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2018年8月 7日 (火)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣6読み解く3極意ノ大事1暇乞

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
3、極意ノ大事
1暇乞
 仕物抔ヲ云付ラレタル時抔其者之所ヱ行テ四方山ノ咄抔ヲシテ其内二切ベシ隙無之トキハ我ガ刀ヲ取テ又近日ト立サマ二鐺ヲ以て突キ倒シ其侭引ヌイテ突也又ハ亭主我ヲ送テ出ルトキ其透間ヲ見テ鐺二而突タヲシテ其侭引ヌイテ突クベシ
読み及び読み解く
 仕物などを云いつけられた時など その者の所へ行きて四方山の話をして そのうちに切ろうとするのだがこの隙が無い時は 我が刀を取って「又近日」と立ち様に鐺を以って突き倒し 其の侭引き抜いて突くのである 又は 亭主が我を送って出る時 そのすき間を見て鐺にて突き倒し 其の侭引き抜いて突くのである
 この暇乞の極意を不意打ち騙し討ちで卑怯な行為と取るか考えて見たい処です。この一文は其処までやるかと思う平和ボケの反面、やらねばならない背景に身が引き締まる思いを持つかは、時代背景の中での人の生き様に有ります。
 たとえ親友であろうとも、上司より始末をして来いと云いつけられた場合仕損じる事は許されない。
 切腹及び御家断絶もあり得るものです。封建制度の根底にある身分制度のなせるものですが、その更に奥にあるものは先祖代々子々孫々に至るまでの安住を約束された主従関係が武士道精神を支えている事を忘れてはいけないと思います。
 その武士道精神の重圧を棚に上げて、人間性を解いてもそれは武士道精神とは別物であってキリスト教でも仏教でも同様に語られる、人を愛する心を元としたものなのです。
 兵法は大なり小なり、言葉はあまり気持ち良くないのですが、心に思う事があっても色に出さず、相手の不意を突くなり、隙を見せ裏を取ったり、騙し討ち、闇討ちによるものです。
 孫子も「兵は詭道なり」と正面切って述べています。この極意の大事の暇乞も一例に過ぎず狭義の正義感に捉われるものでも無いでしょう。
 正々堂々と「首を頂戴に上がった」と云って、双方外に出て、試合ってみても相手は我が隙を狙って打込むなり、我は誘いの隙を作って打ち込んで来る裏を返すものです。
 上段から何も考えずに真向に打ち込んでも相手の力量が劣れば請け太刀も成らずに打ち勝でしょう。なまじ受ければ居ついてしまうものです。筋を替って外して打ち勝てば素晴らしいというのか、卑怯と云うのか。
 真向打込む相手に我も真向に打ち込む合し打ちが正々堂々でしょうか。力量が供に判っている相手で双方命がけの一刀ならば良いのでしょうか。これとても一瞬の間が力量の差となって勝負を決してしまうはずです。
 暇乞の極意が不意打、騙し討ちによるものなので武道倫理に外れると解釈されたのか、奥居合の暇乞三本を正式な演武会で演じてはならないとの話を聞いています。
 極意ノ事の暇乞と業手附の暇乞を訳も分からず、文字面だけを見て混同しての事でしょうが、奥居合の暇乞は挨拶の際相手が抜刀して打込んで来るものを抜くなりに摺り落して打込む身を土壇にしての極意業です。
 或いは、敵の害意を察して機先を制し挨拶の体の下げ上げの動作に添った抜刀法でこの流の基本中の基本業と思うのですが、いかがでしょう。
 居合は何時如何なる変にも直ちに応じられる修行を心掛けるものでもあるのでしょう。それは人が生きている限りつきつけられるもので、生あるものの宿命でしょう。
 大きな心で「おおらか」に学ばずしては何も得られません。まして不勉強な師匠などによっては、先師の教えと称して誤り伝えて来るものです。武術は体育よりも知育が強く働かなければ唯の人殺しの稽古をする事に終わってしまう、死ぬまで修行であり進化するものでなければ大して意味あるものでは無いでしょう。
 極意ノ大事を終ります。
 
 
 

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