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2018年6月 8日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く5居合兵法伝来4長野無楽斎槿露以降

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
3、居合兵法伝来
4、長野無楽斎槿露以降
四、蟻川清左衛門ハ秀吉公二仕シ人也
五、万野団右衛門是同秀吉公二仕
六、長谷川主税助ハ内蔵助ト云尾州公へ仕千石領ス第一弓馬ノ上手也諸国弓ノ傳馬ノ傳得タル人多シ
七、百々軍兵衛ハ不相知トゾ一説二金五中納言二仕人トヨシ
八、荒井兵作ハ関東ノ人浪人也後清(勢)哲)ト號ス
 明和元申歳孟冬吉辰給是
読み解く
 今伝わる道統は以下の通り
始祖 林崎甚助重信
二、田宮平兵衛業正
三、長野無楽斎槿露
四、百々軍兵衛尉光重
五、蟻川正左衛門(鑟)續
六、萬野団右衛門尉信定
七、長谷川主税英信
八、荒井勢哲清信
九、林六大夫守政
十、林安大夫政詡
*
 居合兵法極意秘訣の居合兵法伝来は七代が百々軍兵衛となっていますが、今伝わるものは四代目になっています。金吾中納言とは小早川秀秋ですから戦国時代末期の関ヶ原の戦いの頃です。
 第九代林六大夫が習ったのが、八代荒井勢哲や七代長谷川英信の頃の様ですから、百々軍兵衛・蟻川正左衛門・萬野団右衛門は存在したかも知れませんが秀吉に仕えていたとすれば150年は林六大夫との間が空きますから、長野無楽斎以降の道統は明確では無かったと云えるのでしょう。この道統は疑問ですがそんな人も携わって今日あると「おおらか」に」認めておいても何も支障はありません。七代・八代が土佐に持ちこまれた時の師匠と考えるのが精一杯の処でしょう。現在でも随所に根元之巻が有るから俺が宗家と仰る自称宗家も何人もおられます。そんなところでしょう。
 長谷川英信や荒井勢哲が北信濃の松代藩辺りで郷士や農民相手に武術を教えていた形跡が見られます。南山大学の榎本鐘司先生のご研究ですが、そうすると林六大夫は江戸勤番中に北信濃にいかなければならない、江戸にも良い指導者がいたかもしれない、いれば名前すら出て来ないでこの伝統になっています。
 この流はそれだけ普及し普遍的なものであり、其処からいくつもの流が生み出されたと考えればいいかもしれません。
 それを突き止めた処で、歴史を変える程でもなく、まして業技法に変化を及ぼすだけの力も有るわけもない。
 今のところ、古伝は長谷川英信による無双神傳英信流居合兵法として神傳流秘書にしか残されていないのです。
 ちなみに神傳流秘書の道統は今伝わるものになります。従って居合兵法極意秘訣の道統は第十代が間違って記入したと云えるのでしょう。
 明和元年1764年申歳十月吉辰是を賜う  
 この一行は誰から誰に伝授したものか抜けています。第十代林安大夫政詡が第九代林六大夫守政に聞き及んだものを書き記し、次の第十一代大黒元衛門清勝に与えたのでしょう。
 
 
 
 
 
 

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