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2018年5月27日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事11先師之咄

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
11先師之咄
読み
 先師の咄(ななし)の由 良く知るは耳に五音無きは耳の本体也 故に五音を聞きて違う事無し 常に耳に一音(で)もあれば五音違う 故に五音無きを耳の至善とす 
 口も五味無きは口の本体也 口に五味無き故に能く五味を別ち違う事無し 若し一味にても有れば違う 五味無きは口の至善とす
 人に善悪無きは心の本体也 善悪無き故に善悪を弁えて各誤る事無し 若し之有る時は善悪供に違う故善悪無しを心の至善とす かるが故に至善は心の本体也
 語に云う 好く為す無く 悪為す無く 三の路に順い其の善有るは其の善亡く 過ち無く 莫無く 義の興りに従う 亦云う可も無く不可も無し
 右居合兵法の業形大要覚え候事 此の如く道理をも少し合点せざれば高位大名の師となる事能わず能く能く工夫有るべし
読み解く
 先師(第九代林六大夫守政)の咄であるが、人が生まれながら持っている判断能力といわれる良知(陽明学による)について、耳はもともと五音など無いのが耳の本体である。
 五音とは宮(きゅう)=唇音、商(しょう)=歯音、角(かく)=牙音、徴(ち)=舌、羽(う)=喉音を云うのでしょう。
 それで、五音を聞いて聞き違う事がない、もし常に耳に一音でもあれば五音は違う様に聞こえるだろう。だから五音を持たない耳が此の上もなく善いと云える。
 口にも五味の無い事が口の本体である。
 五味とは仏教でいう処の、乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味だそうです。不勉強でよく解りません。
 甘味・酸味・辛味・苦味・旨味の基本の味位しか知りません。口に五味が無いので能く五味を味わえて間違える事がない。若し一味でもあれば違ったものになるであろう。
 口に五味の無い事がこの上もなく善いと云える。
 
 人に善悪のない事は人の本体である。
 善悪をもたないので、善悪を弁えて過剰になる事がない。もし善悪のどちらかでもあるとすれば善悪供に違うものになるであろう。善悪を持たない事が心にこの上もなく善いと云える。
 そういうわけで、至善は心の本体である。
 語に云う。
 善く為すでも無く、莫が無く、三の路に順じ(???)其の善があれば其の善を亡くし、過も無く、莫も無く、善の興りに従うものである。
 又、云うべきも無く、云うべからざるも無い。
 
 右の通り居合兵法の業形、大要を覚えたならばこの様な道理も合点していなければ高位の大名の師となる事は出来ない。能々工夫する事である。
 ここで、「高位大名の師となる事能わず」の解釈ですが、高い位の大名と読みましたが「高位で大名の師となる」とした方が良さそうです。
 それは武術を極め取り立てられた者の地位は決して高いものでは無かった、一番は柳生但馬でしょう、徳川家で一万石の大名となっています。
 他はせいぜい武士に取り立てられる程度の事でした。それは棒振りが譬え上手であってもそれは芸人に過ぎなかったからでしょう。
 国政に参加できるだけの能力が無かったと云えます。
 土佐の居合も、術理ばかりを追うのではなく、随所に散りばめられている教えに今一度心を開いて見る価値はあります。
 第九代林六大夫守政の咄として、第十代林安大夫が書き留めた老父物語ですが、思い込みに居付かず無の境地で受け留めなければ真実を認識できないと説いています。
 だから、「義の興りに順い可も不可も無い」、此の道理を理解出来なければ大きなことを為す事は出来ないと教えたのでしょう。
 
 
 

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