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2018年12月 6日 (木)

曾田本その1の8その他読み解く1介錯口伝

曾田本その1
8.その他読み解く
1、介錯口伝
 古代ニハ介錯ヲコノマズ其故ハ介錯ヲ武士ノ役ト心得ベカラス死人ヲ切ル二異ナラス故二介錯申付ラルゝ時二請二秘事有リ介錯二於テハ無調法二御座候但シ放討ナラバ望所二御座候ト可申何分介錯仕レト有ラバ此上ハ介錯スベシ作法二掛ルベカラズ譬切損シタリトモ初メニコトワリ置タル故失二非ス秘事也能覚悟スベシ
読み及び読み解く
 介錯に就いての口伝、古代には介錯を好まなかった、其れは介錯を武士の役目であると心得ていない、死人を切るのと異なる事は無く名誉とは思わなかったからである。
 介錯を申し付けられた時は、請けるには秘事がある、「介錯に於いては無調法に御座候、但し放打ちならば望む所に御座候」と申すのである。
 「何分介錯仕れと有らば此の上は介錯すべし」、譬え切り損じても、初めに断っているので作法に拘わらず礼を失するには当たらない。秘事である、能く覚悟(悟り覚える)ものである。
* 
 介錯の歴史に付いては、興味のある方にお任せします。事実か否かに拘わらず、武士は死人同様の据者を切るのは意に非ずと言う事でしょう。
 戦場での首取とは違い、切腹を仰せつかった者への介錯人の命令、あるいはその者からの所望などあるのでしょう。
 とにかく「無調法」と云って断る事、それでもと云うのであれば、無調法を断ってあるので堂々と役目を果たせと云うのです。
 介錯の業を第17代大江正路先生は大森流居合(正座之部)の七本目に組み入れています。
 古伝神伝流秘書の大森流居合之事には七本目に「順刀」と有って以下の様です。
 「右足を立左足を引と一処に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ」
 何処にも、介錯の方法である事が文面からは見出せません。
 大森六郎左衛門の大森流に介錯の仕方を敢えて入れる必要は無いと思われますので、これは、左足を引き立ち上がって抜刀するや、その足踏みのまま、片手で真向に打ち込む、あるいは、左手を添えて八相に切り下ろす、凄まじい業を想像させます。
 神傳流秘書より後のものと思われますが安永五年1776年第12代林益之丞政誠が書き、嘉永五年1852年に第15代谷村亀之丞自雄による英信流目録の大森流居合之位7本目順刀は以下の様です。
 「是は座したる前のものを切る心持なり我は其の侭右より立すっと引抜かたより筋違に切る也是も同じく跡は脛へ置き逆手にとり納る也」
 是も介錯の仕方を示唆する文言は見当たりません。すっと立つや刀を抜き取り、筋違いに切るは、八相に切るでしょう。
 「・・座したる前のものを切る心持ち・・」の文言が解釈を思わせるかも知れません。
 しかし、現代居合の介錯を思わせるのは、大森流7本目は介錯として何の疑いも無く学んで来たためでしょう。古伝は抜けがあって、抜けた所は口伝により学ぶのが一般的です。口伝に介錯が隠されていたかもしれません。
 私は抜刀法として居合の業と思います。なぜなら土佐の居合は介錯は無調法だから断れと云っています。紐皮一枚残す技なんか持ち合わせていないと云うのです。
 既に証明のしようは有りません。
 細川義昌先生系統の無双神傳抜刀術兵法尾形郷一貫心先生の大森流之部7本目順刀
 「(介錯すること)正面に向ひ切腹する者の左側へT字形に三尺位離れて正座し(知人之善人の介錯を頼まれたる場合は慣れぬ事故若し切損じがありましても御免を蒙るとの挨拶をするを礼とす) 
 機を見て鯉口を切り右手を柄に掛け、右足を少し右前へ踏出し其方向へ刀を静かに引抜き(抜き払はぬ事)立上りつつ右足を退き左足に踏揃へ体を引起し、直立の姿勢となりつつ刀尖を左後へ突込む様に右手を上げて頭上を越させ、血振ひする直前の様に(右肩後へ釣下げて待つ)
 切腹者が(介錯頼むと)両手を前につかえると同時に右足を踏出しつつ(悪人の首を切る場合は右足を前へどんと音のする様に踏出し其の音は斬られる者の心気を一転させ)(怨霊を去る口伝)刃部を左斜下へ向け、体を前掛に(右片手にて)大きく斬込み(首を落とす)、斬込むと同時に左手で柄頭を握り諸手となる。
 左足を一歩退き、左拳を左斜上へ突出し(刃部を向フへ向け)刀尖を右膝頭上へ引付け(懐紙を出して血のりを拭ふは略す)右手を逆手に執りかへ、刀を振り返して納めつつ左膝を跪くと同時に納め終る(血振ひせぬ事)」
 大江先生と細川義昌は同門で下村茂市定(下村派)より指導を受けています。時代背景から大江先生は大森流だけは下村茂市から充分手ほどきを受けているでしょう。此処では介錯の運剣を述べられています。
 第17代大江正路先生の正座之部7本目介錯
 「正面に向きて正座、右足を少しく前へ出しつゝ、刀を静に上に抜き、刀尖が鞘と離るゝや右足を後へ充分引き、中腰となり、刀を右手の一手に支へ、右肩上にて刀尖を下し、斜の形状とす、右足を再び前方に出し上體を稍前方に屈し刀を肩上より斜方向に真直に打下して、前の首を斬る。血拭は足踏のまま六番(受流)と同じ様に刀を納む。」
 細かい所を除けば、細川義昌先生と大江正路先生の動作は、同じと云えるでしょう。
 右足を前に踏み出しつつ刀を抜いて立上り、左足に踏揃え直立体になるのが尾形先生、右足を後へ充分引き中腰と成るのが大江先生。
 現代居合では、中腰になっていない人の方が多そうです。
 いずれにしても、大森流居合之事の順当は江戸末期より明治になって介錯の運剣動作と特定されてしまったと思われます。
 私は、大森六郎左衛門が真陰流から独創するに当たり、大森流居合に介錯の仕方を入れたのかどうか疑問に思っています。
 鞘の内による抜刀の妙は介錯には必要ないものでしょう。居合に介錯の心持ちを持つ事も意味があるのでしょうか。
 現代居合では「介錯」は正式な演武会では演じてはならない留め業です。
 介錯口伝と大森流7本目順刀を重ねる気にはならない、順刀は居合の心持ちで稽古して極めるのも間違いではない、寧ろ介錯の刀法とする方がおかしいばかりです。現代居合は江戸末期から明治にかけて多くを失って大江正路先生の仕方に随っています。言われたまま稽古する安逸な不心得を見直すことも大切でもあるでしょう。

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