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2017年2月 6日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文7詰合の序

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
7、詰合
詰合(重信流也 従是奥之事 極意たる二依而格日に稽古春る也)
読み
詰合(つめあい)
(重信流也 是より奥之事 極意たるに依りて確実に稽古する也)
 詰合は、第17代大江正路先生が置き捨ててしまいましたので、太刀打之事と同様にその組太刀の技が伝わっていない処も多くある様です。
 土佐でも、江戸末期から明治に掛けて稽古する人も無かったかもしれません。大江正路先生が奥居合を何故か改変し、太刀打之事も十本あったものを七本にして中学生向きに改変創作しています。
 詰合はそんな中で中学生には無理として消し去ろうとしたのか、大江先生でも業名ばかりで知らなかったかも知れません。
 詰合は神傳流秘書では「重信流也」と前書きされていますが、始祖林崎甚助重信公より伝承した仕組(組太刀)であったか確証は有りません。
 第9代林六太夫守政が江戸から土佐に持ち込み、第10代林安太夫政詡がまとめたであろう神傳流秘書にしっかり重信流と書き残されています。
 古伝太刀打之位と同様、土佐に伝承していた証しは免許皆伝による根元之巻の業目録に見られますが、業名ばかりで充分稽古されて伝承したかどうか疑問です。
 土佐の居合は総合武術としてのかたちは整っていますが、目録による業名の伝承と業手附により一部の者が打っていたに過ぎないようにも思います。
 それは、現在でも一部の道場の一部の者で打たれるに過ぎない事でも大切にされて来なかったと想像されてしまいます。其の内容が決して他流に劣るものでは無いと信じます。
 香取神道流や水鴎流に見られる総合武術の伝承から見れば、あまりにも現在の無双直伝英信流は居合に偏っています。
 自流の業技法を知らず他流の形や和を持ち込むのではなく古伝を見直したいものです。
 無双直伝英信流山内派などでは大江先生が伝承していない詰合など打つべきにあらず、と言う考え方にも依る事も土佐の居合を捻じ曲げている事もあると思います。此の事は山内派の始祖山内豊健先生も宇野又二先生も詰合を知らずに打てなかったとしか思えません。その反面他の体術などが稽古されている様で不思議です。
 戦中戦後に関しては、昭和17年五月に土佐に渡って第19代福井春政先生田岡 傳先生に直に指導を受けたと言う、嶋 専吉先生の「無双直伝居合道形乾」に太刀打之位及び詰合之位の稽古風景が残されています。
 私が詰合に出会ったのは、第21代福井先生と吉村先生のビデオでこれを拝見してからです。福井先生は何処かに手附けを残されたかと探したのですが見当たらなかったものです。
 近くでは誰も打てる人はおらず、先輩とビデオを見ながら形を追って覚えたものでした。その後第20代河野百錬先生の昭和13年に発行された無双直伝英信流居合道を手に入れてようやく全貌が見えたものでした。
 当時通っていた所の道場長や古参の者は、自分達の知らない詰合を稽古し演武会で打つ私を嫌って冷たい視線が刺していました。
 「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と仰った、大田次吉先生を知り得たのもこの頃のことです。それから古伝を背中に背負うことになりました。大田次吉先生は昨年没後33回忌を往時のお弟子さん方によって営まれています。
 余談ですが、弟子に見限られる者と、死後33年も慕われる師匠との違いは、あの一言にあるのでしょう。
 近年は動画などで見る機会も有りますが、これが古伝と言うには、聊か疑問なのでこの曽田本による神傳流秘書の詰合をしっかり学んでみます。
 詰合・大小詰・大小立詰がしばらく続きます。坐し方は特定できませんが、現在の立膝の坐し方で、仕打2尺から3尺の間合いで向かい合い、双方とも太刀を帯しての攻防です。
 現在では最もわかりやすい詰合は政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻の巻末にある写真入り解説が解りやすいものです。これは神傳流秘書に依ると思われます。政岡先生の神傳流秘書の出処は不明です。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳流重信流伝書集及び業手付解説」の詰合業手付及び口伝の解説及び線画も良く判ります。これは細川家から出たもので神傳流秘書をもとにされています。
 河野百錬先生の昭和13年の「無双直伝英信流居合道」に詰合之位として業手附が記載されていますがこれは曽田本その1にある曽田先生が実兄より口伝された第16代五藤正亮先生の詰合の曽田先生の記述です。古伝ではありませんが古伝の面影をとどめています。
 河野先生も土佐の居合の本物を求めておられたのでしょう。
 河野先生に依る詰合は今一つ昭和29年の無双直伝英信流居合兵法叢書に有ります。これは曽田先生の曽田本その1そのものです。
 河野先生は門外不出の名のもとに多くを失ってきた土佐の居合を惜しまれたと思います。曽田先生との出会いはうれしかったでしょう。反面土佐の古老からは疎んじられたかもしれません。その「つけ」は、第21代の宗家継承にまで及んだと思います。
 第17代大江正路先生が指導された系統は大江先生から詰合は伝承されていないと思われます。
 土佐における詰合の復活は昭和に入って記述され演じられた、曽田先生の曽田本から実兄土居亀江口伝のものが元になっている様です。
 動画で古いものは、第21代福井聖山先生が打たれているビデオ映像が河野先生の曽田本による詰合をよく踏襲されて見せる、習わせる形としてわかりやすいものと思われます。
 居合も仕組も、大道芸の如く他人に見せる目的で行われたものでは無いので、申し合わせなどに捉われたまま演武会でこれ見よがしに打つなどは私の目的外のことです。
 言い訳に「初心のうちは申し合わせの「かたち」を正しく演じる物」そうでしょう。然しいつまで経っても言われたままそのままそこに留まっていては・・・古伝が泣いています。詰合は武的演舞ではありません。
 
 古伝神傳流秘書を基に今日から四月半ばまで、詰合・大小詰・大小立詰・大剣取と毎日ブログで稽古して行きます。
 現代居合も竹刀剣道も直線運動ばかりが目立ちます、何処まで古伝に近づけるでしょう。古流剣術も大いに駆使して研究してみます。
 
今年の違師伝交流稽古会の課題は「詰合」です。
 
 
 
 
 

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