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2017年2月

2017年2月28日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流2大小詰1抱詰

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
2)大小詰
一本目抱詰
大小詰(是は業二あらさる故二前後もなく変化極りなし始終詰合組居合膝二坐春 気のり如何様とも春へし 先大むね此順に春る)
 重信流
抱詰
 楽々居合膝二詰合たる時相手両の手尓て我刀の柄を留る時我両の手を相手の両のひぢ二懸希て躰を浮上り引て其儘左の後の方へ投捨る
 読み
 大小詰(だいしょうつめ)(是は業にあらざる故に 前後もなく変化極りなし 始終詰合組み 居合膝に坐す 気乗り如何様ともすべし 先ず概ねこの順にする)
 重信流
抱詰(だきつめ)
 楽々居合膝に詰合たる時 相手両の手にて我が刀の柄を留める時 我両の手を相手の両の肘に懸けて 体を浮き上がり引いて其の儘左の後ろの方に投げ捨てる
読み解く
 大小詰の序文は、これは業では無いので、何本目からでも始めても良い、前後の兼合いを無視しても良い。始終、詰合って居合膝に坐し、気乗り次第にどのようにでも稽古しなさい。概ねこの順序で稽古する。と云っています。
 相手は小太刀を差し、我は太刀を差して向かい合って居合膝に坐す。「楽々居合膝に詰合たる時」の楽々をどのように解釈するのか、失伝した大小詰であり当然のようにその「楽々居合膝に詰め合う」仕方も失念しているのでしょう。

 「楽々」の書き写が間違っていることもあるでしょうが、そのまま曽田先生に敬意を払って、相手をにっくき敵と意識する事無く貴人と接するが如く、さりとていたずらに緊張せずに作法に従って楽々居合膝に互いに接するように座す。
 相手は腰を上げて、爪立つや我が刀の柄を両手で抜かさないように抑えてくる。我は相手の両肘に下から両手を掛け絞り上げるように同時に腰を上げ、相手が浮き上がる処、左足を引き体を左に開いて左後方に投げ捨てる。

 曽田先生による第十六代五藤孫兵衛正亮の業附口伝を参考にしてみます。
大小詰一本目抱詰
「互に対座打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上ぐる様に掴み我が左脇に引き倒さんとす也」
(向ふて居る敵我刀の柄を両手にて押付る時敵の両肱へ手をかけうすみ上げ左へ振り倒す(五藤先生教示))

 古伝は「相手両の手にて我が刀の柄を留る時」とあります、我が柄に手を掛け刀を抜こうとするのを留められたと読めます。
 ここでは「打は仕の柄を両手にて取らんとす」と言って打が仕掛けてきた、両手で我が柄を取ろうと手を伸ばしてきたがまだ取っていない様な書きぶりです。
 「我が左脇に引き倒さんとす」も引き倒す心持で終わっています。
 五藤先生の教示は古伝を思わせます。
 「両肘へ手をかけうすみ上げ・・」の「うすみ上げ」はよくわかりません。抱詰ですから抱き込んで下から持ち上げる、押し付けられるに任せて下から肱に両手を掛け腰を上げると同時に浮き上げる。などでしょう。相手の肘を締めあげ浮かせる業も有ろうかと思います。

此の業の手附に政岡先生の地之巻の抱詰
楽に居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時我両の手を相手の両ひぢに懸け少し体を浮上り引くに其儘左の後の方へ投捨てる」

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2017年2月27日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流2大小詰1抱詰

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
2)大小詰
一本目抱詰
大小詰(是は業二あらさる故二前後もなく変化極りなし始終詰合組居合膝二坐春 気のり如何様とも春へし 先大むね此順に春る)
 重信流
抱詰
 楽々居合膝二詰合たる時相手両の手尓て我刀の柄を留る時我両の手を相手の両のひぢ二懸希て躰を浮上り引て其儘左の後の方へ投捨る
 読み
 大小詰(だいしょうつめ)(是は業にあらざる故に 前後もなく変化極りなし 始終詰合組み 居合膝に坐す 気乗り如何様ともすべし 先ず概ねこの順にする)
 重信流
抱詰(だきつめ)
 楽々居合膝に詰合たる時 相手両の手にて我が刀の柄を留める時 我両の手を相手の両の肘に懸けて 体を浮き上がり引いて其の儘左の後ろの方に投げ捨てる
 

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2017年2月26日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合10霞剣

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
十本目霞剣
霞剣
 眼関落の如く打合せたる時相手引かんとするを裏よりはり込ミ真甲へ打込ミ勝亦打込ま須して冠りて跡を勝も有り
 以上十本

 「眼関落」:ここまでの所で、眼関落と称する業名は見当たりません。曽田先生の写したもので曽田メモで眼関落と添え書きされているのは、詰合の八本目「柄砕」です。
 柄砕は「両方高山後ハ弛し木刀二同し」と云って省略されています。「弛し木刀」も不明な文言です。
 敢えて業を捜せば太刀打之事七本目独妙剣でしょう。
 「独妙剣:相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構へ行場合尓て上へ冠り互に打合尤打太刀をつく心持有柄を面へかへし突込ミ勝」
読み
霞剣(かすみけん)
 眼関落の如く打ち合わせたる時 相手引かんとするを 裏より張り込み真甲へ打込み勝つ
亦 打ち込まずして冠りて跡を勝も有り
 以上十本

読み解く
 眼関落とは古伝神傳流秘書のここまでの業に出て来ていない業名です。従ってこのままでは業の初動を特定できません。
 八本目から双方高山に構えて場合にて真向に打ち合っていますから上段に構え場合にて真向に打ち合い相打ちとするのでしょう。
 近年観られる詰合の霞剣演武では双方の間合いの中央で物打辺りの鎬で合わせています。
 相手より早く打込むならば、相手が「切り落」なり「合っし打」なりを心得る者ならば頭を割られています。

 詰合の八本目柄砕の打ち合いが、太刀打之事六本目独妙剣と同じ打ち合いで、之も同様であれば「相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構え行場合にて上へ冠り互に打合尤も太刀をつく心持有・・」ですから、相手は上段、我は下段に構え歩み寄り、間に至るや我は切先を相手の喉を突き上げる様に振り冠って上段となり、相手真向に打込むを我も真向に打ち込み太刀を合せる、でしょう。

 真向に中央で打ち合わせ、双方切先を正眼に取りつつ退く処、我は刀を敵の刀の裏に張り込みその拍子に踏み込んで真向に打ち込み勝。打込まずに上段に冠って勝ちを示すも有。
 「裏よりはり込み真甲へ打込み」は、どのようにするのか失伝しています。
 敵の刀が我が刀の左、我が刀は敵の刀の右で互いに切っ先を喉元に付けています。敵引かんとする其の機に、我が刀を僅かに下げ相手刀の裏に添えるや、刀を右に返すように張り込みその拍子に上段に振り冠る・・。

 ここで、神傳流秘書の詰合は終わっています。以上十本です。

 五藤先生の詰合之位はあと一本、十一本目「討込」が残っています。

 曽田先生による五藤先生の業附口伝から霞剣を研究してみます。
 「是も互に立合也敵待かけても不苦互に青眼の儘スカスカと行場合にて互に拝み打に討也互に太刀の物打ちのあたり合たる所を中段に直る我其儘左の足を踏み込み裏より払いかむり勝也五歩退り相中段に次に移る也」


 十一本目は「討込」ですがすでに霞剣で真向打ち合いは終わっていますから業としてはそう意味のある十一本目では無いと思えます。仕組の締めの一本でしょう。

討込:(伝書二ナシ)(留ノ打ナリ)双方真向二打チ込ミ物打ヲ合ハス也」
 是は、しっかり「合し打ち」を学ぶことが出来る形ですが、双方の中央で物打ちを合わせていたのでは、意味の無い棒合わせです。
 五藤先生の時代江戸末期から明治維新の頃は仕組の太刀は竹刀による試合剣法に取って変わられて仕組剣法は影を潜めていた時代です。
 「申し合わせの形」しか稽古していないのでは、竹刀による打ち合いによる試合勢法に勝てる分けは無かったのでしょう。
 この「討込」は伝書には無いが「留めの打ちなり」として演武の締め業として演じられたのでしょう。

 是にて詰合は終了です。

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2017年2月25日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合10霞剣

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
十本目霞剣
霞剣
 眼関落の如く打合せたる時相手引かんとするを裏よりはり込ミ真甲へ打込ミ勝亦打込ま須して冠りて跡を勝も有り
以上十本

 「眼関落」:ここまでの所で、眼関落と称する業名は見当たりません。曽田先生の写したもので曽田メモで眼関落と添え書きされているのは、詰合の八本目「柄砕」です。
 柄砕は「両方高山後ハ弛し木刀二同し」と云って省略されています。「弛し木刀」も不明な文言です。
 敢えて業を捜せば太刀打之事七本目独妙剣でしょう。
 「独妙剣:相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構へ行場合尓て上へ冠り互に打合尤打太刀をつく心持有柄を面へかへし突込ミ勝」
読み
霞剣(かすみけん)
 眼関落の如く打ち合わせたる時 相手引かんとするを 裏より張り込み真甲へ打込み勝つ
亦 打ち込まずして冠りて跡を勝も有り
 以上十本
 
 

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2017年2月24日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合9水月

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
九本目水月
水月
 相手高山二かまへ待所へ我も高山二かまへ行て相手の面二突付る相手拂ふを躰を替し打込ミ勝
読み
水月(すいげつ)
 相手高山に構え待つ所へ 我も高山に構え行きて 相手の面に突き付ける 相手払うを躰を躱し打込み勝つ
読み解く
 相手上段に構え待つ所へ我も上段に構えスカスカと歩み行く、歩みつつ間境で切先を下げ右足を踏み込み相手の面に突き付ける、相手之を右足を退き上段から我が右に八相に払って来る、払われるに随い左足を左斜めに踏み込み体を躱し右足を踏み替え相手の面に打込み勝。

 敵の面へ切先を突き付け相手我慢が出来ずに払って来る機をとらえて体を躱して打ち込む。この時相手は、踏み込んで払ってくる事も、退って払うも有りでしょう。我が気勢によるものでしょう。
 古伝は、如何様にも変化しても「それは違う」などと言うことなどなさそうです。
 師伝の異なる方と、太刀打之事や詰合を稽古しますとその事が理解出来申し合わせの「剣舞」とは違う事が認識できます。

 此の業は神傳流秘書の太刀打之事六本目水月刀と同じ様な業でしょう。
「相手高山或は肩遣方切先を相手の面へ突付て行を打太刀八相へ払ふ処を外して上へ勝つ或は其儘随て冠り面へ打ち込み勝も有り」

曽田先生の五藤先生による業附口伝詰合之位九本目「水月刀」
是も同じく立合て真向へかむり相掛りにても敵待かけても不苦我真向へかむりてスカスカと行場合にて太刀の切先を敵の眉間に突き込む様に突く也其の時敵すぐに八相に払う其時我すぐにかむり敵の面へ切込み勝也互に五歩退り血振納刀以下同じ」

*此の業は相手に払われるに随い体を変わって打ち込むのですが、相手に我が太刀を払わせる誘い、払わずにいられない状況に追い込むことがより高いポイントでしょう。

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2017年2月23日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合9水月

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
九本目水月
水月
 相手高山二かまへ待所へ我も高山二かまへ行て相手の面二突付る相手拂ふを躰を替し打込ミ勝
読み
水月(すいげつ)
 相手高山に構え待つ所へ 我も高山に構え行きて 相手の面に突き付ける 相手払うを体を躱し打込み勝つ

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2017年2月22日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合8柄砕

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
八本目柄砕
柄砕(眼関落ノコトナラン 曽田メモ)
 両方高山後ハ弛し木刀二同し(はづし木刀太刀打之位独妙剱の事ならむ 曽田メモ)
読み
柄砕(つかくだき)(眼関落のことならん)
 両方高山後は弛しの木刀に同じ(はづし木刀 太刀打之位 独妙剱の事ならん 曽田メモ)
参考
独妙剱
 相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前二構へ行場合尓て上へ冠り互に打合尤打太刀をつく心持有柄を面へかえし突込み勝
読み
独妙剱(どくみょうけん)
 相懸かり也 打太刀高山 遣方切先を下げ前に構え行く 場合にて上へ冠り 互に打ち合う 尤も 打太刀を突く心持ち有り 柄を面へ返し突き込み勝

読み解く
 双方上段に構え、後の動作は弛し木刀に同じだと省略されてしまいました。
 曽田先生は、之を太刀打之位(神傳流秘書では「太刀打之事」の独妙剣の事だろうと言うのですが、太刀打之事独妙剣は「相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構え行場合にて上へ冠り互に打合尤打太刀をつく心持有柄を面へかえし突込み勝」というものです。
「弛し木刀」なる業名がない限り断定する事はできません。

 曽田先生の業附口伝によれば詰合之位「眼関落」が七本目燕返の次なる業になります。
「是も互に立ち敵も我も真向へかむり相掛りにてスカスカと行き場合にて互に拝み打に討也その時敵の拳と我拳と行合也其時我すぐに柄頭を敵の手元下より顔へはね込み勝也(右足をドンとふみ急に左足を踏み込む也)
互に五歩退り納刀以下同じ」

 曽田先生は五藤先生の業附口伝を元にして考察されたと思われます。
神傳流秘書の詰合と五藤先生の業附口伝以外に詰合を書き表した伝書が見当たらない限り当面はこのような業で稽古する以外にありません。

 木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説の神傳流業手付では詰合八本目は柄砕「両方高山跡は地の木刀に同じ」とあって「弛と地」の読み違いでしょうがどちらも証明不能です。
 「眼関落」が同じ業である様な「詰合業手付及び口伝」にありますが引き当てるべきものが見当たりません。

 政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻にある無双直伝英信流居合兵法之形は文政二年山川幸雄述坪内長順記神伝流秘書による、と書かれています。幸雄は幸雅と思われますが正誤表に記載されていませんので坪内長順が書写した際の誤記かもしれません。
そこでの詰合は詰合之位とされ八本目は眼関落の業名を採用しています。

 眼関落「(相上段から互に切り結び鍔押となる処をはね上げて顔に当てる 政岡先生述)両方高山にかまえ行打合尤も打太刀をさく心持あり柄をかえして突込勝」とされています。この部分は神傳流秘書の太刀打之事七本目「独妙剣」の文言に類似です。この政岡先生の神伝流秘書の出所は不明です。

この業を読み解くには、これらを参考にして演じてみます。双方上段に構え、切間に至れば打太刀から打ち込んできます。我も真向から打ち下します。所謂合し打ちで相手太刀を斬り落します。これではこの鍔競合いなどに持ち込めません。
 同時に真っ向に打ち下ろしても、太刀に乗られれば斬り込まれます。

 この業を演じているのを見て居ますと、切先が相手の体に届かない遠間で互に同時に打込み、腕の伸びた高い処で物打ちを意図的に合わせています。これでは合し打ちを避けているばかりで、次の鍔押しからの動作を予期した演舞になってしまいます。

 政岡先生の「相上段から互に切り結び鍔押となる」には、間に至り、相手斬り込むを我は請け太刀になる様、相手のやや左面に斬り込み 互に切り結ぶ事になりそうです。請け太刀となった我は請けるや体を沈め踏み込んで、柄を返しつつ相手の手元を押し上げて顔面に柄当てする。

 刀の届かない遠間での切り結びなどする必要は無いでしょう。我は踏み込まずに出足を引いて外してしまい筋を変わって打ち込めばいい。この柄砕は成立しない。

 柄砕が目的の業であれば、相手の真向打ち込みを稍々左に筋を変わって打ち込んで来る柄手を目掛けて打込めば充分柄砕が成立します。あえて太刀打之事に拘るべきとも思えません。

 

 

 

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2017年2月21日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合8柄砕

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
八本目柄砕
柄砕(眼関落ノコトナラン 曽田メモ)
 両方高山後ハ弛し木刀二同し(はづし木刀太刀打之位独妙剱の事ならむ 曽田メモ)
読み
柄砕(つかくだき)(眼関落のことならん)
 両方高山後は弛しの木刀に同じ(はづし木刀 太刀打之位 独妙剱の事ならん 曽田メモ)
参考
太刀打之事 独妙剱
相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前二構へ行場合尓て上へ冠り互に打合尤打太刀をつく心持有柄を面へかえし突込み勝
*読み
独妙剱(どくみょうけん)
 相懸かり也 打太刀高山 遣方切先を下げ前に構え行く 場合にて上へ冠り 互に打ち合う 尤も 打太刀を突く心持ち有り 柄を面へ返し突き込み勝
 
 

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2017年2月20日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合7燕返

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
七本目燕返
燕返
 相手高山我ハ抜か春して立合たる時相手より打込むを我抜受二請る相手引を付込ミ打込相手右より拂ふを随って上へ又打込拂ふを上へ取り打込扨切先を下げて前へかまへ場合を取り切居処へ相手打込を受流し躰を替し打込勝又打込ま須冠りて跡を勝もあり
読み
燕返(つばめかえし)
 相手高山 我は抜かずして立合いたる時 相手より打ち込むを抜き受けに請ける 相手引くを付け込み打ち込む 相手右より払うを随って上へ又打ち込む  払うを上へ取り打ち込む 扨 切先を下げて前へ構え場合を取り切り居る処へ 相手打込むを受け流し 體を替えし打込み勝つ 又 打ち込まず冠りて跡を勝もあり

読み解く
 詰合の仕組の中での大業は、先に出た四本目八重垣とこの燕返だろうと思います。
 相手は上段に構え、我は刀を鞘に納めたまま立ち合う、双方すかすかと歩み行き場合に至れば、相手より右足を踏み込み真向に打ち込んで来る、我は顔前頭上に右足を踏み込み抜受けに受ける。

 相手右足を引き上段に取らんとする処を、我は左足を踏み込んで付け入って諸手にて上段から打ち込む。相手これを右より八相に払って来る、払われた当たり拍子に上段に振り冠って右足を踏み込んで真向に打ち込む。

 相手左足を引いてこれを又払って来るのを同様に当たり拍子に上段に振り冠って左足を踏み込み真向に打ち込む。相手これを一歩引いて外す。
 
 我は外されたまま切っ先を下げて下段に構える処、相手真向に打ち込んで来る、我は切先を上げて突き上げる様に受け流し右足を右前に踏み込んで体を替って相手の首に打ちむ。
又打ち込まずに上段に構え勝ちを取るもあり。

 受け流しの方法は、左足を後方に引きながらも出来るでしょう。ここは受け、流すに拘ってみました。下段の構えならば、敵の打ち込みに下から敵の喉を突き上げるように切っ先を上げて正中線を突き上げ摺落し打ち込む大技が可能です。

 相手は高山ですから上段です。我の打ち込みも「相手引を付込み打込」ですから真向打にしました。
ここは八相でも良いかもしれませんが文章に忠実に従います。
 打ち込むや相手は八相に払ってくるですから、当たり拍子に上段に取って打ち込む廻し打ちを思い描いてみました。
 恐らく、林六太夫守政の剣術の先生大森六郎左衛門は真陰流(新陰流?)であれば廻し打ちはお手の物だったでしょう。

 曽田先生の業附口伝から五藤先生の詰合之位七本目燕返
「是は敵も我も立つ也敵は刀を抜てかむる我は鞘に納めて相掛りにて行く也場合にて敵我が面へ打込む也我其時右片手にて抜き頭上にて請けすぐに左手を柄に添え打ち込む也
敵又裏より八相に払う也我又すぐにかむりて打込む也敵又すぐに裏より八相に払う也
我又すぐにかむりて敵の面へ打込也(左足を一足踏み込)其時敵後へ引我空を打つ也
其時我切尖を下げ待也敵踏み込みて我真向へ打込也我其時左足より一足退り空を打たせ同時にかむりて一足踏込み敵の面へ勝也互に五歩退り納刀後再び刀を抜き相上段にて次に移る」


 この業附口伝の動作が現在一般的に行われている様です。「裏より八相に払う也我又すぐにかむりて打込む也」の運剣動作は大いに研究すべき処でしょう。
 最後のところで「敵に空を打たせ・・」は古伝を変える必要があったとは思えませんが、受け流さず、引いて空を打たせています。
 時代が進むと、どんどん安易な方法に変化してゆくのは、進歩と取るか退歩と取るかですが、白刃の下を掻い潜って身に着けた時代と平和ボケの時代の違いの様な気もしています。

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2017年2月19日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合7燕返

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
七本目燕返
燕返
 相手高山我ハ抜か春して立合たる時相手より打込むを我抜受二請る相手引を付込ミ打込相手右より拂ふを随って上へ又打込拂ふを上へ取り打込扨切先を下げて前へかまへ場合を取り切居処へ相手打込を受流し躰を替し打込勝又打込ま須冠りて跡を勝もあり
読み
燕返(つばめかえし)
 相手高山 我は抜かずして立合いたる時 相手より打ち込むを抜き受けに請ける 相手引くを付け込み打ち込む 相手右より払うを随って上へ又打ち込む  払うを上へ取り打ち込む 扨 切先を下げて前へ構え場合を取り切り居る処へ 相手打込むを受け流し 體を替えし打込み勝つ 又 打ち込まず冠りて跡を勝もあり

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2017年2月18日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合6位弛

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
六本目位弛
位弛
 我居合膝二坐したる所へ敵歩ミ来りて打込むを立さま二外し抜打二切る 或は前の如く抜合たる時相手より打を我も太刀を上へはづし真向へ打込ミ勝
読み
位弛(くらいゆるみ)
 我居合膝に坐したる所へ 敵歩み来たりて打込むを 立ち様に外し 抜き打ちに切る 或いは 前の如く抜き合いたる時 相手より打つを 我も太刀を上へ外し 真向へ打込み勝つ
読み解く
 我れが居合膝に座して居る処へ、相手上段に振り冠って歩み来たり、真向に打込んで来るのを、立ち上がりつつ右足を引き、刀を上に抜き上げ拳を返して真向に打込む。

 或は、双方居合膝に坐し、左足を引いて膝に抜合う、相手より上段に振り冠り打込んで来るを、我は右足を左足に引き付け刀を上に突き上げる様に相手刀を摺り上げ振り冠り踏み込んで真向に打込み勝。

 位弛の業では「或は・・」以下の業は殆ど見る事の無い失伝してしまった動作です。これはすさまじい業です、別の業とも思えるのですが、心持ちは同じと言えます。
 刀を体すれすれに引き上げる様に切先下りに抜き上げて相手の打ち込みを右足を引いて間を外すや打込む、相手が深く討ち込んで来た場合は上に抜き上げた表鎬で摺り落してしまうわけです。
 大森流(正座の部)逆刀(附込)の「向より切て懸るを先々に廻り抜打に切・・」の動作の仕組みとなります。

 或は以下は、双方抜き合せた所よりの変化です。「太刀を上へはずし」をどのようにするかがこの間合いでの応じ方でしょう。
 「位弛(くらいゆるみ)」弛は、はずす事ですから、我が体を打ち間から外す事が大切です。太刀にて相手の切り込みを請けるのは目的では無さそうです。

 今一つは、抜き合わせ、相手が上段に振り冠るに応じて、我は右足を引いて、引っ冠りに上段に冠り、相手の打ち込みを、右足を踏込み「合し打ち」で打ち外し勝という技も研究課題でしょう。

 曽田先生による五藤孫兵衛正亮の業附口伝詰合之位六本目位弛を読んでみます。
「是は敵は立ち我は坐する也敵は太刀を抜てかむる我は鞘に納めて右片膝立て座する也敵すかすかと来て拝み打に討つ也我其時あたる位にてすっかりと立ち其儘左足を一足引きて抜き敵に空を打たせ同時に右足を一足踏み込み面へ切り込み勝也 仕太刀は此の時刀を合わせ五歩退きて血振い納刀 打太刀は其位置にても五歩退りても不苦」


 五藤先生の業附口伝では神傳流秘書の「或は・・」の業は消えています。相手の打ち込みを立つなり左足右足と追い足に退きつつ刀を抜き上げて相手に空を切らせ相手が退かんとする前に真向に打ち下すのです。
 刀の抜き上げは体に接する様に刃を外に向け抜上げるもので、大森流居合の逆刀(正座の部附込)で見かける、体前に抜出す様に抜上げれば手を斬られてしまいます。

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2017年2月17日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合6位弛

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
六本目位弛
位弛
 我居合膝二坐したる所へ敵歩ミ来りて打込むを立さま二外し抜打二切る 或は前の如く抜合たる時相手より打を我も太刀を上へはづし真向へ打込ミ勝
読み
位弛(くらいゆるみ)
 我居合膝に坐したる所へ 敵歩み来たりて打込むを 立ち様に外し 抜き打ちに切る 或いは 前の如く抜き合いたる時 相手より打つを 我も太刀を上へ外し 真向へ打込み勝つ

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2017年2月16日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合5鱗形

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
五本目鱗形
鱗形
如前抜合せ相手打込むを八重垣の如く切先に手を添へ請留直二敵の太刀を摺落し胸をさす也
読み
鱗形(うろこかた)
前の如く抜き合わせ 相手打ち込むを 八重垣の如く切先に手を添へ請け留め 直ぐに敵の太刀を摺り落とし胸を刺す也


読み解く
 前の如く抜き合せ、ですから是も居合膝に相対し、相手より左足を引いて我が右足に抜き付けて来るのを左足を引いて請け止め、上段に振り被らんとする処、相手左足膝を右足踵に引き付け右足を踏み込んで真向に打込んで来る。
  我は左足右足と引いて顔前頭上にて切先を左にして左手を添えて十文字に刃で請ける。
 十文字請けした交点を軸にして、左足を踏み込み左手を相手の顔面に摺り込む様に、右手も引きつつ相手太刀を右下に摺り落とし相手の胸に詰める。
 現代版の第21代福井聖山先生の行われている詰合之位を基に演じてみました。
 然し古伝は「八重垣の如く切先に手を添へ」とは云っていますが、八重垣も鱗形も左手を切先へ添えるとも右手を添えるとも云っていません。どちらでもいいのです。
 更に、相手の打込みを十文字に請けるや一拍子で相手を制する事が出来れば、無理やり摺落す必要はありません。
 詰合の一本目発早の場合は、双方膝前で抜き合せ、我が先んじて上段から真向に打ち込んで勝ちを制しました。
 今度は敵が我が真向に打ち込んで来るのです。一本目で勝ち口を理解しないまま、この五本目鱗形にしてようやく仕組みが申し合わせの棒振りではならない事を気付かせてくれる良い業です。
 
 是も曽田先生による五藤孫兵衛正亮の業附き口伝詰合之位「五本目鱗形」を参考にして見ます。
「座り方同前左足を一足引きて抜合す也其時敵すぐに我面へ上より打つ也我もすぐに太刀の切尖へ左の手を添えて十文字に請て左の足を踏み込み摺り込み勝也刀を合せ血振い納刀」
   十文字請けの方法をどの様にするかは、簡単に「切尖へ左の手を添えて」しか表現されていません。
 切尖は切先ですが、物打ち辺りに拇指と食指の股に刀の棟を当て四指を外向けにして添える様に指導される様ですが、是で良いのでしょうか。
 拇指と食指の股から小指の下の膨らみへ斜めに刀棟が乗る様に添える事も強い斬撃を請けるには研究すべきでしょう。
 
  又、十文字請けと云いますと、顔前頭上に水平に請けるのが如何にもですが、是も右手をやや左手より高く上げ真横では無く稍相手を攻める程の気を持った十文字請けも研究しておきたいものです。
 さらに、この十文字請けの摺り落としを、請けた交点を軸に左手を落としながら右へ摺落す「かたち」がこの流では普通ですが、それでは切先が相手から外れやすい、その上摺落されるのを相手が待って居てくれるような事では意味無しです。
 
 請けた瞬間に摺り落とし同時に切先は相手を目掛けている摺落しを学ぶものでしょう。敢えて言えば、柳生新陰流の九箇之太刀の捷径における刀棒でしょう。
 ある道場の最近の演武会で、この鱗形を演じている男女の写真が掲載されています。女性が仕太刀で摺落していますが、彼女の切先は明らかに相手から外れています。気の強そうな顔ですから写真からは力の入った良い演武をして居る様に思えます。打太刀は楽な雰囲気で摺落され突きこまれるのを待つ雰囲気です。形は武術です。
 形の順番通りには誰でも演じられるでしょう。然しその技術の根本を理解出来なければ武術になりません。
 
 

 

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2017年2月15日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合5鱗形

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
五本目鱗形
鱗形
如前抜合せ相手打込むを八重垣の如く切先に手を添へ請留直二敵の太刀を摺落し胸をさす也
読み
鱗形(うろこかた)
前の如く抜き合わせ 相手打ち込むを 八重垣の如く切先に手を添へ請け留め 直ぐに敵の太刀を摺り落とし胸を刺す也

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2017年2月14日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合4八重垣

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
四本目八重垣
八重垣
 如前抜合たる時相手打込むを我切先二手を懸けて請又敵左より八相二打を切先を上二して留又上より打を請け相手打たむと冠を直耳切先を敵の面へ突詰める(我切先二手を懸希て請け敵右より八相二打を切先を下げて留又敵左より八相二打を切先を上二して留又上より打を頭上尓て十文字に請希次二冠るを従て突込むもあり 曽田メモ)
読み
八重垣(やえがき)
 前の如く 抜き合いたる時 相手打込むを我れ切先に手を掛けて請け 又 敵左より八相に打つを切先を上にして留める 又 上より打つを請け 相手打たんと冠るを直に切先を敵の面へ突き詰める
 (我れ切先に手を掛けて受け 敵右より八相に打つを切先を下げて留め 又
 敵左より八相に打つを切先を上にして留め 又 上より打つを頭上にて十文字に請け 次に冠るを従いて突き込むもあり 曽田メモ) 
・ 

読み解く
 なぜか、大江先生の正座の部五本目八重垣の業名はこの詰合から取ったものでしょう。元は大森流陽進陰退が業名ですが、重信流の詰合を無視して「八重垣」の業名を正座の部の五本目に当てる意義はあったのでしょうか。

 双方居合膝に座し、相手左足を引いて下に抜きつけるを我も左足を引いてこれを下に請ける。
 相手即座に右足を左足に引付右足を踏み込んで真向に打ち込んでくるを、我左足、右足と引いて、切先に左手を添え顔面頭上にこれを十文字に請ける。
 相手再び上段に振り冠って左足を踏み込んで我が左胴に八相に打ち込んでくる。我右足を引いて切先を上にし柄を下にして左脇にこれを刃で請ける。
 相手さらに、上段に振り冠って撃ち込んで来るを、左手を切先に添えたまま顔前頭上に受ける。
 相手又、撃ち込まんと上段に振り冠る処、我すぐに右足を踏み込み切先を相手の面に突き詰める。

 神傳流秘書は、下で合わせ、十文字に上で請け、左脇で請け、再び頭上に十文字に受け、直ぐに突き詰めるのです。
 曽田先生のメモは、下で合わせ、十文字に上で請け、右脇で請け、左脇で請け、又十文字に上で請け、直ぐに突き詰める。と云うのも有りと括弧書きで挿入されています。これは江戸末期の八重垣がその様に変わって来ていたのでしょう。

 何度でも撃ち込まれて稽古するのも良いのですが機を捉えて反撃する事も学ぶ例でしょう。

 曽田先生の五藤先生による業附口伝による詰合之位四本目八重垣
「是も同じく詰合て坐し前の如く左足一足引てさかさまに抜合也敵其儘我面を打ってくるを我又太刀の切尖へ左手を添えて面を請くる也
それより立て敵すぐに我右脇を打つを我其儘刀を右脇にさかさまに取りて此の時右足を一足引き請け留る也
敵又立ちて左の脇を打ち来るを我又左足を一足引て左脇を刀を直にして請け止むる也
敵又上段より面へ打ち来るを我又右足を引きて上を請て敵かむる処を我右足より附込み勝也
刀を合せ原位置に帰り血振納刀」


古伝の稽古では、下で合わせ、十文字受けして、次は相手次第で右か左に受けるのもありでしょう。

 仕組みは演武会用の見世物ではなく、申し合わせに終わるものならばそれだけのものです。
 形手附のみに終始せずに一つの形から次々に変化して稽古する事に依り、場の状況に応じた創造性を学ぶことが武道を形骸化させない事となる筈です。言われた事しかできない、マニュアルが無ければ何も操作できないでは生き残れるわけはありません。

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2017年2月13日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合4八重垣

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
四本目八重垣
八重垣
 如前抜合たる時相手打込むを我切先二手を懸けて請又敵左より八相二打を切先を上二して留又上より打を請け相手打たむと冠を直耳切先を敵の面へ突詰める(我切先二手を懸希て請け敵右より八相二打を切先を下げて留又敵左より八相二打を切先を上二して留又上より打を頭上尓て十文字に請希次二冠るを従て突込むもあり 曽田メモ)
読み
八重垣(やえがき)
 前の如く 抜き合いたる時 相手打込むを我れ切先に手を掛けて請け 又 敵左より八相に打つを切先を上にして留める 又 上より打つを請け 相手打たんと冠るを直に切先を敵の面へ突き詰める
 (我れ切先に手を掛けて受け 敵右より八相に打つを切先を下げて留め 又 敵左より八相に打つを切先を上にして留め 又 上より打つを頭上にて十文字に請け 次に冠るを従いて突き込むもあり 曽田メモ)  

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2017年2月12日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合3岩浪

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
三本目岩浪
岩浪
 拳取の通り相手より拳を取りたる時我よりも前の如く取り我が太刀を放し右の手尓て敵のひぢのかゞみを取り左脇へ引た保春
読み
岩浪(いわなみ)
 拳取の通り相手より拳を取りたる時 我よりも前の如く取り 我が太刀を放し 右の手にて敵の肘のかがみを取り、左脇へ引き倒す

読み解く
 拳取りの通りですから振り返っておきます。「拳取:如前楽々足を引抜合我左の手尓て相手の右の拳を取り刺春也」

 左足を引いて双方下に抜きつける処、今度は相手が先に左足を踏み込んで来て我が拳を制してくる。
 引き落とされる前に、我も即座に左足を踏込み相手の右拳を取り、拳を取られた右手を後ろに引くと同時に太刀を放し相手の手を外し、相手の右手の肘のかがみに右手を付け左足を引いて膝を着き左脇へ引き倒す。
 後はどの様に制するかは指定がありません。顔面を、水月を、金的を拳で打つもあり、脇差を抜いて突くもありでしょう。

 これも曽田先生による五藤孫兵衛正亮による業附口伝詰合之位「岩波」を見てみます。
詰合て坐する也前の如く左の足一足引てさかさまに抜合せ敵よりすぐに我右手首を左の手にてとる也我其儘敵の右の手首を左の手にて取り右手を添えて我左脇へ引倒す也刀を合わせ血振い納刀
(遣方右手を添える時刀を放し直に相手のひじを取るなり 曽田メモ)

 此の業を演ずるのを見ていますと、打太刀が遣方の右手首を先に取っているだけで、遣方が右手を取りに来るのを待っているような仕方がまま見られます。
 始めは、ゆっくり順番通り稽古するのは当然ですが、打太刀が二本目の拳取の如く拳を取るや下に制されると、遣方は手も足も出ません。
 遣方はどのタイミングで応じるのか、二本目の稽古を生かす事はできるのかなど課題を持ちませんと意味のない踊りです。
 形稽古を、「申し合わせだから」ではすまされ無いとても難しい業です。

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2017年2月11日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合3岩浪

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
三本目岩浪
岩浪
 拳取の通り相手より拳を取りたる時我よりも前の如く取り我が太刀を放し右の手尓て敵のひぢのかゞみを取り左脇へ引た保春
読み
岩浪(いわなみ)
 拳取の通り相手より拳を取りたる時 我よりも前の如く取り 我が太刀を放し 右の手にて敵の肘のかがみを取り、左脇へ引き倒す

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2017年2月10日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合2拳取

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
二本目拳取
拳取
 如前楽々足を引抜合我左の手尓て相手の右の拳を取り刺春也
読み
拳取(こぶしとり)
 前の如く 楽々足を引き 抜き合わせ 我左の手にて相手の右の拳を取り刺す也
読み解く
 前の一本目発早の如く「楽々居合膝に坐したる時相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎の一足の如く抜て留め我左の手にて相手の右の拳を取り刺す也」でしょう。

 「楽々」の文言が気になります。楽に座すのは解りますが、「楽々足を引抜合」は、奥の業ですから当然とは云え強いばかりが信条の人には難しいものです。
 敵が我が右膝下に抜き付けて来るのを、虎一足の如く刀を逆にして右足の少し斜め前で刃で請け、敵引かんとする処左足を敵の右足側面に踏込み、左手で敵の右拳を制し右斜め下に崩し、右足を左足後方に摺り込み敵の胸部を刺突する。

 敵の足への抜き付けを、我も同様に敵の足に抜き付け双方の中央で相打ちの如くやる、古伝の「相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎の一足の如く抜て留め・・」とは違うでしょう。

 現代居合では、敵の足への抜き付けを表鎬や峯で受けていますが、これは受け払うことが目的であって抜き付けるとするならば、刃で合わせる事になります。

 敵の右足側面に踏込むのは、手を伸ばして拳を取るのではなく、体で相手に接する瞬間に拳を取って引き下ろすのです。

 拳の取り様は種々有るでしょうが、最も容易な方法が正しいと言えるでしょう。拳を制するのが目的では無く、拳を取って敵の体を崩し反撃できないように制して胸部を刺突するとするのが目的です。
 単純なのは、相手の右手首に我が左手を乗せ其の儘下へ押し下げるなども有効です。
最も悪いのは、相手の拳を制しようと不器用な左手で複雑な術を弄することでしょう。
 敵の態勢を崩す事に気を入れすぎて、拳を制して膝を床に着いて崩すのをよく見かけますが、その意味はあるでしょうか、立って居ても十分崩せます。力強く見えても無駄な動作は隙を作るばかりです。

 此の業も曽田先生の実兄による五藤孫兵衛正亮の業附口伝で江戸後期の詰合之位を見てみます。
詰合之位 拳取
 「是も同じく詰合て坐しさかしまに抜合すこと前同然也我其儘左の足を踏み込み敵の右手首(拳ならん 曽田メモ)を左手にて押える也後同断」

 この業附口伝では「左手にて押える也後同断」です。敵の手を左手で押えるのはわかりますが「後同断」では全然わかりません。
 一本目と同断でもこの場合は相手の真向に「発早」の如く打ち込めないでしょう。
 打ち込めたとしても何のために相手の右手首を押えるのかわかりません。
 ここでの同断は、太刀打之位の二本目「附込」かもしれません。立ち技ですが参考にしてみます。
 「是も出合の如く相懸りにて右の足を先にして場合にてさかさまに抜合せ敵の引かんとする処を我左の足を一足付込左の手にて敵の右の手首を取る此の時は左下に引きて敵の体勢を崩す心持にてなすべし互に刀を合せ五歩退き八相に構え次に移る也」
 

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2017年2月 9日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合2拳取

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
二本目拳取
拳取
 如前楽々足を引抜合我左の手尓て相手の右の拳を取り刺春也
読み
拳取(こぶしとり)
 前の如く 楽々足を引き 抜き合わせ 我左の手にて相手の右の拳を取り刺す也

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2017年2月 8日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合1発早

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
7、重信流
1)詰合
一本目発早
詰合(重信流也 従是奥之事 極意たる二依而格日二稽古する也)
 
一本目発早
 楽々居合膝二坐したる時相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎の一足の如く抜て留め打太刀請る上へ取り打込ミ勝也
読み
詰合(つめあい)(重信流也 是より奥之事 極意たるによりて確実に稽古する也)
 発早(はっそう)
 楽々居合膝に座したる時 相手左の足を引き下へ抜き付けるを 我も左の足を引きて虎の一足の如く抜きて留め 打太刀請ける上へ取り打込み勝つ也

読み解く
 詰合(重信流である、これより奥の事、極意なので確実に稽古するものである)
この詰合以降の業は極意業と言っています。
 是より重信流とは詰合・大小詰・大小立詰・大剣取・抜刀心持之事となります。
 但し大剣取は「此太刀打は和之伝二有る也」と添え書きがあるので重信流では無いかもしれません。神傳流秘書にこれ以上の説明は有りませんので実証できません。
 古伝を置き捨ててしまった明治の土佐の居合は奥の稽古が不十分です。その分、業の技法の末節に拘り過ぎているようです。場の想定を特定してしまい、物差しで測るような運剣動作のありように、先師は嘆いているでしょう。
 古伝の教えを知らなかった為に、他の武術を取り込みおかしな技法を得々として指導したりしているところもあります。中には、大江先生が残した業以外は無双直伝英信流に非ずと息巻く次第です。
 大江先生も中学生向けにやむなく古伝を置き捨てにして来ただけかも知れません。或は業名ばかりで指導されなかったかも知れません。然し謂れも無く置いて行かれた土佐の居合の業も、心得もそこには生死を懸けて学んだいくつもの事が散りばめられ、心を洗われます。
 詰合もそんな憂き目にあっている仕組の太刀打です。おおいに稽古し、独りよがりの空間刀法から抜け出るきっかけを作りたいものです。居合の仕組としては最も良い稽古内容です。
 詰合が打てない者が、時と共に棒振り上段者になって、間と間合いなどと知ったかぶりの武術論を述べるのを聞いていますと虚しくなります。
 最近は詰合を、演武会の出し物の様にされている処も有る様ですが、あくまで稽古業であるはずです。形から抜け出せなければただの申し合わせの踊りです。

一本目発早

 楽々居合膝に座したる時相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎の一足の如く抜て留め打太刀請る上へ取り打込み勝也


 「楽々居合膝に座したる時」ですが居合膝の座し方の説明は有りません。相対して座す時の武士の座し方は時代考証ではどうだったのでしょう。
 戦国末期では正座は一般的でなかったと云う事を信じれば、胡坐か片膝を立てた坐り方だったでしょう。
 変時に、即座に応じられる座り方は右片膝を立て足裏を着き、左膝を着き爪立った立膝の構えでしょう。其の儘尻を左足に下ろし足を寝かせれば略現代の居合膝です。
 この詰合は戦国末期に林崎甚助重信から引き継いで居る業ならば片膝立てた座仕方と云えそうです。
 河野先生は甲冑を付けた時の座仕方、と云い切っていますが其れも有でしょうが甲冑など江戸中期には殆ど不要です。そこまで言い切るのは疑問です。寧ろ攻撃態勢を保持した体構えと考えた方が自然です。

 此処で、神傳流秘書が「居合膝」と指定しているのは、居合う、互に座して向かい合う時、位の意味のもので、座仕方は何時でも応じられる体構えと考えればいいでしょう。それが現在の居合膝であってもいいと言えます。

 江戸時代から殿中の座し方は正座となり庶民にも広まっていったと聞いています。この詰合を正座から始める事も無駄な事とは言えません。異変を察したならば両爪先を立て右足を左膝の位置までスット出して体を臨戦態勢に変化させれば済むでしょう。

 互に片膝を立てて座している時敵より、腰を上げて左足を引くや我が右足に抜き付けて来る、我も即座に左足を引いて敵の刀を右足斜め前で虎一足の様に(左足を引き刀を逆さに抜て留め)受け留める。

 古伝は、相打ちではありません。敵に抜き付けられ請け止めています。
相手請け止められて上段に冠らんとする処、我は左足膝を右足に引き付け座すや敵の真向に打ち下す、敵頭上にて物打ち下に左手を添えて十文字に之を請ける処刀諸共斬り下ろして勝。

 曽田先生の実兄が指導を受けた第16代五藤孫平衛正亮・谷村樵夫自庸の口伝が曽田先生の業附口伝として残されています。

業附口伝 詰合之位
「一本目八相(口伝に発早とあり)
是は互に鞘に納めて詰合て相向い右膝立て座る也互に左足を一足引きて倒様に抜合する也(互に右脛へ抜付ける)
其儘ひざを突き仕太刀はかむりて面へ打込也此の時打太刀は十文字に頭上にて請け止むる也
互に合せ血振い足を引き納刀」

*古伝の教えを失って、形ばかりの仕組の手附になってしまった様です。下に互に抜き合せる相打ちです。
古伝は打太刀に抜き付けられ、敵の剣先は我が膝下に付き、我は敵の刀を受払う事で後の先を取って勝ちとなっています。
 稽古は古伝の心持ちとすべきで、互いの真中で刀も届いて居ない様な位置で相打ちなど何千回稽古したところで何も生まれてこないでしょう。
 「虎の一足の如く抜て留め」この文言がポイントです。

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2017年2月 7日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合1発早

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、重信流
1)詰合
一本目発早
詰合(重信流也 従是奥之事 極意たる二依而格日二稽古する也)
一本目発早
 楽々居合膝二坐したる時相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎の一足の如く抜て留め打太刀請る上へ取り打込ミ勝也
読み
詰合(つめあい)(重信流也 是より奥之事 極意たるによりて確実に稽古する也)
発早(はっそう)
 楽々居合膝に座したる時 相手左の足を引き下へ抜き付けるを 我も左の足を引きて虎の一足の如く抜きて留め 打太刀請ける上へ取り打込み勝つ也

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2017年2月 6日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7詰合の序

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、詰合
詰合(重信流也 従是奥之事 極意たる二依而格日に稽古春る也)
読み
詰合(つめあい)
(重信流也 是より奥之事 極意たるに依りて確実に稽古する也)
 詰合は、第17代大江正路先生が置き捨ててしまいましたので、太刀打之事と同様にその組太刀の技が伝わっていない処も多くある様です。
 土佐でも、江戸末期から明治に掛けて稽古する人も無かったかもしれません。大江正路先生が奥居合を何故か改変し、太刀打之事も十本あったものを七本にして中学生向きに改変創作しています。
 詰合はそんな中で中学生には無理として消し去ろうとしたのか、大江先生でも業名ばかりで知らなかったかも知れません。
 詰合は神傳流秘書では「重信流也」と前書きされていますが、始祖林崎甚助重信公より伝承した仕組(組太刀)であったか確証は有りません。
 第9代林六太夫守政が江戸から土佐に持ち込み、第10代林安太夫政詡がまとめたであろう神傳流秘書にしっかり重信流と書き残されています。
 古伝太刀打之位と同様、土佐に伝承していた証しは免許皆伝による根元之巻の業目録に見られますが、業名ばかりで充分稽古されて伝承したかどうか疑問です。
 土佐の居合は総合武術としてのかたちは整っていますが、目録による業名の伝承と業手附により一部の者が打っていたに過ぎないようにも思います。
 それは、現在でも一部の道場の一部の者で打たれるに過ぎない事でも大切にされて来なかったと想像されてしまいます。其の内容が決して他流に劣るものでは無いと信じます。
 香取神道流や水鴎流に見られる総合武術の伝承から見れば、あまりにも現在の無双直伝英信流は居合に偏っています。
 自流の業技法を知らず他流の形や和を持ち込むのではなく古伝を見直したいものです。
 無双直伝英信流山内派などでは大江先生が伝承していない詰合など打つべきにあらず、と言う考え方にも依る事も土佐の居合を捻じ曲げている事もあると思います。此の事は山内派の始祖山内豊健先生も宇野又二先生も詰合を知らずに打てなかったとしか思えません。その反面他の体術などが稽古されている様で不思議です。
 戦中戦後に関しては、昭和17年五月に土佐に渡って第19代福井春政先生田岡 傳先生に直に指導を受けたと言う、嶋 専吉先生の「無双直伝居合道形乾」に太刀打之位及び詰合之位の稽古風景が残されています。
 私が詰合に出会ったのは、第21代福井先生と吉村先生のビデオでこれを拝見してからです。福井先生は何処かに手附けを残されたかと探したのですが見当たらなかったものです。
 近くでは誰も打てる人はおらず、先輩とビデオを見ながら形を追って覚えたものでした。その後第20代河野百錬先生の昭和13年に発行された無双直伝英信流居合道を手に入れてようやく全貌が見えたものでした。
 当時通っていた所の道場長や古参の者は、自分達の知らない詰合を稽古し演武会で打つ私を嫌って冷たい視線が刺していました。
 「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と仰った、大田次吉先生を知り得たのもこの頃のことです。それから古伝を背中に背負うことになりました。大田次吉先生は昨年没後33回忌を往時のお弟子さん方によって営まれています。
 余談ですが、弟子に見限られる者と、死後33年も慕われる師匠との違いは、あの一言にあるのでしょう。
 近年は動画などで見る機会も有りますが、これが古伝と言うには、聊か疑問なのでこの曽田本による神傳流秘書の詰合をしっかり学んでみます。
 詰合・大小詰・大小立詰がしばらく続きます。坐し方は特定できませんが、現在の立膝の坐し方で、仕打2尺から3尺の間合いで向かい合い、双方とも太刀を帯しての攻防です。
 現在では最もわかりやすい詰合は政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻の巻末にある写真入り解説が解りやすいものです。これは神傳流秘書に依ると思われます。政岡先生の神傳流秘書の出処は不明です。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳流重信流伝書集及び業手付解説」の詰合業手付及び口伝の解説及び線画も良く判ります。これは細川家から出たもので神傳流秘書をもとにされています。
 河野百錬先生の昭和13年の「無双直伝英信流居合道」に詰合之位として業手附が記載されていますがこれは曽田本その1にある曽田先生が実兄より口伝された第16代五藤正亮先生の詰合の曽田先生の記述です。古伝ではありませんが古伝の面影をとどめています。
 河野先生も土佐の居合の本物を求めておられたのでしょう。
 河野先生に依る詰合は今一つ昭和29年の無双直伝英信流居合兵法叢書に有ります。これは曽田先生の曽田本その1そのものです。
 河野先生は門外不出の名のもとに多くを失ってきた土佐の居合を惜しまれたと思います。曽田先生との出会いはうれしかったでしょう。反面土佐の古老からは疎んじられたかもしれません。その「つけ」は、第21代の宗家継承にまで及んだと思います。
 第17代大江正路先生が指導された系統は大江先生から詰合は伝承されていないと思われます。
 土佐における詰合の復活は昭和に入って記述され演じられた、曽田先生の曽田本から実兄土居亀江口伝のものが元になっている様です。
 動画で古いものは、第21代福井聖山先生が打たれているビデオ映像が河野先生の曽田本による詰合をよく踏襲されて見せる、習わせる形としてわかりやすいものと思われます。
 居合も仕組も、大道芸の如く他人に見せる目的で行われたものでは無いので、申し合わせなどに捉われたまま演武会でこれ見よがしに打つなどは私の目的外のことです。
 言い訳に「初心のうちは申し合わせの「かたち」を正しく演じる物」そうでしょう。然しいつまで経っても言われたままそのままそこに留まっていては・・・古伝が泣いています。詰合は武的演舞ではありません。
 
 古伝神傳流秘書を基に今日から四月半ばまで、詰合・大小詰・大小立詰・大剣取と毎日ブログで稽古して行きます。
 現代居合も竹刀剣道も直線運動ばかりが目立ちます、何処まで古伝に近づけるでしょう。古流剣術も大いに駆使して研究してみます。
 
今年の違師伝交流稽古会の課題は「詰合」です。
 
 
 
 
 

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2017年2月 5日 (日)

批判と和の5

批判と和の5
 
 日の出と共に家を出て 曹洞宗陽谷山龍宝寺への道をゆっくり歩きます。朝日が里山に掛る雲を赤く染めて行き、見慣れたご近所の庭先では赤や白の梅が満開です。
 
 本堂では住職の心配りのストーブが燃えています。
 少しばかり歩いたぬくもりがあるうちに、冷え切った板の間に座蒲を置いて隙間風が入りそうな透間だらけのすりガラスの戸に向って座します。既に幾人か外に向かって座しています。
 
 早朝ここで座禅をしています。小鳥の鳴き声や風の音、遠くに聞こえる車の音ばかりの静かな時間です。何も思う事も無くふと立ち寄って座ったにすぎないこの空間に何故か癒されています。
 行事の一つで義務的なものでもなく、座る場所までも気を遣う煩いもなく、顔も知らない幾人かとまじって、誰にも強要されたわけでもなく、それぞれの人が、それぞれに同じ時間と居場所を共用しています。
 此処には、座禅する人への批判も無く、一時を座禅の中で「和」しています。座禅の後に住職の一服のおもてなしに寄り集まって取り留めのない世間話をしてほっとします。
 先日、講習会があって出かけて行きました。正月早々に奥様を亡くされた先生が、今年は不参加と聞いていたのですが来ておられます。「気が滅入って仕方がないので、稽古を始めた」と仰います。講習会と言えば、休む事も無く通われた方です。あと少しで90歳です。
 あっちのほうから、昨年小太刀之位をお弟子さんと稽古されて私達にご披露下さった、はじけるばかりの笑顔の先生と出合います。
 道場に戻っても誰にも伝える機会はないが、誰も本気で教えてくれないのでここに来ている、と聊か寂しげな・・・。
 「今年は、更に上の段位を受けるので・・・」やれやれ、見渡すとそんな・・・幾人かが・・。
 昨年も来られていたご高齢の先生のお顔が見られません。雪でしょうか体調を壊されていなければ良いがと心配です。
 講習会が終われば、「今年も昨年と違うことを言っている、先代とは技が違う、あんな技はない」と息巻いていた先生も見られません。それでも、参加しているだけで批判と和の初歩だけは出来ていたのに・・。講義内容を揶揄した分だけ力量も上がっていたかもしれません。自分から進歩に蓋をしてしまった様です。
 「わしの指導するままでいい」と言っていた先生は、不参加です。批判するなと云っていながら最も悪い無視する否定の心根のようです。
 講師が真剣に語りかけてくる想いには、この道に費やした重みがあります。一言も聞き漏らすまいと引き付けられます。やはりそうだったかと納得し、普段聞きなれない、また見慣れない動作に思いもつかなかったとさらなる精進を思います。
 批判とは、人との触れ合いから自分の独創を納得したり、誤りがあれば改めたり、気づかなかった事に気づいたりの連続でしょう。そして昇華するものです。
 羽織を脱いで座したためか、しんしんと体が冷えてきます。走馬灯のように巡っていくとりとめもない思いにいつの間にか時間が過ぎています。
 座禅終了の鐘が鳴って住職のおもてなしの菓子と熱いお茶に腹の中は生き返る様ですが、手足の冷えはなかなかです。
 座禅をしながら、早く終わらないかと数を数えていた数カ月前とは聊か違ってきました。この頃は断片的な妄想が落としどころも無く巡っています。
 悟れるわけもないまま、次々に巡り来るものに批判と和を被せながら思い続けて、足踏みしつつ前に向って行くのでしょう。
 この座禅の話しを師匠にしますと「それはダメだ、坐禅とは何も考えずにするものだ」だそうです。さて、どうも決めつけられると疑問を抱きます、しばらく続けてみましょう。
 
 批判と和を終わります。
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒8袖返

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
6、坂橋流棒
2)太刀合之棒
八本目袖返
袖返
 棒より打込むを横に拂をはつし棒の先を突付る心二亭面に勝 我ハ棒を左の手二亭突敵ハ車に構へて居相手太刀を右車二構我棒を左の手二亭杖二突居る処へ右の手を添へ棒より打込むを横二拂ふをはつして棒の先を面二突込む心二亭勝  以上八本
読み
袖返(そでかえし)
 棒より打ち込むを横に拂うを外し 棒の先を突き付ける心にて面に勝つ 我は棒を左の手にて突き 敵は車に構えて居る 相手太刀を右車に構え 我棒を左の手にて杖(つえ)に突きいる処へ 右の手を添え棒より打ち込むを 横に拂うを外して 棒の先を面に突き込む心にて勝つ
 以上八本


読み解く
 これは、難しそうで単純な業です。
 相手は右車に構えている。
 車の構えは竹刀剣道の横車の様に、顔を我が方に向け、両足を肩幅に開き、左肩と右肩を水平に入身とし、左手の柄頭は我が方に向けて左腰に付け、右手は右足股関節辺りに付け、刀の切っ先を下げて刃を下に向け構える。
 この構えから現代の形では上段に振り冠ってから右足を踏み出し真向切り下したり、袈裟に切り下します。

 江戸中期の古流では、この方法も行われていたでしょうが、多くはこの構えで腰を低く両膝を開き四股を踏む形で、刀の刃は外向きで刃を我に見せているでしょう。
 古流はこの形を変えずに、そのまま右足を踏み込み目標の処に打ち込んでゆきます。

 我は左手で棒の上を持ち杖について左足をやや前に出しその爪先あたりに棒をついて立ちます。
我から仕掛けて、右手を逆手に棒に添え右肩に廻し、右足を踏み込んで相手の左肩に打ち込む。
 相手これを横車の構えから右足を踏み込み横から払ってくる。払われる儘に相手太刀を左足を踏み替え請け流し右から廻して棒の先を相手の面に突き込む。

 我れ相手の左肩に打ち込むや相手その足踏みのまま払ってくることもあるでしょう(柳生新陰流の一刀両断)。
 我の棒での打ち込みは相手の左肩に当たる様に打ち込めば相手は左肩を体を左に引き外せます。外すと同時に払ってくるので、相手太刀は我が棒を払い打つことになります。払われて請け流し突き込むとしたのですが、これでは「「棒より打込むを横に払ふをはづし」の文言にヒット出来たでしょうか。

これも第12代の英信流目録の袖返で稽古してみます。
居合棒太刀合巻 棒太刀合之位「袖返」
「是は敵は太刀を車に構え居也我は棒にて上より討也其所を敵横になぐる也我其所を懸け太刀の裏を廻し棒の先きにてみけんを突也」

*「懸け太刀の裏を廻し」は、我が棒で相手の左肩に打ち込む処、相手は太刀で棒を払ってくる、払われる儘棒の先を左手を引いて引き戻し、相手太刀の裏からみけんに突き込む。

 第9代林六太夫守政が江戸で習ったものを第十代林安太夫政詡が文章にしたのだろうと思われます。その動作を、習った第十一代大黒元右衛門清勝、その次は英信流目録を書いた第十二代林益太夫政誠です。之等の先師方は皆縁戚関係あったようです。それでも動作は変わっています。

 この坂橋流之棒が絶えて久しい現代に「本当はこうであった」と言い切る事は不可能でしょう。手附が伝える意図を汲み取り工夫するばかりです。居合を業じ、棒を合せ業じられる方の工夫をお聞かせ願えれば最高の喜びです。

以上八本

 坂橋流棒は前回の棒合五本、今回の太刀合之棒八本の十三本が神傳流秘書では伝えられています。

 安永五年1776年に林益之丞政誠による英信流目録二巻によれば、居合棒太刀合之巻に棒太刀合之位八本、棒合五に五本、心持之事に五本、極意之大事に八本があります。
神傳流秘書には心持之事、極意之大事は有りません。これらも坂橋流の棒であるかは解りません。

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2017年2月 4日 (土)

批判と和の4

批判と和の4
据え物斬り
 一時期抜刀と称して藁切りを主とする会に首を突っ込んだ古参の者が、「藁も斬れない居合など武術では無い」と言って、何人もの初心者を引き込んで藁切りの道場に連れて行ったり、糞握りを推奨したり、重く肉厚の刀を売り付けたりしてあらぬ方に向っていました。
 それだけによく研究して、稽古も怠らず、なかなか魅力的な剣士でした。その後、当人の警察沙汰も有ったとかで其れを機に退会して行きました。
 そんな事で藁切りは禁止令が出て、奉納演武などで得々と藁を切って居たのも廃止されました。
 藁切り禁止令は続いていたにもかかわらず、未熟な古参の者がほとぼりも覚めたと思ったのでしょう、興味本位の切れる居合をしたい、などの言葉に踊らされて女性や初心者と藁切りを始めようとしていました。
 其処の役員達で再び禁止の触れを出そうということになったのですが、インターネットで調べて見ると続々と藁切りに加入している者が居るのです。
 藁を切って居る写真や動画まで出ています。中には当該地区の藁切り連盟の責任者と称する者なども混じっています。
 何を感じたのか道場長は、再度の禁止令を出すのを取りやめ、その代わりそのような者は居合の稽古に通うことは厭わないが、昇段の推薦については行わないということでお茶をにごしていたのです。
 何故再度の禁止令を取りやめたのかは想像にお任せします。
 藁切り屋さん、何となく居心地が悪いのか、普段の稽古はサボりがちですが、昇段審査時期になるとのこのこ出て来て京都などであう事も有ります。
 
 藁でも竹でも、薪でも、好きに切ったり割ったりしていれば良いのですが、道場で決めた事を守らせないで放置したまま、弟子が藁切りに通い、藁切り仲間を道場内で誘うなどを許していたのでは、出鱈目です。
 あっちこっちに仲良しグループが出来ていて「群而不黨」など夢物語で誹謗中傷ばかりで「批判」や「和」など何処へやらです。
 そろそろ藁切りに加盟している者が準範士を受審できる頃合いになってきているはずです。さて推薦しないという約束事は守られるのでしょうか・・・。
 
 藁が斬れても居合にはならない、藁など上手く斬れなくとも居合になります。斬るべきものは藁でも無く、人前で大道芸の如く得々と藁を切って、何を求め何を試しているのでしょう。
 刃筋が見事に通る事は、手の内を心得、間を知り、これは刀の基本と言います。心を沈め、無心とならなければ難しいとか言って精神修養になるとでも言うのでしょうか。
 「お前に藁切りの心が解かるか」・・・私は刃物は当たれば斬れると思っていますから、藁が上手く斬れた所で何程のものでもないと思っています。藁を切るのが上手な上に自分の手まで傷つけ道場の床を血だらけにしていたのではお笑いぐさです。
 
 余程藁切り上手を誇りに思っているのでしょう。
 無双直伝英信流の立膝の部五本目颪なのですが、先代の指導では敵は右45度方向から我が柄を取りに来るので、それを外して顔面に柄当てして、右方向45度に袈裟に抜きつけて居たのでこれは角度的に申し分なく切れる、というのです。
 処が当代は右脇から柄を取りに来るので、背中で切る様になって切り込めない、こんな想定に応じる技は変だ、というのです。
 おまけに体に斬り込まれた刀を抉(えぐる)ようにして引き倒すなど出来ないと、人を斬ったような武術論まで吹いています。
 
 相手の位置を指定する想定などあるわけはないでしょう。右45度でしか有効斬撃が出来ない者は、柄頭で相手を追うように自分の軸を右に稍々廻しずらせばいいだけです。
 未熟な自分の腕はどこへやら、思う様に切られて呉れる処に敵が居て欲しいのでしょう。据え物切りの陥る処だとしても、そんな安易な教えなどあろうはずもないでしょう。
 
 何処から敵が来ようと颪で打ち勝てる稽古を積み重ね、場合によっては颪の動作では不利と瞬時に判断して、他の技で応じるように研鑽をするのが武術であり修業です。
 無双直伝英信流の立膝の部の場合、右に敵を受けた場合の業は浮雲と颪だけです。これだけで右敵の攻撃にすべて応じられるわけは無い筈です。
 それも、敵が我が柄を取りに来る想定と、敵が抜き付けんとする柄手を制する彼我逆の想定も古伝はそれに応じる動作もおおらかに受け入れています。それは現代でも無双直伝英信流と夢想神傳流に引き継がれているのです。
 立膝の部では左廻りしか業には無いけれど、右廻りの立膝での横一線の抜き付けも、袈裟切りも、真向も右の敵に即座に出来てあたりまえでしょう。
 「何時如何なる変にも応じられる」を求める者でありたいものです。形しか追えない者が、藁を見事に両断してもあまり意味は無さそうです。
 
 
 現代居合が「形」に拘り過ぎますと柔軟性の乏しい役立たずを育ててしまい、己の未熟を棚に上げ、当代の想定がおかしいと他人否定に転化してしまう者もいるようです。
 
 誰でも己が主役です、然し、我が人生に丁度良い処に据え物があるはずはないでしょう。   
 変化極りない事に応じる心を磨かずして何を修業するのでしょう。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の1神傳流秘書原文6坂橋流棒2太刀合之棒8袖返

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
6、坂橋流棒
2)太刀合之棒
八本目袖返
袖返
 棒より打込むを横に拂をはつし棒の先を突付る心二亭面に勝 我ハ棒を左の手二亭突敵ハ車に構へて居相手太刀を右車二構我棒を左の手二亭杖二突居る処へ右の手を添へ棒より打込むを横二拂ふをはつして棒の先を面二突込む心二亭勝  以上八本
読み
袖返(そでかえし)
 棒より打ち込むを横に拂うを外し 棒の先を突き付ける心にて面に勝つ 我は棒を左の手にて突き 敵は車に構えて居る 相手太刀を右車に構え 我棒を左の手にて杖(つえ)に突きいる処へ 右の手を添え棒より打ち込むを 横に拂うを外して 棒の先を面に突き込む心にて勝つ
 以上八本

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2017年2月 3日 (金)

批判と和の3

批判と和の3

 もう随分前の事です。正座之部(大森流)の受流(流刀)について、正面から斬って来られるのを、右斜め前向きに正坐し、左足を斜め前に踏み出して刀を抜出し、打ち込まれる寸前に右足爪先を右に向けて正面45度の位置に踏み開いて、左肩を覆う様に刀を抜上げ敵刀を受け流すや、受け流されて前にのめる敵の肩に斬り付ける様に指導しています。
 右足を右に踏んでしまいますと、我が中心軸が右に大きく移動するので、敵刀は我が刀の物打に触れるかどうか疑問です。これでは逃げ流しです。

 当代の右足裁きを稽古して見ます。左足は上と同じです。右足は身幅(約40cm)ほど右に爪先を正面に向けて踏み立て敵刀を受けています。我が体軸は右に身幅の半分は移動します。従って敵刀の物打と我が刀の物打が接した瞬間切先を左に返して受け流します。

 ある時期、受流しに夢中になって居ましたので、古参の先輩の動作を見ていました、刀の柄を上に向けて抜き放ち受流したつもりでいます。左肩は全く無防備でたとえ敵刀を受け流せても左肩は斬り込まれています。

 そうかと思えば右片手で鍔元8寸程でがっちり敵刀を受け留めてから、右足を左足に踏み揃え左斜めに向き直って敵刀を流して斬り付ける受け止め流しもありました。

 それらを、その先生にどうすべきか、どうして誰も当代の受流をしないのかとお聞きしました。
 答えは「お前に何が解る」と一蹴されてしまいました。
 それ以来、「あいつには居合を教えない」だそうです。若いころに習った方法以外は試そうともせずにいるようです。当代から最高の允可を受けているのに不思議な事です。

 古参の肩を切られるのも、「それでは肩を切られませんか」と言ったところ真っ赤になって「無礼な」と怒り出します。

 受け止め流しでは、散々打込んでもらって稽古してみましたが、非力な私では右手小指、薬指にヒビが入ってしばらく刀を握るのが苦痛でした。お陰様で右手が勝った打ち込みをしなくなったものです。

 これでは居合風演舞を毎日稽古している様なものです。上に上げたどの方法も決して間違ってはいないでしょう、有効な技になり切れていない処を認識し場に応じられれば、すぐに役立つ技ばかりです。

 尋ねられれば、先師の教えも自論も語れるものでありたいものです。その上で、自ら考えて稽古すべきであることも忘れてはならないでしょう。

 批判的な見方をしないまま、役立たずの演舞を華麗に演じるばかりで、武道は「和に始まり和に終わる」と得々と演説されても意味がありません。和が昇華したのか、武道は「礼に始まり礼に終わる」と道場長に礼を盡せと言うばかりです。

 論理的なものの見方や考え方、批判と悪口の区別を明確にして、批判をもって議論をし、その会話を楽しみつつ、皆でよりよい知恵を生み出し、技術を磨き、過去の誤った解釈やおざなりの遺物では無い本物の日本文化を継承するべきでしょう。伝承するとは元があってなお進化するものです。昔の儘では無い筈です。

 正月早々、連盟に所属していてもしばらく居合から遠ざかっていた先輩と居合の稽古をしていました。
 先輩はいつの間にか当代の業技法からも遠ざかっています。「最近はこんな風に習っています」といくつかをお見せしたのですが、残念ながら批判され己の業技法を否定されたと思われた様です。
 さすが年の功でしょうか、感情は露わではなくとも伝わって来ます。一緒にその良し悪しを考えて欲しかったのに・・・思いつくままに。

 この「批判と和」については、空手家の時津賢治先生の「武的発想論」1999年発行及び能楽師の安田 昇先生の「日本人の身体」2014年発行の著述に背中を押されて書き込みました。

 この「批判と和」を書き終えて、「武道は上意下達に決まっとる」と嘯いた何処かの先生の顔を思い出しました。その癖当代から最高段位の允可を受けていながら「あれは変だからやらん」と言っていたなあと「あの人の人生は矛盾だらけだ」と苦笑いしながら散歩に出ました。この先生自衛隊上がりだったと思いだしました。

 寒気の到来とか、外は風もないのに動くと頬に冷気が染み込んできます。日当たりもさして良くない路地裏に、蕗の薹が四つ五つ芽吹いています。(2017年1月14日)きっと地中に春の兆しがあるのでしょう。自然は何も拘らず環境に素直に応じています。

 玉縄桜も例年より早く咲き出しては見たものの、霜あたりして萎んでしまいます。然し明らかに春を先取りして次々に咲き出してきます。後一週間もすれば満開を謳歌しそうな雰囲気です。
 でも、花を訪れるハナアブが来なければ、無駄に咲くばかりです。スズメやヒヨドリに摘ままれてしまうでしょう。

 私の師匠は「お前さん険しい路に踏み込んだな、進む以外にない」と・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒7見返

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
6、坂橋流棒
2)太刀合之棒
七本目見返
見返
右の手にて棒を引摺り行くを相手後より付来り打込を其儘右へ振り向き棒先を面へ突込む
読み
見返(みかえり)
 右の手にて棒を引き摺り行くを 相手後より付き来たり打込むを そのまま右へ振り向き   棒先を面へ突き込む
読み解く
 七本目は見返ですから振り向いて応じる業です。
 右の手に棒を持って引きずって歩み行くのですから六尺棒でしたら棒の中を右手で持って歩くと棒の先が地面を引きずります。四尺二寸の杖ですと三分の一辺りでしょう。
 棒は刀より無造作に扱われていたようです。

 適は後ろから追いついて来て、突然刀を抜いて真向に打込んで来る。無言で打込むのは武士の作法に外れますから、名を呼ぶなり、掛け声を発して打込む事を知らせるのですが、此処も敵は掛け声を発しておきましょう。
 不意打ちに応じられる迄稽古を積めば、無言の闇打ちも感じられるかもしれません。チャンバラ映画の見すぎですからそんな事も思ってしまいます。

 我は、害意を察するや、左足を右足の前に大きく踏み出し、左手を逆手に棒の先に取り右に廻りながら、棒の先を地摺りから打込まんとする相手の面へ突き込み勝。

左足の大きな踏み込みで相手の打ち込みの間をはずしておきました。

 是も第12代の林益之丞政誠の英信流目録から見てみます。
居合棒太刀合巻 棒太刀合之位七本目「見返」
「是は右の手にて棒の端をさげ引きずり行也敵跡よりおがみ討に討所を其拍子に連れて見返りざまに左の手にて棒の端を取り右の手にて中をおさえ敵のみけんを突也」

*英信流目録では「右手で棒の端をさげ引きずり行」と棒の持ち様を指定して居ます。振り返って「左手で棒の端を取り」、「右手にて中をおさえ」ですから右手を棒中に滑らせて棒の先を相手の面に突き込むのでしょう。足捌きについてはご自由にという処でしょう。

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2017年2月 2日 (木)

批判と和の2

批判と和の2
 
 批判と悪口の区別もつかない、「調和する」と云う事と「同じ」ということの区別もつかないのもどうやら武道の道場によくみられるお粗末な特色の様です。
 日本における「和」のイメージは、文句も言わずに皆が同じ事をしたり、するようにさせる「統制」のイメージです。これでは「仲良しこよし」を演じているだけです。
 初心のうちはまだしも、修行が進めば疑問も出てきます。指導者の良し悪しが大きく影響する頃です。
 
 生まれながらに下位の身分であった江戸時代でさえ教養も高くしっかりした考えを持つ人も居た日本は、現代ではより多くのすぐれ者もいそうです・・・??。
 勉強したければ望めば何とか資料も手に入ります。古い先達の動画も他流の動画でも容易に見られる時代です。
 師伝は師伝で良いのですが、それだけでは武道を修業しているとは言えないでしょう。書道であれば、へぼ先生のお手本を見ての手習いに過ぎません。王義之や懐素や王鐸などの古典が幾つもあるのです。それらをせっせと学んで自分のものを身に付けなければなりません。
 
 議論を出し尽くして最後は多数決で決めるのならばまだしも、一応意見を出して話し合いますが、意見を出すばかりで、議論はしない。
 議論には他の意見を批判する事が必要ですし、同意したり反対する理由なども述べ、その論理性もなければなりません。批判には責任が付いて廻ります。日本人の居場所を求める性向が批判を苦手にしてしまいます。
 
 有る特定な考えに賛成者が多数で決定されると、決まったことは何が何でも守るのも民主主義の特色の様です。違う考えの人も従わなければなりません。これは「調和」とは異なります。
 一般的な議論を見ていますと、長である人の顔色をうかがいながらの事が多く、議論をし尽して「最も良い知恵が浮かび出た」のとは違う様で、これでは議論など無駄です。
 
 武術には議論などはいらない、長の教えに従うのみ、そうでなければ伝統武術は継承できないというのでしょう。それは一部のすぐれ者の長の話しでしょう。
 「昔はこうだった」と何時の昔か知りませんが「先代はこの様で、当代はこうだ」、「去年の教えはこうだった、今年はこうだ」で「わしはこう思う」だから従え、などでは、最初から自分だけが一番で先代も当代も無いもので理屈に合いません。
 
 日本人は批判し、議論をし尽し、問題を解決する習慣に乏しいと云われます。批判し議論を重ね、得られる「和」を考えてみたいと思います。
 「和」については、聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条「和を以て貴しと為す」の文言が既にあって、多くの人がこの文言を知っています。でも、自分に都合の良い様に勝手に解釈され独り歩きしていると思われます。
 
 聖徳太子の十七条の憲法第一条を読んでみましょう。

原文
 一曰 以和爲貴 無忤爲宗 人皆有黨 亦少達者 以是 或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成
読み下し
 一に曰 和を以て貴しと為す 忤(さからう)こと無きを宗とす 人皆黨(たむら)有り 亦建者(さとれるもの)少なし 是を以て 或るは君父に順(したがわ)ず 乍(たちまち)隣里と違(たが)う 然れども上和し下睦み 事を論(あげつらう)に諧(かなえ)ば 則ち事理自ずから通じ 何事も成らざらん
 此処で問題なのは「和」の解釈です。聖徳太子は「和」が大切だと云っています。この「和」は「論」じあって問題解決する事だと云うのです。
 「和」の意味は、やわらぐ・睦ぶ・調う・たいらか・平らぐ・仲直りする・順う・諧う・合す・のどか・調子を合す・まねをする・混ぜ合わす。などでしょう。
 「和」には今では使われていませんが「龢」という文字があります。「和」の異体字とする学者もいますが、「龢」の異体字が「和」ともいう学者もいます。「龢」は「和」の古字とも云われます。混同して使用されている様です。
 聖徳太子の十七条の憲法の「わ」は「和」ではなく「龢」が使われていたといわれます。
 「龢」の意味は、声を合わせる・調子を合わせる・調う・やわらぐなどで「和」とも同じ様です。
 この「龢」は金文では大小不ぞろいの「龠(やく)」という管楽器を吹いてそれぞれの音が調和することをあらわしています。
 聖徳太子の言いたかったことは、それぞれの立場や考えはあっても、よく議論して調和した「文殊の知恵を出そう」というのが本当でしょう。
 
 その為には、意見を出し、お互いにその意見を批判し合い、とことん議論して状況に応じた最も良く調和した知恵を生み出し問題を解決しようということでしょう。
 「俺が開いた道場である、話しは聞くが俺の方針が優先である」では意見も議論もないでしょう。批判などすれば忽ち邪魔者扱いです。
 それでも、道場創始者に高い志があるうちは良いのでしょうが、それが乏しくなって、権威だけを守る様になって来れば、弟子の進歩を邪魔するだけです。
 次回は、俺が一番という思い上がった感情が優先して、何をやって居るのか・・・思いつくままに。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の1神傳流秘書原文6坂橋流棒2太刀合之棒7見返

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
6、坂橋流棒
2)太刀合之棒
七本目見返
見返
右の手にて棒を引摺り行くを相手後より付来り打込を其儘右へ振り向き棒先を面へ突込む
読み
見返(みかえり)
 右の手にて棒を引き摺り行くを 相手後より付き来たり打込むを そのまま右へ振り向き   棒先を面へ突き込む

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2017年2月 1日 (水)

批判と和の1

批判と和の1
 
 三週間以上も早く玉縄桜が一輪咲き出しています(1月11日)。暖かい冬も楽でいいのですが、それにしても早すぎます。
 梅と桜が同時に満開では湘南の季節感が狂いそうです。 ここでは寒さに負けずに咲くのが梅で、春の兆しがハッキリしてから咲くのが桜なのです。天気予報はこれから寒波が居据わると告げています。
 この桜は、その後の寒波にやられて枯れてしまいました。再び温い陽が続き今度は二輪咲いています(1月23日)。
 皆仲良く「和」して、武術の業技法の「批判」をしてはならないと言う様なことをよく考えずに、得々と喋っている、如何にも悟った様なおざなりの新年の挨拶を聞いていました。
 何処かおかしいのです。仲良く和して批判の無い社会など有り得ないものです。
 批判という言葉を広辞苑で引いてみます。
批判
・批評し判定すること。
・人物・行為・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などの評価・検討すること。
否定的内容をもつものをいう場合が多い。
・事物を分析してその各々の意味・価値を認め、全体の意味との関係を明らかにし、その存在の論理的基礎を明らかにすること。
 もう一つ藤堂明保先生の学研漢和辞典を引いてみます。
批判
・臣下の提出した書類に天子や大臣がよしあしの判定をすること。
・物事のよしあしなどについて、評価し判定すること。
 
・つきあわせて、よしあしを決める。
・君主や上司が、臣下から提出された文書を見てよしあしを決める。また、その判定を示した文句。
・見分ける、区別する、可否を決める、答えを出す。
・けじめがはっきりしているさま。
 
 何故批判をしてはいけないのでしょう。どこが問題なのでしょう。評価・検討に「否定的内容を持つものが多い」このところなのでしょうか。
 独裁政権による君主が、臣下の進言を裁定するために評価検討し判断をしたそれが批判であったともされています。
 
 批判は、上位者の特典であって、下位者からの批判はいけないというのでしょうか。
 企業の経営会議や戦略会議なども、稟議書が提出され、経営会議などで審査して合否が下されています。
 ところが、会議以前に根回しがあったりして社長が口切をして決裁されています。これでは議論をしつくして行うべき真の答えを得るのとは程遠いのです。 
 講習会に出かけせっかく学んだ技を稽古していると「そんなものはやらんで良い」。「何故?」と質問しようものなら「お前に居合の何が解る」と冷たい視線が飛んできます。
 
 「俺の方法とは違う」だから「俺の言う通りにしていればいい」上から目線で、お前のは「違う」と言って否定するのが指導と思って居る様です。
 
 下位の者が「何故そうするのですか、こうではいけないのですか」と問えば馬鹿にされたととるような考えの様です。納得できる解説も術理も無いのでは馬鹿にされるのも当然でしょう。
 
 論理性は乏しく、チッポケな優越感を楽しむ感情だけと思われます。習う者はみじめです。
 
 年頭の挨拶の筆頭は、お題ばかりの「武士道精神をもって・・」か「己に従順な羊を求める・・和」ばかりです。指導を主とする立場の者はもっと勉強すべきでしょう。
 
 次回は関連する「和」についてです。対立する議論も批判を悪口としてしまい、うやむやにしないで話し合おうとすれば「和を乱す」不心得者とされたのでは誰も何も言わず、進歩の無い陰口ばかりです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒6笠之羽

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
6、坂橋流棒
2)太刀合之棒
六本目笠之羽
笠之羽
 相手高山二か満へ居る処へ如此棒をかつぎ行を相手打込むを一方二亭合せ一方二亭張り扨一ツ廻して詰る
読み
笠之羽(かさのはね)
 相手高山に構え居る処へ 此の如く棒を担ぎ行を 相手打込むを 一方にて合せ 一方にて張り 扨 一つ廻して詰める
読み解く
 これには絵がついています。棒を首の後ろで両肩にかつぎ左右の手で支えています。所謂天秤棒を担ぐ形です。それが「如此棒を担ぎ・・」のところです。

 相手、太刀を上段に構えている所へ、棒をかついですかすかと行く。
 相手、右足を踏み込んで真向に打ち込んでくるのを、我は右足をやや右斜め前に踏み込み棒をかついだまま左足を右足の後ろに摺り込み筋を変わり相手打ち込む太刀を右から合せ打つ。

 相手、退く処、我は、左足をやや左斜め前に踏み出し右足を左足の後ろに摺り込み相手の太刀を左から張る。

 我は、頭上で棒を一つ水車にまわし、相手が上段に取って引くを右足を踏み込み棒を相手の眉間につけて詰める。

 相手の真向打ちを筋を変わりながら、右から合わせ、左から張り、頭上で一廻りさせ追い込んで詰める、としてみました。古伝の文言から棒を担いだままで合わせ張る事の様ですが、敵が打ち込まんとする処を両手を頭上に上げ筋を変わり右から合わせ左から張る方が自然でしょう。

 この笠之羽も第12代林益之丞政誠による英信流目録の居合棒太刀合之巻より 
棒太刀合之位「笠之羽」
 「是は我首へ横に置き両手をかたのあたりまでおさへ相懸りにて行く場合にて敵物討に討所を右のはしを合せ其儘左のはしを以強く横にはね勝也則ち棒のはしをかえし跡堅る也」

*相手が打ち込んでくるのを右足を踏み込み右の端で合わせ打ち、軸をそのまま足を踏みかえ左端を以て張り込んで、勝、「則ち棒のはしをかえし」の部分で「跡堅る」は古伝の「一つ廻して詰る」と続く処でしょう。

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