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2017年5月21日 - 2017年5月27日

2017年5月27日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事20賢之事

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
20)ニ十本目賢之事
賢之事
ー手附記載なしー
読み
賢之事(かしこのこと・けんのこと?)
ー手附記載なしー
読み解く
ー手附記載なし・・・によって不明。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流・・神傳流業手付」にも「賢之事」の手附は記載されていません。
 この木村先生の「神傳流業手付」は天保12年1841年に坪内清助長順より島村右馬亟に授与したものです。ここには、両士引連・賢之事・クゝリ捨の三本がありますが何れも手付は記載されていません。
 夢想神傳流の山蔦重吉先生の昭和47年1972年発行の「夢想神伝流居合道」には、両士引連・賢之事・クゝリ捨の業手附解説がなされています。
 両士引連は、古伝抜刀心持之事の「行違」のような業です。
 賢之事は、無双直伝英信流第17代大江正路先生の奥居合立業の「袖摺返」を当てて居ます。袖摺返は古伝神傳流秘書の「行違」の替え業の様です。
 クゝリ捨は、「隠れ捨」とされ大江正路先生の奥居合立業の「門入」の業名を当てています。
 同様に夢想神伝流の壇崎友影先生の、昭和54年1979年発行の「居合道教本」では賢之事は、大江先生の袖摺返ですから古伝の「行違」ですし、クゝリ捨は「隠れ捨」で大江先生の「門入」と思われます。両士引連は記載がありません。
 此の居合道教本より古い昭和44年1969年発行の夢想神傳流居合では、古伝の業名称を付さずに、大江先生の奥居合の業呼称として「袖摺返」・「門入」として記載しています。この業名の扱い方も居合道教本の前にありながら疑問です。
 夢想神傳流の居合の元が、中山博道先生の居合であれば、奥居合の業手附は何処にもそれらしき、書き物は見当たりません。従って、奥居合を博道先生がお弟子さん方に本当に指導されたのか疑問です。
 譬え、書き付けられた手付が有ったとしても、中山博道先生の居合の指導者は、土佐の居合の谷村派の第16代五藤正亮先生の弟子森本兎久身先生ですから、古伝の業を指導されたかは疑問です。
 谷村派からの古伝の伝書類の公表は見られませんので、抜刀心持之事は現代居合の奥居合との検証も不十分です。
 大江正路先生が明治時代に土佐の居合を改変されたという事実を証明する事すらできない状況です。改変されたならばその改変理由さえも不明です。
 明治の後半以降に習い始めた中山博道先生に森本先生が全業を指導されたとも思えません。たとえ習っていたとしても博道先生がお弟子さん方に伝授されていればその手附がある筈ですがそれも不明です。
 
 抜刀心持之事の両士引連・賢之事・クゝリ捨の業について、現在の段階では業技法を示唆する手附は無いと云えます。
 山蔦先生、檀崎先生の教本の「両士引連・賢之事・クゝリ捨」は、出典若しくは指導者名が明らかにされない限り、追跡しての確証が得られません。
 
 
 

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2017年5月26日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事20賢之事

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
20)ニ十本目賢之事
賢之事
ー手附記載なしー
読み
賢之事(かしこのこと・けんのこと?)
ー手附記載なしー

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2017年5月25日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事19弛抜

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
19)十九本目弛抜
弛抜
 如前歩ミ行敵より先に打を躰を少し開き弛之て抜打に切也
読み
弛抜(ゆるみぬき・はずしぬき)
 前の如く 歩み行く 敵より先に打つを 躰を少し開き弛して 抜き打ちに切る也
参考 如前の十八本目抜打
 歩み行中に抜打二切敵を先二打心也
読み解く
 この業は、手附をよく読み、現代居合の奥居合立業の「受流」と違う事に気が付きます。それは「敵より先に打を躰を少し開き弛之て抜打に切」の所です。
 敵が斬って来るのを、体を少し開いて敵の刀を弛し(外し)て、敵を抜打つのです。
 双方歩み行き間合いに至るや、相手が抜刀して真向に斬り下ろして来る、我は両手を刀に懸けると同時に、右足右斜め前に少し踏み込み体を開き、右半身となって相手の打ち込みを外し、左足を右足に追い相手の真向に打込む。敵の打ち込みを外してしまえば真向でも片手袈裟でも横一線の抜き付けでも、下からの切上げでも状況次第に応じられるものです。

 稽古ではまず「体を少し開き弛之て」ですから刀を上に抜上げ左足前ならば右に、右足前ならば左に筋を替えて相手の打ち込みを外し同時に斬り下ろすでしょう。
 
 或いは、右足前ならば左足を右足前右にチドリに踏込み右足を右に踏込み体を左に開きつつ刀を抜上げ敵の打ち込みを外すや真向に切り下す。これは奥居合立業の受け流しの「かたち」となりそうです。但し請けて流すのではないと考えます。
 
 夢想神伝流の山蔦先生の居合では「弛抜」を「受流」とされている様ですが、受け流しとは違います。相手の太刀を我が太刀で受けるのでは無いのです。安易に太刀で請ける事は進められません。
 「抜き打ちに切」ですから刀を上に抜き上げ片手でも諸手でも斬り下ろすのでしょう。
 全剣連の制定居合の12本目の場合は「前方の敵が突然切りかかって来るのを刀を抜き上げ乍ら退いて敵に空を切らせて、真向に切下す」ので是は仕掛けられたのに応ずるものです。前回の「抜打」に上げておきましたが、これは「刀を抜き上げ乍ら退いて敵に空を切らせて」ですから後方に退いて敵の刀を外しています。此処では「躰を少し開き弛之」です。退くと開くは違います。
 細川義昌先生の系統と思われる白石元一先生の居合術手引では「弛抜(ゆるみぬき・はずしぬき)」を「馳抜(はせぬき)」としている様でこの出典は解りません。恐らく「弛」と「馳」の弓偏と馬偏の崩し字による取り違いから生み出されたとも思われます。
馳抜(双方駈足にて摺違ひ様に行ふ意)
 正面に対し立姿小走に馳せ摺れ違ひ様右足を中心に左足を斜右前に踏み出して斜右後向きに方向を転じつゝ刀を抜き右足を左足に引きつけ上段に振り冠り、右足を踏み出すと同時に斬りつく。
 是は神傳流秘書の抜刀心持之事の11本目「行違」の替え技の様です。
行違
 行違に左の脇に添へて拂ひ捨冠って打込也
 参考に、敵に真っ向から切って懸られた場合、左足をやや左前に踏み刀を抜き上げ右足を稍々左に踏込み筋を外し、打ち込んで来る敵の右拳に右足通りに打ち込む、新陰流の「斬釘截鉄(ざんていせってつ)が使えそうです。
 

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2017年5月24日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事19弛抜

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
19)十九本目弛抜
弛抜
 如前歩ミ行敵より先に打を躰を少し開き弛之て抜打に切也
読み
弛抜(ゆるみぬき・はずしぬき)
 前の如く 歩み行く 敵より先に打つを 躰を少し開き弛(はず)して 抜き打ちに切る也
参考 如前の十八本目抜打
 歩み行中に抜打二切敵を先二打心也

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2017年5月23日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事18抜打

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
18)ニ十本目抜打
抜打
歩み行中に抜打二切敵を先二打心也
読み
抜打(ぬきうち)
 歩み行く中(うち)に 抜き打ちに切り 敵を先に打つ心也

読み解く
 前回に続き、業名が「抜打」という事で同じです。前回の抜打は「暇乞上中下」と曽田メモがありますが、曽田先生の書写された古伝神傳流秘書では「抜打上中下」です。
 
 歩み行き敵との間に至れば抜打ちに切る、敵に先に打ち込む心持ちである、と云うのでしょう。是もどうやら不意打ちの心得の様です。特段の業技法の手附けは何も有りません。
 
 歩み行きながら、左足が出た時、鍔に左手を掛け、右手を柄に掛けて、敵の中心に向って抜き出し「敵を先に打つ心」ですから右足を踏込み、横一線に抜き付ける、敵の右肩に片手袈裟切り、上に抜き上げて片手真向。
 刀を抜き上げ、上段に振り冠って左手を柄に掛け両手にて、真向に打ち下すも出来そうです。
 歩み行くうち、間境にて左足で間を越すや、左手を鍔に掛け、左足に右足を踏み揃え、刀を抜き上げ左手を柄に掛けるや、左右に足を踏み開き、真向に打ち下す。人中・現代居合の壁添の抜打ちです。
 いずれでも古伝はおおらかです。

 全剣連の制定居合の12本目の場合は「前方の敵が突然切りかかって来るのを刀を抜き上げ乍ら退いて敵に空を切らせて、真向に切下す」ので是は仕掛けられたのに応ずるものです。

 此の古伝の立っての抜打を伝える業は細川先生系統と思われる白石元一先生の抜打に見られます。
「放打の如く左足にて抜刀用意、右足を踏み出すと同時に右片手にて正面に斬りつけて納刀」
 片手打ちですが真向に打ち下していますし、右足を踏み込んでいますから是はこちらから仕掛けたと読めそうです。

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2017年5月22日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事18抜打

曽田本その1
1.神傳流秘書原文
9、抜刀心持之事
18)ニ十本目抜打
抜打
歩み行中に抜打二切敵を先二打心也
読み
抜打(ぬきうち)
 歩み行く中(うち)に 抜き打ちに切り 敵を先に打つ心也

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2017年5月21日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事17抜打

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
9、抜刀心持之事
17)抜打 上中下 以上十九本
 
 (暇乞三本)(格ノ低キ者二対スル黙礼ノ時。等輩二対スル礼ノ時。目上ノ者二対スル時ノ礼ノ時 曽田メモ)
読み
 抜打(ぬきうち)上中下(じょうちゅうげ)  以上十九本
 
(暇乞三本(いとまごいさんぼん))(格の低き者に対する黙礼の時。等輩に対する礼の時。目上の者に対する時の礼の時 曽田メモ)
読み解く

*古伝神傳流秘書の抜刀心待之事「抜打」は、現代居合の「暇乞」と同じであったかどうか疑問です。
 曽田先生の書き写しでは、「抜打 上中下 以上十九本」となっていますが、メモでは暇乞三本と書き込まれています。「格ノ低キ者二対スル黙礼ノ時。等輩二対スル礼ノ時。目上ノ者二対スル時ノ礼ノ時」の三本で、虎走までで十六本ですから、暇乞三本を加え抜刀心持之事は十九本と云う事になります。

 抜打上中下については、自分より格が低い者へ、同輩の時、目上の時と有りますが、動作においては特にどの様にするのか何も目安はありません。
 曽田先生のメモでは、自分より「格の低き者に黙礼」ですから順次手を床に着く、頭を低く下げるなどの格式に応じた暇乞いの時の礼法が明確だったので、それに従い礼をした上で不意打ちを仕掛けたものと考えられます。

 現代居合の暇乞その1、その2、その3の方法と変わらなかったかも知れませんが不明です。
 曽田メモの身分による礼の仕方の違いと抜き方との関連についても不明です。礼法の専門家による礼法のありようはあるでしょうが、平成のこの時代では身分格式における礼法は既に失われていると思います。
 現代居合では演武に入る前の神前への礼、刀への礼に最も敬意を表する礼が残されています。それは否定するつもりはありませんが、人と人との礼法を身分格式に応じたものとする礼法は忘れられています。
 高級料亭や旅館で請ける礼は「ゆかしい」反面、日常では違和感を覚えます。


 英信流居合目録秘訣では極意の大事の項目の始めに心得があります。
 暇乞「仕物抔を云付られたる時抔其者之所へ行て四方山の咄抔をして其内に切べし隙無之ときは我が刀を取て又近日と立さまに鐺を以て突き倒し其儘引ぬいて突也又は亭主我を送て出るとき其透間を見て鐺にて突たおして其儘引ぬいて突くべし」


 上意を命じられ、抜刀のチャンスが得られず、場を去り際に暇乞の心得を顕わしたもので、不意打と考えられ、決して相手に仕掛けられたから応じたという風にはとらえられません。

 「暇乞いは上意討ちとも称される。主命を帯びて使者に立ち、敬礼の姿勢より抜き打ちする意にして、彼我挨拶の際、彼の害ある動向を察知し、其の機先を制して行う刀法」とされています。(第22代池田宗家の夢想直伝英信流居合道解説より)

 これは、第17代大江正路先生の「剣道手ほどき」から奥居合立業の部の19番暇乞(黙禮)・20番(頭を下げ禮をする)・21番(中に頭を下、右同様に斬る)によると思われます。
19番暇乞(黙禮)「正座し両手を膝上に置き黙禮し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る」
20番(頭を下げ禮をする)「両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して禮をなし、両手を鞘と柄と同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る」
21番(中に頭を下、右同様に斬る)「両手を膝上に置き黙禮より稍や低く頭を下げて禮をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る」

 現代居合とは、20番と21番が入れ替わっていますが堀田捨次郎先生の誤認か不明です。

 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」では「抜刀心持之事」の16番目「虎走」の後に「以上十九本」と有りますが、十七・十八・十九は書き込まれていません。
 曽田先生の原本も同様であったのを、曽田先生が「抜打」だがこれは今の「暇乞」だろうと思われ書き込まれたのでは無いかと思います。

 下村派の細川義昌系統と思われる白石元一先生の長谷川流奥居合20番目の「抜打」
 抜打(互に挨拶をして未だ終らざるに抜き打ちに斬る意)「斬り付け。正面に對して正座し抜刀の用意をなしたる後、両手をつきて坐禮を行ひ頭を上げつゝ刀を抜き上体が起き終るまでに已に敵を抜き打ちに斬りつく・・」

 
この動作は、頭を下げ礼をしてから、抜き打つ現代の暇乞いでしょう。この様な業がどうやら継承されてきたと考えられるのでしょう。

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