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2018年6月

2018年6月30日 (土)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く1外之物ノ大事3遂懸切

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
1、外之物ノ大事
3遂懸切
 刀ヲ抜我カ左ノ眼二付ケ走リ行テ打込但敵ノ右ノ方二付クハ悪シシ急二フリ廻リヌキハロヲガ故也 左ノ方二付テ追カクル心得宜シ
*
読み及び読み解く
 刀を抜き 我が左の眼に付け走り行きて打込む 但し敵の右の方に付くは悪い 急に振り向いて抜き払うが理由である 左の方に付けて追い掛ける心得が良い
 逃げる敵を追いかけるに当たり「刀を我が左の眼に付け走り行」は抜刀して、切先を我が左眼の方向に向け左青眼に構えて走り込んでゆく事を意味します。
 敵の左側から打ち込むべきで、右側に廻れば敵は振り向きざま抜き打ちに切って来る。この心得を忘れるなと云うのです。
 古伝神傳流秘書抜刀心持之事では「追懸切」です。
 「抜て向へ突付走り行其侭打込也」
 細かいことは何も言っていません。英信流居合目録秘訣の「遂懸切」に心得が充分です。
 古伝神傳流秘書の大森流居合之事に虎乱刀という、同じ様に敵を追いかけ抜き打つ業があります。
 「是は立つ事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納る也但し膝を付けず」
 少々現代居合とは違いますが、大江先生の正座の部、「追風」の古伝でしょう。大江先生の時代では虎乱刀も遂懸切(追懸切)も失伝して追風を創作したか既に変形していたかです。
 谷村亀之丞自雄によって英信流目録が書き写されています。その原本は林政誠によって書かれたものを写したとされます。林政誠は第14代林弥太夫政敬かも知れませんが解りません。
 その大森流居合之位「虎乱刀」
 「是は立てスカスカと幾足も行て右の足にて一文字に抜付(拂うてもよし)かむる時左の足一足ふみ込右の足にて打込む 血ぶるいの時左を右の足に揃え納る時右の足を引納 其時すねはつかぬ也」
是は、大江先生の正座之部の追風其のものでしょう。但し足運びが大江先生はスカスカと行くのではなく「上体をやや前に屈し、刀の柄を右手に持ち、敵を追い懸ける心持にて髄意前方に走り出で」と日本軍の「突撃!」の号令を思わせるものです。
 細川義昌系統と云われる無双神傳抜刀兵法第18代尾形郷一貫心先生の英信流奥居合之部「追掛斬」では「(前方歩み行く者を斬る)正面へ歩み往きつつ鯉口を切り左足を踏出したるとき右手を柄に掛け右足踏出すと共に刀を引抜き刀尖を前に柄頭を腹部へ引付け諸手となり小走に前方へ走り往きつつ上段に振冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納める」
この業は其の心持ちをどの様にすべきか、其処に焦点を合わせればどのような追いかけ方であろうと間違いではないでしょう。
 大江先生の追風も虎走もそれなりです。
 

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2018年6月29日 (金)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文1外之物ノ大事3遂懸切

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
1、外之物ノ大事
3遂懸切
 刀ヲ抜我カ左ノ眼二付ケ走リ行テ打込但敵ノ右ノ方二付クハ悪シシ急二フリ廻リヌキハロヲガ故也
 左ノ方二付テ追カクル心得宜シ
読み
 刀を抜き我が左の眼に付け走り行きて打込む 但し敵の右の方に付くは悪しし 急に振り廻り抜き払うが故也
 左の方に付けて追い駆ける心得宜し
 
参考 古伝 神傳流秘書 抜刀心持之事  追懸切
  抜て向へ突付走り行其侭打込也 
 
読み
 抜いて向うへ(相手の方)切先を突き付け走り行き其の侭打込む也 
 

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2018年6月28日 (木)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く1外之物ノ大事2連達先跡

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
1、外之物ノ大事
2連達 先跡
 是亦歩行ク内二向ヲ刀ノ柄二而突キ左廻リ二後ロヱフリ廻ル拍子二抜打二後ロヲ切又初柄ニテ突タル方ヲ切是ワ我前後二敵を連達タル時ノ事也旅行抔ノトキ盗賊抔跡先ツレ達時此心ヱ肝要也
読み及び読み解く
連達は敵を先跡(前後)にして同一方向に歩み行く状況です。是また歩み行くうちに向こう(前の敵)を刀の柄にて突き 左廻りに後ろへ振り廻る拍子に抜き打ちに後ろの敵を切る 又始めに柄にて突きたる敵を切る 是は我が前後に敵を連れ達たる時の事である 旅行などの時盗賊など後先連れ達時にこの心得肝要である。
 此の読みによる業は第17代大江正路先生によって変えられてしまった現代居合では奥居合立業の「行違」です。行き違いとは、敵が前後して前から歩いて来る場合に我と行き違う(すれ違う)ことを意味します。
 連れ達とは同一方向に前後して歩み行く事を意味します。これだけ取り違えては動作は同じでも意味が全く異なってしまいます。現代居合の可笑しな奥居合立業の「行違」はこの敵の進行方向の違いから起こった事に由来します。
 同一方向へ敵と連れ達てば直線状での攻防で成り立ちますが、敵が前方より歩み来るでは我は敵と筋を替って歩んでいるのですから、敵の歩む筋に入り込んで戦わなければなりません。
 想定違いにもかかわらず動作は同じなどでは何をしているのか傍目には解りません。
古伝神傳流秘書抜刀心持之事「連達」
 「歩み行くうち前を右の拳にて突きそのままに左廻りに振り返り後ろを切り 又前へ振り向きて打込む也」
 古伝神傳流秘書は、前を歩く敵を拳で突いています。英信流居合目録秘訣では前の敵を柄で突いています、突くですから柄頭で敵の後頭部を打ち据える様に突くのが効果的でしょう。
 古伝神傳流秘書の「行違」は大江先生に業名を取り上げられてしまったのですが「行違 行違いに左の脇に添へて拂い捨て冠って打ち込む也」と全く違う業です。これも大江先生の奥居合立業の「袖摺返」にその片鱗が有るや無しやでしょう。
 古伝は敵と行き違うさい、敵の左側を行き違いざまに抜刀して敵の胴を拂い捨てに斬り、行き違った敵に左廻りに振り向き真向に打ち込むわけですさまじい抜刀です。
 明治以降武士として刀も持てず、剣術では飯もろくに食えなかったころ、それでも剣術や居合は稽古する者もいたのでしょう。正しい伝承も断ち斬れた時ですから、業の混乱はあったでしょう。
 特に奥居合である抜刀心持之事は、大森流之事、英信流居合之事、棒術を経て、組太刀の太刀打之位、詰合、大小詰、大小立詰を終えて抜刀心持之事に至るわけで、明治維新後の元武士は飯の種を求めて居合どころでは無かったでしょう。
 出鱈目な替え業の聞きかじりなどの混乱もあっただろうと思わざるを得ません。それに輪をかけた時代錯誤による門外不出の閉鎖的根性も大きく影響したでしょう。

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2018年6月27日 (水)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文1外之物ノ大事2連達

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
1、外之物ノ大事
2連達 先跡
 是亦歩行ク内二向ヲ刀ノ柄二而突キ左廻リ二後ロヱフリ廻ル拍子二抜打二後ロヲ切又初柄ニテ突タル方ヲ切是ワ我前後二敵を連達タル時ノ事也旅行抔ノトキ盗賊抔跡先ツレ達時此心行(ヱ)肝要也
読み
 是亦 歩み行くうちに向を刀の柄にて突き 左廻りに後ろへ振り廻る拍子に抜打ちに後ろを切る 又 初め柄にて突きたる方を切る 是は我が前後に敵を連達たる時の事也 旅行抔の時盗賊抔後先連達時この心得肝要也
参考
古伝神傳流秘書 抜刀心持之事 連達
 歩ミ行内前を右之拳尓て突其侭二左廻り二振返り後を切り又前へ振向て打込也
読み
 歩み行くうち 前を右の拳にて突き 其の侭に左廻りに振り返り後ろを切り 又 前へ振り向いて打込む也
 

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2018年6月26日 (火)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く1外之物ノ大事1行連左右

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
1、外之物ノ大事
1行連 左右
外ノ物トハ常ノ仕組ヨリ外ノ大事ト云フ事也
1、外之物ノ大事
1行連 右ヲ片手打二左ヲ諸手ニテ切事モ有是ハ皆気ノリ二テスル心持也 歩ミ行ク中チ二刀ヲ抜我カ左ノ方ヲ突其侭冠テ右ノ方ヲ切是ハ敵ヲ左右二ツレタチ行ク時ノ事也或我ヲ左右ヨリ取コメントスル時抔ノ事也
読み及び読み解く
 外の物とは常の仕組(順番通りの組太刀や形)より、(決められたかたちの)外(ほか)に大事と云う事があると云うことである。
1行連
 右を片手打ちに左を諸手にて切る事も有る 是はみな気乗りにてする心持ちである 歩み行くうちに刀を抜き我が左の方を突き そのまま冠て右の方を切る これは敵を左右に連れ達て行く時の事である 或いは我を左右より取り込めようとする時抔の事である
*
古伝神傳流秘書抜刀心持之事の9本目に行連の業があります。
 「立って歩み行く内に抜て左を突き右を切る 両詰に同じ事也」
 両詰と同じと云うことですから同じく古伝神傳流秘書抜刀心持之事の4本目両詰
 「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る 右脇へ抜打に切りつけ左を切る」
 第17代大江正路先生の場合は神傳流秘書の業名行連、両詰はどうした理由なのか何処にも其の理由が残されていませんが改変されて、古伝神傳流秘書の「行連」は奥居合立業の「行連」と「連達」に分けられてしまい、古伝神傳流秘書の「両詰」は奥居合居業の「戸詰」と「戸脇」に改変されてしまっています。
 古伝の業名を使って、違った業を独創、もしくは分解改変してしまった様です。大江正路先生は初め下村派の下村茂市に指導を受けたと云われますが、15、6歳の頃に明治維新ですから、十分指導を受けられたとは思えません。その後土佐を離れたりしています。
 谷村派の五藤正亮の後を引き継いで中学校の指導に当たるなどされた様ですが、谷村派の印可も下村派の允可も受けていたのか疑問です。
 允可などあろうと無かろうと大江先生が土佐の居合を残された功績には問題はないでしょう。
 無双直伝英信流の空白の明治だったものを復活させた事が大きな功績でしょう。門外不出などと言っているうちに伝書は飛散し、業技法も見よう見まねで業名と一致せず、中には独創した業もありそうです。
 私は古伝は古伝であって、伝書類が公になれば、正しい土佐の居合の伝承は日本の居合文化として正しく見直されて有志によって伝承され、大江正路先生以降の現代居合はそれとして研鑽を積み重ねていけばいいものと「おおらかに」見ています。
 特に河野百錬先生の居合は古伝とも、大江先生のものとも違った竹刀剣道とマッチした居合に変換してしまったと思っています。
 しかし、古伝を紐解かずして武術を理解できない事は、江戸期の武術流祖の業技法を学べば学ぶほどひしひしと感じます。それは業の順番や形は見よう見まねで出来ても、武術としての術には簡単に至れない事をいやと云う程味わっています。
 
 

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2018年6月25日 (月)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文1外之物ノ大事1行連

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
1、外之物ノ大事
1行連
外ノ物トハ常ノ表ノ仕組ヨリ外ノ大事ト云フ事也
1、外之物ノ大事
1行連  左右 右ヲ片手打二左ヲ諸手二テ切事モ有是オハ皆気ノリニテスル心持也
 歩ミ行ク中チニ刀ヲ抜我カ左ノ方ヲ突其侭冠テ右ノ方ヲ切是ハ敵ヲ左右二ツレタチ行ク時ノ事也或我ヲ左右ヨリ取コメントスル時抔ノ事也
読み
 外の物とは常の表の仕組より外の大事と云う事也
1、外之物の大事
1行連  左右 右を片手打に左を諸手にて切る事もあり 是おば皆気乗りにてする心持ち也
 歩み行くうちに刀を抜き我が左の方を突き 其のまま冠りて右の方を切る 是は敵を左右に連れ達ち行く時の事也 或いは我を左右より取り込めんとする時などの事也
参考
 古伝神傳流秘書 抜刀心持之事 行連
 立って歩ミ行内二抜て左を突き右を切る両詰に同事也
読み
 立って歩み行くうちに刀を抜いて左を突き 右を切る 両詰に同じ事也
参考
 古伝神傳流秘書 抜刀心持之事 両詰
 抜て片手尓て左脇を突き直二振向いて右脇を切る
読み
 抜いて片手にて左脇を突き直ぐに振り向いて右脇を切る
 
 

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2018年6月24日 (日)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
始めに
先生口授ノ侭を記
始めに
 「先生口授の侭を記す」は後書きがありませんので先生とは恐らく第九代林六大夫守政の事でしょう。そのわけは神傳流秘書には業はどの様に動作をするのかは書かれていますがその心持ちまでは書かれていません。第十代林安大夫政詡が九代の口授を受けて覚書したものでしょう。
 神傳流秘書の抜刀心持之事の手附を詳しく解説しています。
 英信流居合目録秘訣の表題から英信流居合之事いわゆる大江正路先生によって改変された立膝之部は何も触れられず、抜刀心持之事について詳しく解説されています。
 この辺の事も気になる事で、英信流居合之事と抜刀心持之事との関連性は見いだせません。
 英信流居合目録秘訣の構成は以下の通りになっています。
1、外之物ノ大事
2、上意之大事
3、極意ノ大事
4、居合心持肝要之大事
 これらを読み解いていきますと、現代居合と古伝との間にギャップが見られます。業の名称も古伝にあって大江正路居合に無いもの、あっても改変されていたり、その動作も心持ちも違っていたりします。
 この英信流居合目録秘訣を読み解き、現代居合と対比してその原点を辿り、現代居合の意義を考えて見たいと思います。
 よく講習会などで聞くことに「昔はこうだった」とか「武術はこうだった」と知ったかぶりの講師に出合います。武術とはいつの頃のどの流派のものか、現代竹刀剣道やどこぞの古武術の聞きかじりだったりして、「嘘ばっかり」とさせられています。
 古伝は古伝、現代居合は現代居合と明確に認識した上で考えを進めて見たいと思います。
 大江正路先生が明治維新から空白の30年を埋めて中興の祖として再編した現代居合から120年程時間を経て来ています。第17代大江正路先生から第23代福井将人先生迄,、六代を経て現代居合は成り立っています。私は現代居合を学ぶ事によって古伝を理解して来ました。
 どうしても理解できない事は、柳生新陰流を頼りにしてみました。
 江戸時代にタイムスリップ出来るわけでもないのですから「古伝はおおらか」を頼りにこの項を味わってみたいと思います。
 

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2018年6月23日 (土)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文始めに

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
始めに
英信流居合目録秘訣 先生口受ノ侭ヲ記
読み
英信流居合目録秘訣 先生口授の侭を記す
 

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2018年6月22日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く6その他4陣中にて

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
6、その他
4陣中ニ而
 陣中二而湯茶水酒ナドニ我ガ影ノウツラザル時ハ呑ムマジ皆毒也為心得記
 右長谷川内蔵助ヨリ段々申伝之由
 明和元申年霜月吉辰賜之  林 政詡誌
読み及び読み解く
 陣中にて
 陣中にて湯茶水酒などに我が影の写らざる時は呑むまじ皆毒也心得の為に記す
 右長谷川内蔵助英信より段々に申し伝えの由
 明和元年申の年霜月(11月)吉辰之を賜う 林安大夫政詡

 陣中で湯茶水酒などを飲む時我が影が映らない時は飲んではならない、毒が入っている、心得の為に記す。
 根拠のない事でしょうが、長谷川内蔵助は長谷川主税之助英信でしょう。段々に伝えられてきたものだと云います。極意の教ですが何となく疑っている書きっぷりの様に思えます。
 明和元年1764年の11月吉日に之を賜う。林安大夫が林六大夫から賜った極意と云っています。
 

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2018年6月21日 (木)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文6その他4陣中二而

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
6、その他
4陣中二而
 陣中二而湯茶酒ナド二我ガ影ノウツラザル時ハ呑マジ皆毒也為心得記
 右長谷川内蔵助ヨリ段々申伝之由
 明和元申年霜月吉辰賜之 林 政詡誌
読み
 陣中にて湯茶酒などに我が影の写らざる時 呑むまじ皆毒也 心得の為に記す
 右長谷川内蔵助より段々申し伝の由
 明和元申年霜月吉辰之を賜う 林 政詡誌
 

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2018年6月20日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く6その他3山中往来

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
6、その他
3山中往来
山中往来ノ時足ノ裏ヱウヅヲキザミ水にヒタシヌリテ行時ハ足不痛ハタシ二テモイタマズ千里達者と申ス也
読み及び読み解く
 山中を往来する時 足の裏にウヅを刻み水に浸して塗りて行く時は足痛まず 裸足にても痛まず 千里達者と申す也
 「うず」とは 何だかわかりません。広辞苑には「うず・烏頭」、またヤマトリカブトの根と有ります、これはリューマチ、神経痛などの鎮痛に外用と有ります。これかどうか確証は有りません。
 漢方医学によって人類の経験値がなせる技も見直すことも大切とは思います。患部を切除ずるとか、病原を破壊する薬、病原菌を退治する薬ばかりが医療では無いでしょう。
 現代科学では立証できなくとも、脳へ影響を及ぼす方法などもありそうです。
 私の小学生時代には運動会の時カラスウリの実をふくらはぎに塗り付け早くなると云われて走ったものです。お陰様で何時も一等でした・・・・・・?良い思い出です。

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2018年6月19日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文6その他3山中往来

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
6、その他
3山中往来
 山中往来ノ時足ノ裏ヱウツ(ウズ 曽田メモ)ヲキザミ水二ヒタシヌリテ行時ハ足不痛ハタシ(洗足 曽田メモ)二テモイタマス千里達者ト申也
読み
 山中往来の時 足の裏へウズを刻み水に浸し塗て行く時は 足痛まず 裸足にても痛まず 千里達者と申す也

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2018年6月18日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く6その他2手負生死

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
6、その他
2手負生死
・ 
 手負生死無医者時早可持一白馬ノ糞一蓮肉二色香イロ二アフリ右二味茶一服ホト湯ニテ早ク可用此薬ヲウクル人ハ本復スウケサル人ハ吐逆ス死スル也
 読み及び読み解く
 手負いて生死に医者無き時 早く持つべきは 一つ白馬の糞 一つ蓮肉に色香色にあぶりそれに 味茶一服ほと湯を入れて早く用いるべし この薬を受ける人は本復す 受けざる人は吐逆す 死する也
 医学的にどうなのかなどは問題外でしょう。鉄砲や刀傷はショック死や失血死がほとんどだったと云われます。
 傷を負うのは足軽、雑兵の類でしょう。高位の者には軍医の手当てもあったでしょうから、生き残るには持てる知識と云い伝えや神頼みです。
この極意の文章では、この薬を手負傷に塗るのか、飲み薬とするのか解りません。
 白馬の糞と限定されては調達するのは厄介です。また「味茶一服ホト湯にて」のホト湯はどういうものでしょう。ホトとは日本語では女性器を表します。女性のオシッコでお茶を一服、やれやれです。
 是では助かるわけもなく死んでしまいそうです。
 

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2018年6月17日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文6その他2手負生死

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
6、その他
2手負生死
 手負生死無医者時早可持 1.白馬ノ糞 1.蓮肉二色香イロ二アフリ(コゲイロ二臭フマデイルコトナラン 曽田メモ)右二味茶一服ホト湯ニテ早ク可用此薬ヲウクル人ハ本服スウケサル人ハ吐逆ス死スル也
読み
 手負いて生死に医者無き時 早く持つべきは 1.白馬の糞 1.蓮肉が焦げ色に匂うまで煎り それに味茶一服程湯ニテ早く用いるべし 此の薬を受ける人は本復す 受けざる人は吐逆す 死する也
 

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2018年6月16日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く6その他1水溺二溺レ死タルヲ助ルノ法

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
6、その他
1水二溺レ死タルヲ助ルノ法
 臍之中二灸ヲスベシ亦ヤマガラ(山雀)ノ黒焼ヲ水ニテ口ヱ流入べし一時(二時間以内曽田メモ)ヨリ内ナレバ必ス蘇ㇽ
読み及び読み解く
 水に溺れ死にたるを助けるの法
 臍の中に灸をすえるべしれ また山雀の黒焼きを水にて口へ流し入れるべし 一時以内ならば必ず蘇る
 臍に灸をすえると生きているならば反応があるかも知れませんが、二時間近く死んでいるのが反応するでしょうか。山雀は鳥の黒焼きですが是も当てになりません。おまじないのようなもので溺れて気を失ったばかりならば何とかなるかも知れませんが突然な事で用意はままならないでしょう。
 そこで現代の溺れた人を助ける方法ですが、溺れた人を救助したら、たとえ水の中であっても一刻も早く頭を後に反らせて人工呼吸をすること。心臓が止まっていたら心臓マッサージも一緒に行います。
 以前は、水を吐かせる事が先決と云われていましたが、これは誤りです。呼吸や脈の有無を真っ先に調べ、救命処置を行う事が第一です。
 医学は日々進歩して来ています、昔の方法には秘伝の様なものも多く当てになりません。スポーツをする人も救命法の勉強と訓練は受けておくべきでしょう。

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2018年6月15日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文6その他1水二溺レタルヲ助ルノ法

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
6、その他
1水二溺レタルヲ助ルノ法
 水二溺レタルヲ助ルノ法 臍ノ中二灸ヲスベシ亦□(ヤマガラ曽田メモ)ノ黒焼ヲ水二テ口ヱ流入ベシ一時ヨリ内ナレバ必ス蘇ㇽ
 読み
 水に溺れたるを助けるの法 臍の中に灸をすべし 亦ヤマガラの黒焼きを水にて口へ流し入るべし 一時より内なれば必ず蘇る
 

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2018年6月14日 (木)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く5兵粮丸1蕎麦之粉

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
5、兵糧丸
1蕎麦之粉
蕎麦之粉
 能酒二浸テ日二干シカタメ亦酒二浸シ干シ堅メ三度酒二ヒタシ干シ申也
白米粉二而
人参和人参吉
 タトエバソバコ三匁二白米壱匁人参モ壱匁マゼ合三分程二丸米ノ粉ヲ衣二懸テ能干シ堅メ可持一粒服スレバ二三日飢ズ是を食スル時ハ気力常ヨリツヨク勇力大二増也
ソバコヲ仙粉ト云 米ヲ壽延ト云 但糯米大二吉
平常之用心二ワ人参不入レテモ吉 旅行等二用意スベシ
読み及び読み解く
 この兵糧丸のところは原文では個々の項目の様に書かれていますが兵糧丸のレシピです。
 そば粉を能く酒に浸して日に干し堅め、また酒に浸して干し堅め、三度酒に浸して干し堅める。
 是では丸めて兵糧丸は出来るでしょうがそば粉の兵糧丸に過ぎません。そこで次は白米の粉にて同様に干し堅める。
 次は人参それも和人参が良い。
 たとえば、そば粉三匁に白米一匁人参も一匁を混ぜ合せ三分程の大きさに丸め、米の粉を衣にかけて干し堅める。これを持って行けば一粒服すればニ三日飢える事は無い。
 是を食した時は気力がいつもより増して勇力大いに増す。
 そば粉を仙粉といい、米を壽延と云う、但しもち米大いに良い。
 平常の用心には人参を入れなくとも良い。旅行などに用意すべきものである。
 効果の程はあまり期待できそうにもありませんが、良いものだと暗示にかかればそれなりでしょう。
 旅や戦場に赴く息子や夫、父親の為にせっせと丸めている女性たちの姿が目に見える様で大事に持ち歩く姿を思い描きます。
 
 
 
 

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2018年6月13日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文5兵粮丸1蕎麦之粉

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
5、兵粮丸
1蕎麦之粉
 能酒二浸テ日二干シカタメ亦酒二浸シ干シ堅メ三度酒二ヒタシ干シ申す也
読み
蕎麦の粉
 よく酒に浸して日に干し堅め 亦 酒に浸して干し堅め 三度酒に浸し干し申すのである
・・・・・
1白米粉二而
読み
白米粉にて
・・・・・
1人参和人参吉
 タトエバソバコ三匁二白米壱匁人参モ壱匁マゼ合わせ(参分程の玉にして)是程丸米ノ粉ヲ衣二懸テ能干シ堅メ可持一粒服スレバ二三日飢ズ是ヲ食スル時ハ気力常ヨリツヨク勇力大二増也
読み
 人参 和人参がよい
 たとえば そば粉三匁に白米壱匁 人参も壱匁混ぜ合わせ丸めて参分程の玉に丸めて 米の粉を衣にかけて能く干し堅め持つべし 一粒服すれば二三日飢えず 是を食する時は気力常より強く勇力大いに増すものである
・・・・・
11ソバコヲ仙粉ト云ウ米ヲ壽延ト云ウ 但糯米大二吉
読み
 そば粉を仙粉という 米を壽延という 但しもち米大いによし
・・・・・
◎平常之用心二ハ人参不入シテモ吉旅行等二用意スベシ
読み
 平常の用心には人参を入れずしても吉 旅行などに用意するのが良い

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2018年6月12日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く4組討心持2軍中にて

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
4、組討心持
2軍中にて
砥石無キ時古キ瓦ヲ求メ能ク焼キテサマシ刀ヲ磨ベシ甚吉可秘々
読み及び読み解く
 軍中にて砥石の持ち合わせがない時は 古い瓦を求て能く焼いて冷まし刀を磨く甚だと良い 秘すべし秘すべし。
 研ぎ師の云う事はどうでも、刀は斬れればいいのであって、美しい研ぎ出しを軍中では目的にしていないのです。
 刃は荒く研がれた方が切れ味が良いとか、この伝書が書かれた頃は戦国時代を150年程経ています。遠い昔の思い出話であったでしょう。
 しかし、武士の心得は有効、無効はもとより、おまじないや、迷信も伝わっていたでしょう。   土佐の居合は高級武士の嗜みは勿論あったでしょうが、林六大夫が江戸で習ったものは市井の剣士による教えであったでしょう。学ぶ者は下級武士、農民、その境目の人達だったようです。
 いざとなれば、最小限の用意しか出来ずに戦いに臨まなければなりません。あらゆる人知を尽くして生きのびることが必要です。

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2018年6月11日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文4組討心持2軍中にて

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
4、組討心持
2軍中にて
 軍中ニテ砥石無キ時古キ瓦ヲ求メ能ク焼キテサマシ刀ヲ磨ベシ甚吉可秘々
読み
 軍中にて砥石無き時 古き瓦を求め能く焼きて冷まし 刀を磨くべし 甚だ吉秘すべし秘すべし

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2018年6月10日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く4組討心得1師伝

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
4、組討心得
1師伝
 師伝二云軍中二而敵ト組打ノ時下二成リテモ早差副ヲ抜草摺ヲタゝミ上差通シ一刀指ト必ヨワルモノ也サテ首ヲ早ク捕ル傳ハ敵ノ首二刀ヲ突キ立我ガ足ニテ刀ノ宗ヲツヨク蹴て踏ミ切ルヘシ如此スレバ早シ咽ノ下ヨリ刀二而首ヲカキ落スト思フ人ハ頬當ノスガ二刀カゝリ埒明不申候深秘々
読み
 師伝に云う軍中にて敵と組打ちの時下になりても 早く指副えを抜き草摺をたたみ上げ刺し通すよし 必ず弱るもの也 さて首を早く捕る伝は敵の首の骨に刀を突き立て我が足にて刀の棟を強く蹴って踏み切るべし 此の如くすれば早し 喉の下より刀にて首を搔き落とすと思う人は頬当てのすが(?)に刀かかり埒あき申さず候 深く秘すべし秘すべし
読み解く
 原文のままでも状況は解りますが、この伝書が書かれた明和元年1764年の頃は既に平和な時代になっています。小競り合いすら無かったと思われます。
 武士は江戸時代であっても軍人です。事有る時の心構えとして伝えられてきたものでしょう。
 

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2018年6月 9日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文4組討心持1師伝

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
4、組討心持
1師伝
 師伝二云軍中二而敵ト組打ノ時下二成リテモ早指副ヲ抜草摺ヲタゝミ上差通ヨシ一刀指ト必ヨワルモノ也サテ首ヲ早ク捕ル傳ハ敵ノ首ノ骨二刀ヲ突キ立我ガ足ニテ刀ノ宗ヲツヨク蹴テ踏切ルヘシ如此スレバ早シ咽ノ下ヨリ刀二而首ヲカキ落スト思フ人ハ頬當ノスガ二刀カゝリ埒明不申候深可秘々
読み
 師傳に云う 軍中にて敵と組打ちの時下になりても 早く指副を抜き草摺をたたみ上げ刺し通す良し 必ず弱るもの也 さて首を早く捕る傳は 敵の首の骨に刀を突き立て我が足にて刀の棟を強く蹴って踏み切るべし 此の如くすれば早し 喉の下より刀にて首を搔き落とすと思う人は頬当てのすが(?)に刀掛かり埒あき申さず候 深く秘すべし秘すべし

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2018年6月 8日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く5居合兵法伝来4長野無楽斎槿露以降

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
3、居合兵法伝来
4、長野無楽斎槿露以降
四、蟻川清左衛門ハ秀吉公二仕シ人也
五、万野団右衛門是同秀吉公二仕
六、長谷川主税助ハ内蔵助ト云尾州公へ仕千石領ス第一弓馬ノ上手也諸国弓ノ傳馬ノ傳得タル人多シ
七、百々軍兵衛ハ不相知トゾ一説二金五中納言二仕人トヨシ
八、荒井兵作ハ関東ノ人浪人也後清(勢)哲)ト號ス
 明和元申歳孟冬吉辰給是
読み解く
 今伝わる道統は以下の通り
始祖 林崎甚助重信
二、田宮平兵衛業正
三、長野無楽斎槿露
四、百々軍兵衛尉光重
五、蟻川正左衛門(鑟)續
六、萬野団右衛門尉信定
七、長谷川主税英信
八、荒井勢哲清信
九、林六大夫守政
十、林安大夫政詡
*
 居合兵法極意秘訣の居合兵法伝来は七代が百々軍兵衛となっていますが、今伝わるものは四代目になっています。金吾中納言とは小早川秀秋ですから戦国時代末期の関ヶ原の戦いの頃です。
 第九代林六大夫が習ったのが、八代荒井勢哲や七代長谷川英信の頃の様ですから、百々軍兵衛・蟻川正左衛門・萬野団右衛門は存在したかも知れませんが秀吉に仕えていたとすれば150年は林六大夫との間が空きますから、長野無楽斎以降の道統は明確では無かったと云えるのでしょう。この道統は疑問ですがそんな人も携わって今日あると「おおらか」に」認めておいても何も支障はありません。七代・八代が土佐に持ちこまれた時の師匠と考えるのが精一杯の処でしょう。現在でも随所に根元之巻が有るから俺が宗家と仰る自称宗家も何人もおられます。そんなところでしょう。
 長谷川英信や荒井勢哲が北信濃の松代藩辺りで郷士や農民相手に武術を教えていた形跡が見られます。南山大学の榎本鐘司先生のご研究ですが、そうすると林六大夫は江戸勤番中に北信濃にいかなければならない、江戸にも良い指導者がいたかもしれない、いれば名前すら出て来ないでこの伝統になっています。
 この流はそれだけ普及し普遍的なものであり、其処からいくつもの流が生み出されたと考えればいいかもしれません。
 それを突き止めた処で、歴史を変える程でもなく、まして業技法に変化を及ぼすだけの力も有るわけもない。
 今のところ、古伝は長谷川英信による無双神傳英信流居合兵法として神傳流秘書にしか残されていないのです。
 ちなみに神傳流秘書の道統は今伝わるものになります。従って居合兵法極意秘訣の道統は第十代が間違って記入したと云えるのでしょう。
 明和元年1764年申歳十月吉辰是を賜う  
 この一行は誰から誰に伝授したものか抜けています。第十代林安大夫政詡が第九代林六大夫守政に聞き及んだものを書き記し、次の第十一代大黒元衛門清勝に与えたのでしょう。
 
 
 
 
 
 

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2018年6月 7日 (木)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文3居合兵法伝来4長野無楽以降

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
5、居合兵法伝来
4長野無楽斎槿露以降
五、蟻川正左衛門ハ秀吉公二仕シ人也
六、万野團右衛門是同秀吉公二仕
七、長谷川主税助ハ後二内蔵助ト云尾州公二仕千石領ス第一弓馬ノ上手也諸国弓ノ傳馬ノ伝得タル人多シ
八、百々軍兵衛ハ不相知トゾ一説二金五中納言二仕人ト申ヨシ
九、荒井兵作ハ関東ノ人浪人也後清哲(勢哲 曽田メモ)ト號ス
明和元年申歳孟冬吉辰賜之
読み
五、蟻川正左衛門(ありかわせいざえもん)は秀吉公(ひでよしこう)に仕えし人也
六、万野團右衛門(ばんのだんえもん)是同じ秀吉公に仕える
七、長谷川主税助(はせがわしゅえつのすけ)は後に内蔵助(くらのすけ)と云う 尾州公に仕え千石領す 第一弓馬の上手也 諸国弓の伝馬の伝得たる人多し
八、百々軍兵衛(どどぐんべえ)は相知らずとぞ 一説に金五(金吾)中納言に仕し人と申す
九、荒井兵作(あらいへいさく)は関東の人浪人也 後清哲(勢哲 曽田メモ)(せいてつ)と號す

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2018年6月 6日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く3居合兵法伝来3長野無楽斎槿露

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
3、居合兵法伝来
3長野無楽斎槿露
 長野無楽斎槿露ハ田宮重正ノ弟子也仕井伊侍従五百石被下者ノ頭勤ルナリ九十一歳二而死スト云々無楽斎弟子三ノ宮左大夫照信ト云有武田勝頼二仕刀術ノ得妙タル人と申ス
読み
 長野無楽斎槿露は田宮重正の弟子也 井伊侍従に仕え五百石おおせ下さる 者の頭を勤める也 九十一歳にて死すと云々 無楽斎弟子三ノ宮左大夫照信と云う有り武田勝頼に仕え 刀術の妙を得たると申す
読み解く
 この長野無楽斎槿露についても千城小伝(本朝武芸小伝)に依ったと思われます。
 長野無楽斎槿露者學刀術於田宮重正而得精妙後仕井伊侍従九十余而死
 長野無楽斎槿露は田宮平兵衛重正に於いて刀術を学ぶ 精妙を得て後 井伊侍従に仕え 九十余にて死す。
無楽斎は田宮平兵衛重正の弟子と言われていますが、欧州の伝書によると少々疑問もあります。
・津軽藩 林崎新夢想流 林崎甚助重信ー田宮平兵衛照常ー長野無楽斎ー一宮左大夫
・三春藩 林崎流 林崎甚助ー田宮平兵衛ー長野無楽斎ー中譒三九郎
・新庄藩 林崎新夢想流 林崎甚助ー田宮平兵衛照常ー長野無楽斎ー一宮太輔照信
・秋田藩 林崎流居合 林崎甚助ー長野無楽斎ー市宮左大夫忠重
・二本松藩 林崎流 林崎甚助ー永野無楽入道槿露
・秋田・仙台藩 林崎夢想流 林崎甚助ー永野無楽斎
 長野無楽斎は上州箕輪城主長野信濃守の一族で、武田に滅ぼされ奥州で林崎甚助に弟子入りしたともいわれます。
 更に工夫を加えて一家をなし、無楽流と云った、「無楽斎は常に牛に乗って女子に口縄を執らせて歩行き、上下の差別なく交り寒来れども炉せず、一生不犯であってと云うことだ。
 
 弟子の三宮左太夫照信は千城小伝では一宮左太夫照信となっています。
 
 武術流祖録では、更に上泉孫次郎義胤にその宗を伝授したとあります。上泉孫次郎義胤は上泉伊勢守の族縁と云われ無楽斎から術を受け、上泉権右衛門と云う。柳生兵庫と居合で勝負し尾張に伝わった様な話もある様です。
 
 柳生新陰流の抜刀はこの無楽斎に学んだ上泉伊勢守の孫上泉孫次郎義胤による林崎甚助重信の抜刀を継ぐ一つかも知れません。
 山田次郎吉著日本剣道史にはその辺の処は書かれていますが出典が定かではありません。
 

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2018年6月 5日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文3居合兵法伝来3長野無楽斎槿露

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
3、居合兵法伝来
3長野無楽斎槿露
 長野無楽斎槿露ハ田宮重正ノ弟子也仕井伊侍従五百石被下者ノ頭勤ルナリ九十一歳二而死スト云々無楽斎弟子三ノ宮左大夫照信ト云有武田勝頼二仕刀術ノ得妙タル人ト申ス
読み
 長野無楽斎槿露は田宮重正の弟子也 井伊侍従に仕え五百石おおせ下さる 者の頭を勤めるなり 九十一歳にて死すと云々 無楽斎弟子三ノ宮左大夫照信と云う有り 武田勝頼に仕え 刀術の妙をえたると申す

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2018年6月 4日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く3居合兵法伝来2田宮平兵衛重正

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
3、居合兵法伝来
2田宮平兵衛重正
原文略す
読み
 田宮平兵衛重正は関東の人成林崎重信に従って抜刀の妙を獲る実に変に尽き入神す 後に對馬と改たむ 其子對馬之守長勝父の伝を受けて同じく妙を獲て池田三左衛門輝政公へ仕う 老年常圓と改め紀州大納言頼信公へ仕え八百石を領す 其子掃部長家後に又平兵衛と改む 此の人弟子多くて諸国にて田宮流と云いて末流多し この平兵衛は大猷院様へ召し出され其の術を台覧備え奉る 名を天下に顕わす 其子三之助朝成のち常快と号す 其子次郎右衛門成常中納言吉宗公に仕えたてまつる末流多し
*
読み解く
 この田宮平兵衛重正は、西條藩に伝わる妻木正麟宗家の田宮流では田宮平兵衛業正であって成正・成政・茂正・重政などと有るとされています
 奥州地方の伝書では、津軽藩の林崎新夢想流では田宮平兵衛照常、三春藩の林崎流では重正、新庄藩の林崎新夢想流では照常、と照常が良く使われたのか名をころころ変えたのか、同一人物であったかよくわかりません。
 いずれにしても、林崎甚助重信ー田宮平兵衛重正でここは通して置けばいいのでしょう。拘る方はご研究されればと勝手に諦めます。
 千城小伝の原文のまま載せておきます。読みと合わせてお読みいただければとご参考に。
 田宮平兵衛重正者関東人也 従林崎重信得抜刀之妙實盡變入神 後改對馬 其子對馬守長勝継箕裘之術仕池田三左衛門尉輝政 後致仕改常圓 赴紀州奉仕大納言頼宣教 領彩邑八百石 其子掃部長家後改兵兵衛 大猷大君欲見田宮芸 命頼宜卿被召江戸 登営其術奉備台覧顕其名於日域 其子三之助朝成後号常快 其子次郎右衛門成常継箕裘之芸奉仕中納言吉宗卿 其末流在諸州 可謂伝芳名於千歳者乎 有斎木右衛門清勝者 紀州人也 自幼弱従田宮長家練習有年 従朝成終其宗 延宝年中来江都以其芸鳴

「北条早雲記曰 勝吉長柄刀をさしはじめ 田宮平兵衛成政という者是を伝うる 成政長柄刀をさし諸国兵法修行し 柄に八寸の徳 みこしにさんぢうの利 其外神妙秘術を伝えしより以後 長柄刀を皆人さし給へり 然に成政が兵法第一の神妙奥義と云うは、手に叶ひなばいかほども長きを用ひべし、勝事一寸ましと伝えたり」
 田宮流については武術流祖録、撃剣叢談などにも記載があります。この曽田本にある道統の伝来は、林崎甚助重信ー田宮平兵衛重正ー長野無楽斎槿露までは明らかに千城小伝によると判断できます。
 それにしても、第十代林安大夫政詡の書き残されたものは、老父の話を書き留めて置いただけではなく、是等の武芸の流れや漢籍も含め、当時の書物を能く読んでおられた様です。
 

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2018年6月 3日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文3居合兵法伝来2田宮平兵衛重正

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
3、居合兵法伝来
2田宮平兵衛重正
 田宮平兵衛重正者関東ノ人也従林崎重信得抜刀之妙実二尽変入神後二對馬ト改ム其子對馬守長勝父ノ伝ヲ受テ同得妙池田三左衛門輝政公へ仕フ老年常圓ト改メ紀州大納言頼宣公ヱ仕八百石ヲ領ス其子掃部長家後又平兵衛ト改ム此人ノ弟子多クテ諸国ニテ田宮流ト云テ末流多シ此平兵衛ハ△大猷院様へ被召出其術ヲ奉備台覧其名ヲ天下二顕ス其子三之助朝成後常快ト號ス其子次郎衛右衛門成常奉仕中納言吉宗公二末流諸国二多シ
読み
 田宮平兵衛重正は関東の人也 林崎重信に従って抜刀の妙を得る 実に変に尽き入神す 後に對馬と改たむ 其子對馬之守長勝父の伝を受けて同じく妙を得て池田三左衛門輝政公へ仕う 老年常圓と改め紀州大納言頼信公へ仕え八百石を領す 其子掃部長家後に又 平兵衛と改たむ 此の人の弟子多くて諸国にて田宮流と云て末流多し 此の平兵衛は△大猷院様へ召し出され其の術を台覧備え奉る 名を天下に顕わす 其子三之助朝成のち常快と號す 其子次郎右衛門成常中納言吉宗公に仕え奉る 末流諸国に多し

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2018年6月 2日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く3居合兵法伝来1林崎甚助

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
3、居合兵法伝来
1林崎甚助重信
読み
 林崎甚助重信は奥州の人也 林崎明神を祈りて刀術の精妙を悟ると云えり 中興抜刀の始祖也 北条高時に仕える 長柄の刀に益ある事を明神老翁に現し伝えしよし 始は神助勝吉とも云えるよし 林崎明神は奥州楯岡郡に林崎明神と云う有り 鹿島大明神也
 伝に曰く 長柄の刀とて只長くする事にあらず 世人刀の鞘に空鞘する人有り 是無益也不用心也 同じ空にせば一寸にても柄を長くせよ 敵に当たり徳あるべしと云う事也 それとも刀の柄は二尺三寸の刀にても柄を八寸にせよと也
読み解く
 古伝神傳流秘書では「無雙神傳英信流居合兵法」は始祖を「林崎神助重信」として根元之巻にも記載され、明治以降の大江正路先生の発行する印可状にも林崎神助でした。
 この林崎甚助重信の由来は、「千城小伝(本朝武芸小伝)」正徳4年1715年版、若しくは享保元年1716年版の巻六によると思われます。
 林六大夫守政の没年は享保17年1732年ですから千城小伝は読んでいたかも知れません。
 ここで云う北条高時とは、鎌倉幕府第14代執権であれば生まれが嘉元元年1304年、元弘3年1332年に没しています。林崎甚助重信は林崎甚助重信公資料研究委員会の「林崎明神と林崎甚助重信」の年表によれば生誕は天文11年1542年奥州へ旅立って再び帰らず(武芸太白伝)であれば元和3年1617年75歳で没しています。
 後北条氏には高時なる人物が居たかは知りません。
千城小伝巻六 林崎甚助重信
 林崎甚助重信は奥州人也 林明神に祈り刀術の精妙を悟 此の人中興抜刀之始祖也 北条五代記曰 長柄刀のはじまる子細は明神老翁に現じ 長づかの益あるを林崎甚助勝吉という人に伝え給う 愚に曰 甚助は謄写のあやまりならんや 五代記には勝吉と有り 明神老翁に現じて伝え給うというは 鹿島の神をいえるか 伝書には奥州楯岡の近辺に林崎明神と云う神社あり 甚助此の神を祈りて 妙旨を悟とあり
北条五代記(元和年間1615年から万治年間1661年頃に書かれている)の記述もこの際載せておきます。ちなみに此処でいう北条氏とは秀吉に屈した(天正18年1590年)北條早雲に始まる後北条氏を指します。
北条五代記巻第四の2関東長柄刀の事付(つけたり)かぎ鑓の事
 見師(見し)は昔 関東北条氏直時代まで 長柄刀とて人毎に刀の柄をながくこしらえし・・長柄刀の始まる子細は 明神老翁に現じ長柄の益有を林崎かん介勝吉と云う人に伝え給うゆえに かつよし長柄刀をさしはじめ田宮平兵衛成政という者に是を伝うる 成政長柄刀をさし諸国兵法修行し 柄に八寸の徳 みこしにさんじゅうの利 其の外神妙秘術を伝えしよりこのかた 長柄刀を皆さし給えり 然るに成政が兵法第一の神秘奥義というは手に叶いなばいか程も長きを用いべし 勝事一寸にして伝えたり
 林崎甚助重信に就いて書かれている、武芸書
・北条五代記
・居合明神之巻
・和田流居合正誤
・日本中興武術系譜略
・武術太白成伝(原本不明)  山田次郎吉日本剣道史より
武術太白成伝
 生国は奥州でなく相模の産である。文禄4年5月10日48歳より慶長3年9月15日にいたる年間武州一ノ宮 今大宮の社地に居住し、陰陽開合の理に基いて工夫を凝らし、生善正勝という辞を押し立て、純白伝と号して飄然諸州を歴遊の途に上ったとある。
 時に54歳の秋紅葉正に色つく時であった。
 星霜移って元和2年2月28日武州川越の甥高松甚兵衛の許を訪れ明年7月まで滞在して20日再び鳥藤を鳴らして奥州の旅程に立越えたのは73歳。残躯を天に任せて復帰っては来なかったのである。故に一宮流奥幸四郎施主となって、享保元年7月20日川越の蓮聲寺に墓碑を建立し、良仙院一誉昌道弱心大信士の法号を鐫(せん、ほる)し、一部生国相州鎌倉の天照山光明寺の過去帳に其の名を留めて、永く菩提を弔う料としたということである。
 どれもこれも、事実とは言い難い感じがしますが、其れなりに捉えて置けばいいことでしょう。
 出自や修行についてはこの頃一般人についての事では殆ど解らないのが普通です。出世した後何処かの名家の末裔として系図を偽造するのも普通だったようです。
 この居合に臨んだ人が始祖を如何に高めて見ても意味のある事でも無いでしょう。神様にして置けばいいのですからとやかく言っても始まりません。既にその業技法の教えも失伝しているのですから。武術はどんどん進化するものです。
 
 
 

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2018年6月 1日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文3居合兵法伝来1林崎甚助重信

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
3、居合兵法伝来
1林崎甚助重信
林崎甚助重信ハ奥州ノ人也林崎明神ヲ祈テ刀術之精妙ヲ悟ルト云ヱリ中興抜刀之始祖也北条高時二仕ル長柄之刀二益有事ヲ明神老翁二現シ伝ヱシヨシ始ハ神助勝吉トモイヱルヨシ林崎明神トハ奥州楯岡郡二林崎明神ト云有鹿島大明神也
伝二曰ク長柄ノ刀トテ只長クスル事二アラス世人刀ノ鞘二空鞘スル人有是無益也不用心也
同空セバ一寸二而モ柄ヲ長くセヨ敵二當リ徳有ヘシト云事也夫共刀ノ柄ハ二尺三寸ノ刀二テモ柄ヲ八寸二セヨト也
読み
 林崎甚助重信は奥州の人也林崎明神を祈りて刀術の精妙を悟ると云えり 中興抜刀の始祖也 北条高時に仕える 長柄の刀に益ある事を明神老翁に現し(あらわし)伝えしよし 始は神助勝吉とも云えるよし 林崎明神とは奥州楯岡郡に林崎明神と云う有り鹿島大明神也 
 伝に曰く 長柄の刀とて只長くする事にあらず 世人刀の鞘に空鞘する人有り 是無益也不用心也 同じ空にせば一寸にても柄を長くせよ 敵に當り徳あるべしと云う事也 それとも刀の柄は二尺三寸の刀にても柄を八寸にせよと也

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