太刀之位六本を交流稽古課題としました。 底本は、土佐の居合英信流 第10代林 政詡 が書かれた、安永五年(1776年)冬十月吉日の英信流目録二巻のうちから、書き改められたもので、嘉永五年(1852年)癸子六月吉祥日 第15代谷村亀之丞自雄筆になるものです。
 ブログでは、カテゴリー「神傳流秘書14-10英信流目録小太刀之位2015年3月7日~2015年3月15日」にアップしてあります。
 稽古会の始めは、大江正路先生の直弟子で北陸に赴任し、後土佐に戻られ再び北陸に居を移された先生の、土佐の系統による居合と北陸の系統の居合を拝観させていただきました。
 先生の残された教書では読み取れない細部が披露され演じられます。演じられる先生方もお互いに始めてお会いしたとのことですが、演武により、言葉など不要の様に、親しく業技法で語られている様です。
 一人の師から伝承された業技法の半世紀にわたる変化と、変えてはならないであろう心持ちが残された違師伝交流の素晴らしい時間でした。
 何処にも小太刀之位を演じて指導していただくことのできない業技法を、たった数行の文章から読み取って演じることは、誰にも「違う!」と邪魔されないため容易でもあり難しいものです。
 一本目と六本目をご紹介しておきます。一年間の猶予期間を持った宿題ですから基礎的な処の形は修得したとしてもさて・・。
 一本目は左青眼
 「左青眼と申すは敵は上段にかまえ我は片手にて小太刀を向へさし付け敵の左の眼へ切先を付けて相懸かりにて行也、敵場合にて我が小太刀を筋違いに右へ横に拂うなり、その時我すぐに小太刀をつむりへかむり左の手にて敵の右ひじを取り勝也」是だけです。
 仮想敵相手の一人演武しか知らない人にとって、小太刀という短い木刀で、しかも相手など碌に意識した事も無い者が、譬え小太刀でも払われるのは恐怖です。
 打つ方も手に当たるのではと、こわごわとなります。それでも、形を真似て繰り返すうちになれも手伝って何とかなって来るものです。
順次技が難しくなっていきます。
 六本目は上段ノ弛
 「是は敵は上段也、我は小太刀をひっさげ相懸かりにてすかすかと行く、場合にて敵片討に打つ所を行でもなし、行かぬでもなし、気のつり合いにてすっかりと弛し上より打ち込むなり」是もこれだけです。
 文章を読みこなす能力が必要です。そして、仕太刀でも打太刀でも、自分の演じる形を脳に覚えさせ体に反応させなければなりません。その上、打太刀は打ち間に来ない相手に仕懸けるのです。仕太刀も打太刀を誘わなければならないのです。「気のつり合い」など居合では忘れて形ばかり演ずる者には理解不能です。武術の難しさを改めて認識すると共に、学びたい意欲が益々湧き上がるものです。
 
 小太刀之位は演武会などで、ちょんちょん申し合わせの太刀打ちを演ずる程度の事では理解できないものです。
 それを初心者も含め、道場を代表する方も、古参の高段者も交えて稽古することは無謀な一面、それぞれの力量に従って得るものは大きいものです。
 お連れになったお弟子さんをお借りして、厄介な打ち込みをさせていただきました。見事に躱され普段の師弟の研鑽が垣間見れたり、どうしても聞いてもらいたい事など遠慮なく述べたり、聞かされたり。新しい稽古のあり方の一面を感じています。何をどう解釈して自分のものにするかは自由です。
 何故か、帰路の「のぞみ」の中で、参加された方々の眼が一段と輝いて、それぞれにつかんだものに嬉しそうな笑顔を見せておられたのがふっと浮かび上がり「やって良かった」と目頭が熱くなりました。
 小太刀之位の書き直しも進みそうです。
 見ず知らずの者が、それぞれの思いで集まる、終る頃にはずっと前から知っていた様に思える時間でした。又お会いする時には、あの笑顔を此方から先に、など思ったりしています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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コメント

居合の空気に触れているだけで、血が沸くような感覚を、ずっと感じていました。時間の過ぎゆく早さを
惜しみました。
ありがとうございました。

Annさま
コメントありがとうございます
時間て早いですね、見て居てもやって居てもそうです。
気を使われて、無理やり稽古をされるより、見て居る方がずっといいものです。
      ミツヒラ

投稿: アン | 2016年11月22日 (火) 13時24分

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