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2017年2月 4日 (土)

批判と和の4

批判と和の4
据え物斬り
 一時期抜刀と称して藁切りを主とする会に首を突っ込んだ古参の者が、「藁も斬れない居合など武術では無い」と言って、何人もの初心者を引き込んで藁切りの道場に連れて行ったり、糞握りを推奨したり、重く肉厚の刀を売り付けたりしてあらぬ方に向っていました。
 それだけによく研究して、稽古も怠らず、なかなか魅力的な剣士でした。その後、当人の警察沙汰も有ったとかで其れを機に退会して行きました。
 そんな事で藁切りは禁止令が出て、奉納演武などで得々と藁を切って居たのも廃止されました。
 藁切り禁止令は続いていたにもかかわらず、未熟な古参の者がほとぼりも覚めたと思ったのでしょう、興味本位の切れる居合をしたい、などの言葉に踊らされて女性や初心者と藁切りを始めようとしていました。
 其処の役員達で再び禁止の触れを出そうということになったのですが、インターネットで調べて見ると続々と藁切りに加入している者が居るのです。
 藁を切って居る写真や動画まで出ています。中には当該地区の藁切り連盟の責任者と称する者なども混じっています。
 何を感じたのか道場長は、再度の禁止令を出すのを取りやめ、その代わりそのような者は居合の稽古に通うことは厭わないが、昇段の推薦については行わないということでお茶をにごしていたのです。
 何故再度の禁止令を取りやめたのかは想像にお任せします。
 藁切り屋さん、何となく居心地が悪いのか、普段の稽古はサボりがちですが、昇段審査時期になるとのこのこ出て来て京都などであう事も有ります。
 
 藁でも竹でも、薪でも、好きに切ったり割ったりしていれば良いのですが、道場で決めた事を守らせないで放置したまま、弟子が藁切りに通い、藁切り仲間を道場内で誘うなどを許していたのでは、出鱈目です。
 あっちこっちに仲良しグループが出来ていて「群而不黨」など夢物語で誹謗中傷ばかりで「批判」や「和」など何処へやらです。
 そろそろ藁切りに加盟している者が準範士を受審できる頃合いになってきているはずです。さて推薦しないという約束事は守られるのでしょうか・・・。
 
 藁が斬れても居合にはならない、藁など上手く斬れなくとも居合になります。斬るべきものは藁でも無く、人前で大道芸の如く得々と藁を切って、何を求め何を試しているのでしょう。
 刃筋が見事に通る事は、手の内を心得、間を知り、これは刀の基本と言います。心を沈め、無心とならなければ難しいとか言って精神修養になるとでも言うのでしょうか。
 「お前に藁切りの心が解かるか」・・・私は刃物は当たれば斬れると思っていますから、藁が上手く斬れた所で何程のものでもないと思っています。藁を切るのが上手な上に自分の手まで傷つけ道場の床を血だらけにしていたのではお笑いぐさです。
 
 余程藁切り上手を誇りに思っているのでしょう。
 無双直伝英信流の立膝の部五本目颪なのですが、先代の指導では敵は右45度方向から我が柄を取りに来るので、それを外して顔面に柄当てして、右方向45度に袈裟に抜きつけて居たのでこれは角度的に申し分なく切れる、というのです。
 処が当代は右脇から柄を取りに来るので、背中で切る様になって切り込めない、こんな想定に応じる技は変だ、というのです。
 おまけに体に斬り込まれた刀を抉(えぐる)ようにして引き倒すなど出来ないと、人を斬ったような武術論まで吹いています。
 
 相手の位置を指定する想定などあるわけはないでしょう。右45度でしか有効斬撃が出来ない者は、柄頭で相手を追うように自分の軸を右に稍々廻しずらせばいいだけです。
 未熟な自分の腕はどこへやら、思う様に切られて呉れる処に敵が居て欲しいのでしょう。据え物切りの陥る処だとしても、そんな安易な教えなどあろうはずもないでしょう。
 
 何処から敵が来ようと颪で打ち勝てる稽古を積み重ね、場合によっては颪の動作では不利と瞬時に判断して、他の技で応じるように研鑽をするのが武術であり修業です。
 無双直伝英信流の立膝の部の場合、右に敵を受けた場合の業は浮雲と颪だけです。これだけで右敵の攻撃にすべて応じられるわけは無い筈です。
 それも、敵が我が柄を取りに来る想定と、敵が抜き付けんとする柄手を制する彼我逆の想定も古伝はそれに応じる動作もおおらかに受け入れています。それは現代でも無双直伝英信流と夢想神傳流に引き継がれているのです。
 立膝の部では左廻りしか業には無いけれど、右廻りの立膝での横一線の抜き付けも、袈裟切りも、真向も右の敵に即座に出来てあたりまえでしょう。
 「何時如何なる変にも応じられる」を求める者でありたいものです。形しか追えない者が、藁を見事に両断してもあまり意味は無さそうです。
 
 
 現代居合が「形」に拘り過ぎますと柔軟性の乏しい役立たずを育ててしまい、己の未熟を棚に上げ、当代の想定がおかしいと他人否定に転化してしまう者もいるようです。
 
 誰でも己が主役です、然し、我が人生に丁度良い処に据え物があるはずはないでしょう。   
 変化極りない事に応じる心を磨かずして何を修業するのでしょう。
 
 
 
 
 

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