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2019年1月10日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の21贔屓偏頗

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の21贔屓偏頗
 世の中に贔屓偏んバの有時ハ上手も下手も人の云う奈し
*読み及び読み解く
 世の中にすこぶるえこひいきがある時には、上手も下手も人の口には上る事は無い。
 偏頗はすこぶる偏る、不公平です。最近言われる「忖度」もその一つでしょう。上役の関係者、金銭的なもの、身内などいつの時代でも付きまとう怪しげなものです、明らかにそうであれば誰も口をとざしていたのも封建時代の名残です。権力者を甘やかすのは何かでしょう。
 世の中にえこひいきがあるのであれば上手も下手も有り様がない、それは此の歌の直訳ですが、奥義の歌ならば、その程度のレベルの事を歌うわけはないと思いたいものです。
 この歌は新庄藩の新夢想林崎流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 上手だ下手だなどと師匠や兄弟子、同僚などに言われて良い気になっていても、何か下心があっての事ととるのはよそに置いて、人におだてられてその気になって相対して剣術をやってみたが技が決まらない、試合に臨んだらコロコロ負けてしまう。
 特に現代居合は仮想敵相手の一人による空間刀法です。武術の形をとった演舞に過ぎません。
 如何に凛々しい立ち居振る舞いで入場し、礼式も見事に理にかなって美しく、形は宗家の瓜二つの演舞をしても、あるいはそれを越える力強いものであっても物の役に立つ者はわずかでしょう。
 流派のかたち通りであればあるほど役立たずになってしまいます。本物は他人に褒められるようなかたちでは役立たずにすぎません。
 現代居合の仕組みが、段位制度による昇段審査の評価、演武競技会による評価による優劣。どれも本物を見分けられる審査員や判定員が居るようには思えません。
 筆者もついこの間までは楽しんで競技会に参加したりしましたが評価基準も不明瞭なのに、判定員の履歴が段位だけが目安で、その判定能力の有無など全く示されておらず不明瞭です。
 選ばれた者も自分の地区や道場の者、あるいは縁故の者、息のかかった者などよく聞く話です。
 酷いのは21代の形を優先、22代の形を落とす、あるいは逆などめちゃくちゃな判定です。
 空手の時津賢児先生は「評価基準は演ずる人の技法の理解度や実際に技を用いる能力の高低には求められず、第三者が判定できる一般的な外的指標が基準になる。
 つまり、型の動的な形の品定めを行うわけだから武的美学のコンクールと見なすべきである。
 型競技は体操と同じように近代体育競技のジャンルとして新鮮な目でとらえていけば、それなりの意義がある」と武道の方法叙説で述べておられます。
 武術とは言えないけれど武的体操競技としてみるならそれなりでしょう、と云っているのです。
 武術はあくまでも闘争の技術であって、戦って勝事が前提なのです。
 わけ知り顔の者が神妙剣を持ち出しても、その根底には相手に戦っても勝つだけの力量があっての上での神妙剣なのです。
 この程度の処でうろちょろして居ても意味のない事です。

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