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2017年12月21日 (木)

真玉泥中異

 平成30年の書初めの言葉を景徳伝燈録から「真玉泥中異」を選んでみました。

 読みは「しんぎょくでいちゅうにいなり」、本物の宝石ならば泥の中にあっても輝くものだ、と読まれます。

 上海で個展を開いて来た元美術の教授であった造形作家の作品が地元の方の心に響いたのでしょう。
 作品に入り込んで一体となって嬉しそうにVサインを送っているご婦人。その向こうで、次は「わたしが作品に入る」と真剣な顔をして順番待ちする幼い子供。
 作者と嬉しそうに作品の中で一緒に記念撮影する人。

 ライブなどでは演奏者や歌手と観客が一体となって楽しんでいる状況が普通に見られるのですが、造形作品と一体というのもめずらしくそれも中国の方達とです、同じ感情なのでしょう。

 芸術作品は静かに鑑賞するものとばかりの、お堅いお人には理解できないでしょう。
 その作品には「どうぞご一緒にこの宇宙にお入りになりませんか」という、何かいつもと違う、誘ってくれるやさしさと暖かさがあったのです。

 芸術作品は、ともすると投機の材料とされ、そのものの持つ価値よりも金が絡んだ評価が優先されてしまうものです。それに名士が絡めば万々歳です。それが芸術作品がそのもの以上に権力のネタに扱われる格好の材料でもあるのでしょう。遠い昔、正宗の刀と鑑定されたものが恩賞として政治に巻き込まれたこともうなずけます。

 一方、心に残る作品は、どんなへぼでも人には大切な名品になってしまうものです。先祖の残した素焼きの「かわらけ」一つにも、今の自分を大切に思ってくれる家族を思い、心は和むものです。世に云う名品でも其の時の我が心とアンマッチならば置き捨てられてしまうものです。

 或る忘年会での事、「おっさん」がそんな会話に割り込んで来て、中国と日本が過去にどうだったか、日本は何をし、中国は何を思って居るか。或は戦後の教育が進駐軍の言いなりにされ、その片棒を政府も日教組も当然学校の先生達も担いでいた、そんな世界に居たものなど中国人との芸術を語る権利はない、まして政治と芸術作品に依る忖度など口にする権利も無いと言ってわけのわからぬことで粟を吹いています。

 この「おっさん」の歴史的な考察は間違ってもいない処も有るでしょう。戦前、戦後日本人は或る種の引力に引きずられ、洗脳され本質を失っていたか、自分を出せば「己の居る場所が無かった」ともいえるものです。
 当然この「おっさんも」そんな両親や、先生に育てられたにすぎません。その上、「おっさん」は、この芸術家を否定する程の何かをしている様子は有りません。
 「おっさん泥中泥」かな、余計な所に口を挟んでいないで己の「真玉」を全力を投じてみては、と思うばかりです。

 今更、「おっさん」が自覚して、日本の行政も、片棒担いだ教育者も間違っていたと「ほざいて」見ても、元教授を否定しても意味の無い事です。歴史上の過ちを知ったならば、自分は今何をしているかが大切なことでしょう。

 この造形作家は、中国の人と作品を媒介に利害関係なしに「和」する心を分かち合えた事は貴重な事だと思えるのです。そこから、新しい交友が芽生えていくことを期待したいと思います。
 
 何処に居ても、何をしていても「輝いていなければ本物ではない」そのためには「何処でも,いつでも全力を出す」、評価は他人がする事であっても、自分は信じたことを貫き通す。
 口先ばかりで何もせず、廻りが悪いと言ってみても、他人のあらをほじくってみても何も変わらず、取り残されるばかりでしょう。

 そう言えば、この「おっさん」居合をやっているのですが、最近膝が痛いだのと言って稽古に出て来ない上に「あんな指導者の居合はやってられない」と言って居る。
 「あんな指導者の70年をこえる居合」をとことん研究した形跡も見られないのに・・・膝痛など、へぼな体の使い方に由来するに過ぎず、真玉と独りよがりは別物です。

 新年を迎えるに当たり、厳しい時代が押し寄せて来る気配を感じます。「何時如何なる変にも応じるられる」柔軟な心と体を「習い・稽古・工夫」して、真っ直ぐ信じた道を歩きたいものです。

 それには、「一行三昧」に、是で良いと思わずにより上を目指し。
 「下載清風」を知り、死に物の形に拘り、力むばかりの余計なものを下ろし。
 「帰家穏座」 何時も本物とはと考えながら、穏やかに座すようにしたいものです。

 
 
 

 
 

 

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コメント

真玉泥中異
平成の終わりに、泥の中の宝石、カッコいいじゃないですか!!
あらゆる場面で、考えている人と考えていない人の差が激しくなって来ました。
己の生きざまですから、どうぞ皆様、ご自由に。
私は私の道を慎重に確かめながら歩みます。

無銘さま
コメントありがとうございます。
真玉泥中異は、目指そうと思わなければそうならないし、自分がそうだと思って行動すれば「おっさん」になってしまいます。
人から敬われ輝くのでは疑問です。独りよがりも疑問です。
「本物を目指して我が道を慎重に確かめながら歩みます」
本物が先へ先へと距離を開けそうになるのを追い駆けています。
       ミツヒラ


投稿: 無銘 | 2017年12月22日 (金) 11時37分

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