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2019年2月28日 (木)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の7暇乞

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の7暇乞
参考
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事
従是立事也
立業の10本目
抜打 上中下(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼ノ時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
7本目
暇乞:御使者切り二つ
 行宗先生の暇乞は「御使者切り二つ」とされ古伝の暇乞とは違う様です。古伝で抜刀心持之事の立居合の10本目、抜刀心持之事では全体では17本目に「暇乞」としてあります。此処まで都合19本、残り5本の24本業名が存在します。
 行宗先生の暇乞は、「御使者切り」ですから、放れ打ちの使者に訪れた時の心得が二つあると云うのか、「御使者」ですから使者として赴いた者を斬るのかここでは判断不能です。
 唯、大江先生の「暇乞」を意識しているとすれば、古伝の抜打の暇乞かも知れません。
大江先生の暇乞(剣道手ほどきより)
奥居合
19番
暇乞(黙礼):正座し両手を膝の上に置き黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。
(行宗先生の分にはなし 曽田メモ)
20番
暇乞(頭を下げ礼をする)両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
21番
暇乞(中に頭を下、右同様に斬る):両手を膝上に置き黙礼より稍低く頭を下げて礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
(両手を床につき軽く会釈するならん 曽田メモ)
(之れは座業にて抜くべきものならん? 曽田メモ)
 この大江先生の暇乞に曽田先生が補足メモをされています。まず大江先生の暇乞は座業だから座業の所に記述して其の順番で稽古すべきだろうと云っています。この事は抜刀心持之事も坐業立業の17本目に記述され、立合の業の締めくくりに稽古するのだと暗黙に示している様で、大江先生もそれに習って指導されたのでしょう。
 行宗先生の暇乞は2本しかありません。曽田先生が行宗先生から指導されたのは20番目と21番目だけだったと云うわけです。
 こうして観ると、行宗先生も大江先生同様に下村派第14代下村茂市から抜刀心持之事、所謂奥居合は充分指導されてこなかったのかも知れない、当然曽田先生にも伝承できなかったと思えてしまいます。
 下村茂市の師匠は古伝神伝流秘書を第9代林六大夫守政から一説には盗み出して書き写したとされる人物です。
細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術を読んでみましょう。
英信流 奥居合之部
20本目
抜打:(対座している者を斬る)正面に向ひ対座し、刀を鞘なりに前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄へ執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み諸手上段に引き冠りて斬込み、刀を開き納めつつ両足の踵へ臀部を下すと共に納め終り爪先立てたる足先を伸し正座して終る。
素抜き抜刀術 41本 完
 これ一本だけが細川先生から伝承された暇乞の様です。
 細川先生が下村派第14代下村茂市に師事されたのが安政3年1856年7歳の時でした。明治維新1868年には19歳になっています。
行宗先生は18歳、大江先生は16歳です。
 年齢及び入門時期、身分の違いなど複雑に絡まっていたかもしれません。
 細川先生は1860年万延元年11歳の時、島村義郷の名で下村茂市から童蒙初心之心得を受けています。
 根元之巻に至ったかは下村茂市が明治10年1877年に亡くなっていますからどうだったのでしょう。根元之巻は授与されても業の伝承は出来なかったかも知れません。それは行宗先生も、大江先生も同様だったでしょう。
 幸い細川家には先代からの伝書類が保存されていたでしょうから、そのつもりになればそれなりと思うのです。
 明治維新と云う時代によって今日の日本があったとしても、若き青年達は荒波にもまれ、生活の糧すらままならなかった時代です。波が静まる頃には先師はこの世に亡く暗中模索だったと察しられます。
 

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