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2019年1月

2019年1月31日 (木)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の1初発刀

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の1古伝神傳流秘書・行宗貞義・大江正路
  の抜方対比
1、初発刀
・ 
古伝神傳流秘書
初発刀:足を踏み出し向へ抜付け打込み扨血震し立時足を前に右足へ踏み揃へ右足を引て納る也
行宗貞義
前身(初刀又は初発刀):正面に座し抜き付け冠りて切る血振いを為し右足(踏み出したる足の事)を引き納刀勝をつく
大江正路(剣道手ほどきより)
前:我体を正面に向け正座す、右足を出しつゝ刀を抜付け、前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り、血拭い刀を納む
 曽田先生は、大江批判から始まり、「名称古伝と違うなり」と云いますが、行宗居合も「前身・初刀・初発刀」で似たようなものです。手前味噌が過ぎると思えますが大江居合の業名称は概ね改変されて古伝の趣は失われています。
 行宗、大江共に座し方は正面に座す、場の正面を差す様な表現であって、対敵に対し「我が正面に座す敵」イメージが乏しい。古伝は「向へ抜付け」の表現で正面に座す対敵を意識したものとなっています。
 大江居合の註記に、曽田先生は「総じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず」と大江居合の「前の敵首を切り」に異論を述べています。
 古伝及び行宗居合の抜付け部位は「抜付け」の文言だけで指定がありません。林崎甚助重信の根元之巻には「柄口六寸勝」を極意としています。
 大森流居合及び長谷川流居合は既に根元之巻の成立時から遠く「柄口六寸勝」は失われている様です。
 相対する敵の何処に斬りつけるかは古伝神傳流秘書ですら指定していません。大森流居合の発生が真陰流の大森六郎左衛門であると云うので「柄口六寸」所謂「二星」であり、林崎甚助重信の居合が「腰刀三尺三寸により柄口六寸に勝つ」根元之巻から持ち出されたものでしょう、しかし土佐に持ち込まれた居合には「柄口六寸」の教えは術理では幻となっています。
 「英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事雷電霞八相」に曽田先生が述べている極意が記載されています。
 「雷電霞の二ヶ条當流極秘中の秘にして大事、此外に無、請流に心明らかにして敵の働を見と云教有れ共當流には雷電の時の心亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教るなり。
 夢うつつの如くの所よりひらりと勝事有、其勝事無疵に勝と思うべからず、我身を先ず土壇となして後自然に勝有、其勝所は敵の拳也、委しき事は印可に有、八相は四方八方竪横自由自在の事也、故に常に事(業か)形の修練熟せざれば時に臨て其習い出る事無し。
 本文には教を広く云、亦曰八相に打下ろす所にて大事の勝有則二星也。大小詰之極意は霞蹴込につづまる夫とは敵の眼を我が手を以払う、敵憶くるゝ所にて勝、手ウゴカシ難きときは我頭を敵の顔に突付べし、又は足にて敵の陰嚢を蹴る也。
 詰合は二星につづまる、敵の拳也、二星一文字と云時は敵のこぶしを抜払う事也、総じて拳を勝事極意也」
 林崎甚助重信当時の業では拳に抜きつける術があった様ですが、大森流、及び長谷川英信流では、失伝した極意の様です。
 あえて、拳への抜き付けを強調した場合、行宗居合、大江居合は成り立たない様に思われます。
 それは、手首を折り曲げたり捏ねる様にして対敵の抜き付けんとする拳に斬り付ける事となり、あるいは右足を踏出しての抜き付けで、上体の高さを自由に調整できなければ不自然となる場合が予測されます。位置が定まらない動く拳への抜き付けの難しさを克服するには、まず、対敵の抜き付け位置が上下に動く首なりこめかみなりに抜きつけられる稽古を嵩ね、その上で拳への抜き付けを稽古する事になります。
 その場合、現代居合の標準である、形を逸脱し、横一線の抜き付けも縦横無尽の抜き付けを身に着ける事となるでしょう。
 連盟の教えや段位に拘る人には不向きな事になりそうですが、日ごろ同じ形の抜付けばかりに甘んずる事の無い心構えが大切でしょう。
 曽田先生はそこまで意識されて大江居合を批判したとも思えません。神傳流秘書の「大らかな抜付け打込み」を如何にものにできるかは、まず現代居合の要求事項を100点取れる様に、2~3年でクリヤーできる人だけに許されるものかも知れません。
 大江先生の抜き付けで気になる文言に「右足を出しつゝ刀を抜付け」と有ります。「足を踏み出し」との違いは何処まで認識できるでしょうか。文章は堀田捨次郎先生によると思われます。
大江先生:右足を踏出しつゝ刀を抜付け
河野先生:右足を踏出すや敵の抜刀せんとする腕より其の顔面に真一文字に斬り付ける。
政岡先生:抜付と同時に右足を直前(すぐまえ)に大きくふみ出し・・・。
池田先生:剣先を一気に抜き出すと同時に、右足を踏み込み、踏み立てて横一文字に斬り付ける。
中山博道先生:右足踵が左膝頭附近に来るごとく踏み著くると同時に刀を抜く。
抜き付けは、「右足を踏み立てるや同時に抜きつける」の文言の方が強い斬撃力が得られると考えられます。
*
 行宗先生の血振は、抜き付けた右足に左足を退き付けずに血振している様です。其の右足を引いて納刀する様ですが、これでは倒した敵との距離が離れすぎます。左足を右足に引き付け踏み変えてから右足を引くべきでしょう。
 大江先生の文章からは、血振後の状況が読み取れません。「剣道手ほどき」から「・ ・頭上にかざしたる刀は頭上より右斜め下へ旋円して下す。此の時後ろの左足は尤も軽く右足に揃へ上体を稍や前面に屈む、左足を後へ引き右拳を上に返し刀の峯8寸を鯉口を握りたる左手の拇指の股へ摺・・刀を納む」
 現代居合では、踏み出した右足を引いて納刀します。この「剣道手ほどき」には写真も載っています。右足前での納刀写真となるので、血振の際み踏み出した右足に左足を引き付けず其の侭血振納刀ですんでしまいます。
武術の手附は言葉をよく吟味し、動作の順番や、寸法・形・方法は間違いなくすべきものでしょう。
 大江・堀田共著「剣道手ほどき」は大正7年1918年ですからほぼ100年前のものになります。
 
 

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2019年1月30日 (水)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方2大江先生堀田先生共著

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方(名称古伝ト違フナリ)
2.大江先生・堀田先生共著
原文
1、前(記 総ジテ座業ニテ抜付ケハ二星ヲ勝ツ故二首二非す(虎彦))
我体ヲ正面二向ケ正座ス右足ヲ出シツゝ刀ヲ抜付ケ前敵首ヲ切リ更二上段二トリ(同體にて(剣道手ほどき原文))前面ノ頭上ヲ真直二切リ血拭納刀
2、右(左身)
我体ヲ右向二正座ス左足ヲ出シツゝ左へ廻リ敵首ヲ切リ更二上段二トリ真直二前面敵ノ
頭ヲ切ル
剣道手ほどき原文:此左足を出したる時は右足の膝にて左へ廻る意を以て右足に体の重心を乗せ、左足を軽く出す事に注意すべし、血拭ひは一番と同じ要領にて行ひ、左足を後部へ引き刀を納むる事。
3、左(右身)
左二向キテ正座シ右へ廻リ右足ヲ出シテ首二抜付ケ上段二トリテ直二頭上へ斬リ下ス
剣道手ほどき原文:左に向きて正座し、左膝にて右へ廻り右足を出して首に抜付け上段に
取り、直に頭上へ斬り下す、血拭ひは右足を後方へ引き刀を納む。
4、後
後へ向キて正座ス刀ヲ静二抜キツゝ両脚先ニテ左へ廻リ正面へ左足ヲ出シテ首二抜キ付ケ同体ニテ上段ゟ前体頭上ヲ斬ル
剣道手ほどき原文:後へ向き正座す、刀を静かに抜きつゝ両脚先にて左へ廻り正面に向ひ
左足を出して首に抜付け同体にて上段より前体頭上を斬る血拭ひは左足を後方に引き刀を納む。
5、八重垣
正面二正座ス右足ヲ出シ左膝ヲ浮メテ中腰ニテ首二抜付ケ左足ヲ前方二踏ミ出シ両膝ヲ浮メテ中腰ノ侭大間二上段二取リ前方真直二頭上ヲ斬リ下シ此時右膝ヲツキ左膝ヲ立テ同体ニテ長谷川流ノ血拭ヲナシ刀ヲ納ム此ノ時敵未タ死セスシテ足部二切リ付ケ来ル二ゟ右足ヲ重心二立チ直二左足ヲ後へ引キ体ヲ左斜横構トシ刀ヲ左膝ノ前ヘ抜キテ囲テ敵刀ヲ受ケ更二体ヲ正面二向ケ上段トナリ座シナガラ頭上ヲ充分斬ル
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
6、請ケ流シ(足踏ミハ三角形トス)
右向トナリテ正座シ敵ガ頭上へ切リ込ミ来ルヲ右斜横二左足ヲ踏出シ中腰トナリテ刀尖ヲ少シ残シ左膝二右黒星を付ケ抜キ右足ヲ体ノ後二出スト同時二残リカ刀尖ヲ離シテ右手ヲ頭上二上ケ刀ヲ敵面ニテ斜トシ刀尖下ケテ請ケ流シ右足ヲ右横へ摺リ踏ミテ左足二揃ヘ左斜ノ方向二敵ノ首ヲ斬リ下シ下ル時左手ヲカケル血拭ハ同体ゟ左足ヲ後方へ引キ右足ハ稍々前方へ屈シ膝頭ヲ前二出ス其膝上二刀峯ヲ乗セ右手ハ逆手二柄ヲ握リ其侭静二納刀此時漸次体ヲ下シ左足ノ膝ヲツケルナリ
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
7、介錯
正面二正座シ右足ヲ少シク前ヘ出シツゝ刀ヲ静二上二抜キ刀尖カ鞘ト離ルゝヤ否ヤ右足ヲ後へ充分引キ中腰トナリ刀ヲ右手ノ一手二支エ右肩上ニテ刀尖ヲ下シ斜ノ形状トス右足ヲ再前方二踏ミ出シ上体ヲ稍前方二屈シ刀ヲ肩上ゟ斜方向二真直二打下シ前ノ首ヲ斬ル納刀同前
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
8、附込(伝二追切ト云)
正面二正座シ右足ヲ少シ前二踏ミ出シツゝ刀ヲ抜キ刀尖ノ鞘ヲ離ルゝ時頭上二冠リ右足ヲ左足二引キ揃ヘ直立体トナリ右足ゟ左足ト追足ニテ前方へ一度ハ軽ク二度目ハ深ク追足ニテ頭上ヲ斬ル此体勢ゟ右足ヲ後方へ引キ中腰トナリ更二上段構ヲ取リ敵ノ生死ヲ確メツゝ残心ヲ示ス(抜付ゟ之レ迄ハ早キヲ良トス)此残心ヲ示シタル体勢ゟ自然前方へ刀ヲ下シ青眼構トナル此時右膝ヲツキ左膝ヲ立テ全体ヲ落ス更二同体ニテ右手ヲ逆手二刀柄ヲ握リ左手ハ左膝ノ上二刀峯ヲ乗セ血拭ヲナシ刀ヲ逆手ノ侭同体ニテ納ム
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
9、月影(左斜二向右真向二抜付ケル)
前左斜二向正座同体ノ侭右足ヲ出シ中腰ニテ刀ヲ高ク抜キ付ケ右敵ノ甲手ヲ斬ル同体ニテ左足ヲ出シツゝ上段二冠リ右足ヲ出シテ稍直立体ニテ敵ノ頭上ヲ真向二斬リ刀尖ヲ胸部二止ム血拭納刀(左足ヲ引キ直立ノ侭)
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
10、追風
直立体ニテ正面二向ヒ上体ヲ稍前二屈シ刀ノ柄ヲ右手二持チ敵ヲ追ヒ懸ケル心持ニテ随意前方二走リ出テ右足ノ出タル時刀ヲ首二抜キ付ケ直二左足ヲ摺リ込ミ出シテ上段二冠リ足ヲ摺リ込ミ左足ハ追足ニテ前面ヲ頭上直立体ニテ斬リ刀尖ヲ敵ノ頭上ニテ止メ血振右足ヲ引中腰ノ侭納刀
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
11、抜キ打チ
正面二座ス対座ニテ前ノ敵ヲ斬ル心組ニテ其正座ノ侭刀ヲ前ゟ頭上二抜キ上段二冠リ体ヲ少シ前二出シ前面ノ頭上ヲ斬ル血振ハ中腰ノ同体ニテ納刀
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
 

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2019年1月29日 (火)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方(自叙)1行宗先生派

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方自叙
1行宗先生派
原文
1、前身(初刀又初発刀)
正面二坐シ抜キ付ケ冠リテ切ル也、血振ヒヲ為シ右足ヲ引キ(踏ミ出シタル足ノコト) 納刀膝ヲツク
2、左身(左刀)
右向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
3、右身(右刀) 
左向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
4、後身(當刀、後刀)
後向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
5、進退(八重垣大江派)(陰陽進退)(陽進陰退)ノコト
正面二抜キ付ケタル時左膝ヲ浮へ左足ヲ踏ミ込ムト同時二冠リテ切リ刀ヲ横二開キ納刀漸時左足ヲ引キ付クル也此時敵又切リ込ミ来ルヲ左足ヲ引キ右脛ヲ囲イ冠リテ切ル也(脛
囲ノ時抜キ放チテモ不苦) 同断
6、請流(流刀、受刀)
右向ニテ敵正面ゟ打チ込ミ来ルヲ我左足ヲ踏ミ出シ左肩先二請ケ流シ右足ヲ右斜二踏ミ
出シ体ヲ変ハシテ右足ヲ揃へ(左足二)右肩ゟ切リ下ス左足ヲ引キ逆手納刀
7、介錯(順刀)
正面二坐し右足ヲ踏ミ出シ抜キ□レザル内二右足ヲ左足二引キ付ケ刀ヲ右肩二トリ右肩
ゟ右足ヲ踏ミ出シテ斜二切ル

7本目8本目ノ名称二就テ 山川久蔵先生ノ伝書ニハ7本目ヲ順刀8本目ヲ逆刀トアル参考ノタメ記ス
8、順刀(逆刀)(附込又ハ進切大江派)(追ガ逆刀、追斬)
正面二坐シ右足ヲ踏ミ出シテ抜キ(7本目ト仝)右足ヲ引キ揃ヘテ冠リ右足ゟ継足二初メ
ハ浅ク次ギハ深ク切リ下シ右足ヲ引キ冠リテ残心ヲ示シ徐々二刀ヲ下シ逆手二血拭ヒ納刀
9、勢中刀(月影大江派)
左向ゟ正面へ中腰ニテ掬ヒ上ケ二敵ノ二ノ腕(上膊部肘ノコトナラン?)二抜キ付ケ左足ゟ
送リ足ニテ切リ血振ヒ中腰ノ侭納刀
10、追懸(追風大江派)(乱刀山川久蔵先生伝書ニハ虎乱刀トアル)
走リナガラ抜キ付ケ左足ヲ踏ミ込ミ切ル血振ヒ立チタルマゝ納刀
11、抜打(又ハ止メトモ云フ)
正面向キ両膝ニテ中腰ニテ抜キ冠リテ膝ヲ進メ(切リ下ス時膝頭ヲ肩中二開ケバ自ラ進
ムモノナリ)ナガラ切リ付ケ刀ヲ開キ納刀
血振仕方
斬リ込ミタル後左手ヲ腰二トルト同時二右手肘ヲ45度二開キナガラ曲ゲ手首ヲ捲キ込ム
心持ニテ拳ヲ右耳上二止メ横、下供5度位ヒ二刀ヲ振り下グル也(拳ヲ耳二トッテ立チ振リ
タル時足ヲ揃フ)
読み解くは、大森流居合抜方(大江先生、堀田先生共著)の原文の後に、神傳流秘書と合わせて読み解いてみたいと思います。
次回は大江先生の大森流居合抜方原文とします。
 

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2019年1月28日 (月)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写5抜付

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写
5.抜付
抜付
Img_0421
抜付の手書きの挿絵です。
右から「此ノ形ヲ以テ三角ノ曲尺トスルハ大ヒ二不可也」
左から「此ノ形ヲ以て三角ノ曲尺トスルハ□(独?)可也
凡ソ居合術ハ曲尺ヲ以テ身体ノ所置手足ノ離合等ヲ論スルモ
ノナレハ其宜シキ二□(違?)戻スへカラス
又タ常二オコナフ時モ行ワザル時モ恒二身心ヲ正シウスヘシ 
 居合術ヲ学ブ者ノ注意スヘキ点二三ッ揚クレバ左ノ如シ
 
 1、人ト対談スル時
 
 1、多衆人ノ中二通路スル時
 
 1、路ノ曲リヲ通行スル時
 
 古歌一首
 
 劔とる道は数多に岐るれど
 
        敵の心を我可物とせよ
読み解く
 抜き付けの図を手書きされて、右の抜き付けは半身で切先が我が中心線上、要するに斬り抜かないまま、敵の中心線まで斬り付けていることになります。是では不可だと云うのです。
 左側の抜き付けは、同様に半身ですが切先は我が中心線上に並行して斬り抜いています。この抜付けは(独?)可であると云うのでしょう。
 全剣連の制定居合一本目前の抜き付けは上図の右になりやすそうです。全居連では体が正面に正対しますので切先が流れやすい。と云えそうです。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」の「抜刀術童蒙初心之心持」では「・・左の肩腰共後ろへ開き右の肩抜けさる様にして頤を詰て顔うつむけす延やかにして右の手六分左之手四分の心持ちにて無疑念引分け抜付る也。体は胸を照らし腹を張らし片身ならす向身ならす所謂三角の曲尺(まがりかね)にて半開半向と成る也・・」とこの絵の左側を示唆している様に思われます。
 大江先生の抜き付けは「・・抜き付けたる時は胸部を充分左右に開張し丹田に力を入れる・・」であって、正対した抜き付けになります。切先は左の絵の様に斬り抜いた状態で正中線に並行します。
 之を称して、半開半向の抜き付けを下村派、正対した抜き付けを谷村派と決めつけたのは岩田先生だったかもしれません。
 私は、下村派、谷村派は居合の術理では無く、その派閥は寧ろ土佐藩内での指導的立場のやり取りに縦系列が二つあった事に由来する方が大きかったと思います。
 術理などは、対敵の想定次第で如何様にもあり得るもので、そんな事に拘っても武術にならない、状況次第で半身も正対も可であるべきものでしょう。どちらも出来て当たり前とおおらかに考えるものです。
 そんな事を云ったら「昇段できない」。試験問題は解答に従えばいいだけで、武術の一部分の切り取った「かたち」に過ぎないでしょう。
*
 
 居合術を学ぶ物が注意すべき点を三つ上げれば次の様だと云っています。
 
 1、人と対談する時
 
 1、多人数の人の中を通ル時
 
 1、路の曲がっている処を通時
 
古歌一首
 
 劔とる道は数多に岐るれど
 
        敵の心を我がものとせよ
 
 

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2019年1月27日 (日)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写4長谷川流

曾田本その2を読む
1、故行宗貞義先生記録写
4.長谷川流
△長谷川流
1、横雲   敵ノ拳へ抜付 二星ヲ勝ツ故二拳ナリ
1、虎一足  敵先二抜付
1、稲妻  
 敵打込拳へ抜付
1、浮雲   
右脇ヨリ我柄ヲ取来ル時
1、颪      
敵抜カケ来ル処ニテ我右足ニテ敵ノ柄ヲ踏ミ落ス心ニテ胸抜付
1、岩波   
敵真向ニテ左ノ方ヨリ我柄ヲ取ント両手ヲ出ス時我柄ヲ左足ノ方へヨヂテ敵ノ胸乳ノ上へ切先上リ二突込
1、鱗返シ 
敵ノ真向ニテ抜カントカマヱル力ケ声ニテカクレガタクサマ廻ッテ抜付(註意味不明曽田メモ)敵ハ真向ニテ抜斬リ懸クルトスル力声ニテ逃グル遑(いとま)ナキヲ以テスグサマ廻テ抜キ付クルナラン註記 三ッノ声ト云フ事(武術叢書)戦ヨリ初二カクル声ハイカホドモカサヲ懸ケテ声ヲカケ、又戦フ間ノ声ハ調子ヲヒキ底ヨリ出ツル声ニテカカリ、勝テ後アト二大キニツヨクカクル声、是三ッノ声也
1、波返シ 
右同断
1、瀧落シ 
敵我鐺ヲ取リ上へ押シ上ケル処ヲ前へ立抜ク拍子二鐺ヲ當テ突ク
1、抜打
読み解く
 大森流では、口伝口授で書き付けたものは無いと云っていましたが、長谷川流(英信流)では、ポイントが示されています。
1、横雲 敵の拳へ抜き付ける、二星に勝つ故に拳だといいます。柄口六寸の勝、の極意業
を長谷川流の一本目に示しています。古伝神傳流秘書では、「右足を向へ踏出し抜付、打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納る」であって、特に斬り込む部位についての指定はありませんでした。行宗先生は下村茂市に柄口六寸の教えを受けていたかもしれません。    
1、虎一足 
敵が先に抜き付けて来る、のに応じるので我から先では無いぞと云っています。古伝神傳流秘書では「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同」ですから古伝も敵が先に抜き付けて来るのを、刀を逆にとは刃で受け留める事と思います。是は相手の斬り込む刀を受けると解釈しますが、敵の拳に斬り付け留める事も学べるところです。
1、稲妻 
敵が打ち込んで来る拳へ抜き付けています。神傳流秘書では「左足を引き敵の切って懸かる拳を拂ふて打込み後同前」で古伝が生かされています。
1、浮雲 
 敵は右脇より我が柄を取りに来る、大江先生は「敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時」と手附に括弧書きしています。古伝は「左へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねる抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前、又刀を引て切先を後へはねずして取りて打込事も有」敢えて三人居並ぶ事は何故かどこにもありません。
 細川先生の教えも「右側に座して居る者を斬る」何故大江先生はわざわざ「三人並び・・」を指導されたのでしょう。江戸末期には替え業が頻繁だったかもしれません。或は、明治維新の際15,6歳でしたから指導も受けらずうろ覚えによるものだったかの知れません。今でも私の居た道場では6段になっても碌に英信流(立膝の部)を演じられない者がいました。指導者が充分指導せず全居連の刀法と正座の部、それに抜刀法ばかりで昇段審査及び演武競技会に対応させているばかりでした。
1、颪 
 敵が先に抜きかけて来るので、我は右足で其の柄を踏み落とし、敵の胸に抜き付ける。古伝は業名「山下風」と書いて颪と読ませていたと思われます。神傳流秘書「右へ振り向き右の足を右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前・・」大江先生も、「柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜め刀にて筋変へに打ち・・」で先ず柄を止めています。同時に「敵の眼を柄にて打つ・・」となります。
 ここは、敵が抜こうとするのに先んじて柄を止めるのですが、第20代河野百錬先生は「浮雲と同様に我が柄を取らんとするを我れ柄頭を敵の顔面に当てる・・」と替えてしまった手附を、無双直伝英信流居合道及び大日本居合道図譜で示しています。夢想神傳流が正しく伝承し、無双直伝英信流正統会は敵が我が柄を取らんとする仕方に変えてしまったものを演じています。
 河野先生独特の居合は「敵の我に害する機に応じる」の狭義の解釈と思われます。敵が先に仕掛けようと柄に手を掛けた颪を演ずるのが古伝でしょう。
1、岩波 
 敵は我が左がわ正面より、我が柄を取ろうと両手を出す、我は柄を左足の方へ敵の手をよけて、抜き出すや敵の胸乳の上へ切先上がりに突き込む。文章は不明瞭ですから抜けは自分で想像する以外に有りません。古伝は「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突、膝の内に引後山下風の業に同」是も抜けがありますが、行宗写しより遥かに判りやすい。さすが土佐に居合を持ち込み伝書をまとめ上げただけあって素晴らしい頭脳を持つ第9代林六大夫守政です。大江先生も古伝並みの動作を示されています。
1、鱗返シ・波返シ 
 敵は真向にて抜かんと構える、その時掛け声をかけるので振り向いて抜き付けると云う事でしょう。声を掛ける鱗返しの古伝「左脇へ廻り抜付打込み開き納る」波返しも同様に後ろへまで廻るわけでこの業技法は伝わってきます。行宗居合は横道にそれてしまった様です。
1、瀧落 
 敵が我が鐺を取り上へ押し上げるので前に立ち上がり抜く拍子に鐺で敵に当て突く之も不明瞭な文章です。稽古が十分できている者には即座に状況が浮かびますが、これでは手が止まってしまいます。
 古伝も似たようなものです「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出し抜て後を突きすぐに左の足を踏み込み打込み開き納る、此の事は後ろより鐺をおっ取りたる処也故に抜時鐺を以て当てる心持有」是では我が鐺を握った敵の手を如何にして外すのか不明です。此処は細川先生の教えの方が判りやすい「・・左手にて鯉口を握り立上り(後ろの者が右膝を立て鐺を握り引き止める)右足を踏出し柄を左へ突出し、左後へ振向き対手を見つつ、急に左足を前へ踏み越す、同時に柄を右肩の前へ引上げ右手を掛け、更に右足を前へ踏み出すなり、刀を引抜き鞘は後へ突込み、鐺で対手を突き・・」大江先生の瀧落の敵手の外し「徐に立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其の侭膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て右足を前に進むと同時に抜き・・」で鐺で敵を突く動作は見られません。
 どの先生の教えであろうと、古伝の教えがいつの間にか形骸化するか消えてしまうか、あるいはまったく違うものになってしまうか面白いところです。
 どれも間違いでは無いと思われますが、本来の目的から逸脱してしまえば、この流の命は無くなってしまいます。
 
 

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2019年1月26日 (土)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写し3大森流

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写し
3.大森流
原文
△大森流
1、前後左右 1本目より4本目 1、初発刀
                    2、左刀
                    3、右刀
                    4、當刀
1、進退    5本目       5、陽進陰退
1、請流    6本目       6、流刀
1、介錯    7本目       7、順刀 
1、順刀    8本目       8、逆刀
1、勢中刀   9本目       9、勢中刀
1、追懸   10本目      10、虎乱刀
1、抜打   11本目      11、抜打
                                山川久蔵先生の傳書二ヨル
口伝
 大森流ハ只業已ニテ格別ノ書無シ
 業ノ起リモ口伝ニテ何ノ業附ノ書無シト云フ
 
読み解く
△大森流
 山川久蔵幸雅先生の伝書とは曽田本その1の神傳流秘書をさすと思います。
 
 行宗先生の口伝では、大森流は只、業のみで格別に書いたものは無い、業の起こりも口伝だけで何の書き付けたものも無い
と、云われている。
 この行宗先生口伝は大森流は業名だけで手附は無い、口伝だけと云っていますが神傳流秘書には簡明な手附が付されています。
 行宗先生は神傳流秘書の存在は知らなかったか、知っていても見た事が無かったと云えるでしょう。
 現代居合の無双直伝英信流正統会は大江正路先生を明治以降の中興の祖として伝承していますので、何故業名を変えてしまったかの追及の無いまま大江先生の大森流(正座の部)の業名を其のまま引き継いでいます。
 大江居合は明治以降に成立した大江居合であり、土佐の居合「無雙神傳英信流居合兵法」の変形と考えられそうです。
 流派の伝書を門外不出などと気取っていても、いずれ同様の事が起る可能性はあるものです。
 土佐の居合には伝書がかろうじて残っていたことを喜ぶばかりです。それも多くの無双直伝英信流の指導者が内容を知らないのが現実です。
 第20代河野百錬先生が、曽田先生から借り受けた伝書の写しを元に昭和30年1955年発行の「無双直伝英信流居合兵法叢書」すら、それらの指導者は知らないのが現実です。
 古伝を当時のままに復元する事は現代人の日常の動作から困難であっても、文字による伝承は諦めるべきものでは無いでしょう。
 特に居合以外には全く抜けてしまった、大江居合の修行者に往時の居合心は知るすべは無さそうです。
 なぜなら、居合を単なる武的棒振り踊にしてしまった事で、それでは半分も本物を修業した事にならないと思うからです。
 それにもかかわらず「昔はこうだった」など、いつの昔か知りませんが見て来たような嘘をつくべきではないでしょう。
 明治以降における大江先生伝承の現代居合は「こうする」しか言いようはありません。それ以上のものを求めたければ、初心に戻る心掛けが必要でしょう。
 大森流居合の業名対比をしておきます。
曾田本その1神傳流秘書
第17代大江正路先生の大森流
細川義昌先生伝尾形郷一先生伝
中山博道先生伝(太田龍峰居合読本)
この先生方の大森流業名を対比しておきます。
大江正路先生の大森流は古伝とは異なる業名を付していますが
その謂れは謎に包まれています。何故変えなければならなかったか
大江先生の意志であったか、他に圧力がかかったか、この事を解き明かす
ものは見当たりません。
 
  (神傳流秘書)-(大江)-(細川)-(中山)
 1、初発刀ー前ー初発刀ー初発刀
 2、左刀ー右ー左刀ー左刀
 3、右刀ー左ー右刀ー右刀
 4、當刀ー後ー當刀ー當刀
 5、陽進陰退ー八重垣ー陽進陰退ー陰陽進退
 6、流刀ー受流ー流刀-流刀
 7、順刀ー介錯ー順刀ー順刀
 8、逆刀ー附込ー逆刀ー逆刀
 9、勢中刀ー月影ー勢中刀ー勢中刀
10、虎乱刀ー追風ー虎乱刀ー虎乱刀
11、抜打ー抜打ー抜打ー抜打

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2019年1月25日 (金)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写2故行宗貞義先生

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写
2.故行宗貞義先生
原文
名前 寿之助 彦太郎
    左源太 精次郎
    進之助 可納
   藤原貞義ト云フ
嘉永3年(1850年)戌年7月2日
高知縣土佐郡江ノ口村二生ル
墓所 高知市秦泉寺東(口)
萬延元年(1860年)10月14日向髪角入ノ願被聞届
則祝式相整タリ(年11歳)
當時文武館二在テ森下氏ノ門二入テ
剣術ヲ学ヒ亦下村茂市氏ノ門二入テ
居合術ヲ学ヒタリ
大正参年(1914年)拾月4日没セラル
     享年65歳
行宗先生門弟中二(明治40年頃入門)
中山博道先生、堀田捨次郎先生モ見ユ
*
読み解く
 曾田本その2にポケットがあり、曽田先生による昭和11年11月の海南新聞のスクラップが残されています。
 其処に昭和11年10月25日日本古武道振興会主催の明治神宮奉納会での土佐居合術代表として、曽田虎彦と竹村静夫による太刀打之位の演武での喝采を伝える記事で見出しは「土佐居合術の為に万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏傑物行宗貞義の一の弟子」とされています。
 

「曽田氏の師匠は有名な行宗貞義氏である、行宗氏は西南戦争の時に大尉として各地に転戦した剛の者だが後感ずるところあって断然軍服を脱ぎ捨て、一時看守長を勤めたこともあり、其の後更に零落して第二中学校の門監にまで成り下がっていた。
当時二中の武術教士は桑山真澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合が取り組まれ中島町に居合の古武士で名高かった真田翁がその居合を見物し、行宗氏の妙技を嘆賞して、二中に行宗がおる以上、桑山は教士たる資格がないさっそく罷めろと言って、行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江政治氏(大江正路まさじの誤字でしょう)の如き剣客も行宗の足許にも寄りつかぬと云う評判で其の実力は大したものだった。
この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったが夫等数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江吉重、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。
此等五傑の筆頭たる曽田氏は元と二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我子の如く教えたという事をもって、如何に師の行宗氏が年少曽田氏の将来に望みを属していたかが判り同時にその曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたかを想像することが出来る。
果然曽田氏は嚢中の錐として鋭脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられ茲に師の衣鉢を継いだのである。
すなわち世間から見れば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に押し上げられた形となった。
そこで今一度行宗氏の実力を振り返って見直す必要が出来た、何でも明治四十年頃であったが範士の中山博道氏がわざわざ来県して行宗氏の弟子となり又三重県人堀田捨次郎という柔道の範士もまた来県して行宗氏の門に入った。」

 生年月日と略歴は原文のままと致します。
Img_0418_3
行宗貞義

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2019年1月24日 (木)

曾田本その2を読み解く1故吉宗貞義先生記録写1誓約

曾田本その2を読み解く
1、故吉宗貞義先生記録写
1.誓約
原文
夫レ居合術ハ独技独行ナルガ故二其之ヲ演ズル二當テハマツ己レカ胸中二敵ヲ作リ敵ノ己レ二加ヘントスル機二先ンシテ以テ勝ヲ制スルコトヲ學フへシ
  △誓約
第1、師ノ指導二従順ナルヘシ
第2、禮儀ヲ重ンシ長序ノ別ヲ正之諸事軽薄ノ行為ナキヲ要ス
第3、猥リ二他人ノ技藝ヲ批評ス可カラス常二己レカ技藝ノ不足ヲ反省スヘシ
読み解く
 居合術と云うのは、一人での行う技であるので、そこで之を演ずる当たっては、己の胸中に敵を作り、敵が己に加えようとする機に先んじて、以って、勝を制する事を学ぶものである。
  △誓約
第1、師の指導に従順であること。
第2、礼儀を重んじ、年長者や古参の者との順序を乱さず、
   諸事軽薄な行為の無い事を要する。
第3、すじ道のたたない、あるいは身分をこえて、むやみに
   他人の技芸の良し悪しを評してはならない。
   常に己の技芸の不足を反省すべし。
 居合と云うのは、刀を抜き空間を切る演武なので、形ばかり出来ても敵の攻撃に応ずる事は出来ないわけで、己に危害を加えようとする敵を思い描き、敵が危害を加えようとする機に先んじて、抜き付け勝を制する事を学ぶのである。
 昔所属していた道場の十段の先生は、「修行が満ちて来れば仮想敵が現れるだろうがまだ見た事が無い」などと馬鹿言ってます。妄想が勝手に浮かぶ様なら頭がおかしい。
 亦ある連盟の会長は「昔は仮想敵を思い描いて居合を抜いていた、今はやってない」だそうです。是も何やってんでしょう。
 是もあれも棒振りの踊なんでしょうね。永年同じ事をやっていれば、業名を云っただけで体が勝手に動いて、如何にも敵を切っている動作をしていると、思っている様です。
 居合を学ぶ意義は、「敵が己に加えんとする機に先んじる」事で、「我から先んじて抜きつける」事では無いと解しているのが現代居合の考え方であって、これは第20代河野百錬先生の居合の考え方になる様です。
 「敵が己に加えんとする機」とは何かが明瞭に語られていない、上意による打ち果たし(放し討ち)、意見の食い違いによる殺意の発生などなど事前の意志は言葉にも顔にも表れるものです。機先を制する場の取り様は、相手が切って懸かる時に応じるのでは機に先んじてとは言い難いでしょう。
 曽田本その1の「英信流居合目録秘訣」にその極意が述べられています。
 「夢うつつの如くの所よりひらりと勝事あり、その勝事無疵に勝と思うべからず、我が身を先ず土壇となして後自然に勝ちあり、その勝所は敵の拳也」この教えは、敵の打ち込んで来るのを待って応じる極意です。現代居合では敵の拳に勝つ教えは失念して、顔面や首、肩下に抜き付け真向に打ち込んだりしています。何処を切っているのか傍目には判りません。
 吉宗先生の考えでは「機に先んじて、以って、勝を制する」を、傍から見るとすれば、敵が「斬る」と声をかけた時、鯉口をきった時、抜刀して斬り込んで来た時などの状況に応じて勝つ技法を学ぶのだと解しておきましょう。
 誓約については、へぼ道場の壁に之を張り付け、得々として武術を学ぶ心得だと云っていました。
 何処かの剣道雑誌にあった誓約を借りて来たものでしょう。吉宗先生の江戸末期から明治の初期における稽古の有り様では、師の教える理合い、師の演ずる形以外に習う手段は無さそうです。流の業技法は師以外に習い様は無かったと思われます。
 まず、教えられれた通りに稽古する。それには何の異論も無いのですが、いつの間にか師と称する者が弟子の全てを制している錯覚に陥り従順の領域を私用にまで広げ、あげくは思想まで同じにしようと縦社会のパワハラを持ち出してしまいます。
 第2の場合も、古参や上段位の者への秩序を乱すなというのですが、ただ長くいただけで段位が上などでは意味のない事で、一度手に入れた段位は永久的で稽古をさぼって、ヘロヘロの醜いものでも上段位だそうで師がそうなら真似をしてパワハラでは意味がない。
 第3は、みだりに他人の技芸を批評するな、と云ってます。
 是も狭い縦社会を乱さないようにする手立てだったのでしょうが、業技法で納得できずに「何故その様にするのですか」の問いに「そのように習った」と答えられたのですが「誰に習った」かよくわからない。
 いい加減な教えと、、いい加減な解釈が横行していたのでは意味の無い誓約でしょう。寧ろ積極的に師は「今日の稽古は、正座の前の抜き付けとする、こめかみに抜き付ける場合相手の状況はどうあるべきで、その状況にどの様に応じるか研究し合おう」とか「打ち込んで来る敵の刀の受け流しは、摺落すべきか請けて流すべきか研究しよう」とか見せかけの「かたち」を超えるだけの稽古法を工夫すべきでしょう。
 この様な、戦前の軍隊調の誓約で縛られては無駄な時間を過ごすだけです。師の自己満足に協力しても意味はなしです。
 師は弟子の進歩を己の取得した時間よりも早くに達せられ、尚且つより高度のものであるように指導出来なければ、師として失格でしょう。
 其の癖「守破離」の言葉だけ述べ立てて「其処まで修行しろ」と云っています。出て行かれたら道場は成り立たなくなります。
 むしろ「習い・稽古・工夫」のスパイラルによる本物の育成に、道場を持った者は尽くすべきで、師そのものがそれだけの力量を持ち学ぶ事が必要でしょう。
 師が「昨日より今日、今日より明日」と学んでいく姿に、弟子は食らいついていくものです。
 
 
 

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2019年1月23日 (水)

曾田本その2を読み解くはじめに

曾田本その2を読み解く
はじめに
 曾田本その1は、第17代大江正路先生によって明治以降に改変された無双直伝英信流の各流派、あるいは中山博道先生系統の夢想神傳流の各師伝の業技法のルーツを古伝を克明に曽田虎彦先生が書き写されたものでした。
 曾田本その2は、大森流居合、長谷川流(英信流)居合を曽田虎彦先生の師行宗貞義先生の教えを記述し、同時代に下村派第14代下村茂市定に師事した吉宗貞義先生の弟弟子大江正路先生の居合との違いなどを述べています。
 大正から昭和の先の大戦までに集められた資料や稽古から得られたもの、あるいは独断でまとめた幾つかが収録されています。
 曽田本その1でも曽田先生の直筆による写本でしたがこの曽田本その2も同様に曽田先生の直筆に依ります。
 古伝の写本は、江戸期の言葉と曽田先生の癖字に悩まされましたが、曽田本その2は写し書きでは無いので曽田先生の思い込みの癖字が一層強烈に表れ読み取るのが大変難しいものになりました。
 資料として、曽田先生が集められた新聞の切り抜きなどには、何新聞の何時のものなどの事が不明だったりして足踏みも多々ありますが、明治以降の居合に就いての情熱が伝わって来て楽しいものです。
 
 曽田本その2の表紙は直筆で題名を書き、添え書きされています。
 「大森流長谷川流居合術解」
 故行宗貞義先生 
 門人舊姓 土居事
 無雙直伝英信流 下村派第16代
 筆山曽田虎彦 記
 表紙にある様に主として居合術について書かれたもので、大森流・長谷川流(英信流)の居合となります。
 ページを追って順次読み解いていきます。なおすでに曽田本その2も公開されていますが、改めて読み直す事として、前の記事に拘らずに進めて行きます。
 曽田本その1、その2を公開してから既に7年になろうとしています。1日も休まず投稿し続けての7年ですが多くの事を学ぶ事が出来ました。
 コメントを寄せていただいた方々や、一緒に業技法を手取り足取り学んだ友とも7年のお付き合いとなりました。
 曽田本には現代居合の団体からでは得られないものがあって、背中を押し続けるのでしょう。
 ミツヒラブログのアクセスも1日200~300、多い時は1000を超える事もあります。アクセス地域は北海道から沖縄まで読まれています。
 無双直伝英信流や夢想神傳流以外の他流の方からのコメントもあります。この時代刀を以って互に斬り合う事は考えられず、流派の秘事として消し去るべきものでは無く、かと言って統一理論で呑み込んでしまうものでもないでしょう。
 秘められていたものは公開して公にする事によって其の流の現在まで伝承されてきた意義が多くの学ぶ者に力を与える礎となると信じています。
 現存する流派には棒振り踊では無い、武術の心が熱く語られ伝承されているはずです。流派と云う狭い縦社会にぬくぬくして居ても、其の気づきは無いかも知れません、それでは充実した人生も無く、世の中に役に立つ人も生み出せないでしょう。
 武術は棒振りの方法を学び稽古するだけでは、ただの健康体操です、年をとれば老人体操でしょう。
 修行する事、稽古する事は、自ら疑問を持って解き明かす事であって、教えられただけを繰返しても「真似が上手くなったね」で終わりそうです。
 
参考
 曽田本その2原文
 2012年4月10日から2012年6月30日
 曽田本その2を読む
 2014年3月3日から2014年8月30日
 

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2019年1月22日 (火)

第18回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い
第18回古伝研究の集い
 無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて古の居合を研究しています。
 今年は、主として大小詰・大小立詰を研究いたします。
 ご参加いただいた方の師伝が如何様であろうとも、他流や居合以外の武術であろうとも、それを参考に古伝の手附から学んでいきます。ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご認識いただければ幸いです。
              ー記ー
1、期日
 ・平成31年2月14日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年2月28日(木) 
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年3月14日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年3月28日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
2、住所
  見田記念体育館
  248-0014
  神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21
  tel 0467-24-1415
3、アクセス
  JR横須賀線鎌倉駅東口下車
  海岸方向へ徒歩10分鎌倉警察署うら
  (駐車場 鎌倉体育館に有)
4、費用:会場費等の割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
  または、ブログへコメント下さい
6、研究会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
  E-meil sekiun@nifty.com
  平成31年1月22日 記
尚:平成31年1月24日(木)
  15:00~17:00
見田記念体育館にて第17回を実施しています。
 
 

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曾田本その1を読み終えて

曾田本その1を読み終えて

 曽田本その1は、江戸時代中期後半に土佐に残された居合の業技法がまとめられたもので、現在行われている無双直伝英信流の各流派、及び夢想神傳流、その他土佐から伝わっている幾つかの元となっている伝書です。

 曽田虎彦先生によって、伝書を持たれていた方々から借り受けられてそれらを一字一句誤りなく写され、まとめられたものです。
 第九代林六太夫守政によって土佐にもたらされた居合は「無雙神傳英信流居合兵法」とあったものです。
 この流名は、南山大学の榎本鐘司先生のご研究による北信濃に残された「無雙直傳流」と近似のもので「神傳」か「直傳」かの違いがあっても、この曽田本その1にある山川幸雅先生相伝による「神傳流秘書」の写し「居合兵法伝来」に明示されています。
 明治維新前後の時期に正しい流名も朧になって「無雙直伝英信流居合兵法」がそれであるように今日まで引き継がれています。

 広島の貫汪館には土佐の細川義昌先生伝来の「無雙神傳英信流抜刀兵法」が森本邦生館長により伝承されています。
 その業技法の手附の幾つかは神傳流秘書と異なりますが時の流れが変化させたと見て、第九代林六太夫守政をルーツとした土佐の居合でしょう。
 細川義昌先生と同門であった大江正路先生の「無雙直伝英信流居合兵法」が、「無雙神傳英信流抜刀兵法」と異なる部分が多々あって「はて」と頭を傾ける事もしばしばでした。

 第17代大江正路先生の独創による第九代林六太夫守政のもたらした土佐の居合の手附神傳流秘書から逸脱した業名および業手附の改変は、更に第20代河野百錬先生によって手を加えられ現代居合として21代、22代、23代と引き継がれています。

 居合だけを見ても、神傳流秘書と異なり特に奥居合の違いは甚だしく、何故と疑問を持つのですが、第17代大江正路先生は居合だけに拘って土佐の居合が総合武術であったことを置き捨ててしまいました。
 大江先生は居合術の伝承しか引き継がなかったか、既に指導出来る師が土佐には居なかったかでしょう。大江先生の剣術は小栗流であったとか何処かにあった様に記憶します。
 あるいはすべて知っていたが、疑いを持たずに中学生への指導による伝承では居合だけで手いっぱいで、尚且つ古伝は難しかったかとも思われます。

 曽田本その1は、土佐の居合が総合武術であった証しに、神傳流秘書には居合、組太刀、棒術、和(やわら)の業手附が簡明な記述によって残されています。
 さらにその心構えや詳細な術理も「居合兵法極意秘訣」や「英信流居合目録秘訣」に克明に残されています。
 「居合兵法の和歌」も神傳流秘書を書き写された山川幸雅先生によって伝えられています。

 曽田本その1は土佐の居合「無雙神傳英信流居合兵法」の業技法を「神傳流秘書」で学び、その心を居合兵法極意秘訣や英信流居合目録秘訣から学ぶ組立てとなっています。

 神傳流秘書の手附による復元は、かなりの武術に対する洞察力や経験が無いと、これを片手に一人稽古する事は難しかろうと思います。
 しかし、神傳流秘書は現代居合が忘れている「江戸時代の武術と其の心」を網羅しているものと思います。
 そこで、この神傳流秘書を現代の無双直伝英信流のルーツとして忘れ去られないために、現代居合が忘れているものを学ぶ事を主眼として「無雙神傳英信流居合兵法」の流名を自らに課し伝承して行く事とします。

 習い覚えた大江正路系統による第20代河野百錬系統の「無雙直伝英信流居合兵法」の業技法は居合の技法の一部として大切に抱えざるを得ないことは当然の事でしょう。多くの諸先輩方から手取り足取りご指導賜り、体で覚えたものは決して忘れる事はないでしょう。

 残念ながら現代居合も竹刀剣道も、ただ早くて強い、あるいは形ばかりが優先して最も有効な武術としての運剣動作やその意図する処を引き継ぐ事は出来ていないようです。
 体力が衰えた老人が若者に勝つことが出来ない様な武術は武術では無い、それを乗り越える術理がなければ武術を学ぶ意味は半減してしまいます。
 従って、「神傳流秘書」を片手にしながら、自ら工夫研鑽すると同時に、時間を有効に使うためにも江戸期における古流剣術を継承されている他流の力は借りざるを得ません。

 私に残された時間がどの位あるかは天のみぞ知る事として、「無雙神傳英信流居合兵法」の名のもとに古伝「神傳流秘書」を、次代に残すために修行して行こうと決めました。
 同じ思いの方には、その門流を問わず、所属も其のままに、経歴も段位もなく共に、今ある力量を持って学んでいただければ、「咄々々」を得てより一層の悟りがあるものと信じています。

 「無雙神傳英信流居合兵法」は古伝研究会として毎月第2木曜、第4木曜に研究会を鎌倉市の鎌倉体育館若しくは見田記念体育館で実施いたしていますので、お気軽にお立ち寄りください。

 平成31年1月22日 ミツヒラこと松原昭夫

 明日から「曽田本その2」の投稿を始めます。「曽田本その2」はまた新たな発見があるかもしれません。

 

 

 

 

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2019年1月21日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の32一筋のみち

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の32一筋のみち
目の前の満春毛の秘事を志りぬ連バ
      唯速かの一筋のみ知
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知りぬれば、唯すみやかの一筋の道
 目の前にある睫毛の秘事を知ったのであれば、ただ速やかにその道一筋に進んで行こう。と読む事ができます。
 31首目で目の前の睫毛の秘事が「神妙剣」である「互に理解しあってより良い方法を見出し和すること」
 土佐の居合は業技法では、相手の斬り込を身を土壇となして「柄口六寸」に勝つ事を以て根元とするものです。
 そして、その極意は戦わずして勝つ「神妙剣」であって、「睫毛の秘事」である「人と和する事」なのです。
 それには、己が正しいと信ずるものをしっかりと持つ事であり、いかなる難問にも応じられるものでなければならないでしょう。
 その上で、互に最も良い納め処を見出して「和する」ことなのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 この神妙剣の極意は、現代居合が居合抜ばかりに照準を当てている事に問題があるのでしょう。
 それは、武的演舞の優劣を競わせたり、技術の達成度判定基準の不明瞭かつ不可解な段位制度による人のランク付けによるおぞましい縦社会を形成させ権威・権力主義を助長させるばかりです。
 公には何の権威も社会的地位も無い居合と云う趣味の集団の縦社会の中での事で終始しているようです。
 或いは、連盟のような竹刀剣道の付録の様な扱いで終始し、各流派についてはおざなりの統一理論による居合風演舞を武術呼ばわりしています。
 
 稽古法にもそれが顕著で師と称する者の演舞を見て弟子達が手拍子に合わせ一斉に真似をして動作を演じそれを稽古と思っていたり、演武会では足並み揃えて木刀を打ち合わせる見せるための演舞をしています。
 武術は型拘り演じる者ほど容易に打ち負かされるものです。
 人は物ではないのです、号令によって一斉に突撃する弾除けの兵士を生み出してはならないのです。
 精神面では上段者に礼を尽くすことが武道であり武士道精神に則るものだなど「馬鹿言ってんじゃないよ」でしょう。
 武術における礼は、相対する人を認める事が礼であってそれにより殺し合いを避ける最も人間らしい尊厳のあるものなのです。
 たとえ業技法から習い始め、伝統武術の運剣動作を納めたとしても、人として如何にあるべきかをないがしろにして、幻の権威の名を借りて権力をもってパワハラ同前の上意下達を良しとするようなものはすたれて当然の事です。
 その原因は、型にはまった業の運用のみに終始している、武術とは言えない現代居合の評価法に大きな落とし穴があると思います。
 居合に於ける仮想敵はあらゆる変化をもって我に打ち向かってきます。そのあらゆる変化に反応できる修行と云う事は、相手の心情を理解する心を磨く以外に無しえないものです、それは武術を通じてコミュニケーション能力を磨き上げる事でもあるのです。
 コミュニケーションとは上司に対して従順と云う事では無いのです。
 現代居合もレベルの高い指導者を養成をすべき時期にあると思えて仕方がありません。
 伝統武術として、無双神伝英信流居合兵法第九代林六大夫守政が土佐にもたらした武術は、総合武術であり武術を学び得て達する道は「神妙剣」一筋であったのです。
 流派は、己の流派の業目録初伝から始まり、目録皆伝の授与に戻る時期に来たのでしょう。それは、本物の伝承者でありそれをもって社会に還元できる個性ある人を育てる事だろうと思います。
 林崎甚助重信系統と称する流派は、古の根元之巻によって皆伝とすべきなのでしょう。
 宗家になるには先代宗家から紹統印可された者だけがなるべきもので、根元之巻は流派の業技法及び心得を伝授されたものであって宗家を認める事とは言えないものです。
以上32首
右 田宮平兵衛業政之歌
干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日書之
坪内長順
山川幸雅自先生傳ル
* 
 以上32首
 右 田宮平兵衛業政の歌
 干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日之を書く
 坪内長順
 山川幸雅先生より伝わる
 以上を以て曽田本その1を終ります。曾田本その1の巻末には曽田先生によって研究中の「抜刀術」五本が記載されています。
 ここでは、古伝に拘って割愛いたしておきます。
 
 
 
 

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2019年1月20日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の31睫毛の秘事

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の31睫毛の秘事
目の前の満春毛の秘事を知ら春して
      兎角せんと一期気遣ふ
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知らずして兎角(とやかく)せんと一期気遣う
 目の前に睫毛があっても気にもしません、睫毛の役割を改めて知って驚くほどです。その様に武術の極意は目の前にあるのに、それを知らずとやかくしようと一生気ずかいしている。と読むのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には存在しません。
 田宮流居合歌の伝にもありません。
 無外流の百足伝に見られます。
 「兵法の奥義は睫の如くにて余り近くて迷いこそすれ」
 睫毛について少し勉強してみます。
 長さは5㎜から10㎜位で上下で100本ほど
 目のセンサーの役割をもって、眼の保護として、強い光や風に反応して目を閉じたり、粉塵や細菌などからも眼を守っています。
 日本人は欧米人より睫毛はやや短いそうです。黒い瞳でニッコリされてウインクなど長い睫毛でされるとズキンとしたり・・このところないない。
 睫毛の秘事とは、そんな肉体的な役割も医学的には知らなかった時代かもしれませんが、普段気にもかけない事に奥義はあるにもかかわらず、奥義を知ろうと一生涯気を使って色々的外れな事をやっているよ、と歌っています。
 さてその、「睫毛の秘事」となる「奥義」は何か、目の前にあると云っています。それが解れば免許皆伝でしょうか。
 睫毛の秘事は無心にして身を守るや瞬時に応じる極意を歌っている筈です。簡単に言えば相手の斬り込みを受けた時が斬った時、あるいは相手の斬り込みを外した時に切っている。
 新陰流の「合し打ち」や「くねり打ち」などが当てはまるでしょう。居合道型などでガツンガツン打ち合う様な棒当て踊りでは何も得られそうにありません。
 しかし、この極意では勝ち負けの勝負の極意に過ぎません。
 武術は人のコミュニケーションの最終的手段に用いられるもので、武術が使われた時は彼我何れかが死に至るものです。
 そのために「人と和すること」が必要でしょう。この流では「神妙剣」の名で呼ばれています。
 「和する」とは己を曲げて権力に随う様な事は和では無く「服従する」事だと云って間違っている言っています。
 それも一時の風を避ける為の「方便」として使う人も居ますが、居場所がなくなる不安を思って顔だけ向けて心そこに非ずだったり、日本の意味の無い縦社会に服従したりする、それでも和したと云えるでしょうか。
 それが「権力者を甘やかすのは何か」の一つでもあります。
 このところ頻発するアメフトや体操、レスリング、ボクシング、居合などの不祥事は「和する事」とは何かも考えずに、パワハラや賄賂でトヤカクしたり、幻の権威を嵩に権力を振るう居合の段位制度などにも弱く醜い意図が見え見えで哀れです。
 「たがいに理解し合ってより良い方法を見出す」それが「和する事」でしょう。
 土佐に居合を持ち込んだ第9代林六大夫守政の無雙神傳英信流居合兵法極意巻秘訣「神妙剣」に残されています。
 
 
 
 
 

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2019年1月19日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の30声のひびき

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の30声のひびき
後より伐るをはつるゝ事ハ奈し
    聲の闇(響の誤字か)を是と云也
読み及び読み解く
 後ろより伐る(斬って来る)のを外す事は出来ない、声の響きを察するを是と云うのである。
 曽田先生は聲の闇を聲の響きと闇にヒビキとルビを打っています。
 後ろから斬って来られれば、「はつるゝ事はなし」を外す事は出来ない、と読んでみました、自分が斬り込むのであれば「後ろより斬るのを外す事は無い」でしょう。そこで敵の声の響きを察し外すことが出来る。自分が斬り込むのであれば声を抑えて「声の闇」を以て斬り込む。
 彼我を入れ替えて読んでみました。
 いま一つ読み方を考えて見ます。
 後ろより斬るを恥ずる事は無い、声の響き(掛け声)をかけて斬る事が是である。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事に次のような歌があります。
 「後よりだますに手こそなかりけれ聲の抜とや是をいふらん」
 後ろより騙し討ちにしてくるのに手などない、声に応じて抜くとは是れを云うのであろう。
 山内豊健・谷田左一共著の「居合詳説」に同様の歌があります。
 「後ろより伐るを恥づる事はなし声のひびきと是をいふなり」
 後ろから斬るのは恥ではない、掛け声を発すること「声の響き」が是である。
 後ろから斬るのは恥ではないが、掛け声をかけて切れ、と云う歌であれば、掛け声は何の為に掛けるのでしょう。闇討ちでは無い、相手に応じる気を伝えてあったと云うのでしょうか。
  相手に技量が無く斬られたのだから、後から斬っても恥ではない。
 其処までの解釈ならば、奥義の歌にはなり得ないでしょう。
 後ろから来ようと、掛け声が「声の闇」であろうと、見事に外して斬る。是を学べという歌であってほしいものです。
 歌の解釈は、読む人の力量によってどのようにも読めるものです。
 居合兵法の和歌の9種目に「寒夜にて霜を聞べき心こそ敵に逢うても勝を取るなり」とありました。
 この歌は、後から斬るのは恥だと云う事を諭す様な礼法の歌などでは無いでしょう。研ぎ澄まされた心には眼に視、耳に聴くそれ以前にある、敵の起こりを察する事を学ぶ歌と詠む事であろうと思います。
 この居合が作られた時代は、現代人が想像もできない程の感覚を持っていた筈です。

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2019年1月18日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の29皆すたる

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の29皆すたる
技をよく習納むと思ふとも
     心掛春ハ皆春多留べ之
読み及び読み解く
 技をよく習い納めたと思っても、常に稽古を心掛けなければ皆すたる(廃る)であろう。
 まさに歌の通りだろうと思うのですが、もう少し捻って考えて見ませんと「かたち」ばかり師匠の技を真似た者と、其処から業本来が行き着く至極の境地を得た者とでは大きな隔たりがある筈です。
 この歌も、今日まで受け継がれているならば、「かたち」いわゆる業の動作の順番を習ったままに演じて出来たと思っている程度の者を対象に歌っているとすれば、「すたれる」のレベルは業の動作の順番を忘れてしまう様なものでしょう。
 現代居合は、昇段審査や競技会によって業の順番、かたちや拍子が特定に絞り込まれて指導されその「かたち」が少しでも外れると「違う」と云って型にはまった居合踊りを上手に演じるのですから、「技をよく習い納むと思う」レベルは相当低いものでしょう。
 道場での稽古の仕方なども、師匠が前に出て、弟子は師匠の方を向き師匠の模範演舞を拝見し、師匠がたとえば「前」と云って両手を「パン」と打って弟子達が一斉に真似をする。
 それで師匠は制定居合位で模範演武を終わり、古参の高段者に模範演舞を譲って正座の部、抜刀法程度を合同体操の様にやって約一時間を過ごします。休憩の後自由稽古に入るのが人数の多い所の一般の様です。
 そんな稽古法を毎週やって10年も20年も過ごして何の疑問も持たなければ、師匠の「かたち」が嫌でも身についてしまうものです。
 その上昇段審査の形や拍子を、個人指導を受けたのでは、心の無い死に物の居合人が続々と生み出されてもおかしくないものです。
 この稽古法は、講習会などで講師が模範を示し講習生達が講師の合図で、動作をやって見る合同訓練形式と云えるでしょう。
 講習会で講師が述べた事を理解するには、その業を一人で出来るのはもちろんの事、業の術理を理解していなければ、右から入って左へ抜けるか、勘違いの覚えになってしまいます。
 多くは講師ほどに修練を積んでいない者が多い為、そのレベルにならないと理解できない事もあるものです。
 しかし最も手っ取り早く一定のレベルに到達させるには、模範演武を看取りいさせ一斉に真似をさせる合同稽古は合理的な練習の仕方です。
 余程の修練を積んだ者が模範演武をしない限り、癖だらけのものになって武術などととても言えるものでは無いのです。その上「武術は・・」などの蘊蓄を述べられると辟易します。
 明治の頃徴兵制度で武士でない者を駆り立てて戦場に向かわせなければならなかった、手っ取り早く兵士としての初歩的動作を身に着けさせる必要がありました。
 上官の号令と共に自由に動かせる兵士を量産するには最も適した方法が、この模範を示し一斉にまねをする合同練習方法だったと云えるでしょう。
 名人上手などは不要なのです。寧ろ秩序を乱すものに過ぎないのです。相も変わらずその方法で稽古をしている道場長の多い事。
 現代居合を良くする者には、この歌は理解不能の歌でしょう。なぜならば「かたち」ばかりの技の習い納めですから、廃っても知れています。
 武術は武的「かたち」は出来ても、術が決まらなければ武術にはなりません。
 常に術が決まる為に修錬していませんと、術は決まりません。その上年齢と共に衰える筋力や俊敏性などと共に、頭の回転も鈍くなることもあるでしょう。其の為には「かたちや拍子」にそれ相当の工夫と無駄の無い動作の練度が磨かれない限り術が決まらなくなります。
 居合は一人でする仮想敵相手の運剣刀法です。
 あらゆる想定を自ら描いた仮想敵に演じさせ、根元之巻が指定する「柄口六寸」に至らなければ唯の踊りでしょう。
 大江正路先生の残された現代居合の全ての業を、綺麗に演じられても、それは決められた事を順番通りに演じているだけでしょう。
 正座の前の抜き付けだけを、習い納める事を考えた時、大森流11本、長谷川流10本、奥居合21本、合わせて42本の業数などは初期の内に覚えさせてしまう事も考慮の内です。
 そして正座の前一本をもって何時如何なる条件においてでも応じられる様に習い納めるを考え、学び納める位の事であれば、足腰が立たなくとも修錬を怠る事などありえないでしょう。
 免許皆伝を得たから(最高段位を授与された場合も)十分できると錯覚し、権威を授与されたのだから権力を振り回し自己満足するなどの事では、武術を志ざす者にはありえない事です。
 
 
 
 
 

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2019年1月17日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の28師に問う

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の28師に問う
師二問ハ春如何尓大事をおしゆへ之
       心を春ま之懇耳問へ
読み及び読み解く
 師に問わずに如何に大事を教える事が出来ようか、心を澄まして懇ろに問へ。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にはありません。妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありませんが、田宮流歌伝口訣に見られます。
 「師に問いていかで大事を悟るべきこゝろを尽くしねんごろに問へ」
 居合兵法の和歌とは多少ニュアンスが異なります。居合兵法の和歌は、師に聞いてこなければ本人の知りたい大事な事は教えてあげられない、邪年なく心を澄まして懇ろ(ねんいり、まごころをこめて)に問いなさい、と歌っていると思います。大抵の事は通常の指導の中で見たり聞いたりしてわかっている様でも、「かたち」が出来て来ると「何故そうする」と云う疑問が湧いてきます。いくら考えても不合理だと思って、師に聴いてみました。
 指導した業技法を批判されたと誤解して「お前に何が解る」と険悪な雰囲気です。そんな人は弟子を取る資格などあるわけはないでしょう。
 これ以上教わる事は出来そうもない、「今までありがとうございました」と出て行かざるを得ません。疑問にぶつかる処まで導いていただけただけでも感謝すべきでしょう。
 出れば出るで、「あいつは恩知らず」と、和を乱す不埒者扱いです。
 何か聞かれても考えてもみなかった、先師の教えに忠実であった師には答えられない事もあるでしょう。
 一緒に考えてやってみるとか、他の弟子を集めて研究会を稽古会に組み込む事も出来るでしょう。
 「俺が作った道場だ、否やを言わず黙って従え」そんな事では、稽古にもなりません。守破離の教えなど嘘ばっかりです。
 習うのも聞くのも、それなりの人にするべきものでしょう。一度入門したらその縦社会に甘んじて埋もれるのも実力のうちです。
 田宮流歌伝口訣は、師とは絶対なのだから、解らない処を聞いてポイントを納得しなさい、師に心を尽くして真心を籠めて聞きなさい。上から目線の歌の様に聞こえてきます。江戸時代の背景から見ればこの方が無難でしょう。
 私は居合兵法の和歌に軍配です。
 上から目線など宗家でも無ければ、唯の段位保持者では知れています。権威を嵩に権力を振り回しても相手にされません。地位を侵されるのを恐れているばかりでは情けないでしょう。そんな人の口癖は「組織を乱す」だそうです。
 もっと大切な事は他流と対した時はこの時代夢物語かも知れませんが、居合も武術です、うかうか負けるのであれば習う意味はないでしょう。
 そんなものは美しく格調高く武的演舞を踊っていればいいばかりです。
 しかし居合以外の人生に於ける事ごとでも困難にぶつかった時、聞いて、見て、手取り足取りされて習ったとしても、それだけでは生き残れません。
 聞くべき師に出合えれば良いでしょうが、他道場へ出稽古も嫌われ、他流を習うのも嫌がられ、パワハラを受けるのが普通です。
 本物を求める者には、そう簡単に居場所があるわけは無いと思えばいいだけのことでしょう。
 弟子がどんどん上達し更に上を目指す事が明らかならば、「どこそこの誰々にこの上は師事するように」と進める度量も無ければならないでしょう。
 
 
 
 

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2019年1月16日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の27得道はなし

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の27得道はなし
大事おハ皆請取れと思ふとも磨可ざる尓ハ得道ハなし
読み及び読み解く
 この歌は前回26首目の「道を立深く執心する人尓大事残さ春大節尓せ与(道を立て深く執心する人に大事残さず大切にせよ)」の和歌の続きの歌の様です。
 この歌は、その大切な事を皆受け取らんと思うとも、修錬して磨き上げなければ道は得られない。と歌っています。
 居合の道を志し執心する人にはこの流の教えも自ら得たものも出し惜しみしないで、残さず伝える事を心がけよ、と師匠が次代を担う者に皆伝を授与する時の心得として諭した歌と解せます。
 門弟を持った者の役割は、先師から教えられたことは当然乍ら、それを身に着けるために己の得たもの、更にそれを越える事を全て伝授する事が大切な勤めと解かっていながら、ぐずぐずしている場合が多い様です。
 門弟を比べ見て、彼でもない、誰にしようなど思い煩い結局何も伝えずに死んでしまう。或は門弟自ら悟るまでは教えない、などとおかしなことを考え無駄な時間を過ごさせている。
 師たるものは、自ら習い覚え、自ら生み出したものは全て隠さず伝え其のポイントも示す事、其の上で弟子は其の領域に達する努力をするものでしょう。
 今時、居合などで命を懸けた勝負などする事は無い、との思い込みから形ばかりの業技法をのんびり指導する似非指導者がほとんどです。
 武術は本来師匠の習い覚えた業技法は出来るだけ懇切丁寧にそれも無駄な時間をかけずに指導すべきものでしょう。
 さもないと弟子はコロコロやられてしまいます。弟子は出来るだけ早く師匠を越えて新たな道を目指さなければ役立たずの流派として消えてしまうのです。この事はあらゆる分野に共通の事で師たるものの心掛ける事でしょう。
 「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と弟子を叱責された初代関東支部長大田次吉先生の言葉が思い出されます。
 先師の指導によって師匠が習い得た半分の時間で師匠の思いが弟子に伝えられれば、より深く究明していかれるでしょうし、師が置き忘れた大事を見出したり、新たな道に踏み込めることもできるでしょう。それが武道です。そうで無ければただの棒振り踊りです。
 
 居合の業の意義、術理、その運剣動作を口伝口授され、何度も看取り稽古させてもらって手取り足取り指導されても「かたち」が出来たに過ぎない、其処から本物を見出し目指していかなければ修業とかいうことではないでしょう。
 本物の師匠は、出来るだけ早く弟子を育て、弟子と共に更に飛躍することの出来る人でありたいものです。
 真似事の「かたち」でさえ、日頃稽古していませんと、どんどん廃れて行くものです。
 何故か、この歌は田宮流居合歌の伝にも、秘歌之大事にも存在しません。
 この流の根元は「柄口六寸」なのですが、この教えを示された事は無いのですがどうしたものでしょう。
 
 

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2019年1月15日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の26深く執心する人

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の26深く執心する人
道を立て深く執心する人尓
      大事残さ春大節尓せ与
読み及び読み解く
 
 道を立て深く執心する人に、大事残さず大切にせよ
 この歌の心は、この読み下し文で解ったと云えそうにありません。何故なら「道を立て」とは何か、「深く執心する人」とはどんな人か、「大事」とは何なのか、「大切にせよ」とは誰がするのか。
 この歌は、田宮流居合歌の伝には無いものです。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では
 「執心能あらん人尓ハ傳婦遍之くらゐ残春奈大事奈累事」
 (執心のあらん人には伝うべし位残すな大事なる事)
 「執心のあらん人」ですから打ち消しと取れば「執心の無い人」と読んでしまいます。執心の無い人には伝うべきである、位残すな大事なる事と読めます。
 執心の無い人にきちんと伝えなさい、当流の教えを残さず学びなさい大事なことですよ。と読んでしまいますが之では奥義の歌と云えそうにも無い、もともと執心の無い人がこの道を全うできる筈はないでしょう。せいぜい真似を上手にできるようになってもそこまでです。
 現代居合は居合抜だけですから仮想敵相手に抜いているだけで踊りの「上手下手」を言っていてもそれなりですが、師匠ともなったら教える時は当流の大事な事は伝えておきなさいと師匠を教育しているかも知れませんね。
 この田宮平兵衛業政の居合兵法の和歌を思う時、根元之巻を伝授される際、この流を以て身を立て深く執心する者は、大事な教えをどれも残さず大切にしなさい、と詠っている様な気がします。
 同時に、その様な人には大事な事は残さず伝えるのだ、と詠っても居るのでしょう。
 先師の磨き上げた業技法であっても、戦闘方法や武器の進化からそのままでは、その流派は消滅せざるを得ないでしょう。
 武術の根元が見事に集約されている流ならばその上に新たな武術が付加されて時代の先端を歩いて行けるのでしょう。
 指導者の業技法を真似るだけに終始し、指導者が変われば新たな考えが付加され、怠け者には付いて行くことが出来ません。
 そんな人は新たな指導者を批判して「あんな技法は無い」などと己の不勉強を棚に上げている人を見かけます。
 「心を籠めて流儀の位を残さずに納める事が大事だぞ」と始めたばかりの者にも、巣立ちゆく者にも歌っているならば、其の上に幾らでも業技法など積み重ねられる筈です。
 現代居合は何処かで足踏みしている様です。
 大切なものが伝えられていないかも知れません。
 それは、昇段審査でも競技会でも一定の形や拍子を固定されている様に錯覚してしまい、指導者の真似に終始しているためでしょう。
 六段ぐらいまでは、そうあるべきでしょう。しかし其処から本物を目指して磨き上げる、流の大事を知り、大切にしなければ流の伝承は形骸ばかりと成るでしょう。
 根元之巻が伝える「柄口六寸」も「神妙剣」も伝わってきません。
 中川申一先生の無外流居合兵道解説にある百足伝より
 「とにかくに本を勤めよ末々はついに治るものと知るべし」
 「我が流を教へしままに直にせば所作鍛錬の人には勝べし」
 所作鍛錬の人には勝てるよ、といっていますが根元に至った者には決して勝てないぞとも言っている様です。
 「馴るゝより習ノ大事願くば数も使へよ理を攻めて問へ」
 大事な事を理詰で師匠に聴き習えよ、師匠は正しく伝えよと云っている様です。
 直新影流に「急ダラリ、ダラリ急。早ク上手二ナルベシト急ギテ修行シタリトテ、スグ二上手二ナルモノ二非ズ。サレバトテ、気ヲ長ク、ナマケテ、ブラブラト稽古シテ、上達スル事ナシ。急ガズ、ダラリト、心ヲ長ク、ユルユル、ダラリト気ヲモマズ二、怠ラズ、油断ナク、急二スル気持ニテ修行セネバ、上達スル事ナシ。不急不弛不怠不油断シテ、修行可致也如此心得テ、心ガケ申スベキ也」
 この道を極めんと執心すれば、気もせいて来るものです。そんな時思い出す良い教えです。此処まで弟子に踏み込んで来る師匠も少ないでしょう。それは本物を目指すより段位を得ようとする安易な気持ちが良い師匠を生み出せない事にも依る様です。本物は与えられるものでは無いと気が付く事が本物たる所以かも知れません。
 執心の人はともすると、百足伝の「馴るゝより習の大事願わくば数も使えよ理を攻めて問え」になります。
 習い覚えて馴れただけの師匠では面倒くさいでしょう。何でもハイハイと聞いてくれる腰巾着の方が扱いやすいものです。
 本物を目指す者を育てられない者は弟子を取るべきではない、とも此の歌は行っている様です。
 「道を立て深く執心する人」の前には、新たに普請をすべき道が続いている様です。一生稽古とか修行とか言っていますが、習ったままを振り回していてもそれでは何も得られません。
 いやでも衰える体力を、転換できない様な稽古は練習に過ぎません。習い稽古工夫のスパイラルを如何様にするかは志以外に生み出せそうも無いようです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年1月14日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の25金胎の両部

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の25金胎の両部
金胎の両部を正尓見へ尓介り
     兵法有れハ居合者しまる
読み及び読み解く
 「金胎の両部をまさに見へにけり兵法あれば居合始まる」では何のことやらさっぱりわかりません。
 その前に新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事にも此の歌はあります。
 「金鉢乃両部能二川と見し尓希利兵法あ連は居合者しまる」
 (金鉢の両部の二つと見しにけり兵法あれば居合はじまる)
 金胎が金鉢となっています。
田宮流居合歌の伝では
 金銀(金胎)の両部正に見えにけり兵法有れば居合はじまる」
 金銀ですか?
 金胎の両部、金鉢の両部・金銀(金胎)の両部が解れば何とかなるかも知れません。
 金胎両部(こんたいりょうぶ):金剛界と胎蔵界。
 界は大日如来を智慧(ちえ)の面から表わした部門、如来の智徳はなによりもかたく全ての煩悩を打ち砕くことからその名があると云う。
 胎蔵界は大日如来を本来的な悟りである理性(りしょう)の面から見て言う語で、理性が胎児のように慈悲に包まれてはぐくまれていることからこう名付ける。
 金鉢の両部の金鉢は托鉢の鉢でしょうか、仏教での両部は金剛界と胎蔵界を言い表しているのでしょう。金胎両部の思い違いかもしれません。
 金銀の両部は誤字かも知れず金胎と括弧書きが残されています。
 「煩悩を打ち砕く堅固な智徳と慈悲に包まれた理性によって、戦うべき時には居合が求められるものである」
 己の心の中にある智徳により煩悩を打ち砕き理性を慈悲によってつつむ心が居合を兵法と為すことが出来るという事を奥義として歌い継がれたものではないかと思うのです。
 現代居合は居合抜きの業技法だけが稽古されていて、居合心など聞かされたことも、歌など耳にする事も、稽古の中で知る機会はありません。
 高段者講習会などで、国語の解かる居合の先生もおられるでしょう。もう遠い昔の歌なのですからその歌われた当時の心を読み取れなくとも「私は此の歌はこの様に歌ったのだとおもう」と講義され、それを元に「私はこう思う」と自論を述べる機会などあれば現代居合も格調高いものになり、幻の権威に息吹が入りいたずらに権力をふりまわす幼稚なことは無くなると思うのです。武的演舞と揶揄し、幻の権威と振り向く事も無いものでは、下手な武的踊りとして老人体操の域を超えられるわけはありそうもない。
 

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2019年1月13日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の24寝て居ても

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の24寝て居ても
 寝て居ても起て抜見よ放れ口
        突かれぬ事は師匠なり介り
読み及び読み解く
 寝て居ても起きて抜いて放れ口を見てごらんなさい 突くことが出来ないのは師匠だからでしょう。是では書いてある通りに読み下しただけで意味が通じません。
 或いは、寝て居ても起きて抜いて見なさい、抜き付けの切先が鯉口を放れても、突く事が出来ないのは師匠だからでしょう。師匠だから突けないなどの事は別の事で、技法としては突きも充分稽古しなければなりません。鯉口から突など理屈が解ればすぐできます。
 もう一つ、寝ても覚めても抜き付けを稽古するのだが、師匠にだけはどうしても放れ際に突くことが出来ない。師匠の方が上手ならばしょうがない。
 抜き口への当流の極意は「柄口六寸」です。抜かんとする柄口六寸を師匠に抑えられてしまう。
 
 読み下せばこんな所でしょう。「突かれぬ事は師匠なり介り」が何を言っているのか、何が奥義なのかサッパリです。
 師匠の教えを教えられた形の通りに守り通して十数年、何か違うと思い至りて形を破って見たら思う様に運剣できる様になってきた。
 道場で師匠の前に立つと「違う」と叱責されて跳ね飛ばされても懲りずに更に磨き上げて、師から学ぶ事も無く新たな境地に佇む日々。
 私の様に、現状に満足できず、何故、何故と求め続けていますと師匠に疎んじられ、処を変えて又振出から一歩一歩、歩いてみます、又行きあたって何故の繰り返しです。
 もう是で充分な事などあろうはずもなく、お世話になった方達へ感謝はすれど、立ち止まって居られないものです。
 是を攻撃的だとか、自分本位とか言われても、求めるものが違うのですからとことんやる以外に生きている気がしないものです。
 武術の終わりは自らが死ぬ時なのでしょう。元の師匠を突き飛ばしてみても何の意味も無く、上意下達などと云って狭い世界に生きる人を置き去りにせざるを得ないでしょう。
 
 この歌の心は、師を置き去りには出来ないよ、と戒めて来る歌であれば、人情としてはそうであっても、武術の至極を求める者には無用の歌であって師を越えられない者は、不詳の弟子であるはずです。
 「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と仰った初代関東地区会長太田次吉先生の言葉を思い出します。
 
 参考にしたいのに、秘歌之大事も田宮流歌の伝にもこの歌は存在しません。
 いずれまた、此の歌に取っ組んでみたい意味不明の歌です。

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2019年1月12日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の23狭みにて勝

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の23狭み尓て勝
 狭み尓て勝を取べき長刀
       短き刀利は薄きなり
読み及び読み解く
 狭い所で勝つのは長い刀であって、短い刀には有利な状況は少ないものである。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事
 「勢王み尓て勝を取留偏幾長刀み之加記刀利はう春き也」
 (せばみにて勝をとるべき長刀みぢかき刀利はうすき也)
 妻木先生の田宮流居合歌の伝
 「せばみにて勝をとるべき長刀短き刀利はうすきかな」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には刀の長さの歌に
 「面にむかふ長をたのみにて左右をば何とふせがん」
 という歌も歌われています。
 「正面の敵に向かっていくには長い刀が有利だろうが左右の敵はどの様に防ぐのか」という課題です。この歌は曽田本その1にはありません。
 狭い所での心得は曽田本その1「英信流居合目録秘訣の2上意之大事の8壁添
 「壁に限らず惣て壁に添うたる如くの不自由の所にて抜くには猶以って腰を開ひしりて体の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越る事なし就中身の振廻し不自由の所にては突事肝要」
 狭い所では「体の内にて抜き突くべし」がポイントです。大江先生の現代居合では奥居合之部居業の「両詰」でしょう。
 大江先生の奥居合立業の「壁添」は体の内で上に抜き上げ拝み打ちに打ち込んでいます。これは古伝の抜刀心持之事「人中」での抜刀法です。古伝「壁添」は狭い場所で体の内で抜き突くのです。
 狭い場所で座していて正面の敵に対する業は古伝では「向詰」で「抜て諸手を懸け向を突打込也」で大江先生は業名を「両詰」に変えてしまいました。
 狭い場所では、横一線の抜き付けも、相手の打込みを筋を替って外すのも不便です。機先を制して抜き突く、其の際長い刀が有利だと云えるのでしょう。
 古伝の歌で短い刀には利が無いと思い込んでみても、小太刀しか帯びていない場合はどうするのか、寧ろ不利の武器を有利に扱う事を思いやるべきかもしれません。
 定寸以上の長い刀を誇らしげに抜いている人を見かけます。寧ろ小太刀を自由自在に扱える稽古を充分して置くべきかもしれません。
 たとえば、「詰合」を打太刀は太刀、仕太刀は小太刀で稽古するなど「権威を嵩に権力を振りかざす者」の最も嫌う事を黙々と稽古する事が忘れられて居る様に思えて仕方がありません。
 
 
 

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2019年1月11日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の22早くなく

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の22早くなく
 早く奈く重くあらしな軽く奈く
      遅き事於や悪しきとそ云う
 読み及び読み解く
 早くもなく重くあってはならない其の上軽くなく、遅い事は悪い事だと云う。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では。
 「早く奈く於そくハあらし重く奈く加る幾事をハあし幾とそ云」
 (早くなく遅くはあらじ重くなく軽き事をば悪しきとぞ云う)
 早くもなく遅くもなく、重くなく軽き事をば悪いと云う。
 居合兵法の和歌は「早くなく重くあらじな」ですが秘歌之大事は「早くなく遅くはあらじ」で自然です。
 そのあとの句も「居合兵法の和歌が「軽くなく遅きことおや」と軽いと遅いで構成されています。秘歌之大事では「重くなく軽き事」とこちらも逆を自然に語っています。
 居合兵法の和歌は「遅き事をば悪しきとぞ云う」で、秘歌之大事は「軽き事をば悪しきとぞ云う」で「遅い」と「軽い」とでは意味が違うでしょう。
 妻木先生の田宮流歌の伝では。
 「早くなくおそくはあらしかるくなしおそきことをぞあしきとぞいふ」
 この歌には、前の二つの歌に有る「重くあらしな、又は重くなく」の重いの言葉が消えてしまっています。
 居合いは、居合兵法の和歌と田宮流歌の伝による「遅い事は悪いのか」、秘歌之大事の「軽いのが悪いのか」結局のところ、早くても、遅くても、重くても、軽くても良くないと歌っている事に違いは無さそうです。奥義の歌であれば、一つの調子に拘らず状況に応じたものであれと云われそうです。
 稽古の方法として田宮流歌伝口訣に「初学には調子を習へ兎に角に早きにまさる兵法はなし、居合は抜き付け一本にて勝つの教えゆえに、初学より先ず調子を習うが専一である。初めより、三調子に習わす事肝要なり。それより二調子に、次に一調子に抜かすこと。この一調子は「ハナレの至極」という。初学より一調子にゆかぬ故、三調子、二調子の場より習わすことが肝要なり。」
 河野百錬先生は初心者心得に「初心の間は十分に落付きて業を大きく伸び伸びとユックリ行い、業と業との間に区切りを作りてなし決して素早く一連に行わぬ事。総ての業は其の一動毎に十分なる気魄を必要とす。即ち「一動の終毎にグット確かなる気力の締り」ある事を最も肝要とし、而して次の動作は更に新たなる力と気合を以て行う事。然して錬磨の功を積み錬熟するにつれ内に凛々たる気魄を養ひ業の間をつめる様心懸くる事」
 この田宮流歌伝口訣も河野先生の心得も、初心者への指導法として述べられているのですが、ともすると仮想敵など何処へやら、いつまで経っても三調子か二調子しか出来ない者の方が、一調子の者より自然に見えてしまうものです。それは敵のあらゆる動きを想定する業を身に着けて来なかった古参の者が初心の頃の動作をいつまでも忘れられず「大きく伸び伸びとユックリ」ばかりしか体に覚えさせていない証拠と見受けられます。
 修行を積み重ねる上で、今日はゆっくり大きくメリハリを付けず業を正しく行う、明日は伸び伸びとしてメリハリをつけ、翌日は大きく伸び伸びとユックリだがメリハリをつけなど工夫しながら稽古をする。次の日は気を抜いた動作、次の日は堅いごつごつした動作などやって見る。
 それには、当初は仮想敵を相手にせず自らの正しい動作の修得にしても出来るだけ早く仮想敵を思い描くべきでしょう。師匠は設対者となり切られ役になる工夫も大切な事です。
 武的演舞ではなく、武術の演武であるべきでしょう。
 
 

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2019年1月10日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の21贔屓偏頗

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の21贔屓偏頗
 世の中に贔屓偏んバの有時ハ上手も下手も人の云う奈し
*読み及び読み解く
 世の中にすこぶるえこひいきがある時には、上手も下手も人の口には上る事は無い。
 偏頗はすこぶる偏る、不公平です。最近言われる「忖度」もその一つでしょう。上役の関係者、金銭的なもの、身内などいつの時代でも付きまとう怪しげなものです、明らかにそうであれば誰も口をとざしていたのも封建時代の名残です。権力者を甘やかすのは何かでしょう。
 世の中にえこひいきがあるのであれば上手も下手も有り様がない、それは此の歌の直訳ですが、奥義の歌ならば、その程度のレベルの事を歌うわけはないと思いたいものです。
 この歌は新庄藩の新夢想林崎流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 上手だ下手だなどと師匠や兄弟子、同僚などに言われて良い気になっていても、何か下心があっての事ととるのはよそに置いて、人におだてられてその気になって相対して剣術をやってみたが技が決まらない、試合に臨んだらコロコロ負けてしまう。
 特に現代居合は仮想敵相手の一人による空間刀法です。武術の形をとった演舞に過ぎません。
 如何に凛々しい立ち居振る舞いで入場し、礼式も見事に理にかなって美しく、形は宗家の瓜二つの演舞をしても、あるいはそれを越える力強いものであっても物の役に立つ者はわずかでしょう。
 流派のかたち通りであればあるほど役立たずになってしまいます。本物は他人に褒められるようなかたちでは役立たずにすぎません。
 現代居合の仕組みが、段位制度による昇段審査の評価、演武競技会による評価による優劣。どれも本物を見分けられる審査員や判定員が居るようには思えません。
 筆者もついこの間までは楽しんで競技会に参加したりしましたが評価基準も不明瞭なのに、判定員の履歴が段位だけが目安で、その判定能力の有無など全く示されておらず不明瞭です。
 選ばれた者も自分の地区や道場の者、あるいは縁故の者、息のかかった者などよく聞く話です。
 酷いのは21代の形を優先、22代の形を落とす、あるいは逆などめちゃくちゃな判定です。
 空手の時津賢児先生は「評価基準は演ずる人の技法の理解度や実際に技を用いる能力の高低には求められず、第三者が判定できる一般的な外的指標が基準になる。
 つまり、型の動的な形の品定めを行うわけだから武的美学のコンクールと見なすべきである。
 型競技は体操と同じように近代体育競技のジャンルとして新鮮な目でとらえていけば、それなりの意義がある」と武道の方法叙説で述べておられます。
 武術とは言えないけれど武的体操競技としてみるならそれなりでしょう、と云っているのです。
 武術はあくまでも闘争の技術であって、戦って勝事が前提なのです。
 わけ知り顔の者が神妙剣を持ち出しても、その根底には相手に戦っても勝つだけの力量があっての上での神妙剣なのです。
 この程度の処でうろちょろして居ても意味のない事です。

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2019年1月 9日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の20懸待表裏

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の20懸待表裏
 待も春る待っても留る事ぞ有
      懸待表裏二世の根元
読み及び読み解く
 待ちもする待っても留まることぞある懸待表裏二世(二星?)の根元
 我から懸かっていくのではなく敵の懸かりを待つ、敵の動きを見ても直ぐに応ぜずに待つことが大切である、懸待表裏(けんたいひょうり)は生死の分かれ目の根元である。
 この歌は、古武術の知識が乏しい者には、何を歌っているのかさっぱりわからない歌でしょう、多少知識があっても土佐の居合ばかりが頼りでは術にまで発展できそうにありません。
特に「懸待表裏」、「二世」、「根元」などの用語は当流の用語には見出せません。
 上泉伊勢守の新陰流による考え方が江戸初期には広まっていた影響が土佐の居合にも浸透している一旦かも知れません。
 この歌は田宮平兵衛業政の歌とされています。新陰流の影響はどの程度であったかは判りません。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には此の歌は見られません。
 田宮流居合歌の伝には二首
 「待ちもするまたでも留まるやうもありかける表裏にせの根元」
 「待ちもするまたでも留まることぞある懸待表裏二世の根元」
 相手の出方を身を土壇にして待って応じようとする、相手もさるもの仕掛けんとする素振りに我が応じようとすればそれを待って懸って来る事もある、懸かる、待つ、表と裏を見極め相手の柄口六寸に勝つのが根元である。
 このように深読みして見れば歌心かな~と思う次第です。

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2019年1月 8日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の19知らぬ兵法

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の19知らぬ兵法
 我道の居合一筋雑談二
     志らぬ兵法事を語る那
読み及び読み解く
 我が道は居合一筋である、雑談にしても知らない兵法の事を語ってはならない。
 直訳すればこんな所でしょう。。その心はどこにあるのか考えて見たいものです。
 参考になる新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にこの歌は有りません。
 妻木先生の田宮流歌の伝では少し文言が違いますが歌心は同じ様です。
 「我が道の居合一筋誰云うに知らぬ理かたの事を語るな」
 我が歩み行く居合の道は田宮流一筋である、誰に云うとしても、知りもしない術理の事を語ってはならない。
 「何故」兵法の事を語ってはいけないのでしょう。他流に返し業を研究されてしまう、他流を批判し険悪と成る、出鱈目を言って過大評価あるいは過小評価され共に禍を招くことになる。
 余計な事を言ったため、試合を申し込まれて裏を取られてしまうなどの事は、すでに遠い昔の幻かも知れません。この時代は積極的に他流との交流をして自流価値を身をもって知る良い機会です。
 隠すべき理由は、昔から門外不出であったと云う現代では意味不明な事に拘っていても意味は無さそうです。
 むしろ、古伝の研究者や、本物を極めたい求道の士には門戸は大きく開き、口伝口授の流派の伝承法を書きあらわしてもらい末永く残せる方がどれだけ世の中の為になるか判りません。
 明治以降の竹刀剣道や居合の統一理論が、多くの古伝を抹殺してしまいました。残された流派もじわじわ蝕まれて消える寸前か、土佐の居合の様に古伝を忘れてしまって現代居合として新たに生まれ、そして権力者の無責任からあらぬ方に進んでしまい、あの世から笑われてしまうのも悲しい事です。
 あの世からならば仕方が無いのですが、古伝を研究した者から「何故」と問われて答えられず、「昔はこうだった、先師にこうな習った」と苦しい答弁です。
 

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2019年1月 7日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の18池の蛙

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の18池の蛙
世ハ廣し我ゟ外の事奈しと思ふハ池の蛙なりけり
読み及び読み解く
 世の中は広いもので、自分より他にこの事を越える者など居ないと思うのは池の中の蛙である。
 荘子の秋水第17に、河伯が黄河のほとりに立ってその雄大さに驚き、北海若に世俗に云う「聞道百以為莫己若者」(道を聞く事百にして以って己に若はなし)
 百程度の僅かばかりの道理を聞き齧って、自分に及ぶ者はないと云うのは自分の事である、と一人よがりを恥じていいます。
 北海若は「井蛙不可以語於海者 拘於虚也」(井の蛙以て海を語るべからずは虚なり)井戸の中の蛙に海のことを話してもわからないのは、自分の居る狭い場所に拘っているからである、と云っています。
 諺に「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さを知る」が生まれているようです。
* 
 極意の歌は、その程度の力量でのぼせるな、お前より強いものは幾らでも居る程度の事を歌っているのでしょうか。
 そんな程度ならば、其の辺のへぼ十段でも口にして得々としています。歌の奥に有る思いを読み取りたいものです。
新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事に「世・・で始まる歌二首」
 世能中尓我与利外能物奈しと於もふ池農蛙奈利介利
 (世の中に我より他の者なしと思う池の蛙なりけり)
 世ハ廣し折尓与利てそ加者るらん者禮之満計与しと於もふな
 (世は広し折りによりてぞ変わるらん 我知るばかり良しと思うな)
 一種目は居合兵法の和歌と同様ですが、二首目はまさに極意の歌でしょう。恐らく二首目の歌は土佐の居合を習った第九代林六大夫守政に伝わらなかったか、伝わっても一種目の「のぼせるな」という戒めしか心に残らなかったものでしょう。
 世の中の移ろいは、人も、政治も、武器も武術も変化していくのは歴史が示しています。戦国時代はその大きな変化に如何に同化し抜きん出られるかも、生き残るすべであったでしょう。
 当然居合もそうあるべきものです。
 田宮流之妻木先生の田宮流居合歌の伝にも二首あります。
 世の中は我より外のことはなし思わば池のかへるなりけり
 世はひろし我より事の外なしと思ふは池の蛙なりけり
 だから謙虚にして慎ましく控えて居るべきだなど、誰も思いはしませんよね。若しそんな事を思う人は居合道歌を学ぶ資格も、居合を学ぶ資格も無いでしょう。
まして、それが武士道であるならば、武士道など権力者にとって都合の良い道標にしかなり得ないでしょう。

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2019年1月 6日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の17只切る

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の17只切る
・抜けバ切る不抜バ切与此刀
        只切る事二大事こそ阿れ
読み及び読み解く
 抜けば切る抜かずば切れよ此の刀 只切る事に大事こそあれ
 抜いても抜かなくてもこの刀で切るのだ ただ切ることが大事なのである、と詠んでも意味が解りません。
 私は切るべき時には、無心になってただ切るのである、と解釈して見ました。是は刀を抜いて相手を斬り伏せる居合の業技法の心得に小さくまとめるべきでは無く、相手の考えや行動に許すべからざる時、究極のコミュニケーションとして斬り伏せろと読み取って見ました。
 現代居合は河野百錬先生の居合哲学に引っ張られて敵の害意を察して抜き打つと教わっています。
 害意を察するとは、会うや否や怒りの色がありありとする、相手との対話から食い違いがおこり険悪になり顔に憎しみの色が出る、のっけから威圧しつぶしに懸かって来る風情、などなど良く知りませんがあるでしょう。察するなどはあう以前からの事であるかもしれません。
 ここは、河野節は置いて置いて、居合心持肝要之大事の居合立合之大事を読み直してみます。
 「敵と立合いとやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵をみこなし彼がかく打ち出すべし、其の所を此の如くして勝たんなどと頼む事甚だ悪しゝ。
 先ず我が身を敵の土壇と極め何心なく出べし、敵打出すところにてチラリと気移りして勝事なり。常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也。」
 「チラリと気移りして勝」とは「構えは如何にもあれ敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一途に敵の柄に打ち込む也、敵にうまうまと振るうて右の事を行う秘事也是神明剣也」
 この心得でしょう。
 では居合で此の心得をどの様に身に着けられるのか。
 第17代大江正路先生は剣道手ほどきで「一番前:正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り・・」と古伝の極意など何処にも見られません。初心者への教えの域を超えていない様です。
 現代居合は第20代河野百錬先生の大日本居合道図譜では正座の部一本目前「意義:正面に対座する敵の害意を察知するや機先を制して其の抜刀せんとする腕より顔面にかけ斬付けんとす」であってほぼこの心得を踏まえているやに見えます。
 更に時代が過ぎて第22代池田聖昂先生では「前面に対座せる対敵の害意を察知するや、機先を制して其の(対敵の)抜刀せんとする腕より顔面(首とも胸とも可)にかけて、我が右足を踏み込みて斬り付け、返す刀を双手上段に冠りて真向に打下し(斬り下ろし)勝を制する意なり」となって、抜き付けを「腕より顔面(首とも胸とも可)」と極意を忘れています。
 古伝神傳流秘書大森流居合之事初発刀では「右足を踏出し向へ抜付け打込み・・・」であって何処へどの様に抜付けろなどの指示はされていません。
 その抜き付けの極意は、あくまでも根元之巻に示されている、敵の柄口六寸なのです。いわゆる柄を握る左右の小手なのです。
 動かない仮想敵の腕、首、顔面などに抜き付けるのでは無く、敵が我に向かって抜き付けんとする、あるいは斬り付けんとする、その動いている敵の柄口六寸を只切る事が大事と詠っている筈です。
 師匠に教わった事だけを稽古している形演舞の居合ならば此の歌の心は読む必要はないでしょう。
 居合も形では無いのです。
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
 「ぬ希は支るぬ加年ハ支れ与此刀多ゞきる事は大事こそ阿連」
 (抜けば切る抜かねば切れよ此の刀ただ切る事は大事こそあれ)
 田宮流居合歌の伝
 「抜かば切れ抜かずば切るなこの刀たい切ることに大事こそあれ」
 「たい切る」は意味不明です。「ただ」の誤植か他に意味があったのか解りません。
 
 

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2019年1月 5日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の16無想の刀

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の16無想の刀
与風出る太刀を思い覚るべし
      無想の刀鍔ハ可満王じ
* 
読み及び読み解く
 ふうと出る太刀を思い覚るものだ 無想の刀であれば鍔で請け太刀するなど思うものでは無い。
 「与風出る」の歌い出しから翻弄されて、漢文を思い出して「是か」と悟った次第です。下の句の「鍔は可満王じ(鍔は構わじ)」では、何を言っているのか、これも難解です。鍔にお構いなしに、何も考えずに刀を打ち込めというわけです。
 相手が上段からふっと我が真向に打ち下して来る一刀を、何も考えずに我も相手の真向に打ち下し相手の刀を打ち外して切り下げる太刀を悟れ、と読んでいるのでしょう。
 それとも、相手が打ち込んで来るその柄口六寸に、鍔など構う事無く抜き付ける、居合の極意を悟れと読んでいるのでしょう。
 無雙神傳英信流居合兵法の根元之巻に示唆する「柄口六寸」、新陰流の「合し打ち」や、一刀流の「切り落し」が思い描かれてきます。
 いずれの古流剣術の流派であろうと、相手の打込みを請太刀するなどは初心の事であっても極意業は、請け太刀など無いものです。
 無心の打込みが請け太刀であり切る太刀となり勝負が付いている、それを信じて学ばない限り身に付く事も無ければ、見ても理解できず、聞いても解からずでしょう。
 
 この歌は妻木先生の詳解田宮流居合の歌の伝に
 「ふっと出る刀をおもいさとるべし夢想の刀鍔は構はし」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には詠まれていません。
 
 

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2019年1月 4日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の15心明剱

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の15心明剱
 餘多尓て勝れさりしと聞しかど心明剱の太刀を楽し免
読み及び読み解く
 「あまたにて勝たれざりしと聞きしかど心明剣の太刀を楽しめ」読み下しはこのようなものでしょう。
 この歌は田宮流歌の伝にも新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にもありません。対比しながら読み解いていく事は出来ません。
 居合では大抵勝つ事は出来ないと聞いているが、心明剣の太刀を楽しんで見なさい。とでもいうのでしょう。
 古伝神傳流秘書の書き出しは「抜刀心持引き歌」から始まります。
 其の中に
 「居合と申は第一に太刀抜かぬ以前に勝事大事也 歌に
 抜ば切れ抜ずば切るな此刀たゞ切る事に大事こそあれ 
 あまたにて勝れざりしと聞しかど心明剱の太刀を楽しめ」
と、あります。
 「神明剣」はこの流の末尾を締める教えは「神妙剣」です。
「雷電刀は惣名也即ち柄口六寸也、変じて神妙剣となる、軍場の剣となる・・当流の極意は表裏の違い也、敵に向かえば如何なる人も心は暗闇となる也、その真方暗闇の所にて一つ行うべき事有り、すなわち柄口六寸の勝也。是当流の極意也・・。
 神妙剣他流にては心を明かにして敵の動きを見よと云うとは大いに違えり生死の境なれば平気とは異なり然れども忘るまじき事一つ有りすなわち柄口六寸也、柄口六寸実は抜き口の事に非ず、極意にて伝わる所は敵の柄口六寸也。
 構えは如何にも有れ敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一途に敵の柄に打ち込む也。先ず我が身を敵にうまうまと振りて右の事を行う事秘事也、是神妙剣也。
 神妙剣 深き習いに至りては実は業に無し常に住坐臥に有の事にしてニ六時中忘れて叶わざる事也。
 彼怒りの色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑えしむるの□知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。是戦に至らしめずして勝を得る也。
 さりながら我臆して謝りて居る事と心得る時は大いに相違する也。兎角して彼に負けざるの道也。
 止める事を得ざる時は彼を殺さぬうちは我も不死の道也。又我が誤りをも曲げて勝には非ず、謝るべき筋なれば直に謝るも勝也。
 彼が気を先に知りて直ぐに応ずるの道を神妙剣と名ずけたる也。詳しくは書面に表し尽くし難し、心おぼえの為に其端を記し置く也。」
 刀を抜き放って戦い己の我を通すのではなく、彼の思いを良く理解し我が思いも分かち合う、和していく心を楽しめとでも云うのでしょう。
 争いごとは、和する事が出来た時には殊の外うれしいものです。それには長いものに巻かれる様な腰抜けでは得られない、強い信念の裏打ちも必要です。
 

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2019年1月 3日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の14無き事

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の14なき事
 もとの我勝が居合の習奈り
       なき事云ハゞ身の阿だと成る
読み及び読み解く
 元の我勝つが居合の習い也 無き事云はば身の仇となる
 この歌はこのまま読んでも何を言いたいのか浮んで来ません。
 「もとの我」とは、昔の自分、本当の自分、自分自身かな、と読み込んでいきますと、自分自身に勝つのが居合の習いであると読めてきます。
 「なき事云ハゞ」は泣き言いえばかな、無き事言えばかな、などと思いめぐらして見ます。泣き言も、目の前に無い物ねだりも一纏めにして「なき事云ハゞ」「身の仇と成る」、無いものねだりして見ても身の為にはならない、と歌っているのでしょう。
 居合と云うのは自分自身の心に勝つもので、臆したり、味方を求めたりもっと修行して居たらばなどと泣き言いっていないで、無心になって抜き付けろ、というのでしょう。
 妻木先生の田宮流歌の伝
 「本の我に勝つがためぞといいならひ無事いふは身のあ□となる」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事
 「本能我尓勝可居合之大事也人尓逆婦ハ非可多奈利介理」
 (本の我に勝つが居合の大事なり 人に逆うはひがたなりけり)
 秘歌之大事が奥義を伝えているかも知れません。
 自分自身に勝つのが居合之大事な心得であって、人と言い争い刃を向けて争うなどは間違えているのである。
 この解釈が土佐の居合の極意、神妙剣でしょう。
 いざ、抜かざるを得ない場合は無心になって身を土壇となして打ち懸ける極意も秘めていそうです。
 

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2019年1月 2日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の13無用なる

曽田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の13無用なる
 無用なる手詰の話をすべ可ら春
       無理の人尓ハ勝って利ハ奈之
読み及び読み解く
 取り立てて分けも無いのに業技法の話をするべきではない、術理に疎い人に話して勝ってみても何の利も無い
 「手詰」とは、広辞苑では「激しく詰め寄る・猶予無く攻め懸ける」ですが、ここでは業技法の話位で良いかも知れません。もっと厳しく、業技法の術理をもって詰め寄るでもいいのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には存在しません。妻木先生の田宮流の歌の伝では
 「無用する手詰の論をはすべからず無理の人には勝ちてせんなし」
 この歌の心はどの様に読み解けばいいのでしょう。
 師匠の真似事の棒振りしか出来ない師匠や兄弟子に「何故そうする」と問いかけても「生意気な奴」ぐらいにしか思われないのでは、そんな輩に術理を聞いても、思う事を言っても意味無いよと云う事もありそうです。
 他流は勿論、自流でも師伝が違う人と業技法の話なども、相手を良く知った上で話さないとややこしいことになってしまいます。へぼでも「俺が一番」という天狗がごろごろいます。
 形はできても術は決まらないのが古流剣術です、考え方、日常の体の使い方、その流派の基本となる足腰などの捌きは本気で学ばなければ出来ないものです。
 武術は体で動いて結果を出すのですが、頭脳的な体捌き剣捌きが要求されます。チャンバラならば腕力が強く早くて無鉄砲ならばそこそこ勝てるでしょう。そんな人とは論理的な話は無用です。
 

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2019年1月 1日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の12拳の楯

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の12拳の楯
 鍔ハ只拳の楯と聞ものを
     大くも婦とく無きハひがこと
読み及び読み解く
 鍔の役目は、ただ拳の楯と聞いているのだが、大きく太いのは良いが無いというのは心得違いである。
 歌を詠んで見れば「鍔は拳の楯だから、大きく太いのはいいが鍔無しはだめだよ」でしょう。 
 極意の歌の中に、刀の鍔の良し悪しを言う、戦闘用具の歌と云うのも疑問です。何か秘められた事があるのでしょうか。読み解く事が出来ずにいます。
 妻木先生の田宮流居合歌の伝
 「つばはただこぶしの楯とするものをふとくはふとくなきはひがごと」
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
 「鍔ハ多々拳能楯と聞ものを婦とくもふとく奈幾ハひがごと」
 (鍔はただ拳の楯と聞くものを太くは太く無きはひがごと)
 土佐に伝わったこの歌は、鍔は大きくて太くても良いが無いのは理にかなわないと云っていますが、田宮流歌の伝も秘歌之大事も「鍔は太くも太く」と重ねています。
 鍔の大きさを思うと、厚みがあって、直径が大きく、丈夫で軽いものが基本でしょう。その程度のことを極意の歌にする訳はないと思います。
 根元之巻に歌われている「柄口六寸の勝」を敵に取らせないためには鍔で防げというのでしょうか。是ではただの請け太刀であって、勝つ事にはなりません。
 田宮流の歌の伝に
 「ふっと出る刀をおもいさとるべし夢想の刀鍔は構はし」
 前の歌で鍔を意識せよと云いつつ、後の歌では極意に至れば鍔は構うなと云っています。
 極意に至れば刀などの戦闘道具について「兵法の極意に心いたりなば刀道具はおよばざるもの」とも云われます。無刀の世界が開けて来るものでしょう。
 土佐の居合の仕組の中に「大剣取」10本があります。その一本目の無剣
 「相手居合膝に坐し居る処へ小太刀をさげかくる相手抜打つを放して刺す」
 我は小太刀を下げ無形の構えです。無刀ではありませんが、間に至り相手の抜打ちを出足を退いて外すや付け入って小太刀で刺すわけです。小太刀など無くとも相手の懐に入って突き倒すのも、顔面を打つも、太刀を奪うのも可能です。
 この一本目が出来れば後はオマケの業に見えてしまいます。
 
 

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咄々々(とつとつとつ)Ⅱ

 咄々々 
  明けましておめでとうございます。
 
 平成31年の書初めのお題は、雲門宗の開祖雲門文偃の雲門広録から「咄々々(とつとつとつ)」
 意味は、舌打ちしたり、怒ったり、驚いたりする咄から「あらまあ」「これはこれは」などと云った、想いも寄らない事に感動する事、それを表した禅語を選んでみました。
 雲門の言葉としてよく知られているのは「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」でしょう。
 「 にちにち」と読むのが正し様ですが、「ひび」でもさして違いは無いと云えば、識者が怒るかもしれません。
 どの様な日でも、悪い出会いや良い出会いがあったりします。
 日々は水の流れの如きもので、とどまる事は無いものです。それを踏み越えていくのが人生でしょう。
 出会いとは人との関わりばかりでなく、見たり、聞いたり、感じたこと全てと思えばいい、ふと感じた今までの人生と是からの人生への気付きなどで有ってもいいのでしょう。
 
 そんな日々の出合いの中で、想いも寄らない「あらまあ」と思わず口に出して、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、ほめたりするのが「咄々々」の語といわれます。
 家内は保育園に勤めています。その日の子供たちの言動に「あらまあ」と驚く事ばかりだそうで、楽しそうに話してくれます。
 お座りもちゃんと出来ない幼児が、いつの間にか這い出して、ある日突然立ち上がり一歩踏み出し満面に嬉しそうな「笑み」を浮かべる姿、それを「あらまあ」と驚喜する様子は眼に浮かびます。
 その子のパパやママより先に、歩けた嬉しさを自慢げに見せてくれる幼児に、感動すると共に複雑な気持ちとも話してくれます。
 意図的に人を感動させる事が出来たら、行事の主催者は是までの苦労が報われた気持ちになるでしょうし、参加された方も思いもよらぬ感動に嬉しくなってますますのめりこむでしょう。
 
 善い事、悪い事「あらまあ」と、つい口から出てしまう、素直に云える日々でありたいものです。
 「咄々々」の書初めは、文字の書体も配置も用紙の大きさも、特定せず皆さんの思うままに書き込んで、正月明けの教室に持って来てもらいます。
 「あらまあ」と云って、新年早々にその作品を皆さんと一緒に鑑賞します。
 喜んだり悲しんだり、抱負に一杯の新しい年を迎え、五月には新しい年号に臨んで行きたいものです。
 2019年平成31年、たとへ5月1日から年号が変わっても亥年です、新年のご挨拶は「咄々々」とだけ書いてお送りします。
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