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2017年2月 2日 (木)

批判と和の2

批判と和の2
 
 批判と悪口の区別もつかない、「調和する」と云う事と「同じ」ということの区別もつかないのもどうやら武道の道場によくみられるお粗末な特色の様です。
 日本における「和」のイメージは、文句も言わずに皆が同じ事をしたり、するようにさせる「統制」のイメージです。これでは「仲良しこよし」を演じているだけです。
 初心のうちはまだしも、修行が進めば疑問も出てきます。指導者の良し悪しが大きく影響する頃です。
 
 生まれながらに下位の身分であった江戸時代でさえ教養も高くしっかりした考えを持つ人も居た日本は、現代ではより多くのすぐれ者もいそうです・・・??。
 勉強したければ望めば何とか資料も手に入ります。古い先達の動画も他流の動画でも容易に見られる時代です。
 師伝は師伝で良いのですが、それだけでは武道を修業しているとは言えないでしょう。書道であれば、へぼ先生のお手本を見ての手習いに過ぎません。王義之や懐素や王鐸などの古典が幾つもあるのです。それらをせっせと学んで自分のものを身に付けなければなりません。
 
 議論を出し尽くして最後は多数決で決めるのならばまだしも、一応意見を出して話し合いますが、意見を出すばかりで、議論はしない。
 議論には他の意見を批判する事が必要ですし、同意したり反対する理由なども述べ、その論理性もなければなりません。批判には責任が付いて廻ります。日本人の居場所を求める性向が批判を苦手にしてしまいます。
 
 有る特定な考えに賛成者が多数で決定されると、決まったことは何が何でも守るのも民主主義の特色の様です。違う考えの人も従わなければなりません。これは「調和」とは異なります。
 一般的な議論を見ていますと、長である人の顔色をうかがいながらの事が多く、議論をし尽して「最も良い知恵が浮かび出た」のとは違う様で、これでは議論など無駄です。
 
 武術には議論などはいらない、長の教えに従うのみ、そうでなければ伝統武術は継承できないというのでしょう。それは一部のすぐれ者の長の話しでしょう。
 「昔はこうだった」と何時の昔か知りませんが「先代はこの様で、当代はこうだ」、「去年の教えはこうだった、今年はこうだ」で「わしはこう思う」だから従え、などでは、最初から自分だけが一番で先代も当代も無いもので理屈に合いません。
 
 日本人は批判し、議論をし尽し、問題を解決する習慣に乏しいと云われます。批判し議論を重ね、得られる「和」を考えてみたいと思います。
 「和」については、聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条「和を以て貴しと為す」の文言が既にあって、多くの人がこの文言を知っています。でも、自分に都合の良い様に勝手に解釈され独り歩きしていると思われます。
 
 聖徳太子の十七条の憲法第一条を読んでみましょう。

原文
 一曰 以和爲貴 無忤爲宗 人皆有黨 亦少達者 以是 或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成
読み下し
 一に曰 和を以て貴しと為す 忤(さからう)こと無きを宗とす 人皆黨(たむら)有り 亦建者(さとれるもの)少なし 是を以て 或るは君父に順(したがわ)ず 乍(たちまち)隣里と違(たが)う 然れども上和し下睦み 事を論(あげつらう)に諧(かなえ)ば 則ち事理自ずから通じ 何事も成らざらん
 此処で問題なのは「和」の解釈です。聖徳太子は「和」が大切だと云っています。この「和」は「論」じあって問題解決する事だと云うのです。
 「和」の意味は、やわらぐ・睦ぶ・調う・たいらか・平らぐ・仲直りする・順う・諧う・合す・のどか・調子を合す・まねをする・混ぜ合わす。などでしょう。
 「和」には今では使われていませんが「龢」という文字があります。「和」の異体字とする学者もいますが、「龢」の異体字が「和」ともいう学者もいます。「龢」は「和」の古字とも云われます。混同して使用されている様です。
 聖徳太子の十七条の憲法の「わ」は「和」ではなく「龢」が使われていたといわれます。
 「龢」の意味は、声を合わせる・調子を合わせる・調う・やわらぐなどで「和」とも同じ様です。
 この「龢」は金文では大小不ぞろいの「龠(やく)」という管楽器を吹いてそれぞれの音が調和することをあらわしています。
 聖徳太子の言いたかったことは、それぞれの立場や考えはあっても、よく議論して調和した「文殊の知恵を出そう」というのが本当でしょう。
 
 その為には、意見を出し、お互いにその意見を批判し合い、とことん議論して状況に応じた最も良く調和した知恵を生み出し問題を解決しようということでしょう。
 「俺が開いた道場である、話しは聞くが俺の方針が優先である」では意見も議論もないでしょう。批判などすれば忽ち邪魔者扱いです。
 それでも、道場創始者に高い志があるうちは良いのでしょうが、それが乏しくなって、権威だけを守る様になって来れば、弟子の進歩を邪魔するだけです。
 次回は、俺が一番という思い上がった感情が優先して、何をやって居るのか・・・思いつくままに。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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コメント

「お代官様、オラの¥250万を返してくんろ」『もう使ったわ、騙されたおぬしが悪い、たわけ』「お奉行様、お願えですだ」『まぬけよのう、来年¥500万持って来るが良い』、まるで時代劇の一コマのような剣道日本8月号の暴露記事。最高学府の赤門を卒業し、昨年までは「知恵と奉仕、神と人々に喜ばれる人間」を旨とする大学の教育者、文武両道、剣士の鑑。裏はヤ〇ザ顔負けのペテン師(笑)。制定居合の委員ってホントにスゴいですね。委員の一人がぼったくりのキャバクラみたいな事をやっても、誰一人、それを止めないんだから。赤信号、みんなで渡れば怖くない!なぜか、制定居合の委員は不気味に全員沈黙(笑)。普通の一般市民にとって¥250万は決して安くありません。私は道徳上、制定居合の委員の大先生たちは不合格の人に返金すべきと思いますが、「競馬や競艇で損しても自己責任!八段も同じ、これが居合の伝統!」との古株七段の意見に反論できず(悲)。まあ、株や年末宝くじでハズれても文句は言えませんけどね。¥250万を騙し取られた気の毒な七段の人が、怒って全剣連へ訴える気持ちも理解できます。全剣連で居合の八段・範士の価値って、こんなものかなぁと、自分の中で折り合うしかないんですよ。「制定居合+贈収賄=昇段」の方程式が温存することで、全剣連居合部は運営されてきた経緯があります。なぜ全剣連居合の全国大会は各地持ち回りなのか?なぜ主催県が個人or団体で優勝するのか?ミツヒラ先生の示されるような人材は今の制定委員にいるかどうか??暴〇団と同じで、制定居合のみでの昇段を名誉欲・金銭欲で渇望する人がいる限り、不祥事は巧妙化すると思います。また、ご指摘のように、全剣連組織云々というよりも、道を求める「人の信条」を再考する時期かもしれません。こんな思想風土の中に、トヨタ自動車元会長(全剣連会長)もバカバカしくなり「やってられるか、もう辞~めた!」ってことにならないか心配です。そうなったら.....全剣連の居合道部は「終わり」ですよ。

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
わざわざ批判と和の書き込みにつけていただいているので愉快です。
仰るように、武道の段位や偉ぶる主催者におもねる剣士の心を自ら振り返ることでしょうね。

流派の宗家筋の昇段なども全剣連段位が優先する幻を宗家筋自らが考え直さなければいつまで経っても独立した流派として認められ難くいずれ消えてしまいます。
素晴らしい流の業技法は正しく伝承していく残された、僅かな時間でしょう。
流の門外不出の手附もそろそろ公にして柳生新陰流の春風館の関東支部赤羽根先生父子の様に江戸武士の武術と哲学を自ら学びながら真摯に伝承する流派の心ある宗家が待たれます。
          ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2017年7月 5日 (水) 23時56分

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