« 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒8袖返 | トップページ | 曽田本その1の1神傳流秘書原文7詰合の序 »

2017年2月 5日 (日)

批判と和の5

批判と和の5
 
 日の出と共に家を出て 曹洞宗陽谷山龍宝寺への道をゆっくり歩きます。朝日が里山に掛る雲を赤く染めて行き、見慣れたご近所の庭先では赤や白の梅が満開です。
 
 本堂では住職の心配りのストーブが燃えています。
 少しばかり歩いたぬくもりがあるうちに、冷え切った板の間に座蒲を置いて隙間風が入りそうな透間だらけのすりガラスの戸に向って座します。既に幾人か外に向かって座しています。
 
 早朝ここで座禅をしています。小鳥の鳴き声や風の音、遠くに聞こえる車の音ばかりの静かな時間です。何も思う事も無くふと立ち寄って座ったにすぎないこの空間に何故か癒されています。
 行事の一つで義務的なものでもなく、座る場所までも気を遣う煩いもなく、顔も知らない幾人かとまじって、誰にも強要されたわけでもなく、それぞれの人が、それぞれに同じ時間と居場所を共用しています。
 此処には、座禅する人への批判も無く、一時を座禅の中で「和」しています。座禅の後に住職の一服のおもてなしに寄り集まって取り留めのない世間話をしてほっとします。
 先日、講習会があって出かけて行きました。正月早々に奥様を亡くされた先生が、今年は不参加と聞いていたのですが来ておられます。「気が滅入って仕方がないので、稽古を始めた」と仰います。講習会と言えば、休む事も無く通われた方です。あと少しで90歳です。
 あっちのほうから、昨年小太刀之位をお弟子さんと稽古されて私達にご披露下さった、はじけるばかりの笑顔の先生と出合います。
 道場に戻っても誰にも伝える機会はないが、誰も本気で教えてくれないのでここに来ている、と聊か寂しげな・・・。
 「今年は、更に上の段位を受けるので・・・」やれやれ、見渡すとそんな・・・幾人かが・・。
 昨年も来られていたご高齢の先生のお顔が見られません。雪でしょうか体調を壊されていなければ良いがと心配です。
 講習会が終われば、「今年も昨年と違うことを言っている、先代とは技が違う、あんな技はない」と息巻いていた先生も見られません。それでも、参加しているだけで批判と和の初歩だけは出来ていたのに・・。講義内容を揶揄した分だけ力量も上がっていたかもしれません。自分から進歩に蓋をしてしまった様です。
 「わしの指導するままでいい」と言っていた先生は、不参加です。批判するなと云っていながら最も悪い無視する否定の心根のようです。
 講師が真剣に語りかけてくる想いには、この道に費やした重みがあります。一言も聞き漏らすまいと引き付けられます。やはりそうだったかと納得し、普段聞きなれない、また見慣れない動作に思いもつかなかったとさらなる精進を思います。
 批判とは、人との触れ合いから自分の独創を納得したり、誤りがあれば改めたり、気づかなかった事に気づいたりの連続でしょう。そして昇華するものです。
 羽織を脱いで座したためか、しんしんと体が冷えてきます。走馬灯のように巡っていくとりとめもない思いにいつの間にか時間が過ぎています。
 座禅終了の鐘が鳴って住職のおもてなしの菓子と熱いお茶に腹の中は生き返る様ですが、手足の冷えはなかなかです。
 座禅をしながら、早く終わらないかと数を数えていた数カ月前とは聊か違ってきました。この頃は断片的な妄想が落としどころも無く巡っています。
 悟れるわけもないまま、次々に巡り来るものに批判と和を被せながら思い続けて、足踏みしつつ前に向って行くのでしょう。
 この座禅の話しを師匠にしますと「それはダメだ、坐禅とは何も考えずにするものだ」だそうです。さて、どうも決めつけられると疑問を抱きます、しばらく続けてみましょう。
 
 批判と和を終わります。
 
 
 
 
 
 

|

« 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒8袖返 | トップページ | 曽田本その1の1神傳流秘書原文7詰合の序 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

つい先日、剣日8月号で触れられた「嘆願書」を読む機会に恵まれました。文部科学大臣、日本オリンピック委員会、日本体育協会に送付とあるので、教育行政に携わる多くの人々の目に触れたことは間違いないでしょう。もしも、この嘆願書が根も葉もないウソなら、制定委員が常識的な一般社会人だったら名誉棄損にて断固反論すべきです。でも.....嘆願書で挙げられた委員は全員沈黙(笑)。嘆願書では、現委員長と静岡・埼玉・熊本の範士が嘆願書作成の某八段を恫喝して、必死にもみ消し隠蔽する姿が生き生きと述べられてます。「墓場まで持って行く、上納金♪上納金♫」神奈川と新潟、親子二代範士の嬉しそうなセリフは臨場感タップリです(笑)。TVドラマになりそうですよ、半沢直樹みたいな。上納金¥650万(変動相場制?)は、元委員長+前委員長+選考委員7名で振り分けると明快に記載。これが金額大小あれど、全678段審査で運用されるんだから、委員は高額収入を得られるんですよね。この上納金は全剣連にでなく、全剣連の名を騙った特定個人に流れてるワケです。全剣連は公務員でなく一般財団法人なので、贈賄しても逮捕されません。制定委員が金儲けて何が悪い!って開き直られて終わり。今回の不祥事、長崎の八段範士(昨年までカトリックの大学元教授)の¥250万ネコババ始末で強制終了かと思ってましたが、まだ燻ってます。不祥事の今後の行方は、全剣連が居合道部の贈賄文化を「公に」認めるか否かですよ。答えは2つと推測します。①認めるor沈黙:剣道部と杖道部も贈賄による昇段制の旨を日本国民に対し暗に認めるってこと。②認めない:居合道部を改革するor全剣連から切り離すってこと。全剣連会長と専務理事が現制定委員を入れ替えて改革しようにも、引き継ぐ八段が全員贈賄してるなら、改革できないですよね(笑)。制定居合での昇段制は無理があったってことです。前常任理事のように、居合道部の不正隠蔽に加担する人もいるでしょう。もう居合道部は全剣連から切り離された方がイイと思ってます。真面目に、剣道部と杖道部で昇段している人たちに顔向けできません。もっと小所帯で、昇段に関係なく、地道に、長く稽古できるような道場を探そうかなぁ、昔に戻りたいなぁと思い始めるこの頃です。

兵道流浪さま
コメントありがとうございます。
何度も書いていますが、段位が意味するものが何なのか、連盟会員の心にお聞きするわけにも行きませんが、連盟段位より自流の免許皆伝の方が絶対に価値が高い事を認識し宗家筋の方が頑張らねばならないのでしょうね。
自流の業技法や伝統文化は疎かで連盟の段位が高くても何の意味があるのでしょうか。
竹刀スポーツに古流剣術の真剣刀法や居合は不必要です。竹刀スポーツの当てっこを日本古来の伝統武術としておきたいがためのおまけかもしれません。当てっこスポーツでは精神性に疑問とは、極めればどのスポーツ種目でも同じ境地に至る筈です。
連盟段位がその人の術の完成度をあらわすとも思えませんし、人格の象徴とも思えません。
本物を見失っているのは、意味の無いものをありがたがり、虚勢を張りたい人がいるからでしょう。それでは食い物にされても仕方のない事です。
そんな人ばかりの集まりとも思いたくないのですが・・・。
        ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2017年7月16日 (日) 15時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒2太刀合之棒8袖返 | トップページ | 曽田本その1の1神傳流秘書原文7詰合の序 »