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2017年4月14日 (金)

第五回古伝研究の集いを終えてその1

 第五回古伝研究の集いを終えて
 
 朝から、春の雨が降っています。
 
 雨脚も強くなって最短の道路が渋滞になりだしています。
 この雨では集まりが少なかろうと、今日は「詰合」の業技法を深く掘り下げてみようと思い、少しばかり遅れたドアを開けると、何時もの見慣れた顔が迎えてくれます。
 
 前回の研究会(2017年2月28日第四回古伝研究の集い)で土佐の居合の仕組(組太刀)「詰合」を研究して来ました。
 今回(2017年4月11日第五回古伝研究の集い)は「詰合」の業10本を、古伝の文言に従って考えられる動作を幾つか前回で稽古して見たので、最もわかりやすく、演じやすく、技の決まりも明解な動作を集まった方々と選択して見ようと云う事で集まりました。
 そして研究会による古伝神傳流秘書の「詰合」の基本的な動作を詰めておこうと思うわけです。
 師伝と称するものでも、個人的な研究による思い付きのものでも、過去の大家の教本にある真似でもなく、我々が古伝神傳流秘書を読み、やって見て、こうであろうと思われる「詰合」の創作です。
 「詰合之位」は習ったり見たりしていても、古伝神傳流秘書の「詰合」は見た事も無く、知らないし、習った事などある人は稀であろうと思います。
 最も古伝に近く信頼できる政岡先生の地之巻ですら古伝の「詰合」と「詰合之位」が混線しています。他の先生方のものは明治以降の「詰合之位」です。
 
 詰合は、前回も述べましたが、第17代大江正路先生が伝承をせずに置き捨てたのか、下村派の下村茂市師匠に習わなかったのか、習ったけれど中学生には無理として伝承しなかったのか、限られた道場で何を手附にしてか判りませんが細々と打たれるばかりです。
 其れも、古伝では無く曽田虎彦先生が実兄土居亀江が第16代五藤孫兵正亮から習ったものを、記録して業附口伝としてまとめた江戸末期から維新へ掛けて打たれたであろう「詰合之位11本」がほとんどです。
 
 古伝神傳流秘書では呼称は「詰合」であって「詰合之位」ではありません。
 業数も古伝は10本、明治以降のもので現在打たれているものは11本です。
 我々は、古伝神傳流秘書の「詰合」を研究する事が目的です。
 「詰合之位」も古伝の趣を残していますが、江戸末期にはどの流派でも陥った「形」が単なる「かたち」を演ずるものになって武的演舞に成り下がったものとは異なるものです。
 
 古伝の復元は現代人には出来ないとも云われます。
 明治以降の直線的動作で決まった箇所しか打突の優劣を判定しない竹刀剣道の教えと、其の教えに流されてしまった現代居合の体捌きが古伝の復元の困難な壁になるのです。
 
しかし、流派の伝承は現代風に変化したとしても初期の片鱗は何処かに残されているものなのです、ですからその動作は全て捨て去ることはできません。
 
 戦国時代から江戸時代前期の日本人の日常動作や、武術のあり方が理解でき、実施できない限り、元へ戻れないかもしれません。
 
 さらに命を懸けて白羽の下をかいくぐって来て、作られた形の神髄は、現代剣道の棒振り打突体操では計り知れないかも知れません。
 
私達は、あえて、それに刃向かってみたいのです。
 
 古流剣術の形を習い、順番通り演じるのですが、何かおかしい。それは、形の順番とかたちは間違いないのですが、少しも術が決まらないように、刀を操作する現代人の不器用がなせるものの様です。
 かたちばかりで実が無い。出来ているように見えても剛力で無理やり決めたつもりになって居付いてしまう。
 真剣を以って稽古すればさらにかたちまでも決まらなくなります。かたちはなんとか決まっても術が決まらないのです。武術とは術が決まって武術なのです。
 現代の大家と言われる先生方の教えや、技の決まった写真や、動画も難点が見えてしまい、参考程度を越えてくれないのです。
 
 
 

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