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2018年12月14日 (金)

曾田本その1の8その他読み解く4神妙剣

曾田本その1
8.その他読み解く
4、神妙剣
 深キ習二至テハ実ハ事(業)無シ常二住座臥二有之事二シテニ六時中忘レテ不叶事ナリ彼レ怒ノ色見ユルトキハ直二是ヲ知ッテ怒ヲ抑ヘシムルの□知アリ唯々気ヲ見テ治ムル事肝要中ノ肝要也是戦二至ラシメズシテ勝ヲ得ル也去ナカラ我臆而誤(謝)テ居ル事ト心得ル時ハ大二相違スル也兎角シテ彼レ二負ケサルノ道也止事ヲ得サル時ハ彼ヲ殺サヌ内ハ我レモ不死ノ道也亦我カ誤(謝)ヲモ曲ゲテ勝ニワ非ス誤(謝)ル可キ筋ナレバ直二誤(謝)ルモ勝也
 彼カ気ヲ先々二知テスグ二應スル道ヲ神妙剣ト名付ケタル也委シクハ書面二アラワシ尽シ難シ心ヲボヱノ為二其ノ端ンヲ記置ク也
読み及び読み解く
 土佐の居合の最終章は「神妙剣」です。
 曽田本その1の順番をもう一度振り返ってみます。そこには見事に神妙剣に至る順序たてがされている様に思えます。
 それはランダムに見せられた伝書を曽田虎彦先生が組み立てたのか、伝書そのものに土佐の居合の根元に至る順序立てがなされていたのか解りません。
 曽田先生に曽田本を本にしてその古伝の心を公開していただきたかったけれど、叶わぬ夢となりました。
 河野先生も曽田先生の手書きメモを「読み下す」ので宗家という立場上精一杯だったと思われます。
 夢想神傳流の木村栄寿先生も土佐の古伝を河野先生同様に「読み下す」だけで終わってしまいました。その後神傳流の方からそれを研究し古伝を学ぼうとされる方を知りません。
 曽田本はこの順序で校正されていました。
1、神傳流秘書
2、英信流目録
3、業附口伝
4、免許皆伝目録
5、居合兵法極意秘訣
 1)老父物語
 2)当流申伝之大事
 3)英信流居合目録秘訣
  ①外之物ノ大事
  ②上意之大事
  ③極意ノ大事
 4)居合兵法極意巻秘訣
6、居合兵法の和歌
7、曽田虎彦私創研究中抜刀術
 1~3は土佐の居合之業技法の順番を行う手附に過ぎません。それでも棒も仕組(組太刀)も和(体術、柔術)も網羅され、順然たる居合はその三分の一以下の仮想敵相手の一人稽古に過ぎません、其れも大江先生の教えによる現代居合は奥居合が絞られ変形しています。
 4は根元之巻で林崎甚助重信の免許皆伝の江戸期に伝わったものですが、読み下せても読み解く事は厄介です。
 現代でも発行されておられる処もある様ですが、文言の写し書きでその心を伝えられているか疑問です。
 5項目目以下が、土佐の居合の心持ちを伝える極意に成ります。此処が現代居合に正しく伝承できれば、稽古の質も大きく変化するでしょう、然し或門流の宗家からのものは、業名だけの目録ばかりに過ぎません。
 現代居合の業名と運剣の標準を教えたよ、というものです。
 準範士以上の允可は人に、現宗家から宗家のやり方で業の形を指導していいよというもので、譬え十段であっても其の域を出るものでは無いのです。
 其の域を出たい者は、自ら学ばなければならないものです。その道筋が5項目以下なのですが、時代背景もあって、読み捨てたり、語学力不足で十分読みこなす能力がないのが実態でしょう。
 もっと大切なのは、本物の自己実現を目指す真摯な心で文字の外にあるものを求め学ぶ心、そして其の域の近くまで達していなければ一歩も進めないでしょう。
 真似事に終始して師匠に「出来ている」など言われて見てもむなしいばかりです。
 先日ある所で、居合を止めて違う剣術の道場の門をたたいた若者の話を聞いていました。
 何故やめたのか「かたちばかり要求して、其の形は何故そうするのか、と聞いても答えをくれず、そうするのがこの流の形とだけしか言わない」「段位による序列ばかり優先して威張っている」 
 さて、神妙剣を読み解いてみましょう。然しその奥にあるものは、己を正しいと信じ貫き通すだけの物を持たなければ唯のバカにすぎません。
 業技法も、居合の極意も充分修練を積み重ね、何時如何なる変が起ころうとも応じられるに至って、其処で実はその様な業事では無く、常住坐臥(いかなる時でも)この心を持ち、ニ六時中忘れてはならない事が神妙剣である。
 彼れ怒りの色が見える時は、直ぐに是を知って怒りを抑えしむる叡智を身に着け、即座に気を見て納める事が肝要中の肝要である。
 是、戦に至らしめずして勝ちを得るものである。さりながら、我は彼の怒りに臆して謝り(原文は誤)て居る事と心得る時は大いに相違するのである。
 兎に角、彼に負けざる道で、彼の怒りを納める事が出来ない時は、彼を殺さないうちは我も死なないと云う程の道である。
 亦、我が誤っていることを何が何でも正しいと云い張り曲げて勝つのではない、謝るべき筋があるならば直ぐに誤りを正し謝るも勝なのである。
 彼の気を先に知って直ぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたのである。委しい事は書面に書きあらわし難い、心覚えの為にその一部を記し置いた。
 如何に武術が優れ、どの様な相手と対しても負ける恐れはないとしても、行き着く所は戦に至らしめずに勝ちを得る事であると云い切っています。
 コミュニケーションの最終手段として武術が用いられるとするのも、いつの時代にも、国と国、個人と個人で行われしかと扱われていたかもしれません。然し突き詰めると一部の権力者が保身の為に用いて来た手段とも取れるものばかりでしょう。
*
 この曽田本に記された最終章は、勝つとは何かを考えさせる一文でもあるでしょう。
 現代居合は長い年月を棒振りしていただけで手に入れた、意味不明の段位の力だけで、人を服従させられると錯覚して、権威を後ろ盾にした権力をもって「段位が欲しければ俺の言う事に従え」と脅し、己の教えや指示が全てである、反論も聞か無いと云う者が見受けられます。
 年月が来て金で買った様な段位が全ての様にして、出来ても居ないのに形ばかり追い懸けて、本物を目指す事も無い者を相手にしていては、未熟者の私など馬鹿らしくなって、こちらから身を引く事となってしまいます。
 
 寄り添うものは前に向かって進む己の心ばかりかも知れません、信じた道を歩く以外に道は無いのでしょう。
 論語に「君子は上達す、小人は下達(かたつ)す」。並以下にもかかわらず、時期が来たのでもらえた段位に、其れも目録程度の印可です。それにもかかわらず俺は最高段位で地位もあり凄い権力がある者だと周囲に睨みを聞かせて、保身に必死な小人を下達と云うのでしょう。業技法は愚か、人間としても小人にいたずらに段位を与える事は何を意味しているのでしょう。
 居合以外に目ぼしい事も無い者が、高段位を手に入れて威張っている、そんなものをほしがる輩がお世辞たらたら走り寄る、哀れです。
 その上高段位の者の演武を見れば、よろよろしていて看取り稽古にもならない。
 指導を受けたら随分前の宗家の動作しか出来なくて、ご宗家の業を「やれ」と云いながら、云う事とやる事がめちゃくちゃです。
 自分が間違っていても、沽券にかかわると謝る事はしない、やれやれ。
 
 曽田本その1の最終章は、神妙剣で終わりますが、続いて「居合兵法の和歌」がどっしりと控えています。
 
 
 
 
 
 

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