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2018年4月 1日 (日)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録2

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
2.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
読み解く
 この目録は明治34年1901年の発行ですから江戸時代の内容を保持しているのか疑問です。然し小藤亀江は谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-小藤亀江の道統から相伝しているものです。
 第一五代谷村亀之丞自雄は第一六代五藤孫兵衛正亮へ相伝し、五藤孫兵衛正亮は第一七代大江正路へ相伝したと云われています。
 大江正路が授与された允可状は、何処からも出てきませんから謎になります。但し大江正路先生の発行したものは公にされています。これは大江正路によって改変されたもので土佐の古伝とは言い難いものです。
 大江正路は下村派の第一四代下村茂市定に師事し、兄弟子には行宗貞義、細川義昌が居るわけで、行宗貞義は曽田虎彦の師匠です。
 大江正路が下村茂市に師事したのは嘉永5年1852年7歳の時で、明治維新1868年の時には16歳で戊辰戦争に出陣しています。
 明治5年1872年20歳の時には土佐藩の常職を解かれ失業、明治10年1877年には師匠の下村茂市が没しています。大江正路25歳の時です。その後職を求め土佐を跡にしている事も長く明治30年1897年45歳の時に高知県尋常中学校の剣術教士となっています。
 其の年第一六代五藤孫兵衛正亮が没しています。
 その後も土佐を離れ47歳ごろに土佐に落ち着いた様です。激動の時代でしょうから飯を食う事が大変だったでしょう。居合の相伝はどの様であったか、残されたものは無く、土佐の古伝が改変されてしまうのもやむおえないのかも知れません。 
 細川義昌の居合は香川の植田平太郎に伝えられ、植田平太郎から徳島の尾形郷一、尾形郷一から広島の梅本三男、梅本三男から広島の貫汪館森本邦生館長に無雙神傳英信流抜刀兵法(梅本三男の授与された允可状には無双神傳抜刀兵法と有ります)として引き継がれている筈です。
 森本邦生貫汪館館長は、一時昭和47年1972年頃白石元一の居合を門人の森務より習い、後昭和50年1975年梅本三男に入門されている様です。
 細川義昌の居合は夢想神傳流の祖と云われる中山博道の師とされていますが中山博道は谷村派第一六代五藤孫兵衛正亮の弟子森本兎久身の居合を習い、細川義昌からの指導はごく限られた時間であったと思われます。
したがって、小藤亀江が相伝した居合目録は是等を意図しながら読み解いて見たいと思います。
 先ず、古伝神傳流秘書の業名と小藤亀江の目録の業名を同定し、白石居合、尾形居合と対比し、現代居合の大江居合を当てがって見ます。
 本来、曽田本その1にある英信流居合目録秘訣を以て解説すべきでしょうが、現代居合との乖離を先に認識したいと思います。
 
 
 

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