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2018年3月24日 (土)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く1小藤亀江伝来序文

曽田本その1
4居合根元之巻原文
1、小藤亀江伝来序文
 本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
高知市爆撃ノ際家財道具一切
ト共二焼失ス           印
 谷村樵夫自庸先生相伝
 免許皆伝目録
 従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
    旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
読み
 本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
 
 谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
 実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
 旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す
読み解く
*
 居合根元之巻
 曽田本には土佐の居合の免許皆伝目録いわゆる根元之巻が記載されて居ます。
 明治34年(1901年)6月15日に谷村樵夫自庸から小藤亀江に伝授された根元之巻です。
 谷村樵夫自庸は谷村派第15代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸と連なる系統になります。
 谷村派第15代谷村亀之丞自雄の系統は、第16代五藤孫兵衛正亮-第17代大江正路蘆洲と道統を繋いでいるとされます。
 第17代大江正路先生も何人かに根元之巻を授与されていますのでその系統は土佐の居合を引き継ぎ伝統を次代に引き継いでいく使命を預けられたとし、中には土佐の居合の宗家であると自認している方もおられるようです。
 宗家紹統印可と業技法の奥義を窮めその伝授を允可する根元之巻との区別が不透明な事によると思われます。
 第20代河野百錬宗家の昭和30年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書では河野百錬先生に第19代福井春政先生より昭和25年1月3日付けで居合根元之巻が伝授され、同年5月に「無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家紹統印可」が授与されて居ます。
 後に河野宗家は、正統では無い傍系宗家を名乗る者が現れ苦慮されています。現在も多々見受けられます。
 土佐の居合の流名について、無双直伝英信流と名乗る事について、何時からどの様な経過で名乗ったのか良くわかりません。

 河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」では、大江正路先生相伝長谷川流居合術伝書と題し、居合術根元之巻が弘化2年1845年乙巳12月18日に谷村亀之丞自雄から伝授者山内豊惇(とよあつ・第14代土佐藩主)への伝書が掲載され、其処には既に業目録に「無双直伝英信流居合目録」奥付けに「敬白去天保11(1840年)康子年3月26日臣自雄所学之無双直伝英信流居合術 可奉授」と流名が付記されて居ます。

 天保11年1840年には谷村派第15代谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流を学び終えていて山内豊惇に可奉授と云う事になります。
 谷村亀之丞自雄の師は谷村派第14代林弥太夫政敬であろうと思います。
 今回の曽田本免許皆伝目録に依る居合根元之巻は明治34年(1901年)6月15日に曽田先生の実兄小藤亀江のち土居亀江に伝授された伝書で、其処には業目録では「無双直伝英信流居合目録」とあり、奥付けには「無双直伝英信流居合」と明記されて居ます。
 無双直伝英信流の流名を大江先生が名乗った様に聞こえて居ますが、大江先生は嘉永5年1852年生まれですから有りえない事になります。
 平尾道雄著土佐武道史話(昭和36年1960年発行)に下記の様な文章があります。
 
 「文化の頃・・土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。
 後年この流は統一されて、大正の末期には無双直伝英信流、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった、英信流は目録を授けて免許とし、根元の巻を授けて皆伝とする。
 目録は位を7にわけて76業あり、ほかに9ヶ条の口伝をそえて純然たる居合道をたてたものである・・」
 この文章に大江先生が命名された様に、大江びいきの方に依って惑わされたようにも思います。
 ついでながら、大江正路宗家が授与されたであろう根元之巻や宗家紹統印可などは、存在したかかどうかわかりません。
 大江先生の発行されたものは見られます。

 尚、この曽田本の居合根元之巻は谷村派の系統でありながら、曽田先生は小藤亀江の後に自らを、明治38年6月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦と書かれて居ます。
 この小藤亀江の根元之巻は、「本目録は昭和20年7月4日午前2時高知市爆撃の際家財道具一切と共に焼失す」と曽田先生は書かれて居ます。
総務省による高知市における戦災状況から空襲の概況
「高知市が初めて空襲を受けたのは昭和20(1945)年1月19日の夜、B29が神田地区の吉野に爆弾を投下し、3月4日には土佐湾に侵入投爆したと伝えられ、同7日午前1時に桟橋通りに爆弾6個を投下して若干の被害を生じた。3月19日にはグラマン数十機が侵入、仁井田から長岡郡日章村(現南国市)の海軍航空隊を攻撃している。5月24、25両日にわたって首都東京に徹底的空襲を加えた。

 アメリカ空軍は、次第に地方都市爆撃を強化、高知市も6月になって1日、7日、15日、19日、22日、26日と6回にわたって来襲を受け、そのたびに被害を生じたが、22日には市の上空でB29編隊のうち1機を地上砲火で撃墜することができた。6月26日来襲したB29 1機は、報復的に市内東部に大型爆弾を投下し、2回目には市上空を旋回して投下した爆弾は浦戸湾に落ちたので被害はなかった。7月4日早暁の空襲は最も大規模なもので、単機または2機、3機による波状攻撃で総数50機ないし80機と数えられ、焼夷弾は雨の如く、市街地の大部分は焦土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほどで、それによっても空襲の激しさが推察されるだろう。同24日午前B29 1機が来襲11トン爆弾3個を投下したが、これが高知市が受けた最後の空襲であった。
(高知市戦災復興史より抜粋)」

「昭和20(1945)年7月4日:午前2時、B29編隊50~80機潮江地区、小高坂方面、市街中心部に油脂焼夷弾大量投下。罹災面積4,186,446平方m、罹災戸数11,912戸、罹災人口40,737名、被害人員712名(内訳死亡401名、重傷95名、軽傷194名、不明22名)、被害建築11,912戸(内訳全焼壊11,804戸、半焼壊108戸)

  • 昭和20(1945)年7月24日:午前11時35分、B29山内家本邸目指し来襲、鷹匠町及び唐人町に1トン爆弾3個投下。死亡5名、重傷5名、軽傷10名、全壊26戸、半壊106戸、罹災者700名」
  •  何となくこの根元之巻の序文のその文字に無差別爆撃の戦火に失ったものへの激しい怒りとあきらめを感じてしまいます。
     

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