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2017年4月23日 - 2017年4月29日

2017年4月29日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事6四角

曽田本を読む
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
6)六本目四角
四角
抜左の後の角を突右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也
読み
四角(しかく、よすみ?)
 抜き左の角を突き 右の後ろの角を切り 右の向こうを請け流し 左の向こうを切り 又 右の向こうを切る也
読み解く
 此の業の敵の配置は解りやすい。先ず左の後、右の後。右の前、左の前です。向は前ですから右前、左前で良いはずです。
 我の位置は×の交点に正面向きに座しているのです。敵は我が方に向いて仕掛けんとしているわけです。
 三角と同じ様に、左後の敵を刺突するや、右廻りに左前の敵の紋所を横に払い、右前の敵の紋所を横に払い、右後ろの敵の紋所を払って、右肩を覆う様に上段に振り冠って真向に斬り下し、右肩を覆う様に刀を振り冠りつつ左廻りに、右前の敵を通過し、左前の敵に上段から真向に斬り下し、即座に左肩を覆う様に振り冠りつつ右廻りに右前の敵に振り向き真向に斬り下す。
 此の場合の回転の軸は左膝で、夫々右足を踏み込んで打ち込むでしょう。

追記

 右後方の敵をビクとさせて真向から斬り下す際、回転の余勢に合わせ右肩を覆う様に振り冠りましたが、ここは、右手首を左に折って、切先を左耳の後方を突く気勢を以って振り冠り真向に斬り下ろす、とする事も十分考慮すべきところでしょう。

 尚、足裁きは、左足膝を軸に四方の敵を倒す。或は右後ろの敵を斬り下ろすや左廻りに右肩を覆う様に振り冠りつつ振り向き、同時に右足膝を床に着き左足を踏み込んで左前の敵を真向に斬り下ろす、即座に右前の敵に振り向き左肩を覆う様に振り冠り左膝を床に着いて右足を踏み込んで右前の敵を真向に斬り下し勝。
 無双直伝英信流では、忘れられた足の踏み替えも大いに此の業で研究できるものです。

 四角は四人の敵に囲まれた場合の刀法ですから相手は×も有+も有です。変形の四人だってあるでしょう。
 大江先生の四方切は左後・左前・正面・右前の配置です。この変形はどの様な意図で創作されたのか不思議です。

 英信流居合目録秘訣では上意之大事「四角」は「三角」にかわる事無し是は前後左右に詰合う之心得也故に後へ迄まわって抜付ける也。

*四角は三角と変わらない、是は前後左右に詰め合う時の刀法で、後ろまで廻って抜き付けるのだと云って居ます。其の儘解釈すれば、正面向きに座って、敵の害意を察し、正面に抜きつけるが如く刀を抜き出しつつ後ろに廻って抜き放つと言う様に読めてしまいますが、そこまでは思いつめる事もないとは思いますが、稽古して見る意味は有りそうです。

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2017年4月28日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事6四角

曽田本を読む
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
6)六本目四角
四角
抜左の後の角を突右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也
読み
四角(しかく、よすみ?)
 抜き左の角を突き 右の後ろの角を切り 右の向こうを請け流し 左の向こうを切り 又 右の向こうを切る也

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2017年4月27日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事5三角

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
5)五本目三角
三角
 抜て身を添へ右廻り二後へ振り廻りて打込也
読み
三角(さんかく・みすみ)
 抜きて身を添え右廻りに後ろへ振り廻りて打込む也

読み解く
 此の業名は江戸時代前期から中期には何と読んだのでしょう。
さんかく・みすみ。みすみ、では聞いただけでは??です。

 業名もしかと読めず、技はおろか対敵の位置関係も解りません。
 業名の三角から我を囲んで三人の敵と対座していると、勝手に思います。

 次に敵の配置ですが「後へ振り廻りて打込」ですから一人は後ろに座している。
そうであれば、我が左右に一人ずつ、後ろに一人の三角。

 あるいは、我が左前に一人、右前に一人、後ろに一人。我は三角形の中に囲まれた状態など思い描きます。

 正面に一人、右に一人、後ろに一人もありです。右が左でもあるでしょう。後ろに二人、前に一人も想定できそうです。

 いずれにしても、三人の敵に我は囲まれ、挑まれた状況でしょう。
 そこで、左後ろ・右後ろ。前の三人に囲まれた我は、刀を抜き放ち刀に身を添うようにして左後方の敵を刺突し、正面の敵をビクとさせつつ、右廻り右後ろに振り向き、右から上段に振り冠って右後ろの敵を切り、右肩を覆うように上段に冠りつつ左廻りに正面の敵に振り向き真向に打ち下ろし勝。

是は左・右・後の敵の場合も同様に出来ます。先ず左の敵を刺突し、右及び後ろの敵をビクとさせておいて、後の敵に打込み、右の敵に打ち込む。

 英信流居合目録秘訣という伝書があります。これも第十代林安太夫政詡の記述と思われますがそこに上意之大事として「三角」が解説されています。
三角
「三人並居る所を切る心得也ケ様のときふかぶと勝んとする故におくれを取る也、居合の大事は浅く勝事肝要也、三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろうときはビクとするなり其所を仕留る也三人を一人づつ切らんと思う心得なれば必仕損ずる也一度に払ふて其おくれに付込んで勝べし」

 是は、三人が正面、左前、右前と並んでいると想定できます。そこで左前の敵に浅く抜き付ける様に抜き放ち、右に切先を流します。
 三人が同時にビクッとする隙に、右から振り冠って右前の敵に上段から斬り付け、右肩を覆う様に振り冠って左前の敵の斬り付け、左から振り冠って正面の敵に斬り下し勝つ。と、読めます。

 夢想神伝流には此の業名が伝わっていますが山蔦先生の場合は戸詰(三角)としていますし、大江先生の戸詰ですから古伝とは言い難いと思います。檀崎先生は三人の敵を迎え、古伝の趣があります。
 細川義昌系統と思われる広島の白石元一先生の三角も古伝を感じます。

 大江先生はこの三角は捨て去っています。
 大江先生は初め下村派、後に谷村派を習って谷村派第17代を名乗ったと言われていますが、大江先生には伝書が伝わっていなかったかもしれません。
 知っていても、中学生向けに業技法を教育上変更せざるを得なかったかも知れません。 明治も30年代になれば、大江先生の時代にはもう古伝は失伝していたかも知れません。 

 然しその事は同時代を生きた細川先生が古伝を継承していますから言いきれません。時を得て谷村派が脚光を浴びて全国に普及したのですが、古伝伝承は下村派に残って消え去る運命にあったものが中山博道先生によって夢想神伝流として生まれ変わり、古伝を伝える正統下村派は消え去ったのかも知れません。

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2017年4月26日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事5三角

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
5)五本目三角
三角
 抜て身を添へ右廻り二後へ振り廻りて打込也
読み
三角(さんかく・みすみ)
 抜きて身を添え右廻りに後ろへ振り廻りて打込む也
 

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2017年4月25日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事4両詰

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
4)四本目両詰
両詰
 抜て片手尓て左脇を突き直二振向いて右脇を切る
 右脇へ抜打二切り付希左を斬る(曽田メモ追記)
読み
両詰(りょうづめ)
 抜きて片手にて左脇を突き直ぐに振り向いて右脇を切る
 右脇を抜打ちに切り付け左を斬る(曽田メモ追記)
読み解く
 両詰の業名は大江先生の改変によって、我が左右に障碍物や壁など在って、横一線に抜き付けるのが出来ない様な場の状況で、刀を前に抜出し切先を返して前方の相手を刺突し上段に振り冠って打ち下し勝、障害物に当たらない様に狭めた横への血振り、納刀も半身になって上から落とし込む様な納刀をする業として指導されています。
 是は前回の向詰の動作です。業名が入れ替わってしまっています。

 古伝は、相手は一人では無く、左右に一人ずつ詰め寄って座す場合の運剣を、この業としています。従って、先ず右脇の相手を柄頭で牽制し、刀を右に抜くや、左の敵を見て左の敵を刺突し、右の敵に振り向いて上段から斬り下し勝。左右の敵に応じるものです。左右に障碍物は無く、対敵に対する想定なのです。

 大江先生の居合は、対敵意識が乏しいもので、我の置かれた場の状況が優先しています。対敵との位置関係も場の状況によって固定されます。

 右の敵に片手で抜き打ちに斬り付け、左に振り向き斬り付ける。
この、左の敵を突いてから右敵を斬る技と、右敵を片手で抜き打ち、左の敵を斬る、二つの動作で、左右から詰め寄る敵を倒す技です。

 この動作から、是は現代居合の奥居合居業三本目戸詰、四本目戸脇だと気付きます。現代では戸詰、戸脇と場を表す語句に反応して、本来は敵の位置情報を示していたものを、戸襖の有る場の特定の条件での攻防に変化してしまいました。

 古伝は大らかです、左右の敵は、大まかに左側、右側位に考え、敵の位置を動かして二つの動作を使って運剣を自由自在に出来れば良いのでしょう。

 英信流居合目録秘訣の上意之大事「両詰」では「是又仕物抔言付られ又は乱世の時分抔には使者抔に行左右より詰かけられたる事間々これあるなりケ様の時の心得也尤其外とても入用也左右に詰かけられたる時一人宛切らんとするときはおくれを取るなり故に抜や否や左わきの者を切先にて突すぐに右を切るべし其わざ唯手早きに有亦右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし」

 古伝には、敵との関係から如何に自らを処するかが述べられています。ですから大江先生が如何に力強く華麗な運剣をされたとしてもそれは単なる運剣技法であって、古伝の根元とは異なると思います。

 現代居合は、特定の場の状況に応じるだけの業技法に偏って、本来の命を懸けて闘う居合心を学ぶことが失われています。

 決められた形を華麗に演じて武術だというのです。演武では無く、武的演舞、芸に過ぎないのですが、多くの人がそれでも武を論ずるのも愉快です。ですから些細なことに拘って、「先代の居合がいい、いや当代だ」など愚かなことも聞かされるのでしょう。

 

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2017年4月24日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事4両詰

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
4)四本目両詰
両詰
 右脇へ抜打二切り付希左を斬る
 抜て片手尓て左脇を突き直二振向いて右脇を切る
読み
両詰(りょうづめ)
 右脇を抜打ちに切り付け左を斬る
 抜きて片手にて左脇を突き直ぐに振り向いて右脇を切る
 

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2017年4月23日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事3向詰

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
3)三本目向詰
向詰(むこうづめ)
 抜て諸手を懸け向を突打込也
読み
 抜きて諸手を懸け向うを突き打込む也
読み解く
 居合膝に相対して坐す。相手の害意を察し刀に手を懸け腰を上げ、柄頭を相手の中心に付け前に抜き出し、切先を返して諸手となり、右足を踏み込んで正面の敵を突く。即座に引き抜き上段に振り冠って真向に斬り下ろして勝。
 現代居合の奥居合居業の両詰です。両詰は、両側が狭く障碍物に阻まれて、自由に抜き付けられない様な場での刀の操作法を稽古する業となっています。
 我が体の内で刀を抜き出し突き打込、血振り納刀もやや半身で狭い場所を意識したものです。

 古伝には場の想定は有りません。狭い場などの事は業名を両詰などに改変した為に動作まで制約してしまったのでしょう。
 寧ろ、相対する相手との攻防であるこの流の得意とする横一線のがま口に切る抜き付けをせずに、突きを目的にしています。

 この抜刀の方法は爪先立ち腰を上げて前に刀を抜き出し、相手を牽制するや切先を返し右足を踏み込み上体を乗り出す様にして諸手突きに相手の柄口六寸に摺り込み水月から喉元へ突く心持でしょう。
引き抜き、上段に冠って打ち下す。

 場の想定を思い描くよりも、横一線では不向きと判断し、突き業にしている事に思いを寄せるべき業では無かろうかと思います。
 或は、流の横一線の抜付を知る相手の動作に、横一線を予測させる柄頭で相手の中心線を攻め、相手が下がらんとするか、柄頭を制せんとするやに、抜き出すや切っ先を返して突きで応じるのでしょう。

 其れにしても、何度も言いますが、古伝の業名を改変する理由は何だったのでしょう。
 大江先生の想定は、もともと対敵との想定のみでした。然し「向詰」を「両詰」と業名を変えてしまうと、場の想定が思い描かれてしまいます。
 敵と対する場の周囲の環境が優先され、相手との攻防での状況が置き去りにされてしいます。
 大江先生が改変されたと言われますが、証拠は無く、大江先生に指導された中学生剣士から伝わった言い伝えでしょうか。このような相手を意識させない指導では、一方的な形の繰返しに終わってしまいます。前に対する敵を意識すれば刀の抜き様は自ずから工夫されて然るべきものでしょう。場の想定も当然ですが本末顛倒の観は否めません。
 大江正路先生の「剣道手ほどき」堀田捨次郎共著による「両詰」
「・・右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当て、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、其姿勢のまゝ、上段にて前面真向に斬る」
 
 細川義昌系統の白石元一先生の「大森流長谷川流伯耆流居合術手引」にある「向詰」を稽古して見ましょう。
「・・右足を踏み出して抜刀し、此際刀先が前方に出でざる様、右足を退くと同時に刀尖を先きに返し両手にて柄を握りて臍下前で構へたる後更に右足を踏み出して突き左足を右足踝に引きつけつゝ刀を正面より振り冠り右足を踏み出すと同時に斬り下ろす・・」

「無双神伝居合兵法」の尾形一貫心誠先生の向詰を梅本三男先生が残されています。
「・・例により鯉口を切り右手を柄に掛け、両膝を立つなり右足を少し右前へ踏出し、其の方向へ刀を引抜き、右足を引戻すと共に、刀尖を向ふへ、柄頭を腹部へ引付け諸手となり(刀を水平に構へ)体を少し前へ進め、対手の胸部を突き、更に左足を進ませつつ諸手上段に引冠り、右足を踏込んで斬込み・・」

 先だって、ある人と話している中で、「伝書類は下村派からばかりから出て来て、谷村派からは何も出て来ない、正しい伝承は下村派ではないか」と云われます。
 其の下村派も谷村派と混線してしまい、明治以降はどれがどうとも云えずになっています。
近年は更に、昇段審査の基準などのルールに縛られ特定の形ばかりが稽古されて、古伝の伝えるものは失せつつあるようです。

 谷村派、下村派の分離したのが、第十一代大黒元右衛門清勝からと云われます。この神傳流秘書の筆者が第十代林安太夫政詡かその義父第九代林六太夫守政であれば両派の違いなどは無関係なものです。

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