« 2018年8月19日 - 2018年8月25日 | トップページ | 2018年9月2日 - 2018年9月8日 »

2018年8月26日 - 2018年9月1日

2018年9月 1日 (土)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く4居合心持肝要之大事3太刀目附之事2

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
4、居合心持ち肝要之大事
3太刀目附之事(その2)
 古伝英信流居合目録秘訣では太刀目附之事
 「敵の足に目を付けべし是にて場合能く知るるのみならず臆せざる也是を上見ぬ鷲の位とも云なり心は下に有って事サ上に速に応ずる油断無の心なり」
そこで古来からどの様に目付について言われているのかを探ってきました。もう少し捜してみましょう。
 何も考えずに、習ったままに他にはやった事も無く、習ったままに相手の顔や眼を見るのが目付でしょうか。其のまま後輩に嘘を教えていいのでしょうか。
 前回まででも随分納得されたと思いますが習っただけしかやっていなかった方は、教えのどれか自分のと違うものを一年ばかり稽古してその意味を学び飛躍できればしめたものです。
笹森順造著昭40年「一刀流極意」
 一刀流兵法十二ヶ条目録「二つ之目付之事」
 「人に目が二つある。一つの物を見るのにも二つの目をつかう。片目で一方から見たのでは物が平面に見えて立体の遠近や真相がはっきりわからない。両眼で見て始めて実体が正確にわかる。物を見る時に目についた表面の一部分だけに気をとられたのでは本当の物を見そこなう。特に目に付いた部分が全体の中でその一部分と最も関係の深い他の要な部分を見のがしてはならない。
 一部分と全体を見るべきである。
 相手の体と心理を見る。相手の眼中と心中とを見る。即ち有形と無形とを見る。
 相手の技の起る所と納まる所とをともに見て応ずるべきである。
 相手と己れを見る心がけが必要である。
 眼も心も居付いてはならない。
 大局に一局を見、一局に大局を忘れず。活眼を開いて彼我の有無と一切の一円を見る事を本旨とする。」
 目心之大事:「目心の極致は目に見えた形の窓から奥の院の心の扉を開いて霊眼を以て不動妙智を看破することである。有形を通して無形を見、万象の実相に即応して中らざるなきに至るのは目心の至極である。」
 捨目付:「形に見える目付を捨て心にて過現未の三色を透見し万全の真相を直観する明哲至極の位に登る目付、思無邪の目付。」
千葉栄一郎編「千葉周作遺構」(オンデマンド版)
 北辰一刀流十二箇条釈
 二之目付之事:「二の目付とあるは、敵に二つの目付あると云事也。先敵を一体に見中に目の付所二つ有となり。切先に目を付、拳に目を付るなり。是二つなり。敵の拳動ねば、打事叶はず。切先動ねば打事叶はず。是二の目付也。又敵に耳目を付て己を忘れてはならず。故に我も知り、彼も知るべき事を、為がため、二之目付也」
 目心之大事:「目心とは目で見るな、心で見よと云事なり。目に見るものは迷ひあり、心より見るものは迷はず、目は目付役に使、心の目にて見るなり。目の用も速かなるものなれども、心にて主宰するものなれば、未だ動止せざる前に動止を知るは心の功なり」
*
高野澄編訳平成15年「山岡鉄舟剣禅話」
阿部正人編山岡鉄舟筆記「鉄舟随感録」一刀流兵法箇条目録
 ニ之目付之事:「ニの目付とは、敵に二つの目付ありと云ふ事なり。先ず敵を一体に見る中に、目の付け所二つあり、切先に目をつけ、拳に目を付く、是れ二つなり、故に拳うごかねばうつことかなわず、切先うごかねばうつことかなわず。是れ二目 をつくる所以なり。敵にのみ目を付け、手前を忘れてはならぬ故、己をも知り彼をも知る必要あるを以て旁々之を二の目付けと云ふなり。」
 山田次郎吉大正12年心身修養剣道集義
 源清音剣法初学記「物見」
 「物見は俛く(うつむく)にも非ず仰くにも非ず平かなるを要す。俛くも仰くも皆病なり。又左右に傾くべからず、傾くも亦病也」
 源清音剣法性格「物見」
 「物見は目を謂ふ、目の官は則ち見るなり。其の大略は高下左右を見るの外なし。又其の元とする所は、初めに目を著けたる處、即ち直ちに見る所にして、例えば人に対し先づ其の面を見るが如し。是教へを待たずして然るものなり。蓋し面は見る所の元なれば、其の元を見れば其の心の変化より動作に分るる處も、自ら明らかなるべし・・目は見るの官なれども心を主として目を用ひざれば目に見て気に移り、心は空と為るを以て動作する所前後と為り、別れたる末のみを見ること多し。目見の作用宜しきを得ざるより、手足の動止亦意の如くならず。」
 源清音剣法規則据物枢要「目附の事」
 「目に初、中、後の三段あり。第一其所に対し當に切るべき所に剣を配るとき、正しく其の所を見定むべし。第二剣を蒙るに随ひ目を放ち、中眼にして其の所を見。第三身の反り体と共に上眼に移し中眼は遠きを見渡し上眼は高山又は日月等を仰ぎ見る形を謂う、目見る所を失わず、打ち込に至り、太刀よりも目の早く下るを嫌ふ。 目其の切る所を見んことを思はず、打ち込と共に目の下るに非ざれば気二つに分れ、身の権衡 を失ひ、気と刀と相離れて業を為すこと能はず。目の早きは心気の調はざるなり、早く其所を見るも益なけれど心調ははざる者は早く見んことを思ひ是より心気離るるなり。心気正しからずして体を離るるが故に、心気目に移りて見んことを欲し、目早ければ全体撓みを生ず。打ち下す刀の跡を追ひて見る心を以て権衡と為し、体と気と一ならざるべからざるなり。」
 目付の事は大変面白いもので、これらのそれぞれの教えに微妙な違いも見られます。顔に付けろ、眼に付けろ、足に、いや体全部だ、動いていれば変化極りない、心で見るのだ。
 次回にも、もう少し目付けを勉強してみます。

| | コメント (0)

2018年8月31日 (金)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く4居合心持肝要之大事3太刀目附之事1

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
4、居合心持肝要之大事
3太刀目附之大事(その1)
 敵ノ足二目ヲ付ケベシ是ニテ場合能ク知ルゝ而巳成ラズ臆セザル也是ヲ上見ヌワシノ位トモ云ナリ心ハ下二有ッテ事サ上二速二應ズル油断無ノ心ナリ
読み及び読み解く
 敵の足に目を付けるべきである、是に依って場の状況が能く知れる のみならず臆する事も無い 是を上を見ざる鷲の位とも云うのである 心は下に有ってするべき事は上にあり速やかに応ずることが出来る 油断の無い心である。
 目付けについては剣術の各流派によりそれぞれの考えがあるのか一定したものは無さそうです。
 この敵の足に目を付けていますと、すっ飛んできて注意が飛ぶでしょう。一般には遠山の目付けと称する相手の目から肩、胸、肱、拳の辺りを遠い山を見る様に、一点に居付かない目付けを推奨されます。
*
 そこで目付についてどのように心得が伝えられているか現代のテキストを調べて見ました。
 古伝研究の為に先生方のテキストを引用させていただきます。
椎木宗近先生著2012年発行「天真正伝香取神刀流」
 「二之目付之事:二之目付とは敵に二つの目付有と云う事なり。先づ敵を一体に見る中に目の付け処二つあり。切先に目をつけ拳に目を付く是れ二つなり。故に拳うごかねばうつことかなわず、切先うごかねばうつことかなわず、是れ二つの目をつくる所以なり。
 敵にのみ目をつけ手前を忘れてはならぬ故、己をも知り彼をも知る要心あるを以てかたがた之を二つの目付と云うなり。」
大竹利典先生著平成26年発行「平法天真正伝香取神道流」
 「観見二つのこと」見るということは、肉眼で見ること・・観とは心で見ることであって、これを心眼といいます。心眼とは、種々の事を分析して心に留めることです。・・それらの一つひとつに心をうばわれてはなりません。状況は常に変化しているので、とらわれてはいけないのです。・・」
樋口一著昭和11年「念流の伝統と兵法」
 「目付と云ふあり。目付は敵の顔を第一とし、次に拳に目を付けべし、拳に目を付ける時は遅く見へて凌ぎ易き處なり。勤め知るべし。
柳生宗矩著寛永9年1632年「兵法家伝書」渡辺一郎校注岩波文庫
 「兵法家伝書の殺人刀では、二星・嶺谷・遠山の三ヶ条は目着也。二星は敵の柄を握った両手の拳の動き。
 嶺谷は腕のかがみ、両腕の伸び縮み、上段に構えている相手に対する目付.右肱を嶺、左肱を谷とよぶ。
 遠山は両の肩先、胸の間をいう。うちこむ時は嶺の目付け、切合わせ、組物との時は遠山の目付けを心によくかくべし。二星は不断はなれざる目付也。
 二目遣之事:見る様にして見ず、見ぬようにして見て、間々に油断なく、一所に目をおかず、目をうつしてちゃくちゃくと見る也。
 兵法家伝書活人刀では、神妙剣見る事、三段の分別で心にて見るを根本とす。心から見てこそ目もつくべきものなれ。然れば、目にて見るは心の次也。目にて見てその次に身足手にて見るべし。身足手にて見るとは、敵の神妙剣にわが身足手のはづれぬ様にするを身足手にて見ると云ふ也。心にて見るは、目にて見む為也。目にて見るは、足手を敵の神妙剣の座にあてんと云ふ事也。」
*
 柳生新陰流の柳生宗矩による兵法家伝書をそのまま読んでも独特の用語が先へ進ませてくれません。渡辺一郎先生の校注によって読み進みます。
 柳生十兵衛による「月之抄」は宗矩・宗厳の伝が平行的に書かれていて、其の上十兵衛の考えが述べられていて面白いものです。たとえば
「目付三之事 二星 嶺谷 遠山 ニ星之目付之事 
 老父の云く敵の拳両の腕也。此の働きを得る事肝要也。
 亡父の目録には二星不断の目付左右の拳と書せる也。
 私云、二星付けたり色と云心持あり是は二星はあて処なり二星の動きを色と也二星を見んと思ふ心より色々心付く心第一なり重々の心持至極まで是を用る也。亦云二つの星と云心持も二つを一つに見る心持二つは一つなり。亦云目付八寸之心持と云事あり。是と太刀の柄八寸の動きを心懸れば二星色も其内にあると云心を以てなり。此ニ星の習い第一也。是より種々の心持有により初めて心を知と云々・・・」
宮本武蔵の目付はどうでしょう。
円明流三十五箇条
赤羽根瀧夫・大介著 武蔵「円明流」を学ぶより
 「目付の事 目を付くと云う所、むかしは色々あることなれども、今伝うる所に目付けは、大抵顔に付けるなり。目の納めようは、常の目よりも細きようにして、うらやかに見るなり。目の玉、動かさず、敵合ちかくとも、いか程も遠く見る目なり。その目にて見れば、敵のわざは申すに及ばず、左右両脇までも見ゆる目なり。
 観見二つの見よう、観の目強く、見の目よわく見るべし。若又、敵に知らすると云う目あり。意は目に付、心は付かざるもの也能々吟味あるべし。奥の目付け別なり。」
宮本武蔵著渡辺一郎校注 五輪書
 「兵法の目付といふ事 目の付けやうは、大きく広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也。工夫有るべし。此目付、ちいさき兵法にも、大きなる兵法にも、同じ事也。目の玉うごかずして、両わき見る事肝要也。かやうの事、いそがしき時、俄にはわきまへかたし。此書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付のかわらざる所、能々吟味あるべきもの也」
宮本武蔵慶長十年落合忠右衛門尉への兵道鏡 
赤羽根瀧夫・大介著 武蔵「円明流」を学ぶより(底本森田栄、魚住孝至翻刻「宮本武蔵」)
 「目付の事 目の付け所と云うは、顔なり。面を除け、よの所に目を付ける事なかれ。心は面にあらわれるものなれば、顔にまさりたる目の付け所なし。敵の顔の見様の事、たとえば一里ばかりもある遠き島に、薄かすみのかかりたるうちの、岩木を見るごとし。また雪雨などの、しきりに降る間より、一町ばかりも先にある、やたいなどの上に、鳥などのとまりたるを、いずれの鳥と、見分くる様なる目つきなるべし。やたいの破風の懸漁、瓦などを見るに同じ。いかにも静まりて、目を付くべきなり。打ち所を見る事悪しし。わきは首を振る事なかれ。うかうかと見れば、五体一度に見ゆる心あり。顔の持ち様、眉間に、皺を寄すべし、額に、皺を寄する事なかれ。教外別伝たり。」
中山博道著剣道手引草
 「眼の付け方 眼は必ず遠山を望見する心持ちにて、一瞥敵の全体に注がねばならないものである。故に何処の点にも注意の欠くる事なく、又何処の点にも注視する事なき眼の練習をしなければならぬ。・・しかしながら一局部のみを注視してはならぬ。尚敵の眼に対しては、特に注意を要するものである。人の心は眼に表はるゝものであるから、敵の虚実を知るには最もよく其の眼に注意する事が必要である。」
高野佐三郎著剣道
 「目の附け方は大体敵の顔面に着目すれども敵の眼・拳等一定の部位に固着するは可ならず。恰も遠山を望むが如く接近せる敵をも成るべく遠く視、敵の頭上より爪先までを一目に見て注意の及ばざる隈なきやう勉むるを要す。
 敵を一体に見る中にも特に重きを置く点二つあり(注目するにあらず)一は剣尖にして一は拳なり。此の二点が動かざれば打出すを得ず。敵下段なれば動作の起りがまづ剣先に現はれ、上段八相の如きにありては拳に現はる、此の二点に注意し、早く敵の動作の起りを察して之を押さへ、又は先を撃つ等敵宜の処置に出べし(古来これを二の目付けと称せり。又敵にのみ目を付け我を忘るべからず、彼我の二つに目を付くる要ありとて之をも二の目付けといへり)撃たん突かんとする意志は悉く眼に現はるるものなるが、殊に我が敵よりも未熟なる時は忽ち我が眼によりて看破せらるるものなり、故に態と敵の眼を見合はずして帯の辺りなどに注目し敵を迷はすことあり(これを脇目附といひ又帯の矩と称して教へたる流儀あり)。」
 この太刀目附を集めているうちに面白くなってきました。今回はここまでとして次回にもう少し捜してみます。
 口伝と称して出鱈目な教えも多く、何故と聞かれても「そのようにならった」と答えるだけの諸先輩や、目付けの瞬間だけをとらえて「めつけがわるい」と云う形ばかりの、「のうなし」も多いものです。
 
 
 
 
 
 
 

| | コメント (0)

2018年8月30日 (木)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文4居合心持肝要之大事3太刀目附之事

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
4、居合心持肝要之大事
3太刀目附之事
 敵ノ足二目ヲ付ケベシ是ニテ場合能ク知ルゝ而巳成ラズ臆セザル也是ヲ上見ヌワシノ位トモ云ナリ心ハ下二アッテ事サ上二速二應ズル油断無ノ心ナリ
読み
 敵の足に目をつけるべし 是にて場合能く知るゝのみならず 臆せざるなり 上見ぬ鷲の位と云うなり 心は下にあって事サ(?)上に速やかに応ずる油断無きの心なり

| | コメント (0)

2018年8月29日 (水)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く4居合心持肝要之大事2太刀組附位

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
4、居合心持肝要之大事
2太刀組附位
 互二太刀ヲ打下シ組付ケタル所二勝アリ敵ノ太刀ヨリ遅キト見ヱテモ上太刀ト成位アリ唯肝要ハ拳也
 組付タル処ニテ其気先ニテスク二突ベシ
*読み及び読み解く
 互に太刀を打ち下し組付けたる処に勝ちあり敵の太刀より遅きと見えても上太刀(うわだち)となる位あり 唯肝要は拳である
 組付けたる処にて其の切先にて直ぐに突くのである
 「互に太刀を打ち下ろし」ですから、上段から真向に互に打ち込むのであれば、新陰流の「合し打ち」と取れます。
 相手が真向に打ち下ろして来るのを我も真向に打ち下し、相手の太刀に上太刀となって、相手の太刀は我が頭上から外され、我が太刀は相手の真向をとらえています。
 「肝要は拳也」ですからこの合し打ちでも拳を捏ねないなどの口伝もあるのですが、此処では「合し打ち」で相手の太刀を打ち外して相手の拳を打ち、即座に切先を摺り込んで相手の胸を突く、と読み取れば良さそうです。
 或いは、相手の打ち下して来る太刀を新陰流の「和卜」で打ち外し拳に乗って勝のもありでしょう。
 古伝では江戸で習ったか土佐で身に着けたか柳生新陰流を第九代林六大夫守政は、此の居合に組み込んでいます。この伝書が学ぶ者に伝わっていれば無双直伝英信流も総合武術として格調高い武術として伝承されたでしょう。
 しかし、折角土佐に持ち込まれたこの「太刀組附位」は、この教えだけであって、稽古として業手附がすっぽ抜けています。林六大夫は恐らく大森六郎左衛門より真陰流の目録も伝授されなかったのでしょう。
 大森六郎左衛門もかなりの使い手であったかもしれませんが業技法の実技指導者であってもそれ以上では無かったと推察します。
 残念ながら、秘されたまま是等は伝承せずに、居合抜ばかりが伝承されたと云えるでしょう。
 この事は第17代大江正路先生によると云うよりも、大江先生に正しく伝承できなかった江戸末期から明治半ばの空白期間と人脈の疲弊状況によるものと思われます。
 従って現代居合が居合に片寄り武術論すら認識できない居合人を育ててしまったのもやむなしと云えるでしょう。
 一つの業から幾つもの想定すらも描けずに、決められた稽古順序に従って常に同じ想定での形ばかりの居合に拘り、武的演舞を良しとせざるを得ないのもやむおえないかもしれません。
 それでは、武術を語る事も、武術から学ぶべきものも少ないものと思えて仕方がありません。
 

| | コメント (0)

2018年8月28日 (火)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文4居合心持肝要之大事2太刀組附位

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
4、居合心持肝要之大事
2太刀組附位
 互二太刀ヲ打下シ組付ケタル所二勝アリ敵ノ太刀ヨリ遅キト見ヱテモ上太刀ト成位アリ唯肝要ハ拳也
 組付タル処ニテ其気気先ニテスク二突ベシ
 互に太刀を打ち下し 組付けたる処に勝ちあり 敵の太刀より遅きと見えても上太刀(うわたち)となる位あり 唯肝要は拳也
 組付けたる処にて其の切先にて直ぐに突くべし

| | コメント (0)

2018年8月27日 (月)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く4居合心持肝要之事1居合心立合之大事

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣読み解く
4、居合心持肝要之事 付 大小指違之事
1居合心立合之大事
 敵ト立合兎ヤセン角ヤセントタクム事甚嫌フ況ヤ敵ヲ見コナシ彼ガ角打出スベシ其所ヲ如此シテ勝ン抔トタノム事甚悪シゝ先ツ我身ヲ敵ノ土壇トキワメ何心ナク出ベシ敵打出ス所二テチラリト気移リ而勝事ナリ常ノ稽古ニモ思アンジタクム事嫌フ能々此念ヲ去リ修行スル事肝要中ノ肝要也
 大小指違ト云ハ世人脇指ヲ帯二重二指刀ヲ三重二サスナリ居合ノ方ニテハ二重二刀ヲ指シ三重二脇ヲ差ス也敵二出合タル時大小ヲ子ヂ違ヘテ脇差ヲハ下シ指シ二シテ刀ヲ抜戦ベシ然ルトキハ脇差ノ柄マキル事無亦刀ノサヤノ鐺ハ子ル故二足ヲ打ツコトナク働ノ自由宜シ常二如此指スベシ
読み及び読み解く
 敵と立合い、とやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う 況や敵を見越し彼がかく打ち出すべし 其のところを此の如くして勝たんなど頼む事甚だ悪しヽ 先ず我が身を敵の土壇と極め何心なく出べし 敵打出す所にてちらりと気移りて勝事也 常の稽古にも思い案じ巧む事嫌う能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也
 大小指し違いと云うは世人脇指しを帯び二重に指し刀を三重に指す也 居合の方にては二重に刀を指し三重に脇差を差す也 敵に出合いたる時大小を捻子違えて脇差をば下し指しにして刀を抜き戦うべし 然る時は脇指の柄交ぎる事無く 亦刀の鞘の鐺跳ねる故二足を打つ事無く自由宜し常に此の如く指すべし
 居合心持ちは先ず我が身を土壇となして何心無く出て、敵が打ち出すところをちらりと気移りして勝つ事、とやかくしようと案じ巧むものでは無い。と教えています。
 もう一つは、大小の刀の帯への指し様の事で、居合は帯二重に刀を指し、三重に脇差を差す、敵に出合った時は大小を捻子違えて脇差を落とし差しにして刀を抜き戦うのである。そうすれば脇差しの柄まぎる(まざる)ことは無い。
 刀の鞘の鐺が跳ねても足を打つ事は無い、自由で良いし、常に此の如く指すものである。
 一般的には、脇差が刀の上にあるように指すので、土佐の居合は指し違いに、刀が上で脇差が下にあるように差し違えるとしています。
 その上、脇差を戦う時は落し差し(古伝の文言は「脇差をば下し指しにして」とあります)にするようにしろと言っています。
 通常の稽古では大方刀だけ差して稽古しています。脇指も差して稽古する事も良かろうと思って時々二本差しで稽古しています。
 江戸時代では殿中は基より家屋の中では脇差だけを差しているわけで、太刀での居合は何故の疑問があちこちから聞こえます。
 居合の発生は戦国時代です。太刀を佩いていたのであって、腰刀への転換期があって江戸時代になるわけで、甲冑を着て太刀を佩く事も稽古の意図するところとして残されたのでしょう。
 武士の役割の戦いの名残と、平和な時代の混線が明治維新まで引き継がれた、あるいは座して抜き付ける居合は懐古趣味であり、屋外での立居合が修行するものであったかもしれません。
 屋内では、短刀若しくは脇差での居合が完成されなければならなかったかも知れませんが、竹刀剣道に転化してしまったのかも知れません。
 浅野内匠頭の殿中での斬り付けなど、短刀を抜き出して急所を突き刺せば吉良上野介は即死していたでしょう。
 切腹、お家断絶はまぬかれ無かったのに何故の疑問が湧きます。刀を持っての武術は元和偃武を以て中途半端なまま今日まで置き去りにされている様な気がします。
 
 

| | コメント (0)

2018年8月26日 (日)

曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文4居合心持肝要之大事1居合心立合之大事

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
4、居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1居合心立合之大事
 敵ト立合兎ヤセン角ヤセントタクム事甚嫌フ況ヤ敵ヲ見コナシ彼ガ角打出スベシ其所ヲ如此シテ勝ン抔トタノム事甚悪シゝ先ツ我身ヲ敵ノ土壇トキワメ何心ナク出ベシ敵打出ス所二テチラリト気移リ而勝事ナリ常ノ稽古ニモ思アンジタクム事ヲ嫌フ能々此念ヲ去リ修行スル事肝要中ノ肝要也
 大小指違ト云ハ世人脇差ヲ帯二重二指刀ヲ三重二サスナリ居合ノ方ニテハ二重二刀ヲ指シ三重二脇ヲ差ス也敵二出合タル時大小ヲ子ジ違ヘテ脇差ヲ下シ指シ二シテ刀ヲ抜戦ベシ然ルトキハ脇差ノ柄マキル事無亦刀ノサヤノ鐺ハ子ル故二足ヲ打ツコトナク働ノ自由宜シ常二如此指スベシ
読み
*
 居合心持ち肝要の大事 付けたり 大小指し違いの事
 居合心立合いの大事
 敵と立合い とやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う いわんや敵を見越し彼がかく打ち出すべしその所を此の如くして勝たんなどと頼む事甚だ悪し 先ず我が身を土壇と極め何心なく出ずべし 敵打出すところにてチラリと気移りて勝事なり 常の稽古にも思い案じ巧む事を嫌う 能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也
 大小指し違いと云うは 世人脇差を帯の二重に指し 刀を三重に指すなり 居合の方にては二重に刀を指し 三重に脇を指す也 敵に出合いたる時大小を捻子違へて脇差を下し指しにして刀を抜き戦うべし しかる時は脇差の柄紛ぎる事無し 亦刀の鞘の鐺 跳ねる故に足を打つ事無く働きの自由宜しい常に此の如く指すべし

| | コメント (0)

« 2018年8月19日 - 2018年8月25日 | トップページ | 2018年9月2日 - 2018年9月8日 »