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2018年3月

2018年3月31日 (土)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録1

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
1。無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
読み解く
 居合目録は業名ばかりですが、幾つかに分けて読み解いてみます。業の一つ一つの解説は一気に出来るものでは無いので業名の違いを古伝神傳流秘書、業附口伝、その他幾つかの根元之巻と対比してみます。
「無雙直伝英信流居合目録」は、英信流ですから大森流は含まれていません。大森流の目録允可は別にあったのか、無かったのかこの小藤亀江が谷村樵夫自庸からの相伝では不明です。
 古伝神傳流秘書では「大森流居合之事」として「此居合と申は大森六郎左衛門之居合也英信と格段意味無相違故二話而守政翁是を入候 六郎左衛門盤守政先生剣術之師也真陰流也 上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶(記 此の五本の仕形絶へたるハ残念也守政先生の傳是見當らず 曽田メモ)」
 大森流は第九代林六太夫守政の剣術の師匠大森六郎左衛門の居合で、英信流と格段の違いは無いので守政翁が誰かに話して無雙神傳英信流居合兵法に入れたと云って居ます。
 誰かとは第八代荒井兵作信定(荒井勢哲清定)かも知れませんが、不明です。大森六郎左衛門は上泉伊勢守の真陰流だと言います。
 真陰流の形五本と宮本武蔵の二刀流は守政先生で絶えてしまったと言います。
 土佐の居合では、大森流は第一五代谷村亀之丞自雄の英信流目録に残っていますので引き継がれて来ています。現在の大森流(無双直伝英信流正座の部)です。
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 この目録の記述方法は東北地方の秋田藩の天明8年1788年林崎流居合伝書に「居合目録次第として向之次第・右身之次第・左身之次第・立合之次第」として業名は異なりますが残されています。
 
 土佐の居合と道統を同じくしたであろう信州地方の伝書天明3年1783年大矢蕃昌編述・滝沢登愛所持「無双流和棒縄居合目録」に居合(南山大学榎本鐘司先生論文より)に全くと言ってよい業名とその位置付けが残されています。
 1.向身     横雲・稲妻・水引□□
 1.右身     浮雲・山風
 1.左身     岩浪・鱗返
 1.後身     波返・瀧落
 四方切             向・右・左・後
 敵を前後左右に受けた場合の運剣用法を表しているのでしょう。第17代大江正路先生の場合は、向・左後・右前・左前の変則な敵の配置です。
 現代居合では第一七代大江正路先生によって改変されて敵の配置よりも、演武の際の正面に対し己の坐す方向が優先すると言う可笑しなことから無双直伝英信流は変わっています。
組太刀は古伝神傳流秘書にある大剣取、英信流目録の小太刀之位が抜けています。
小藤亀江の目録に括弧内は神傳流秘書の業名を対比しておきます。
 
太刀打之位      出合(出合)・附込(附込)・請流(請流)・請込(請入・請込)
            ・月影(月影)・絶妙剱(水月刀) ・水月刀(独妙剱)
            ・独妙剱(絶妙剱)・心明剱(心妙剱)・(打込)
 

詰合之位        八相(発早)・拳取(拳取)・岩浪(岩浪)・八重垣(八重垣)
           ・鱗形(鱗形)・位弛(位弛)・燕返(燕返)・眼関落(柄砕)
           ・水月刀(水月)・霞剱(霞剱)
 
 
 
大小詰           抱詰(抱詰)・骨防(骨防扱)・柄留(柄留)・小手留(小手留)
           ・胸捕(胸留)・右伏(右伏)・左伏(左伏)・山影詰(山影詰)  
 
 
 
大小立詰        〆捕(使者捕)・袖摺返(骨防返)・鍔打返(鍔打返)
           ・骨防返(〆捕)・蜻蜒返(蜻蛉返)・乱曲(乱曲)・(電光石火)
 業名は同じものですが、順番が異なります。この原因は目録伝授が無いまま。また聞きで引き継がれたか、稽古に依って入れ替えるべきであると判断されたかのいずれかでしょう。
 現代居合では太刀打之位が第一七代大江正路先生によって中学生向きに改変され十本を七本に減らされ、業名および業も変えられてしまっています。大江先生の七本の組太刀を演ずるのであれば無双直伝英信流居合道形と言うべきでしょう。
 小藤亀江の相伝した目録の業名は古傳の趣を残しています。
 
 
 
 
 
 

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2018年3月30日 (金)

曽田本その1の4居合根元之巻原文6小藤亀江伝来の目録

曽田本その1
4.居合根元之巻
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。
 
 

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2018年3月29日 (木)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻読み解く
5、小藤亀江伝来の道統
天真正
*いつわり飾らないの意味となるのでしょう。この天真正を冠した剣術の流派は飯笹長威斎家直による天真正香取神道流を思わせます。重信は之を習ったこともありうるとすればその天真正を冠する事も有りえます。
 
林の明神
 出羽の国最上郡大倉郷の、林崎にあった素盞鳴尊を祀った熊野神社で後居合神社として合祀された神社。
 林崎とはその一帯が藻湖といわれる湖水であった事に由来するようです。
 林崎神社が記録に現れたのは正安2年1300年神鏡一面が奉納された頃であり、林前寺の門前町として林崎村が生まれた永承年中1046年~1057年ころから正安2年1300年の間に熊野神社(林崎明神)が遷座されたのであろうと、昭和8年の「居合神社記」の著者三澤茂氏が推定して居ると「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編には書かれています。
 奥州の辺鄙な処の神社のことですから真相は不明でしょう。
 林崎甚助重信はこの林崎明神に祈願して抜刀術を開眼したのでしょう。江戸時代には重信公を境内に祀ったのでしょう。
 明治5年の調書には「村社熊野神社・格外社居合神社」明治11年の調書では「村社熊野・居合両神社」とあります。「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編より。

林崎神助重信
*林崎の姓については、永禄2年1559年浅野民治丸抜刀の妙を悟り、元服して新夢想林崎流と称して村名を姓とし、父浅野数馬の仇を討って故郷の林崎に帰還した。と浅野姓を改姓したとされますが、この辺りには林崎姓は幾つもあって元々林崎であろうとするのも頷けます。
 名の神助は「甚」と「神」との誤認による誤記かも知れません。
 土佐の居合古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」でも「林崎神助重信」と有ります。
 南山大学の榎本鐘司先生の研究に依る、北信濃に残された無雙直伝流の天明6年1786年に大矢彌五兵衛尉から滝澤武太夫に与えられた「居合根元之序」には林崎甚助重信であって「神助」の名は有りません。
 正しく根元之巻が土佐に伝わったか疑問を持っても不思議ではありません。第17代大江正路宗家から出された根元之巻も「神助」でした。
 昭和38年に出された山本宅治守誠先生から大田次吉先生に授与された根元之巻には「林崎神助重信」です。
 どの様に誤認と確証があったとしても土佐の居合は「神助」でいいのでしょう。
 戦後の根元之巻の幾つかでは「甚助」となっていますがこの変更もその変更理由が公では無く疑問です。
田宮平兵衛尉業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛尉光重
蟻川正左衛門宗績
萬野團右衛門信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬蔵敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
楠目繁次成栄
谷村樵夫自庸
小藤亀江 明治三四年六月十五日
(曽田虎彦 明治三八年六月吉日 従実兄亀江伝来 曽田メモ)
この伝系は根元之巻の伝承であって決して宗家継承とは言えないのでしょう。
 土佐の居合は、第九代林六太夫守政によってもたらされたもので、第八代荒井勢哲清信や第七代長谷川主税助英信は古来の業を素肌剣法に改革し直した人で土佐の人であるとは何処にも立証できるものは見当たりません。
 第四代百々軍兵衛光重、第五代蟻川正左衛門宗績、第六代萬野團右衛門信定は、出自は元より何も解るものがありません。
 第九代林六太夫守政以下で第十五代谷村亀之丞自雄は谷村派です、従ってここでの第十六代楠目繁次成栄ー第十七代谷村樵夫自庸ー第十八代小藤亀江は谷村派の根元之巻を受けた事になります。曽田先生は下村派の行宗貞義に師事しているのですが、明治38年に従兄小藤亀江から根元之巻を伝承したと言っていますが、小藤亀江から預かった、程度の事でしょう。
 曽田本その2に無双直伝英信流居合術系譜として下村派の曽田虎彦の位置づけをしています。
 第11代大黒元右衛門清勝
 第12代松吉貞助久盛
 第13代山川久蔵幸雅
 第14代下村茂市定
 第15代行宗貞義
 第16代曽田虎彦
 
 谷村亀之丞自雄は現在では谷村派第15代宗家と認識されて居ます。楠目繁次成栄以下は居合の極意業を伝承したと云う事になるのでしょう。
 正統宗家は16代五藤孫兵衛正亮・17代は大江正路とされています。
 戦後傍系宗家が立たれて我こそは宗家とされています。第19代福井春政先生が第20代河野百錬先生を宗家に紹統印可しています。
 宗家への紹統允可は多分この時、福井春政から河野百錬へのものだけだったと思われます。
 第十七第大江正路先生も第十六代五藤正亮先生から根元之巻、宗家紹統印可も請けたであろう証拠は何処からも出てきません。
 大江正路先生は根元之巻直弟子に与えたものと思われるものが残されている様ですが、それが宗家を名乗る証拠にはなりません。
 むしろ土佐の居合は宗家は無く、根元之巻請けた者が林崎甚助重信の居合を身に付けた者と認識したのであろうと思います。
 業技法を修得したので与えられる目録は、此処まで教え導いたよ、と言うもので奥義に達したものには根元之巻が与えられたのでしょう。
 土佐藩主への師範は宗家とは別物と思われます。
 現代の土佐の居合無双直伝英信流居合兵法は
 第19代福井春政先生
 第20代河野百錬先生(第20代より第21代の紹統をせずに没す)
 第21代福井聖山先生
 第22代池田聖昂先生
 第23代福井将人先生
として道統はつなげています。
 
 第17代大江正路先生が再生した無双直伝英信流の道統は根元之巻の複数発行により混乱しているのが実態でしょう。
 私は、大江正路先生の居合を業ずる宗家を名乗る人達が一同に会し正統宗家を認め再生する日を夢見ています。
 師伝による業技法の違いなど想定違いに過ぎず、決められた形しか出来ない居合演舞者は残念ながら武術としての無双直伝英信流の宗家とは言えそうにありません。
 
 
 
 
 

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2018年3月28日 (水)

曽田本その1の4居合根元之巻原文5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻原文
5、小藤亀江伝来の道統

天真正
林明神
         
林崎神助重信
         
田宮平兵衛尉業正
         
長野無楽入道槿露斎
         
百々軍兵衛尉光重
   
 蟻川正左衛門宗績
       
万野團右衛門信定

    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

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2018年3月27日 (火)

曽田本その1の4居合根元之巻原文4小藤亀江伝来意訳

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文意訳
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
小藤亀江の根元之巻 意訳

 抑々居合というものは、日本の奥州林の大明神の夢想に従い、之を伝えて来たものである。
 その兵術は、上古、中古、数多他流に依る違いは有るとはいえ、大きな人にも小さな人にも、力の弱い人も、剛力な人にも、合わないと云う事の無い兵術として用いられる云々。
 いつか、相応の太刀と為る、汝に、身近に起こる勝負で一命の有無の極まる処を云う。
 此の居合を、恐れ、粟散辺土の地の堺に至る共、之に不信を抱いてはならない。
 ただ、夢に現れた霊に依る処である。
 此の始まりを尋ねるならば、奥州に林崎神助(甚助)重信という者、兵術を之れ林の神明に有ればとて、百有日参籠してその満願の日の暁時に、夢の中に老翁が現れ、重信に告げて曰く、「汝、此の太刀を以て、常に胸中に思い抱く怨敵に勝つ事が出来る云々」
 則、霊夢に有るように、腰刀三尺三寸を以って大きな利を得て、九寸五分の添え差しに勝つ事、すなわち柄口六寸を以て勝つ事で、其の妙不思議な極意である。一国一人への相伝である。
 腰刀三尺三寸は貪・瞋・痴の三毒である欲望・怒り・無知に対し三部の金剛界・胎蔵界・蘇悉地によって煩悩を打ち破り智徳を以って一切を包み込む菩提の心に依って、但、脇差九寸五分に勝のである、己の運命を切り開き五鈷をもって成就する事を悟る証しである。
 敵味方になる事は、是、前生の因縁の報いであり、生死一体の戦場も浄土の様に思うものである。
 これに観られるように、則、現世は悟りを得られた仏に見守られ、摩利支尊天によって加護され、来世は成仏し得る事を疑わないであろう。
 此の居合は千金を積まれても真実で無い人に、決して授けてはならない、天罰を恐れるべきものである。唯一人に之を伝える云々。
古語に曰く
 其の疾く進んだとしても、それは速く退いていく云々。
 此の意は、貴賤・尊卑・前後の輩に隔てる事無く、其の所達しなす者と謂わず、目録印可
等を相違なく許せ。
又、古語に曰く
 それ、百錬を積んで構えをこらそうとも、すなわち茅や茨の素晴らしい荘や鄙であろうとも、兵の利を心懸け、夜自ずから之を思い、明神佛陀を祈り、忽ちその利方を得る。是に依って心は済み、身は燦然と輝くものである。
・・

 この訳文で根元之巻が言わんとする所はつかめます。
 然し其処に或る「腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意」は文字を訳しても一向に伝わって来ません。
 腰刀三尺三寸を大太刀の寸法として見るのか、九寸五分を、敵と我との間合いと考え、その大太刀の運剣法の極意とも取れます。
 いや添え差しの操法だとも勝手に解釈してしまいます。
 柄口六寸についても、敵の柄を持つ小手であろう、いや上泉伊勢守の新陰流の云う「是は吾が太刀先三寸を以て敵の拳三寸を打つ事也」かもしれません。
 現在では、土佐の居合無双直伝英信流を習う限りは、明瞭に柄口六寸は口に出して稽古すらしたことがないものでしょう。
 根元之巻はこの武術の奥義であって、さらに奥に或るものは文字に表されたものでもないのかも知れません。
 現代居合では理解しがたい太刀の操法をも秘めて居たのでしょう、奥羽地方に何処かで伝承されて居るかもしれません。
 密教などの仏語が頻繁に添えられて居ますが、其処に捉われても根元之巻は多くを語ってくれないでしょう。
 呪術が秘められていたと妄想するのは自由ですが、それでは剣術を学ぶのではなくなってしまいます。
 命を懸けて闘わざるを得なかった戦国時代の事ですから、人事を尽くして天命を待つ事も有りえたでしょう。その位の解釈で良いと思うのですが、いかがでしょう。
 現代の無双直伝英信流及び夢想神傳流を学ぶ者が、業技法の末節に拘って武的演武(演舞?)の美を追求しつつ、あの人の教え、此の人の教えと迷いながら、それでも日々稽古を重ねる中から此の一振りの意義を悟り、読み解くものかも知れません。
 次回は、この根元之巻の道統です。さらりと流します。

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2018年3月26日 (月)

曽田本その1の4居合根元之巻原文3小藤亀江伝来読み

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文読み
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
読み

居合根元之巻
抑(抑々そもそも)此の居合と申すは、日本奥刕(奥州)林の大明神の夢想に之を伝え奉つる、夫れ兵術は上古中古数多他流の違い有と雖も、大人・小人、無力・剛力、嫌わずに兵の用に合う云々。
末代相応の太刀に為ると云う、手近の勝負一命の有無此の居合に極まる。
恐らくは、粟散辺土の堺に於いて不審の儀之れ有るべからず。
唯㚑夢(霊夢)に依る処也。

此の始めを尋ぬれば奥州林崎神助重信(*神助は甚助の誤かその様に土佐には伝わったか?)と云う者に因り、兵術有るを望み林の明神に、一百有日参籠令(せしめ)其の満暁に夢の中で老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中に憶持たる怨敵に勝を得る云々。
則、霊夢に有る如く腰刀三尺三寸を以って大利を得、九寸五分に勝つ事、柄口六寸に勝の妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸は三毒則三部に但し脇指九寸五分、九曜五古(五鈷)の内訟也。
敵味方と成る事、是亦前生(前世)の業感也。
生死一體は戦場浄土也。
是に観る如く、則、現世は大聖摩利支尊天の加護を蒙り、来世の成仏成るは縁の事、豈疑い有らん哉。
此の居合は千金を積むと雖も不真実の人には堅く之を授けるべからず、天罰を恐るべし。唯一人に之を伝、云々。
古語曰く
其の疾く進むは、其れ速く退く云々。
此の意、貴賤、尊卑を以て、前後の輩に謂れずして隔て無く、其の所作に達する者を以って目録印可等相違無く許す。

又古語曰く
夫れ百錬の構え在りて、則、茅茨荘鄙と兵の利を心懸けるは、夜自白之を思い、神明佛陀を祈り、忽ち利方を得、是に依って心済み身に燦然(*光り輝く)たる事なり
*以下に、見慣れない、聞きなれない言葉を解説しておきます。
*奥刕は奥州、刀は刂(りっとう)を三つ並べれば州です。
*粟散辺土は我が日本国、粟粒の様に小さな辺境の国
*霊夢、㚑は霊の異体字
*三毒は貪瞋痴、むさぼり求める心・怒りの心・真理に対する無知、三部は密教の仏部・蓮  華部・金剛部、また金剛界・胎蔵界・蘇悉地。
 金剛界は密教で、大日如来の、すべての煩悩 (ぼんのう) を打ち破る強固な力を持つ智徳の面を表した部門。
 胎蔵界は金剛界に対して、大日如来の理性の面をいう。仏の菩提 心が一切を包み育成することを、母胎にたとえたもの。
*蘇悉地(そしつじ)はそれらの成就。
*九曜五古は九曜五鈷の間違いでしょう。
 土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、火曜(虚空蔵)、金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、日曜(千手観音)、計都(釈迦)、羅睺(不動明王)の9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰した。
 平安時代には「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝され、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられ厄よけの重要な文様です。
*五鈷は五鈷杵の略で金剛杵、密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具。
*内訟は内証、仏語、自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。
*業感は仏語、善悪の行為が因となって、苦楽の報いを感受すること。
*浄土は五濁、悪道のない仏・菩薩の住する国。
*大聖は仏道の悟りを開いた人の尊称。釈迦、菩薩。 
*摩利支尊天は、陽炎(カゲロウ)を神格化した女神で、陽炎のように目に見えなくとも常に身近に進路の障害になるものや厄を除き、ご利益を施してくれる。武士の間でも戦勝の神として信仰されお守りとされた。
 軍神とされる一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。三面六臂で、走駆する猪に乗っているとされるものが多い。
*豈有疑哉、豈疑い有らんや、どうして疑があろうか、疑いは無い。
*第茨は茅茨 ぼうじ、かやといばらの誤字か。
・・次回はこの根元之巻を現代風に訳してみましょう。

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2018年3月25日 (日)

曽田本その1の4居合根元之巻原文2小藤亀江伝来居合根元之巻

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文

2、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
原文
  
抑此居合ト申者日本奥刕林之従大明神無想奉傳之夫兵術者上古中古雖有数多之違他流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々
末代為相応之太刀爾云手近勝負一命有無極此居合恐者粟散辺土於堺不審之儀不可有之唯依多(㚑の誤)夢処也
此始尋奥刕林崎神助重信云者因兵術望有之林之明神一百有日令参篭其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々
則如㚑夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也
腰刀三尺三寸三毒則三部尓但脇指九寸五分九曜五古之内訟也
敵味方成事是亦前生之業感也
生死一體戦場浄土也
如是観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成佛成縁事豈有疑哉
此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人傳之云々

古語曰
其進疾者   其退速云々
此意以貴賤尊卑無隔前後輩不謂達其所作者
許目録印可等無相違

又古語曰
夫百錬之構在則第茨荘鄙與兵利心懸者夜自思之神明佛陀祈忽得利方是依心済身事燦然

天真正

林明神
    林崎神助重信
    田宮平兵衛尉業正
    長野無楽入道槿露斎
    百々軍兵衛尉光重
    蟻川正左衛門宗績
    万野團右衛門信定
    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

無双直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。次回は読み下し文としてみます。
 

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2018年3月24日 (土)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く1小藤亀江伝来序文

曽田本その1
4居合根元之巻原文
1、小藤亀江伝来序文
 本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
高知市爆撃ノ際家財道具一切
ト共二焼失ス           印
 谷村樵夫自庸先生相伝
 免許皆伝目録
 従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
    旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
読み
 本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
 
 谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
 実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
 旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す
読み解く
*
 居合根元之巻
 曽田本には土佐の居合の免許皆伝目録いわゆる根元之巻が記載されて居ます。
 明治34年(1901年)6月15日に谷村樵夫自庸から小藤亀江に伝授された根元之巻です。
 谷村樵夫自庸は谷村派第15代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸と連なる系統になります。
 谷村派第15代谷村亀之丞自雄の系統は、第16代五藤孫兵衛正亮-第17代大江正路蘆洲と道統を繋いでいるとされます。
 第17代大江正路先生も何人かに根元之巻を授与されていますのでその系統は土佐の居合を引き継ぎ伝統を次代に引き継いでいく使命を預けられたとし、中には土佐の居合の宗家であると自認している方もおられるようです。
 宗家紹統印可と業技法の奥義を窮めその伝授を允可する根元之巻との区別が不透明な事によると思われます。
 第20代河野百錬宗家の昭和30年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書では河野百錬先生に第19代福井春政先生より昭和25年1月3日付けで居合根元之巻が伝授され、同年5月に「無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家紹統印可」が授与されて居ます。
 後に河野宗家は、正統では無い傍系宗家を名乗る者が現れ苦慮されています。現在も多々見受けられます。
 土佐の居合の流名について、無双直伝英信流と名乗る事について、何時からどの様な経過で名乗ったのか良くわかりません。

 河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」では、大江正路先生相伝長谷川流居合術伝書と題し、居合術根元之巻が弘化2年1845年乙巳12月18日に谷村亀之丞自雄から伝授者山内豊惇(とよあつ・第14代土佐藩主)への伝書が掲載され、其処には既に業目録に「無双直伝英信流居合目録」奥付けに「敬白去天保11(1840年)康子年3月26日臣自雄所学之無双直伝英信流居合術 可奉授」と流名が付記されて居ます。

 天保11年1840年には谷村派第15代谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流を学び終えていて山内豊惇に可奉授と云う事になります。
 谷村亀之丞自雄の師は谷村派第14代林弥太夫政敬であろうと思います。
 今回の曽田本免許皆伝目録に依る居合根元之巻は明治34年(1901年)6月15日に曽田先生の実兄小藤亀江のち土居亀江に伝授された伝書で、其処には業目録では「無双直伝英信流居合目録」とあり、奥付けには「無双直伝英信流居合」と明記されて居ます。
 無双直伝英信流の流名を大江先生が名乗った様に聞こえて居ますが、大江先生は嘉永5年1852年生まれですから有りえない事になります。
 平尾道雄著土佐武道史話(昭和36年1960年発行)に下記の様な文章があります。
 
 「文化の頃・・土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。
 後年この流は統一されて、大正の末期には無双直伝英信流、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった、英信流は目録を授けて免許とし、根元の巻を授けて皆伝とする。
 目録は位を7にわけて76業あり、ほかに9ヶ条の口伝をそえて純然たる居合道をたてたものである・・」
 この文章に大江先生が命名された様に、大江びいきの方に依って惑わされたようにも思います。
 ついでながら、大江正路宗家が授与されたであろう根元之巻や宗家紹統印可などは、存在したかかどうかわかりません。
 大江先生の発行されたものは見られます。

 尚、この曽田本の居合根元之巻は谷村派の系統でありながら、曽田先生は小藤亀江の後に自らを、明治38年6月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦と書かれて居ます。
 この小藤亀江の根元之巻は、「本目録は昭和20年7月4日午前2時高知市爆撃の際家財道具一切と共に焼失す」と曽田先生は書かれて居ます。
総務省による高知市における戦災状況から空襲の概況
「高知市が初めて空襲を受けたのは昭和20(1945)年1月19日の夜、B29が神田地区の吉野に爆弾を投下し、3月4日には土佐湾に侵入投爆したと伝えられ、同7日午前1時に桟橋通りに爆弾6個を投下して若干の被害を生じた。3月19日にはグラマン数十機が侵入、仁井田から長岡郡日章村(現南国市)の海軍航空隊を攻撃している。5月24、25両日にわたって首都東京に徹底的空襲を加えた。

 アメリカ空軍は、次第に地方都市爆撃を強化、高知市も6月になって1日、7日、15日、19日、22日、26日と6回にわたって来襲を受け、そのたびに被害を生じたが、22日には市の上空でB29編隊のうち1機を地上砲火で撃墜することができた。6月26日来襲したB29 1機は、報復的に市内東部に大型爆弾を投下し、2回目には市上空を旋回して投下した爆弾は浦戸湾に落ちたので被害はなかった。7月4日早暁の空襲は最も大規模なもので、単機または2機、3機による波状攻撃で総数50機ないし80機と数えられ、焼夷弾は雨の如く、市街地の大部分は焦土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほどで、それによっても空襲の激しさが推察されるだろう。同24日午前B29 1機が来襲11トン爆弾3個を投下したが、これが高知市が受けた最後の空襲であった。
(高知市戦災復興史より抜粋)」

「昭和20(1945)年7月4日:午前2時、B29編隊50~80機潮江地区、小高坂方面、市街中心部に油脂焼夷弾大量投下。罹災面積4,186,446平方m、罹災戸数11,912戸、罹災人口40,737名、被害人員712名(内訳死亡401名、重傷95名、軽傷194名、不明22名)、被害建築11,912戸(内訳全焼壊11,804戸、半焼壊108戸)

  • 昭和20(1945)年7月24日:午前11時35分、B29山内家本邸目指し来襲、鷹匠町及び唐人町に1トン爆弾3個投下。死亡5名、重傷5名、軽傷10名、全壊26戸、半壊106戸、罹災者700名」
  •  何となくこの根元之巻の序文のその文字に無差別爆撃の戦火に失ったものへの激しい怒りとあきらめを感じてしまいます。
     

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    2018年3月23日 (金)

    曽田本その1の4居合根元之巻原文1小藤亀江伝来序文

    曽田本その1
    4居合根元之巻原文
    1、小藤亀江伝来序文
     本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
    高知市爆撃ノ際家財道具一切
    ト共二焼失ス           印
     谷村樵夫自庸先生相伝
     免許皆伝目録
     従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
        旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
    読み
     本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
     
     谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
     実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
     旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す

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    2018年3月22日 (木)

    曽田本その1の3業付口伝読み解く4大小立詰7移り

    曽田本その1
    3業付口伝読み解く
    4、大小立詰
    七本目移り
     (伝書二ナシ口伝)敵後ヨリ組付キタルヲ我体を落シテ前二投ル也
     (後ロゟ組付體ヲ下リ前ヘ投ケル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    七本目移り(うつり)
     (伝書になし口伝)敵後より組付きたるを我体を落として前に投げる也
     (後ろより組付く体を下り前へ投げる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火
     如前後より来り組付を躰を下り相手の右の手をとり前二倒春
     以上七本
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火(でんこうせっか)
     前の如く後より来たり組付くを体を下り 相手の右の手を取り前に倒す
     以上七本
    読み解く
    *
    曽田先生は第14代谷村亀之丞自雄の業附口伝書には無いけれど口伝があるので書き込んだと言うのでしょう。後ろから羽交い絞めにされたので体を低くして前に投倒すという技です。

    伝書に無いと言うのは、谷村派15代には伝書で伝わっていないと言うことでしょう。古伝神傳流秘書には「電光石火」という業名であります。
     「前の如く後より来り組付を体を下り相手の右の手を取り前に倒す」


     すごい業名です電光石火です。後ろから組付かれた時は即座に相手の右手を取って体を沈めて前に投げる。一本背負いを彷彿とさせます。
     後ろから羽交い絞めにされたので、相手の右手をそのままでは取れそうもない場合は、体を沈めて相手の手が緩んだ処を一本背負いでしょう。

     業名は業附口伝の大小立詰めでは「移り」になっていますが手附は神傳流秘書の大小立詰の電光石火とほぼ同様です。
     これらの業は業では無いので変化極まりなし、よりよい方法、状況に応じた瞬時の判断を研究すべきでしょう。

     以上七本で大小立詰は終わります。
     此処も相手は小太刀、我は太刀を帯して行います。
     この大小立詰は見る機会が殆ど有りません。之だと言う伝系も有るのか無いのか失伝してしまった業でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰移り
    「伝書になし、口伝 打太刀仕太刀の後方。 打太刀後より組付き来るを仕太刀体を落して前に投るなり。」

    *曽田先生の業附口伝と同じです。嶋 専吉先生の「無双直伝英信流居合術形乾」を終了します。これは第19代福井春政先生の業技法を垣間見れる現在唯一手元にある貴重な資料です。

    以上で業附口伝を終わります。

     業附口伝は土佐の居合の下村派15代行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生が谷村派の16代五藤正亮先生、谷村派14代谷村自雄先生の業附口伝書をもとに田口先生(?)と実兄の谷村派土居亀江先生の口伝に依って、谷村派・下村派竹村静夫先生と実演したもので参考にまとめたものと序文に書かれています。

     ここには組太刀が4種類記載されていました。太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰です。
     神傳流秘書にあった大剣取がありません。
     英信流目録にあった小太刀之位もありません。
     業の細部は古傳神傳流秘書の太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰と異なる業名、その順番や動作がありますが、おおかた同じものと云えます。

     江戸末期から明治にかけて細々と稽古されていたもので現在の夢想神傳流にも無双直伝英信流にも失伝してこれらを全て打てる道場は少なかろうと思います。
    現在打たれている無双直伝英信流居合道形は谷村派第17代大江正路先生に依る太刀打之位を元にした独創形であって、古傳太刀打之事或は太刀打之位とは別物です。

     この業附口伝のそれぞれの形は、一対一の攻防ですから、居合ならば正座の部、立膝の部が何とか理解出来、竹刀剣道、柔道、合気道などを少々齧って居れば手附だけで形を打つ事は出来るはずです。
     但し、武術として学ぶには奥深いものがあるので申し合わせの形の認識であったり、誰々師匠の直伝位の認識では形を順番に従って打てただけに終わりそうです。
     これ等を稽古するには文章をよく読み、それに従って書かれている通り演じてみることが大切です。
     どうしても抜けがあってどうしたら良いかわからない事がある時は幾つも想定して次の動作と違和感のないものを選択するのがよいでしょう。

     ここにも習い・稽古・工夫のスパイラルが求められます。習いと言っても、現代の居合の師匠では、一人演武の居合以外は古伝は全く知らない高段者が殆どです。

     現在師伝としてあるものは、大凡曽田虎彦先生の書かれた「業付口伝」を参考にされている様です。
     土佐の居合の第九代林六太夫守政が第八代荒井兵作(勢哲)(信定)清信、第七代長谷川主税之助英信より伝授されたもので「古伝神傳流秘書」によるものとは異なる部分もあって、古伝を紐解き研究すべきでしょう。

    現代の無双直伝英信流居合は第17代大江正路先生の居合であって、江戸時代に土佐にもたらされた総合武術による居合では無いのです。

     古伝の文章が土佐に伝わる組太刀の師匠であり、現存する武術流派の業技法や自分の武的力量の達成度も師匠でしょう。
     そして、何より大切なのは、志を一にする仲間と、、古伝の手附を読み合いお互いを師と仰ぎ座学と実技を理解し合い、自分の道場へ帰って磨き上げる事かも知れません。


     第9代林六太夫守政が土佐にもたらした神伝流秘書の数々とは聊か異なる部分もありますが、業附口伝に書かれたものは大方古伝に近いものと云えるでしょう。

    業附口伝の印刷された資料

    河野百錬著昭和13年1938年発行無双直伝英信流居合道 第五節居合形之部第二~第五に文責筆者として曽田先生の業附口伝が書かれています。

    島専吉著昭和17年1942年発行無双直伝英信流居合術乾
     戦時中に嶋専吉先生は土佐に赴き、第19代福井春政先生や田岡傳先生に直接指導を受け、その際福井先生の資料を書き写されたものです。内容は曽田先生の業附口伝と同じですが一部改変されています。
     太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰、外之物之大事、上意之大事、極意之大事などが記載されている貴重な資料です。

     

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    2018年3月21日 (水)

    曽田本その1の3業付口伝原文4大小立詰7移り

    曽田本その1
    3業付口伝原文
    4、大小立詰
    七本目移り
     (伝書二ナシ口伝)敵後ヨリ組付キタルヲ我体を落シテ前二投ル也
     (後ロゟ組付體ヲ下リ前ヘ投ケル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    七本目移り(うつり)
     (伝書になし口伝)敵後より組付きたるを我体を落として前に投げる也
     (後ろより組付く体を下り前へ投げる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火
     如前後より来り組付を躰を下り相手の右の手をとり前二倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火(でんこうせっか)
     前の如く後より来たり組付くを体を下り 相手の右の手を取り前に倒す
     

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    2018年3月20日 (火)

    曽田本その1の3業付口伝読み解く4大小立詰6乱曲

    曽田本その1
    3業付口伝読み解く
    4、大小立詰
    六本目乱曲
     前後二立チテ行ク也敵後ヨリ鐺ヲ取リクルクル廻シ引ク也我其ノ時スグニ後向キテ左右何レナルヤヲ見合セ右手ナル時ハ我左足ニテ敵ノ右足ヲ又左手ナル時ハ我右足ニテ敵ノ左足ヲ掬ヒ中二入ル也
     (後ロゟ鐺ヲ取リクルクル廻シ引其時左右ヲ見合セ中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目乱曲(らんきょく)
     前後に立ちて行く也 敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也 我其の時直ぐに後ろを向きて左右何れなるやを見合わせ 右手なる時は我が左足にて敵の右足を 又 左手なる時は右足にて敵の左足を掬い中に入る也
     (後ろより鐺を取りクルクル廻し引く 其の時左右を視合わせ中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     如前後より来り鐺を取り頻り二ねぢ廻し刀を抜かさじと春る時後へ見返り左の手か右の手尓て取たるかを見定め相手左の手ならバ我も左尓て鯉口を押へ相手右ならは我も右尓て取る後へ引付んと春るを幸しさり中に入り倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     前の如く後より来たり鐺を取り頻りにねじ廻し刀を抜かさじとする時 後へ見返り左の手か右の手にて取りたるかを見定め 相手左のてならば我も左にて鯉口を押へ 相手右ならば我も右にて取る 後へ引き付けんとするを幸いしさり中に入り倒す
    読み解く

     敵は我が後ろに並んで歩いて行く時、敵後ろから我が鐺をつかんでクルクル廻しながら引く。
     我は其の時すぐに振り返って、敵が鐺を握っている手が右手か左手かを見極め、右手で握っているならば左足を踏み込んで敵の右足を掬い、左手ならば右足を踏み込んで敵の左足を掬い付け入って中に入る。

     我が鐺を敵が右手で取るならば敵の出足は右が普通でしょう。左ならば左足でしょう。その敵の出足を我は左ならば右足で、右ならば左足で掬うのです。

    神傳流秘書 大小立詰 六本目 乱曲

     前の蜻蛉返の様に相手後ろより歩み来たり我が鐺を取る。トンボ返しの場合は相手は「我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時」でした。
     乱曲は、我が鐺を左手か右手で取ってねじ廻し抜かせない様にするのです。其の時我は後ろを振り返って相手が左手で取っていれば我も左手で鯉口を押える。
     相手が右手を出して鐺を取れば右半身になっているでしょうから、我も右半身になるとでも思えばいいのでしょう。
     「相手右ならば我も右にて取る」ですが、我は右手で何処を取ればいいのでしょう。左手は鯉口を握るのは常識でしたら右手は柄でしょう。
     文章からは鯉口を右手で取ると読めます。

     相手後ろへ引かんとするを幸いに、後ろへ下がり相手の懐に入るようにして足払いで倒す。

     この乱曲と前の蜻蛉返の様に、英信流の瀧落も鐺を取られています。瀧落では鐺を取られ後ろを振り向き右手か左手か確かめていますがその違いは何も示されていません。

     左右の手と足の関係は、古伝も業付口伝の乱曲もしっくりきません。この際、研究しなおして見るのもいいかもしれません。

     この事については政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻に瀧落の解説で述べられています。
     「参考 これは(瀧落は)右手で鐺をとられた時の動作であるが、もし左手で握っておれば「左足を出し腰をおし出しつつ右手を柄にかけ、右胸に引き、鐺を左腿に添え、強く左前に出して、敵の手を振りもぐ」の動作は、左右とつぎ足で出て腰を右前に出す気持ちで、柄は左前に引きよせて敵の手をふりもぐべきである。
     この練習は行われていないが、後出の形(大小立詰の形乱曲参考)に於いては、右手で取られた時と左手で取られた時と両様の動作が行われている」

    古伝大小立詰を知らない現代の先生方では「なぜ瀧落で後ろを振り向き左右の手を見極めるのか」の質問に応じられないで「そう教えられた」で片付けられてしまうでしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰乱曲
    「前後に立ちて行く。 打太刀後より鐺を取りクルクル廻し引く、仕太刀その時直に後向きて左右何れなるやを見合せ右手なるときは仕太刀左足にて打太刀の右足を、又左手なるときは右足にて打太刀の左足を掬ひ中に入るなり。」

    曽田本業附口伝と同じです。

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    2018年3月19日 (月)

    曽田本その1の3業付口伝原文4大小立詰6乱曲

    曽田本その1
    3業付口伝原文
    4、大小立詰
    六本目乱曲
     前後二立チテ行ク也敵後ヨリ鐺ヲ取リクルクル廻シ引ク也我其ノ時スグニ後向キテ左右何レナルヤヲ見合セ右手ナル時ハ我左足ニテ敵ノ右足ヲ又左手ナル時ハ我右足ニテ敵ノ左足ヲ掬ヒ中二入ル也
     (後ロゟ鐺ヲ取リクルクル廻シ引其時左右ヲ見合セ中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目乱曲(らんきょく)
     前後に立ちて行く也 敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也 我其の時直ぐに後ろを向きて左右何れなるやを見合わせ 右手なる時は我が左足にて敵の右足を 又 左手なる時は右足にて敵の左足を掬い中に入る也
     (後ろより鐺を取りクルクル廻し引く 其の時左右を視合わせ中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     如前後より来り鐺を取り頻り二ねぢ廻し刀を抜かさじと春る時後へ見返り左の手か右の手尓て取たるかを見定め相手左の手ならバ我も左尓て鯉口を押へ相手右ならは我も右尓て取る後へ引付んと春るを幸しさり中に入り倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     前の如く後より来たり鐺を取り頻りにねじ廻し刀を抜かさじとする時 後へ見返り左の手か右の手にて取りたるかを見定め 相手左のてならば我も左にて鯉口を押へ 相手右ならば我も右にて取る 後へ引き付けんとするを幸いしさり中に入り倒す
     

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    2018年3月18日 (日)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰5蜻蛉返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    五本目蜻蜓返
     打ハ仕ノ後ヨリ仕ノ右手首ヲ後二引キ鐺ヲ前二押ス直チニ右足ヲ以テ掬ヒ中二入ル也鐺ヲ後二引キ右手首ヲ前二押ス時ハ左足ヲ以テ中二入ル也
     (後ロゟ右ノ手首ヲオサへ跡へ引左手鐺ヲオサヘ前へヲス時中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目蜻蜓返(とんぼかえし・せいていがえし)
     打は 仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す 直ちに右足を以って掬い中に入る也 鐺を後に引き右手首を前に押す時は 左足を以って中に入る也
     (後ろより右の手首を押さへ跡へ引 左手鐺を押さえ前へ押す時中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其侭後へ之さり中に入利倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後ろより来たり 我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押し付けられたる時 其の侭後へしさり中に入り倒す
    読み解く

     蜻蜓返(せいていかえし・とんぼかえし)は蜻蛉返(せいれいかえし・とんぼかえし)です。
     打は仕の後ろより仕の右手首を右手で掴んで後ろに引き左手で鐺を前に押す。仕は直ちに右足を打の足の間に踏み込んで密着する。
     鐺を後ろに引き右手首を前に押す時は左足を打の足の間に踏み込み密着する。右手を後ろに引かれ、鐺を前に押されれば強く逆らわずになされる儘に右に体が回りこみますからそのまま右足を踏み込み相手の足を掬い刈ればいいのでしょう。
     古伝神傳流秘書では蜻蜓返は蜻蛉返はです。蜻蛉返ですから反転と思う処です。
     相手後から来て我が右手を右手で取り刀の鐺を左手で取って背中に押付けて来る、其の時その体勢の儘後へしさり相手に密着するや体を低めて投げ倒す。
     さて前に倒すか後ろに倒すか、状況次第ではどちらでも出来そうです。倒すにあたっては、相手に密着して足技を併用するなり工夫次第でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰蜻蛉返
    「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。 打太刀、仕太刀の後より仕太刀の右手首を後ろに引き鐺を前に押す。仕太刀直ちに右足を以て掬ひ中に入るなり。
    鐺を後に引き右手首を前に押すときは左足を以て中に入る。」

    *曽田本業業附口伝と同じですが、業手附が「打は仕の後ろより仕の右手・・」を嶋先生は「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。・・」と、変えて居ます。些細な違いですが「後ろより」と「後ろに立つ」では状況に違いが出ます。
     古伝を読む時は其の違いをどの様に判断するかが業が活きて来るか否かの差になります。

     此処には無いのですが、大剣取の無剣で「相手居合膝に坐し居処へ小太刀をさげかくる相手抜打つを・・」の文章で「小太刀をさげかくる」を、訳して「小太刀を引っ提げて進む」としたのでは、間違いではないのですが、「小太刀を無形の構えにとり、間境でふと止まり掛って行く」。

      もっと深く読めば「小太刀を無形の構えに取り間境を越すや小太刀の切先を少し上げて懸って行く起こりを見せるや相手抜き打つ・・」位迄読み取りませんと、無形の構えの有り様も、敵の抜打ちも只の申し合わせの踊りになってしまいます。

    蜻蜒(せいてい)・蜻蛉(せいれい)となりますがどちらも「とんぼ」です。

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    2018年3月17日 (土)

    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰5蜻蛉返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    五本目蜻蛉返
     打ハ仕ノ後ヨリ仕ノ右手首ヲ後二引キ鐺ヲ前二押ス直チニ右足ヲ以テ掬ヒ中二入ル也鐺ヲ後二引キ右手首ヲ前二押ス時ハ左足ヲ以テ中二入ル也
     (後ロゟ右ノ手首ヲオサへ跡へ引左手鐺ヲオサヘ前へヲス時中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目蜻蛉返(とんぼかえし・せいれいがえし)
     打は 仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す 直ちに右足を以って掬い中に入る也 鐺を後に引き右手首を前に押す時は 左足を以って中に入る也
     (後ろより右の手首を押さへ跡へ引 左手鐺を押さえ前へ押す時中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其侭後へ之さり中に入利倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後ろより来たり 我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押し付けられたる時 其の侭後へしさり中に入り倒す

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    2018年3月16日 (金)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰4骨防返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    四本目骨防返
     互二對立スル也打ハ仕ノ柄ヲ両手ニテトリ二来ル也我ハ右手ニテ敵ノ両手ヲ越シテ柄頭ヲトッテ両手ニテ上二モギトル也
     (敵両手ニテ柄ヲ取る時引廻シモグ 五藤正亮先生の教示)
    読み
     互に対立する也 打は仕の柄を両手にて取りに来る也 我は右手にて敵の両手を越し柄頭を取って両手にて上に捥ぎ取る也
     (敵両手にて柄を取る時 引き廻し捥ぐ)
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返
     相懸り二懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手尓て柄頭を取り振りもぐ也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返(ほねもぎかえし)
    読み解く

     此の業は神傳流秘書では大小詰の二本目骨防扱に有ります。「立合骨防返に同じ故に常になし」と大小詰ではいつもは稽古しないと言っています。

     大小立詰めは、打太刀は小太刀を差し、遣方は太刀を差しての立業です。双方スカスカと歩み寄り、相手が我が刀の柄を両手で取って抜かさない様に押し付けて来る。
     我は透かさず右手を柄頭に取って柄を上に引上げ相手の手を振りもぐ。相手の我が柄を取るのが、右手だけ、両手、左手など在りそうですが工夫次第でしょう。
     振り捥いだら、後は抜き打ちでも柄當でもありでしょう。古伝は語らずです。

    *五藤先生の大小立詰の骨防返「引廻しもぐ」も稽古しておくと良いかも知れません。形ばかりに拘って稽古熱心であっても、喧嘩慣れしたやくざにはコロッと負ける話も聞いたような・・。

     江戸末期に竹刀による試合稽古に慣れた者に古流の「かたち」だけの稽古しかしていなかった者が打ち負かされる話も聞きます。
     申し合わせの形稽古で打太刀が打ち易い様に仕太刀に打ち込む隙を作って打たせる、身長も似たような者同士で稽古する。足踏みも所定の踏み数で稽古するetc・・。
     何故ですかと問えば「昔からの形稽古のやりかただから、上達したら変化もする」と云うのですが「何時も同じ人と、同じ形ですね」とやると「演武会の出し物なのでこうする」やれやれです。
     其の上「大会の合同演武だからばらばらにならない様に組同士が動作を合せて」動作は愚か、足数も歩幅まで合わせ、打ち合った位置から、戻る位置まで合わせています。武的演舞の究極です。
     大方は軍属上がりの師匠の指導に依るのでしょう。乾いた号令が響いています。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰骨防返
    「互に対立す。 打太刀、仕太刀の柄を両手にて捉りに来るを仕太刀右手にて打太刀の両手を越して柄頭をとって両手にて上に捥ぎ取るなり。」

    *曽田本業附口伝の儘です。

     

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    2018年3月15日 (木)

    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰4骨防返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    四本目骨防返
     互二對立スル也打ハ仕ノ柄ヲ両手ニテトリ二来ル也我ハ右手ニテ敵ノ両手ヲ越シテ柄頭ヲトッテ両手ニテ上二モギトル也
     (敵両手ニテ柄ヲ取る時引廻シモグ 五藤正亮先生の教示)
    読み
     互に対立する也 打は仕の柄を両手にて取りに来る也 我は右手にて敵の両手を越し柄頭を取って両手にて上に捥ぎ取る也
     (敵両手にて柄を取る時 引き廻し捥ぐ)
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返
     相懸り二懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手尓て柄頭を取り振りもぐ也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返(ほねもぎかえし)
     

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    2018年3月14日 (水)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰3鍔打返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    三本目鍔打返
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打 五藤正亮先生ノ教自示)
    読み
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打  五藤正亮先生ノ教示) 
    古伝神傳流秘書三本目鍔打返
     相懸り二懸り我刀を抜かむと春る其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也
    読み
     相懸かりに懸かり 我が刀を抜かんとする 其の手を留められたる時 柄を放し手を打ちもぐ也
    読み解く
    三本目鍔打返

     これはお互いに相掛に進み仕が両手を刀に掛け抜かんとするところ、打は仕の右柄手を右手で押さえて抜かせじとする。仕は柄から右手を放すと同時に打の右手首を左手で鍔を以って打ち付ける。

     五藤先生は、柄手を押さえられたので左手で打の右手首を打つ、としています。この場合は仕は右手を柄から放さず、左手を鞘から離して打つのでしょう。ダメージは曽田先生の方が大きいでしょうが、咄嗟に柄手を放すには普段から稽古で充分慣らしておきませんと難しそうです。

     この業は大小立詰の三本目です、神傳流秘書でも三本目に位置します。

     この業はすでに、大小詰の四本目小手留で解説しています。四本目小手留「立合の鍔打返に同じ故に此処にては不記」

     立業ですから相懸りに懸り合って、我は柄に手を懸け抜こうとする処、相手が右手を取って押さえられる。我は柄手を離し相手の手を鍔で打ち付けもぐ。

     右手で柄を握った処を相手に右手で押さえられる、或は両手で押さえられる、そこで柄から手を離し、左手に持つ鍔で相手の手を打ち据えもぐ、と読んでみました。

     古伝は「手を打ちもぐ」とばかりですから想像を働かせるところでしょう。

     時代が進むと、どんどん技が固定化されていくのはいつの時代も同じです。より克明にと云うことか、特定しないと満足できないようです。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰三本目鍔打返
    「互に対立す。 打太刀は仕太刀の抜かんとする右手首をとる、仕太刀は右手を放すと同時に左手に持てる鍔にて打太刀の手首を打つなり。」

    *曽田先生の業附口伝のままです。

     

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    2018年3月13日 (火)

    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰3鍔打返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
     
    4、大小立詰
     
    三本目鍔打返
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打 五藤正亮先生ノ教自 
    読み
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打  五藤正亮先生ノ教示) 
    古伝神傳流秘書三本目鍔打返
     相懸り二懸り我刀を抜かむと春る其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也
    読み
     相懸かりに懸かり 我が刀を抜かんとする 其の手を留められたる時 柄を放し手を打ちもぐ也

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    2018年3月12日 (月)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰2袖摺返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    二本目袖摺返
     打ハ横ヨリ組ミ付仕肘ヲ張リテ一當スルト同時二スグ二打ノ刀ヲ足二スケテ後二投ル也
     (五藤先生ハ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ後へ投ルト記セリ)
     (横合ヨリ組付ヒジヲ張リ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ跡へ投ケル左右共同前 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    二本目袖摺返(そですりかえし)
     打は横より組付く 仕肘を張りて一當すると同時に 直に打の刀を足にスケて後ろに投げる也
     (五藤先生は一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げると記せり)
     (横合いより組付く 肘を張り一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げる 左右共同前 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰一本目袖摺返
     我が立て居る處へ相手右腋より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせしと春る時其侭踏ミ之さり柄を相手の左の足のかゞみ二懸け中に入り又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。
    読み
     我が立て居る所へ 相手右腋より来たり 我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時 其の侭踏みしさり 柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り 又 我が右より来たり組付くを肘を張り体を下り中に入る 
    読み解く

    古伝神傳流秘書の大小立詰の一本目袖摺返の業名は、大江先生が独創した無双直伝英信流奥居合立業の七本目袖摺返に業名を使用されていました。
     大江先生は土佐の居合をコンパクトに纏めて居合そのものを習いやすくして総合武術としては捨てるものは捨てたのでしょう。中学生向きに習いやすくするため、あるいは明治という時代が総合武術を会計的に分解してしまい格技にしてしまった時代背景に寄るのでしょう。

     打が横より両手で組付いてくる、仕は両肘を張って打の腹部に肘当てを食わし、体を低くして密着し柄を打の足に掛けて打を後ろに投げ倒す。
     「打の柄を打の足に掛けて・・」大小詰めですから打は小太刀です、「打の小太刀を打の足に掛け・・」は疑問です。
     「仕の太刀の柄を打の足に掛け・・」ならば出来そうです。
     「組付かれ肘を張りて一当てする」肘鉄が思いつきましたのでやってみました。
     「打の刀を足にすけ・・」ですがこの場合打の刀を足に掛ける方法が思い浮かびません。仕の柄でいいのでしょう。五藤先生のメモ書きでは誰の刀か不明です。

     この業は古伝新傳流秘書では大小立詰の一本目に置かれています。
     立って居る処へ、相手我が右脇から近寄って来て、我が柄を右手で鐺を左手で取り抜かさない様に鐺を背なかに押し付けて来る、我は其の儘後ろにさがり、柄を相手の左足のかゝみに懸けて体を低めて中に入り退き倒す。
     又相手が我が右より近づいてきて組付くのでひじを張って相手の組み付を緩め腰を低くして中に入り退き倒す。又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。

     相手の攻撃は、古伝は柄と鐺を取って抜かさない様にする、業附口伝は横から組み付いて来る、何時の時か「又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る」だけに変わってしまったのでしょう。

     神傳流秘書の大小立詰一本目は袖摺返ですが五藤先生の業附口伝は二本目が袖摺返です。
     一本目は「〆捕」で業の内容が異なります。〆捕は神傳流秘書では四本目に位置します。順序は好きなようにしてもいい、気乗り次第だと云って居ましたが敢えて順番を変えた理由が解りません。

     長谷川英信の時代は甲冑を着た剣術から、素肌剣術に変わった時代でしたからその業技法への転換は頷けます。
     明治以降は伝統文化の伝承と白兵戦に怖気つかない兵士予備軍の育成にあったとも思われます。変える理由があるのでしょうか。
     寧ろ、大江先生に伝書は伝わらず、業名ばかりが伝わり内容が解らなかったと思う方が自然です。
     このような事を云いますと、大江宗家を冒涜する様な事を言うなと仰る方もおられます。無双直伝英信流を当時学ぶ者さえ無かった時代に、中学生に指導し継承された功績は大きいものですが、わけも無く神格化すべきものでも無いでしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰二本目袖摺返
    「打太刀は仕太刀の横に立つ。打太刀横より仕太刀に組みつく、仕太刀肱を張りて一と當てすると同時に直に打太刀の刀を足にすけて後に投るなり(五藤先生は「一と當して中に入り刀を足にすけ後ろへ投げる」と記せり)左右共同前。

    *曽田先生の業附口伝其の儘です。

     

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    2018年3月11日 (日)

    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰2袖摺返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    二本目袖摺返
     打ハ横ヨリ組ミ付仕肘ヲ張リテ一當スルト同時二スグ二打ノ刀ヲ足二スケテ後二投ル也
     (五藤先生ハ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ後へ投ルト記セリ)
     (横合ヨリ組付ヒジヲ張リ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ跡へ投ケル左右共同前 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    二本目袖摺返(そですりかえし)
     打は横より組付く 仕肘を張りて一當すると同時に 直に打の刀を足にスケて後ろに投げる也
     (五藤先生は一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げると記せり)
     (横合いより組付く 肘を張り一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げる 左右共同前 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰一本目袖摺返
     我が立て居る處へ相手右腋より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせしと春る時其侭踏ミ之さり柄を相手の左の足のかゞみ二懸け中に入り又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。
    読み
     我が立て居る所へ 相手右腋より来たり 我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時 其の侭踏みしさり 柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り 又 我が右より来たり組付くを肘を張り体を下り中に入る 
     

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    2018年3月10日 (土)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰1〆捕

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    一本目〆捕
     互二對立スル也打ハ両手ニテ仕ノ柄ヲ握ルヲ仕ハ左手ヲ以テ打ノ左手首ヲ握ル也更二□ノ時スグニ仕ハ右手ニテ打ノ両腕ヲ締メ込ミ我体ヲ台二シテ之レヲ極メル也
     (敵両手ニテ柄ヲ握ル左手ニテ敵ノ左ノ手首ヲ押へ躰ヲ込ミ〆付ル)
    読み
     互に対立する也 打は両手にて仕の柄を握るを 仕は左手を以て打の左手首を握る也 更に□(其)時直に仕は右手にて打の両腕を締め込み 我が体を台にして之を極める也
     (敵両手にて柄を握る 左手にて敵の左の手首を押へ体を込み締め付ける)

    古伝神傳流秘書大小立詰 四本目〆捕
     相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇つぼへ入れて両手を〆引上如何様にも投る也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰四本目〆捕
     相懸かりに両方より懸かる時 相手両手にて我が刀の柄を留 我左の手にて相手の脇坪へ入れて両手を締め引上げ 如何様にも投げる也
    読み解く

     仕は太刀を差し、打は小太刀を差し互いに相対して立つ。立ち位置は手を伸ばせば相手に十分触れる事ができる距離を想定します。
     お互いの体格を合わせる様な、安易な稽古はせずにどんな人とでも勝てる事を学ぶべきでしょう。

     互いに向かい合って立ちます。打は両手で仕の柄を握って抜かせないようする。仕は左手で打の左手首を握り、即座に打の両腕の肘に右手を掛け、体をぐっと付け込んで極める。
     五藤先生は「左手首を押へ、・・・両肘折を押へ・・」と押へると記述されています。

    *
     古伝神傳流秘書では〆捕は四本目でした。曽田先生による五藤先生の業附口伝大小立詰では〆捕は一本目になっています。この入れ替りの順番も何故か疑問です。全業を終ってから考えてみます。
     大小立詰は我は太刀を差し、相手は小太刀を差しての立合いです。刀を抜く以前の攻防を習うもので、居合は刀を抜くものとばかり思っていたのでは、柄に手を懸けるや制せられてしまいます。

     双方相懸りに歩み寄る時、相手我が柄を両手で押さえて抜かさない様に制して来る。我は左手で相手の脇坪に左手を差し入れて、相手の両手を抱きかかえ締め上げ左足を退くや体を沈め左脇に投げ倒す。

     此の場合は、我は柄に手を懸けている、或はいない、特に指定されていません。三本目の鍔留が柄に手を掛けた処其の手を留められていますから、ここは柄に手を懸ける前に相手に柄を制せられるとするのでしょう。

    「両手を〆上げ」は相手の両腕の肘のかがみを裏から抱く様に締め上げるのでしょう。


     第九代の林六太夫守政の時代から150年程後の業手附が五藤先生のものでしょう。
    古伝は、相手の脇坪に左手を差し入れています、業附口伝では相手の左手を押えて、相手の両肱を右手で押さえこんでいます。
     其れでなければならないと言う事ではないと思いますが、先ず指示された通りと云うのが古伝を稽古する筋でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰一本目〆捕
    「打太刀、仕太刀互に対立す。打太刀は両手にて仕太刀の柄を握るを仕太刀は左手を以て打太刀の左手首を握る、更にこのとき直に仕太刀は右手にて打太刀の両腕を締め込み己が体を台にして之を極めるなり」

    *曽田先生の業附口伝其の儘です。

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    2018年3月 9日 (金)

    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰1〆捕

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    一本目〆捕
     互二對立スル也打ハ両手ニテ仕ノ柄ヲ握ルヲ仕ハ左手ヲ以テ打ノ左手首ヲ握ル也更二□ノ時スグニ仕ハ右手ニテ打ノ両腕ヲ締メ込ミ我体ヲ台二シテ之レヲ極メル也
     (敵両手ニテ柄ヲ握ル左手ニテ敵ノ左ノ手首ヲ押へ躰ヲ込ミ〆付ル)
    読み
     互に対立する也 打は両手にて仕の柄を握るを 仕は左手を以て打の左手首を握る也 更に□(其)時直に仕は右手にて打の両腕を締め込み 我が体を台にして之を極める也
     (敵両手にて柄を握る 左手にて敵の左の手首を押へ体を込み締め付ける)

    古伝神傳流秘書大小立詰 四本目〆捕
     相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇つぼへ入れて両手を〆引上如何様にも投る也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰四本目〆捕
     相懸かりに両方より懸かる時 相手両手にて我が刀の柄を留 我左の手にて相手の脇坪へ入れて両手を締め引上げ 如何様にも投げる也

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    2018年3月 8日 (木)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰8山影詰

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    八本目山影詰
     打ハ仕ノ後ロ二坐ス後ヨリ組付也其時仕ハ頭ヲ敵ノ顔面二當テ敵ヒルム隙キ二我刀ヲ抜キテ打ノ組タル手ヲ切ル也
     (五藤先生ハ一當シテ仰向二ソリカエルト記セリ)
     後ロヨリ組附頭ニテ一當テシテ仰向二ソリカエル
     
    読み
    八本目山影詰(やまかげづめ・やまかげつめ)
     打は仕の後ろに座す 後より組付也 仕は頭を敵の顔面に当て 敵怯む隙に我が刀を抜きて打の組みたる手を切る也
     (五藤先生は一当てして仰向けに反り返ると記せり)
     後より組附き頭にて一当てして仰向けに反り返る
     
    古伝神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一緒に我も共に後へ倒るゝ也
     以上八本
    読み
     是は 後より相手組むを 刀を抜き懸かり其の手を切ると一緒に 我も共に後ろへ倒るゝ也
     以上八本
    読み解く

     曽田先生の手附で業は充分理解できます。細かいところですが、打・仕と言っておきながら敵・我と出てくるので「おや!」と思ってしまいますが、校正しているものではなく曽田メモですから意味が通じればいいでしょう。

     打は仕の後ろに双方立膝に坐しいる、打は腰を上げ仕の後ろから両手を廻し仕の左右の上腕を羽交い絞めにする。
     仕は即座に後頭部で打の顔面を打つ、打がひるむ隙に太刀を抜いて打の組み付いている手を切る。
     (後藤先生は、顔面に後頭部で一当てして仰向けに反り返って打の組み付を外す。)

    神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     後ろから相手が抱き着いて我が両腕を絞めして来る時、刀を抜き上げて組み付いている相手の手を切りその拍子に後ろに相手と一緒に押し倒れる。

     後ろから両肘の辺りをがっちり羽交い絞めされたら、刀は抜き出せません。やはり顔面当ては稽古から外せそうもありません。
     不意の羽交い絞めか、我が刀に手を掛けたのを制せられたのか、この場合は神傳流秘書は何も言って居ません。状況はいろいろでしょう。

     これらの形は、「かたち」を学んで実戦に役立つものにしませんと、喧嘩慣れした暴漢には勝てない。
     申し合わせの「かたち」では演舞(武)会の余興です。

     一つの業から何通りもの変化を場に応じてこなせる様に修錬するものでしょう。師匠に習った方法だけがすべてで、他所で見聞きしたものを「違う」と言って否定するのは心得違いです。
     古伝を学ぶ時は、まず書かれている文章の通り動作を付けて見るべきで、抜けた部分は想像するのですが、尤も自然な続きの動作を模索すべきで決めつけてしまうと古伝では無くなってしまいます。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰八本目山影詰
    「打太刀は仕太刀の後ろに坐す。打太刀、仕太刀の後より組みつく、その時仕太刀は頭を打太刀の顔面に當て打太刀の怯む隙に己が刀を抜きて打太刀の組みたる手を切るなり。
    (五藤先生は「一と當てして仰向に反り返へる」と記せり)。」

     この、嶋先生の文章の括弧の部分は曽田先生のメモ書きそのものです。
    やはり、18代穂岐山先生・19代福井先生・20代河野先生いずれも、谷村派の組太刀は伝書に依る伝承はされず、下村派の曽田虎彦先生の写された伝書に基づいて稽古されたと云う事が実態だったと判断できます。

    以上で大小詰八本の業は終了です。

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    2018年3月 7日 (水)

    曽田本その1の3業付口伝原文3大小詰8山影詰

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    八本目山影詰
     打ハ仕ノ後ロ二坐ス後ヨリ組付也其時仕ハ頭ヲ敵ノ顔面二當テ敵ヒルム隙キ二我刀ヲ抜キテ打ノ組タル手ヲ切ル也
     (五藤先生ハ一當シテ仰向二ソリカエルト記セリ)
     後ロヨリ組附頭ニテ一當テシテ仰向二ソリカエル
    読み
    八本目山影詰(やまかげづめ・やまかげつめ)
     打は仕の後ろに座す 後より組付也 仕は頭を敵の顔面に当て 敵怯む隙に我が刀を抜きて打の組みたる手を切る也
     (五藤先生は一当てして仰向けに反り返ると記せり)
     後より組附き頭にて一当てして仰向けに反り返る
    古伝神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一緒に我も共に後へ倒るゝ也
    読み
     是は 後より相手組むを 刀を抜き懸かり其の手を切ると一緒に 我も共に後ろへ倒るゝ也
     

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    2018年3月 6日 (火)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰7左伏

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    3、大小詰
    七本目左伏
     右伏ノ反対業也
     (左脇二坐ス右手胸ヲ取リ其手ヲ押へ前へ伏ル 五藤正亮先生の教示)
    読み
     右伏の反対業也
     (左脇に坐す 右手胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤正亮先生の教示)
    六本目右伏
     打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    七本目左伏
     組み立てます。
     打ハ仕ノ左側二並ヒテ坐ス打右手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (左腋二坐ス右手胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の左側に並びて坐す 打右手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (左腋に坐す 右手にて胸を取り来る 其の手を押へせる)
    古伝神傳流秘書大小詰七本目
     是は左の手を取る也事右伏二同左右の違計也尤も抜かんと春る手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つ保へ當り又留られたる手を此方より取引倒春事も有也
    読み
    古伝神傳流秘書大小詰七本目
     是は 左の手を取る也 事 右伏に同 左右の違計也 尤も抜かんとする手を留められたる時は 柄を放し身を開きて脇つ保へ當り 又 留られたる手を此方より取引倒す事も有也
    読み解く

    打は腰を上げて右に振り向き右足を右前に踏み込んで仕の胸を右手で取る。仕はすぐに腰を上げつつ打の右手肘を左手で巻き込んで右手で打の手首を取り逆手を取って打を前に俯けに倒す。

     古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
    是は左の手を取る也事右伏に同左右の違計也尤も抜かんとする手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つぼへ當り又留られたる手を此方より取引倒す事も有也

     前回の右伏の逆でしょう。我が左側に相手は並び座すとします。
    相手腰を上げ我が左手を取る。我右手を相手の斜めに首筋から廻し胸を取り身を開いて左に押し伏せる。

     我れが抜かんとして柄に右手を懸けているならば其の右手首を相手に取られて抜かさない様に押し付けて来る。
     我は此の時柄手を放し、左足を引いて左に開き、鍔を持つ左手で相手の脇坪に柄頭で打ち当てる。又、柄手を留められた場合、柄手を放し相手の手を取り左手を相手の肘に懸け体を開き引き伏せる事も有。

    右伏・左伏も状況に応じて臨機黄変に対処する事を教えている様です。

    古伝は、流の奥義を悟られない様に抜けだらけの文言が通例と聞いていますが、寧ろ微細な業技法に拘らず千変万化の動作を要求している様に思えます。

    現代居合は、昇段審査や競技大会の審査に容易な様に限られた技法を突き詰めてしまい
    古伝の大らかな奥深さを忘れています。

    武術は形ではない、と古流剣術の先生から強く指摘されます。現代居合が形にこだわり振り冠りの角度は・・、など些細な処に目を付けるほどの事ばかりをしています、武的美を求める競技の様になってしまいます。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰七本目左伏
    「(右伏の反対の業なり)」

     



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    2018年3月 5日 (月)

    曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰7左伏

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    七本目左伏
     右伏ノ反対業也
     (左脇二坐ス右手胸ヲ取リ其手ヲ押へ前へ伏ル 五藤正亮先生の教示)
    読み
     右伏の反対業也
     (左脇に坐す 右手胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤正亮先生の教示)
    六本目右伏
     打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    七本目左伏
     組み立てます。
     打ハ仕ノ左側二並ヒテ坐ス打右手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (左腋二坐ス右手胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)変換左伏
     打は仕の左側に並びて坐す 打右手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (左腋に坐す 右手にて胸を取り来る 其の手を押へせる)
    古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
     是は左の手を取る也事右伏二同左右の違計也尤も抜かんと春る手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つ保へ當り又留られたる手を此方より取引倒春事も有也
    読み
    古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
     是は 左の手を取る也 事 右伏に同 左右の違計也 尤も抜かんとする手を留められたる時は 柄を放し身を開きて脇つ保へ當り 又 留られたる手を此方より取引倒す事も有也

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    2018年3月 4日 (日)

    曽田本その1の3業附く伝読み解く3大小詰6右伏

    曽田本その1
    業附口伝読み解く
    3、大小詰
    六本目右伏
    打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    古伝神傳流秘書六本目右伏
     我右の方に相手並ひ坐し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋(後)より廻し胸を取り押伏せんと春るに相手いやと春くはるを幸に柄を足に懸て後へ投倒春 又抜かんと春る手を留められたる時も右の通り二取倒春
    読み
     我が右の方に相手並び坐し 柄を取られたる時 直ぐに我右の手を向こうの首筋(後)より廻し胸を取り 押し伏せんとする 相手嫌とすくばるを幸いに柄を足に懸けて後ろへ投げ倒す  
     又 抜かんとする手を留められたる時も右の通りに取り倒す
    読み解く

     大小詰の六本目は右伏、七本目は左伏です。打の坐す位置が右か左か、打が仕の胸を取る手が左か右かの違いになります。ここは「右伏」です。
     打は仕の右側に並び、小太刀を差して立膝に坐す。
     仕は打の左側に太刀を差して立膝に坐す。この仕打の間隔はどれくらいでしょう。通常畳一枚に2名の割付で座ります。向き合った場合は凡そ膝頭の間隔で2尺~3尺でしょう。横は1尺~2尺位そんなものでしょう。

     打は腰を上げて左に振り向き右足を左前に踏み込んで仕の胸を左手で取る。仕はすぐに腰を上げつつ打の左手肘を右手で巻き込んで左手で打の手首を取り逆手を取って打を前に俯けに倒す。

     打は、腰を上げるとすぐに右足を踏み込んで廻り込み、習い性で右手で仕の胸を取りに行ってしまいます。何故左手なのでしょう。仕の胸を左手で取り右手で小太刀を抜かんとする処を引き伏せられる。かな・・。

     この業附口伝の右伏は古伝神傳流秘書では想定が違います。

    神傳流秘書大小詰六本目右伏
     我右の方に相手並び坐し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋へ後より廻し胸を取り押伏せんとするに相手いやとすくばるを幸に柄を足に懸て後へ投倒す又抜かんとする手を留められたる時も右の通りに取倒す

     我が右側に相手は並んで坐す。
     相手右手(左手でもいいでしょう)を伸ばして我が柄を取る、我直ぐに右手を相手の首筋へ後ろから廻し相手の胸を取り、押伏せようとすると、相手押し伏せられまいと柄を放して力を入れて反り返ってくるを幸い、柄を反り返って浮いた左膝下に懸けて後ろへ投げ倒す。
     又、我が抜こうと柄に手を懸けた時に、相手が我が柄手を取り右から押し付けてくる時も、我は柄手を放し相手の首筋に右手を後ろから廻し胸を取り押伏せる、相手は押伏せられまいと後ろに反り返ろうとするのを幸いに、浮いた相手の左膝下に柄を懸け後ろに投げ倒す。

     又、以降の相手に「抜かんとする手」を止められるとは、右柄手を制せられたのでしょう。柄手を放して相手の首筋に右手を懸けるのは聊か難しい。

     この曽田先生の業附口伝の手附は古伝神傳流秘書の業技法とは異なります。
     相手は我が柄では無く左手で我が胸を取る、我は直ぐに其の相手の左腕に右腕を上から巻き込み左手で相手手首を逆手に取り前に押し倒す。

     古伝は柄をとるのを、右手、左手どちらとも云って居ません。五藤先生のでは左手で胸を取る。首に巻くのではなく、五藤先生は取に来た左腕を逆手に取って制しています。

     曽田先生の業附口伝は古伝神傳流秘書の成立から大よそ100年弱経っているのですから、業技法も変化するのでしょう。
     神傳流秘書は特定の人しか見る機会はなかったとも思えますから、口伝・口授などではどんどん変わってしまうでしょう。

     高知県の無双直伝英信流、夢想神伝流の修行をされる方々が旧家を訪ねて探し求める以外に此の事は解らない儘に終わるでしょう。
     先の大戦で高知市は空爆で火の海だったので、火を免れた周辺の旧家を歩く以外に無さそうです。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生に依る大小詰六本目右伏
    「打太刀は仕太刀の右側に並びて坐す。打太刀左手にて仕太刀の胸をとる、仕太刀は直にその腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せるなり」

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    2018年3月 3日 (土)

    曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰6右伏

    曽田本その1
    業附口伝原文
    3、大小詰
    六本目右伏
    打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    古伝神傳流秘書六本目右伏
     我右の方に相手並ひ坐し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋(後)より廻し胸を取り押伏せんと春るに相手いやと春くはるを幸に柄を足に懸て後へ投倒春 又抜かんと春る手を留められたる時も右の通り二取倒春
    読み
     我が右の方に相手並び坐し 柄を取られたる時 直ぐに我右の手を向こうの首筋(後)より廻し胸を取り 押し伏せんとする 相手嫌とすくばるを幸いに柄を足に懸けて後ろへ投げ倒す  
     又 抜かんとする手を留められたる時も右の通りに取り倒す

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    2018年3月 2日 (金)

    曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰5胸捕

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
     
    3、大小詰
     
    五本目胸捕
     互二對坐打ハ仕ノ胸ヲ捕りテ突ク仕スグニ右手ニテ支エ左手二持タル柄頭ヲ敵ノ脇坪二當テル也又胸ヲ捕リテ引ク時ハスグニ刀ヲ抜キテ突ク也
    (向ヲテ居ル右手ニテ胸ヲトリ突ク時ハ其手ヲヲサへ左手ニテ脇坪へ當ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目胸捕(むねとり・むなとり)
     互に対坐 打は仕の胸を捕りて突く 仕直に右手にて支え左手にて持ちたる柄頭を敵の脇坪に当てる也 又胸を捕りて引く時は直ぐに刀を抜きて突く也
    (向こうて居る 右手にて胸を取り突く時は 其の手を押え 左手にて脇坪へ当てる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小詰五本目胸留
     詰合たる時相手我胸を取り突倒さんと春る時我右の手尓て其手を取り左の足を後へ引柄頭尓て相手の脇へ當る又引く時は随而抜突く也

    読み
    古伝神傳流秘書大小詰五本目胸留(むねとめ・むなとめ)
     詰合たる時 相手我が胸を取り突き倒さんとする時 我右の手にて其の手を取り 左の足を後ろへ引き 柄頭にて相手の脇へ当てる 又 引く時は随って抜き突く也
    読み解く

     互いに立膝で座している、打が腰を上げて右手で仕の胸を取って突いてくる。仕は右手で倒されまいとして支え、左手で柄頭で敵の脇坪に突き当てる。
    又、敵が胸を取って引き込もうとする時はすぐに刀を抜いて突く。

     胸を取られて突き倒されそうなので右手で支え(十六代五藤先生は敵の右手を押える)、左手で柄頭を以て敵の脇坪に当てる。五藤先生は左手で敵の脇坪を突くでした。
     想定が抜けていますからそれを加味しておけば、我は刀を抜かんと左手を鯉口と鍔に取る処、敵は我が胸を捕り突いてくるので敵の手を押さえ左手で持ちたる柄頭で脇坪に当てる。
     脇坪は脇の下の窪んだ所でしょう。

     敵が胸を取って引っ張り込まれる時、太刀を抜いて突くのは敵との間隔が近すぎれば、敵の手を振り払って、左足を後方に引くなりして間を取って抜き出し突くでしょう。
     敵が胸を取って突き倒そうとしたが我は右手で支えて堪えるので、敵は手を離し後ろに引くならば容易に太刀を抜き突く事も出来そうです。

     柄当てと、太刀を抜いて突くのを別々にして二つの業をとらえましたが、ここは、我が左手を刀に掛ける処、敵に胸を取られて突き倒されそうになるので右手で支え踏ん張り、左手で鯉口と鍔を持ちたる柄頭で敵の脇坪に打ち当てる。
     敵怯んで引く所を右手を柄に取り左足を引き、鞘を引いて太刀を抜き切っ先を返して敵の胸を突く。
     この方が業らしいのですが、業手附に忠実に従って稽古した上で見直すべきでしょう。

    神傳流秘書 大小詰 五本目胸留
    詰合たる時相手我胸を取り突倒さんとする時我右の手にて其手を取り左の足を後へ引柄頭にて相手の脇へ當る又引く時は随って抜き突く也

     詰め合って座している時、我が鍔に手を掛けるや、相手は腰を上げ右足を踏み込んで我が胸を右手で取り、突き倒そうとする。
     我も腰を上げ右手でその手を取るや左足を後方に退き柄頭を以て相手の脇腹にあてる。 又、左足を引くに従って刀を抜出し、切っ先を返して抜き突く。

     この場合は、相手に我が胸を取らせたまま、押されて退くのに従って、左手で持つ刀の柄頭で相手を突くでしょう。
     又は、相手が我が胸を取り突き倒そうとして、我に防がれ敵が後へ引くに従って刀を抜き突く。

     業は二つのようにも読み取れます。
    「・・柄頭にて相手の脇へ當る、又相手引くに随って突く也」。「又」を「別に」とするか「それから」とするかですが、ここは一つの業として演じる方が良いのでしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰五本目胸留
    「互に対座す。打太刀は仕太刀の胸を捕へて突く、仕太刀直に右手にて支へ左手に持ちたる柄頭を打太刀の脇坪に當てるなり。又胸を捕りて引くときは直に刀を抜きて突くなり。

     嶋先生の写されたものは曽田先生の業附口伝と同じものです。省略しても良いでしょうが、「福井先生御所蔵の文献をそのまゝ拝借謄写して他日の研究を期すことゝし・・」と「はしがき」に記されています。
     出処は曽田虎彦先生の業附口伝と想像しますが、是が曽田先生の元本かも知れませんので引続き載せて行きます。

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    2018年3月 1日 (木)

    曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰5胸捕

    曽田本その1
    3業附口伝原文
     
    3、大小詰
     
    五本目胸捕
     互二對坐打ハ仕ノ胸ヲ捕りテ突ク仕スグニ右手ニテ支エ左手二持タル柄頭ヲ敵ノ脇坪二當テル也又胸ヲ捕リテ引ク時ハスグニ刀ヲ抜キテ突ク也
    (向ヲテ居ル右手ニテ胸ヲトリ突ク時ハ其手ヲヲサへ左手ニテ脇坪へ當ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目胸捕(むねとり・むなとり)
     互に対坐 打は仕の胸を捕りて突く 仕直に右手にて支え左手にて持ちたる柄頭を敵の脇坪に当てる也 又胸を捕りて引く時は直ぐに刀を抜きて突く也
    (向こうて居る 右手にて胸を取り突く時は 其の手を押え 左手にて脇坪へ当てる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小詰五本目胸留
     詰合たる時相手我胸を取り突倒さんと春る時我右の手尓て其手を取り左の足を後へ引柄頭尓て相手の脇へ當る又引く時は随而抜突く也

    読み
    古伝神傳流秘書大小詰五本目胸留(むねとめ・むなとめ)
     詰合たる時 相手我が胸を取り突き倒さんとする時 我右の手にて其の手を取り 左の足を後ろへ引き 柄頭にて相手の脇へ当てる 又 引く時は随って抜き突く也

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