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2017年5月 3日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事8人中

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
8)従是立事也 八本目人中
従是立事也
人中
 足を揃へ立って居る身二そへて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中尓て納る
読み
是より立つ事也
人中(じんちゅう、にんちゅう、ひとなか)
 足を揃え立って居る身に添えて上へ抜き 手を伸べて打込む 納めるも体の中にて納める
読み解く
 この八本目からの業は立業である、と云います。従って抜刀心持之事の一本目向拂から八本目棚下迄は居業の教えです。

 足を揃え立って、刀を身に添えて上に抜き上げ、足を踏み込まず手を延ばして打ち込む、刀を納めるのも体の内で納める。

 謎めいた手附ですが、人中と云う業名に拘ってみればこれは人ごみの中での運剣操作の教えとも考えられそうです。
 刀を身に密着させて抜き上げるのは、人を傷つけない為の所作で、上に抜き上げ拝み打ちに打ち下ろすのです。

 大江先生による現代居合の奥居合立業の壁添そのものです。
壁添は両側狭い壁などの障害がある場合の運剣操作を理合としています。
 人ごみの中での運剣法は、大江先生の奥居合立業の袖摺返しが相当します。これは神傳流秘書の行違の替業を思わせ、業名は大小立詰の一本目袖摺返からの盗用でしょう。

 英信流居合目録秘訣では上意之大事に「壁添」という教えがあります。
壁に限らず惣て壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以腰を開ひねりて躰の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損する也突くに越る事なし就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要」

読み
 壁に限らず、総じて壁に添いたる如く不自由の所にて抜くには、猶もって 腰を開き捻りて体の内にて突くべし 切らんとする故 毎度壁に切りあてゝ 仕損ずる也 突くに越したる事なし なかんずく身の振り廻し不自由の所にては 突く事肝要

 こちらは、壁や鴨居に切りあてるから突けと言っています。
これは業というより心得です。

 細川義昌先生系統と思われる白石元一先生の人中は「多人数の中にて前方の敵を斬る意」と言っています。
 神傳流秘書のような伝書が下村派に残り谷村派から出て来ない事や、大江先生の改変により古伝が失伝しているなどから、下村派こそ道統を引き継いだのではないかとの意見を聞いたことがあります。かといって下村派の実態は明治以降消えてしまったようです。
 夢想神伝流は、中山博道亡き後お弟子さん方が、師の教えをまとめたものでこれも正統とは言えそうもないようです。

 古伝の人中を壁添と想定違いの同一動作とすれば、人をかき分けて敵を追う袖摺返しは古伝の行違の替え業で大江先生独創した現代居合となる様です。

 人中の抜刀及び拝み打ちの足捌きは、爪先立って抜刀し、更に伸び上がって拝み打つように指導されます。こんな不安定な動作を要求する意味は何でしょう。抜刀はともかく拝み打ちはグンと踵を沈め膝をエマせば良い筈です。
 古伝「抜刀心持之事(格を放れて早く抜くなり 重信流)」と前書きされています。掟に縛られずに状況を見極め最も良い方法を素早く実施しなさいと、言っています。古伝なんか興味は無いなどと嘯く現代居合の武的演舞派には意味不明な要求事です。
 
 

 

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コメント

こんばんは。本来の抜刀術、居合遣いの「根幹」に近付く刀法と思ってます。人混みで、どうやって相手に近付くか?前?横?後ろ?相手は自分の顔見知り?一見?いずれにせよ、出会い頭に仕掛ける以外、相手は「木偶の棒」のように切られてくれないのではないでしょうか?「君命により相手を討つ」といった「上意の大事」が背後に見え隠れしてるように思えてなりません。正々堂々、尋常な立会といった真っ向勝負とは次元の異なる武士道の心持と考えてます。こちらの顔を相手に見せぬよう編み笠を被れば、切るよりも突く方が無理なくできそうです。仮に「壁添」なら、こちらが「遠山の目付」で近付こうとした時点で、相手は向きを変えて逃げますよね(笑)?道場では、ぴょんと伸び上がって切るしか教えないんですよ(笑)。制定居合の範疇では全く理解の及ばない刀法と思えますが、如何でしょうか?

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
古伝の手附から動作を付けて見ると想定が浮かぶと言うこともありでしょう。この業は業呼称が人中であると特定されそうですがその場で抜上げ拝み打ちするだけを充分稽古するものでしょう。
ついでに、抜き上げ踏み込まずに沈み込んで刺突する稽古も工夫次第です。
制定居合の12本目「抜き打ち」を退かずに見切ってしまうとすると一人よがりの棒振り演舞派ではこの業は無理でしょう。
敵の害意を察し身を土壇となして応じる居合を心すると、中山博道先生の一方的先制攻撃は如何なものでしょう。
かと言って人中を壁添になぞらえていたずらに場の想定を限定するのも武術から遠ざかります。
演武会などでご老体の高段位の先生の壁添もそれとして見る限りはそれなりですが、枯れた武的演舞でしょう。
       ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2017年5月 8日 (月) 23時44分

ご教授、痛み入ります。なるほど、人混みや壁際など「足場四方や高さに制約のある場所」で、敵の害意を察したときの応じ技として十分使えますね。上意により、こちらからの仕掛け技としか考えておらず、今まで気付きませんでした。

投稿: 兵法流浪 | 2017年5月 9日 (火) 21時45分

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