« 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の16無想の刀 | トップページ | 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の18池の蛙 »

2019年1月 6日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の17只切る

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の17只切る
・抜けバ切る不抜バ切与此刀
        只切る事二大事こそ阿れ
読み及び読み解く
 抜けば切る抜かずば切れよ此の刀 只切る事に大事こそあれ
 抜いても抜かなくてもこの刀で切るのだ ただ切ることが大事なのである、と詠んでも意味が解りません。
 私は切るべき時には、無心になってただ切るのである、と解釈して見ました。是は刀を抜いて相手を斬り伏せる居合の業技法の心得に小さくまとめるべきでは無く、相手の考えや行動に許すべからざる時、究極のコミュニケーションとして斬り伏せろと読み取って見ました。
 現代居合は河野百錬先生の居合哲学に引っ張られて敵の害意を察して抜き打つと教わっています。
 害意を察するとは、会うや否や怒りの色がありありとする、相手との対話から食い違いがおこり険悪になり顔に憎しみの色が出る、のっけから威圧しつぶしに懸かって来る風情、などなど良く知りませんがあるでしょう。察するなどはあう以前からの事であるかもしれません。
 ここは、河野節は置いて置いて、居合心持肝要之大事の居合立合之大事を読み直してみます。
 「敵と立合いとやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵をみこなし彼がかく打ち出すべし、其の所を此の如くして勝たんなどと頼む事甚だ悪しゝ。
 先ず我が身を敵の土壇と極め何心なく出べし、敵打出すところにてチラリと気移りして勝事なり。常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也。」
 「チラリと気移りして勝」とは「構えは如何にもあれ敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一途に敵の柄に打ち込む也、敵にうまうまと振るうて右の事を行う秘事也是神明剣也」
 この心得でしょう。
 では居合で此の心得をどの様に身に着けられるのか。
 第17代大江正路先生は剣道手ほどきで「一番前:正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り・・」と古伝の極意など何処にも見られません。初心者への教えの域を超えていない様です。
 現代居合は第20代河野百錬先生の大日本居合道図譜では正座の部一本目前「意義:正面に対座する敵の害意を察知するや機先を制して其の抜刀せんとする腕より顔面にかけ斬付けんとす」であってほぼこの心得を踏まえているやに見えます。
 更に時代が過ぎて第22代池田聖昂先生では「前面に対座せる対敵の害意を察知するや、機先を制して其の(対敵の)抜刀せんとする腕より顔面(首とも胸とも可)にかけて、我が右足を踏み込みて斬り付け、返す刀を双手上段に冠りて真向に打下し(斬り下ろし)勝を制する意なり」となって、抜き付けを「腕より顔面(首とも胸とも可)」と極意を忘れています。
 古伝神傳流秘書大森流居合之事初発刀では「右足を踏出し向へ抜付け打込み・・・」であって何処へどの様に抜付けろなどの指示はされていません。
 その抜き付けの極意は、あくまでも根元之巻に示されている、敵の柄口六寸なのです。いわゆる柄を握る左右の小手なのです。
 動かない仮想敵の腕、首、顔面などに抜き付けるのでは無く、敵が我に向かって抜き付けんとする、あるいは斬り付けんとする、その動いている敵の柄口六寸を只切る事が大事と詠っている筈です。
 師匠に教わった事だけを稽古している形演舞の居合ならば此の歌の心は読む必要はないでしょう。
 居合も形では無いのです。
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
 「ぬ希は支るぬ加年ハ支れ与此刀多ゞきる事は大事こそ阿連」
 (抜けば切る抜かねば切れよ此の刀ただ切る事は大事こそあれ)
 田宮流居合歌の伝
 「抜かば切れ抜かずば切るなこの刀たい切ることに大事こそあれ」
 「たい切る」は意味不明です。「ただ」の誤植か他に意味があったのか解りません。
 
 

|

« 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の16無想の刀 | トップページ | 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の18池の蛙 »

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の16無想の刀 | トップページ | 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の18池の蛙 »